40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

論文の査読依頼、Google scholarの整理

長い冬休みも今日で終わり。数えてみたら12月27日から13日間も休みだった。会社がこんなに長い間休みになるのは珍しいこと。論文をちょこちょこやって、読書もしたが、本業をがっつり休む経験は久しぶり。たまっていたペーパーワークを一気に片づけてスッキリ。

 

そうしている間に、先月論文を提出したジャーナルのエディターからメールあり。ドキッとした。内容は私が書いた論文についてではなく、査読依頼だった。今回、私はSpecial issueに提出しているが、同じSpecial issueに投稿した別の人の論文の査読依頼だった。まあまあ有名なジャーナルなのに、こんなに無名な私でいいの?でも確かにこの分野の研究の蓄積はあまりなく、実証研究となると数えるほどしかない。私のなけなしの国際ジャーナル2本の実績が引っ掛かったのかもしれない。もしくは、Special issueに提出した人同士で査読するスタイル?

 

これまで査読依頼を受けたのは、2022年のANZ学会。当時はPublishされた論文が1つもなく、また博士号も取得していなかったことから、指導教官に相談して断り、代わりに指導教官に査読を依頼した。今回、受けてみることに。もう学位も持っているし、査読付き論文も国際誌に2本(+国内誌に1本)出ている。今が査読デビューの良い機会なのかもしれないと思った。納期は42日後の2月中旬。まだ少し時間があるから、パラパラっと読んでみよう。ちょっとワクワクしている。

 

ちなみに、このブログのタイトルは博士課程留学だが、博士号を取得し、留学を終えた今も、ひとまずタイトルは変えないことにする。ブログのコンテンツの大半が博士課程留学であることに変わりはないことが理由。今回、カテゴリーにあらたに「ポスドク研究」というのをつけてみた。今後、研究関連の記事はこのカテゴリーに分類することにする。大学のResearch affiliate(日本語だと研究員?)として正式登録されているから、ポスドクを名乗っても問題ないよね?本業は会社員だけど。

 

時間があったので、Google scholarの実績の整理を行った。これまでは、国際誌に掲載された2本の論文(2つとも2023年の実績)、博士論文(知らない間に自動的に追加されていた)、2022年のAoMのProceeding(これも自動的に追加されていた)、ブックチャプター(2022年の実績)の計5本が成果としてリスト化されていた。これに新たに以下の5本を追加。いずれもGoogle scholarで自分の名前を検索したら出てきた。

 

  • 日本の大学の学部生(農学部)のときに行った学会発表の抄録×2本
  • 上記をもとに教授が書いた論文(私の卒論の内容が含まれていたので共著者として名前が記載されている)
  • 国連機関でインターンシップをしていたときの調査内容が一部使われている論文(たくさんいる共著者の一人として名前が載っていた)
  • 2023年に日本の学会誌に発表した日本語の論文

 

全然引用されていないけど、全部で10個の実績がリスト化された。完全に自己満足の世界。結婚して苗字が変わっているし、日本語と英語も混ざっていて、変なリストではあるが。今の研究の実績がたまってきたら、農学部時代のものは消しても良いかもしれないが、しばらくこのままにしておこう。今思えば、修士の時の研究内容の方が、学士のときのものよりずっと面白いし、今の研究内容にも多少関連するのに、なぜ、投稿論文を書かなかったのだろうと不思議。当時、修士論文でHigh Distinctionをもらったのが信じられないくらい嬉しかったなあ。そのまま、誰にも読まれない研究となったのがもったいない。

 

明日からまた会社員生活が始まる。前回のブログに書いたように、なるべく前を向いて過ごす。

冬休み中にメルボルンから遊びに来た友達に連れて行ってもらった釣り堀

釣った魚は唐揚げと塩焼きでおいしくいただいた

 

2024年は未来志向でいく

年が明けて6日目。去年の今頃はメルボルンでバリバリ論文を書いていたけど、日本ではまだ正月休み。久しぶりにのんびりとしている。のんびりするって楽しい。時間の余裕は心の余裕につながる。

 

fourty.hatenablog.com

 

この休みは実家に6日間、夫の実家に3日間と長期にわたり家を空けた。その間、暇していた話は前回の記事に。あの後、暇すぎて久しぶりに名古屋の大須に出かけ、とても楽しい時間を過ごした。大須は高校生の時によく遊びに行っていた場所。大人になって家族で行ってもたくさん楽しめる。ビルが立ち並ぶ名駅なぞ小さな東京みたいで行く気がしない。

 

大須でランチするときにはいつもブラジル料理店に行くことにしている(愛知県は製造業が多いのでブラジル人が多い)

1グラム1円で買える古着屋さんで新品の春用ツイードジャケットを350円で購入した(ラッキー)

年末の大須観音。子供たちに日本の文化を刷り込む機会

この数日、改めて思ったこと。私は最近やっとパンデミックによる傷が癒えて、前を向けるようになったかもしれない。このブログにも散々書いてきたが、2020年~2023年、念願の家族連れ留学@メルボルンを実現したが、3年間の滞在のうち、2年はコロナによりめちゃくちゃにされた。研究時間を十分にとることができず、また学会への物理的な参加もほぼできないまま、私の一生に一度の博士課程留学は終わってしまった。そのことが心残りで、博士論文を書き終わって、学位がもらえても気持ちがすっきりしなかった。

 

もう一つの心残りは、仕事の件。2022年の9月にメルボルンの企業から仕事のオファーをもらい、ビザのサポートまでしてくれると言われたのに、休職中である日本の会社への義務感を優先し、その話を断った。いざ日本の会社に復職したら周りの人に「戻ってくると思わなかった」と言われ、仕事の内容も自分の専門ではない。年収は留学前より200万円下がるという現実を目の前にして、オーストラリアの企業からのオファーを断ってしまったことを後悔する気持ちが度々襲ってきた。

 

fourty.hatenablog.com

 

仕事の内容が自分のやりたいことではない(博士課程含め専門領域として蓄積してきたことではない)ことから、自分のやりたいことを副業の形で実現しようと、投稿論文だけでなく、コラムの執筆や講演など引き受け、何とか気持ちを保っていた部分がある。

 

この冬休みの出来事として、前回書いたようにメルボルンから遊びに来ている長男の友達家族とスキーに行き、一昨日再び会って、関東で丸1日一緒に遊んだ。長男は完全に日本の中学に馴染んでいて、友達もたくさんいるが、メルボルン時代の友達と遊んだ刺激から、ぽろっと「僕、オーストラリアに戻ってもいいよ」と言ってきた。日本は何も考えなくても自分の言いたいことが言えるのが良い(母国語だから)。でもオーストラリアでも、帰国する1か月くらい前から英語で言いたいことがすんなり言えるようになった、という話も教えてくれた。

 

その会話の中で、「戻りたくてもビザがないから戻れないんだよ。オーストラリアに残るためのチャンスがあったけど、その仕事を断っちゃったから。一生に一度のチャンスを無駄にしてしまったんだよ」と私は答えた。そうしたら長男が「過去のことは忘れな。未来に向けてチャンスをつかもう!」と言ってきた。超前向き発言。根っからの陽キャな長男らしい。

 

それを聞いて、もう過去のことはこれで清算で良いかな、とようやく思えてきた。コロナによって留学生活がめちゃくちゃにされたこと、休職中の日本の会社への義理で貴重な現地企業からの仕事のオファーを断ってしまったこと。頭の中では過去のことを考えていても仕方がないと分かっていても、気持ちはそんなにすぐに整理ができない。でももうそろそろいいかなと。年が変わるこのタイミングで、2020年から2023年の4年間のことは後ろに置いて、ここからどのように進めていくかを考えてみようかな、と思えるようになった。

 

メルボルンでの生活を過去のことにしたくない気持ちは今でもゼロではないが、それに気持ちが引っ張られすぎると良くないということも頭で分かっている。まだ100%すっきりはしていないが、2024年は未来志向で行くぞ、と年が明けたタイミングで宣言することで、なるべくそちらの方向に向かえるようにしたい。

 

2024年にやりたいと考えているのは以下。

  1. 自分の専門領域であり好きなことを副業ではなく本業として取り組む
  2. (いつになるか分からないが)次の海外生活に向けて、英語力は最低限キープ、できれば向上させる
  3. 進路について決断するときには、義務や義理の感情よりも、自分の素直な感情を優先する
  4. 仕事や研究以外の楽しみ、リラックスする時間を意識的に作る(現状について一歩引いた視点を得られるため)

 

このブログには研究や仕事のことをメインに書いているが、実は2023年、帰国してからこれらと全く関係ないことをぼちぼちやってはいる。

  1. 歯列矯正インビザラインというマウスピースを使って行うもの)。20年くらいやりたいと思っていて、やっと経済的、時間的余裕ができた。7月から開始して12月で終了。部分矯正で40万円ちょっと。仕上がりの満足度は8割程度だが、やらないよりやって良かったと思う。
  2. 20年ぶりに友達に会うために韓国一人旅。旅行の後もちょいちょいメッセージのやり取りをしていて、これからも会うことがありそう。
  3. アートの購入。近所に美大があり、ギャラリーが点在しているエリアに住んでいるが、散歩がてらふらっと入った個展で気に入った現役美大生の油絵。NY帰りの韓国人の友人から、NYでは生きているアーティストを応援するために彼らの作品を購入する、という話を聞いて、自分が良いなと思った絵を買い、ワークスペースに飾っている。ギャラリーのオーナー(同い年くらいの女性)と顔見知りになったので、今後もちょいちょい覗いて、気に入った作品があれば購入するつもり。

 

上記3点は年初には全く計画していなかったこと。仕事や研究以外のことについてはあれこれ考えるよりも行き当たりばったりが良いと思っているので、2024年も気の向くまま行動していきたい。

 

今週のお題「2024年にやりたいこと」

362日目で初めて暇になった

気付けば2023年もあと3日。今日、思ったこと。今年初めて「暇」だと感じた時間があった。361日までずっと忙しく、暇だと思う瞬間はほとんどなかった。我ながら、よく走り抜けた1年間だった。今日、なぜ暇だと思ったのか。

 

  1. 昨日から実家に帰省、家事から完全解放
  2. 博士論文が終わった
  3. 投稿論文の提出も終わった
  4. 仕事も終わった
  5. 副業のコラムも執筆と公開が終わった
  6. 副業に関する各種ペーパーワークが終わった

 

暇だから、近所の100均でバトミントンのラケットとシャトルを買って、子供と遊んだ。元テニス部なので、ラケットスポーツは得意な方。スカッシュやバドミントンもかじったことがある。中1長男と真剣勝負し、冬なのに汗をかいた。気が付いたらガットが切れていた。

 

今年はGWも夏休みも実家に帰省したが、家事を免れた間、論文に取り組んでいたので、結構忙しかった。実際には家族と出かけたりもしたが、常に頭の中には、休み中に論文をここまでやらなければ、仕事が始まったらまた時間がなくなる、という焦りがあり、暇という感情は一切持てなかった。今は正月休みらしくぼーっと無意味な時間を過ごす贅沢がある。あれ、ひょっとして私今暇かも?と。でも暇というのも飽きてしまうもので、年明け東京で作業しようと思っていた、来年のAoMのカンファレンスに提出するペーパー(先日ジャーナルに投稿したものとほぼ同じ)の体裁整えに着手してしまった。しっかりパソコンを持参している。

 

2023年を簡単に振り返っておきたい。

  • 1月~3月:フルタイム学生、3月末にメルボルン生活完全撤収
  • 4月~11月:東京での生活立ち上げ、フルタイム会社員として働きながら、博論の修正と投稿論文の執筆、博論をベースとした講演やコラムの執筆、博士号取得
  • 11月~12月:仕事しながら次なるキャリアに向けた種まき開始

 

研究成果としては、国際ジャーナルに2本掲載(4月と11月)、2本投稿(うち1本は11月に掲載されたもの、もう1本は今月提出したばかり)。学会発表はゼロ。仕事していたらなかなか学会発表は難しい。その代わり、実務者向けに講演やコラムの執筆を実施した。繰り返しになるが、12か月中9か月は会社員をしていた中で、研究(のアウトプット)を頑張ったと思う。

 

来年はネタ切れ。会社員として研究とはあまり関係のない分野で日々働きながら、新たな研究をするのは至難の業。というか、普通に働いて子育てして、生活してるだけでも忙しい。どうするかな…。また何か思いついたら書いてみようと思う。とりあえず決まっているのは、コラム残り5本、2月のカンファレンス登壇、2月の投資家ミーティング。うまく行けば8月のAoMでの学会発表。次、フルタイムで研究できるのはいつになるだろう。ぼんやりと、50歳くらいでまた研究にどっぷり戻ってみたいと思っている。そして次は教壇にも立ちたい。アカデミアへの憧れはありつつ、私の分野では実務社会から得られる示唆もダイナミックで面白く、私は実務と研究を行ったり来たりするのが性に合っていると最近思う。

 

今年は旅行好きの自分としては、めずらしくあまり旅行しなかった年でもある。実家への帰省(愛知県内一泊旅行含む)を除けば、軽井沢に2回行っただけ。あ、あと韓国一人旅。この年末に気が向いたら記事を書いてみようと思う。

 

先週は北軽井沢でメルボルンから来た友達ファミリーとスキー

懐かしいチョコレートもらった

 

投稿論文の提出、正式にDrに

前回の記事からまたかなり時間が空いてしまった。日々忙しくてなかなかブログを書く時間を作ることができない。最近、週末はほぼワークしている。ワークの内容は投稿論文を書いたり、コラムを書いたり、今後のキャリアのための種まきをしたり、と月~金のフルタイムの仕事とは異なること。

 

とりあえず、記録として。11月29日、正式にドクターになった。大学からConferral emailが来た。それと同時に、CoEが切れるというお知らせ、Research affiliateになるというお知らせ、など立て続けに。もう学生ではない。大学の各種システムが1か月後から使えなくなる、というお知らせメールが来て、慌ててResearch affiliateのステイタスを確認したら、事務的にうまく進んでいなかったことが判明。これは半分私が悪くて、以前大学と結んでいたカジュアルの雇用契約がまだ残っていたみたい。それを即座に停止してもらい、無事Research affiliateに。

 

Drという称号、そしてResearch affiliateになって初めて提出した論文。12月18日がスペシャルイシューの締め切りのはずだったのに、ジャーナルのHPを見たらしれっと1月に延期されてた。これはあるあるなのかな?とにかく、まあまあ権威のある経営学のジャーナルで、正指導教官も論文が掲載されたことが無いもの。IFは8。

 

副指導教官は共著者としてメールのループに入れていたのに一向に返事がないので、今回は私と正指導教官の2名での執筆となった。正指導教官は自信を持っている。私の博論のコアな部分をベースにしたものでもあるので、良いジャーナルを狙っていきたい。

The paper is looking good and should make it through the first round of reviews at least (I've heard ジャーナル名 can be challenging but a special issue may be less onerous). I've made a few comments/changes as attached.

 

Onerousという単語、初めて聞いた。

提出画面

そしてこの論文をベースにAoMへ再度挑む。2024年8月のシカゴでの学会に。AoMの締め切りは1月9日。正月明け!余裕があるぞ。

 

日本のウェブメディア向けのコラムもほぼ修正が終わったので、今手元にある仕事はほぼなくなった。今年は副業としてコラムの執筆や講演を始めたので、マイナンバーの手続きや色々それぞれの会社に出す事務的書類が残っているが、それを片付ければほぼ年内の副業は終わり。本業の方も最近忙しくて…疲れている。

 

でも冬休みは、メルボルンで仲良くしていた家族が一時帰国して、2家族で一緒にスキーに行く予定!今から楽しみ。そして両実家にも帰省(と言っても夫の実家は関東だが)。私は楽しむ時間を意識的に作らないと、気が付けば論文ばかり書いてしまう週末になってしまう。どこにもお出かけ出来ない日が続いていたけど、論文執筆の合間の休憩時間に日本の秋の美しさ(近所の紅葉)にたくさん癒されていた。春の桜よりも秋の紅葉の方が好きになった。日本の秋ってこんなに美しかったんだと4年ぶりの日本の秋の景色を満喫した。

近所の木々が美しすぎてどこにも行かなくても良いと思ってしまう

子供の通学路で毎日紅葉狩りできる贅沢

4本目の投稿論文が手を離れた今、2020年、博士課程1年目に集めたけど、使っていないデータセットがあるので、それを何とか料理して、論文をもう1本かけないかなあ、とぼんやり考えている。こうなってくると、堂々と趣味は論文執筆です、と言えそうだ。

 

投稿論文ドラフト書き上げ、2024年の研究露出

今、この記事は羽田空港国際線ターミナルの搭乗口で書いている。今日は勤労感謝の日で、明日は平日だが年休を取得、家族を東京において、3泊4日で韓国に一人旅に行く。目的は韓国人の友人に20年ぶりに会うこと。この話はきっと、また後日書くことになる。

 

今週は月~水が稼働日で短かった。前回の記事では博論が受理されたことを書いたが、その後の出来事。

 

fourty.hatenablog.com

 

昨日なんとか投稿論文のドラフトを書き上げて、共著者となる2人の指導教官に送り付けた。今回はさすがに途中であきらめそうになったが、何とか形にすることができたと自分では思っている。まあまあ有名な経営学のジャーナルのスペシャルイシューに出すつもり。締め切りは12月18日。出版は2025年とのこと(遅い!!)。

 

なぜこのジャーナルに出そうと思ったのか。このスペシャルイシューのテーマが私の博論のドンピシャだったから。どれくらいドンピシャかというと、単にテーマが合っているだけでなく、スペシャルイシューのCfPの説明に例として取り上げられている論文(2021年)が、まさに私の博論の理論的骨子に使ったものであり、たとえばこんなテーマで、と挙げられた箇条書きにかなりフィットする内容だったから。スペシャルイシューのCfPは今年の2月に公開され、まだメルボルンにいるときだったが、指導教官からこれには出した方が良い、とアドバイスしてもらった。

 

もっと早くドラフトを書くつもりだったが、3月以降、メルボルンからの撤収、東京での新生活立ち上げとフルタイム会社員の再開、その合間を縫って博論の仕上げと修正などをしていたら、あっという間に11月。指導教官とミーティングしてから2週間で書き上げるつもりだったが、途中両親が泊りに来て何もできない週末もあったため、3週間かかってしまった。でも我ながら、頑張ってよくぞドラフトの形までもっていったと思う。Literature reviewにも最新の論文をいくつか追加した。40代会社員でもやればできる!

 

これが博論をベースとした国際誌への投稿論文の最後になるだろう。トータル3本(+国内誌に1本)。もしこのジャーナルにリジェクトされても、他のジャーナルに送ればどこかに採用されると思う。

前々回の記事に書いた通り、11月初に8か月ぶりに指導教官とミーティングした。その時にこの投稿論文の話になったが、このジャーナルに12月に出したあと、同じものをAoM(世界最大の経営学会)にも出した方が良いと言われた。

fourty.hatenablog.com

 

AoMは毎年1万人以上が参加する、経営学の最高峰の学会。いくつものテーマがあるが、私は2022年に1度アクセプトされている。学会発表とはいえ、フルペーパー(1万ワード程度)の提出が求められ、私の研究テーマである「ビジネスと社会」に関する分科会の場合は採択率が2割程度と、学会発表にしては狭き門。2022年はシアトルで開催されたが、なんと私は道中、東京でコロナになって参加できなかった(正確には録画したプレゼンを流す形で参加した)。

 

fourty.hatenablog.com

 

Publishされていない論文なら出して良いという条件なので、何ら問題はない。むしろこれからジャーナルに出す論文を周りにたたいてもらうような位置づけでもあるようだ。

 

指導教官は、今年のAoM(@ボストン)に共同研究者に誘われて参加し、私の博論の研究テーマのセッションにもいくつか参加したが、内容がどれもしょぼかったとのこと。なので、私の研究を発表したらインパクトあるんじゃないか、という提案だった。まあ出すだけならそんなに大変じゃないから、出してみてもいいかな。ちなみに2024年のAoMはシカゴ。遠い。でも日程が8月中旬、日本のお盆休みに絡められそうで、タイミングは悪くない。もう博論終わって、投稿論文も3本書いたから店じまい、と思っていたけど、まだこのジャーニーは続くみたい。

https://aom.org/events/annual-meeting/submitting

 

ついでに、私の博論に一発OKをくれたexaminarであるオーストリアの教授から、私がポスドクをどこでやるのか聞かれた、という話も教えてもらった。普通に日本でサラリーマンしている私からすると、ポスドクやる前提で海の向こうの学者たちが私のことを話題にしてくれているのは素直に嬉しい。なるほど、ポスドクっていう手もあるのか、ちょっと探してみても良いかもなあ、と思ってしまった。

 

博論をベースとした2024年の露出としては、以下の通り。

  • Webメディアで連載(2023年12月から6回シリーズ、報酬あり)
  • 2月に東京で開催されるカンファレンス(実務者向け)にパネリストとして登壇
  • 2月に投資家とのディスカッション(10月の投資家向けレクチャーからの派生)
  • 8月にAoM@シカゴ(アクセプトされた場合)

 

上3つは日本語/日本人向けなので、英語での実務者/一般向けの発信もしてみたいと思っている。今考えているのは、The Conversationというメルボルン発のグローバルメディアだが、ずっと頭の中にあるだけでまだ何もできていないし、1月~6月は仕事が忙しいので、難しいかな…

 

 

3月にオーストラリアから帰国した時ぶりの空港、すっかりコロナ前に戻っている

 

博士論文の受理

今日、普通に仕事(テレワーク)していて、ふと携帯を見たら「WOO HOO Congratulations」というタイトルのメール。何かと思えば副指導教官から。これはもしや?と携帯で大学のメールを見たところ、大学院オフィスからThesis Certificationの連絡が。

Thesis Certificationのメール

ついに博士論文が受理された。めでたい。修正版を出したのは、先週木曜日。この日は年休を取って最後の仕上げと提出を実施。それから1週間たたずして、合格がもらえた。

 

4年前、このブログの記事に書いた通り、まだ博士課程が始まる前、知り合いの日本の国立大学の教授にオーストラリアの大学の博士課程に行くことを告げたら、「海外で博士号を取るのは難しいよ。うちの大学にしておけばよかったのに」と言われた。その先生にも報告しないと。難しいと言われたけど、私はやりましたよ、と。

 

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これで私のPhDジャーニーは終わりになる。今は一つの節目、新たなスタート地点に立った気がする。正直、博士課程に進んだことで、博士課程に行く前よりも年収は200万円程度下がったし(ラインマネージャーからスペシャリストに降格)、仕事面ではプラスよりもマイナスの評価しか受けないのが博士号だけど、自分がやりたかったことだから、自分の中で達成感はある。

 

博士課程の終わりが見えるにつれて変わったのは、この博士号(とそれを取る過程で得たもの、学んだもの)を100%活かせる環境に自分を置きたいという思い。今の会社では、博士号を取ることを含め自己研鑽をすることは評価されない(悪い会社ではない。やりたいならやってもいいよ、という懐の深さはあるから)。こんなところにいては、この博士号を取るために使った時間と労力、オーストラリア(ビクトリア州)から支給してもらった1千万円以上のお金、家族の協力を無駄にしてしまう。私はこの博士課程で学んだことを今の会社で腐らせるわけにはいかない。次のアクションを起こす責任がある、というのが今の気持ち。

 

投稿論文の出版、指導教官とミーティング

忙しすぎてブログを書く時間が取れないけど、色々忘れないうちに記録だけ。

前回の記事からの進捗を箇条書きで記す。

 

fourty.hatenablog.com

 

1.投稿論文の出版

前回の記事ではアクセプトされたところまで書いていたけど、Emerald社、仕事が早すぎ(ミスも多いが)。Proofがすぐきて、5営業日内に返せと言われ、3営業日で催促が来て、週末に急いでレビュー。いくつかの修正を依頼し、その後気が付いたらPublishされていた。指摘した事項がすべて修正されていなかったけど、フォントタイプなどの微細な事なのでまあいっか。4月末に提出してから、約半年でPublish。早い!実際にJournalに掲載されるのは来年1月のようだが、とりあえず先行的にEmeraldのホームページに掲載された。

今回は早かった

2. 博論のリバイス、指導教官とのミーティン

指導教官と3月以来のミーティング。2番目の審査員がややこしいこと言ってきたせいで(おかげで)先生とミーティングする機会を得られたのは良かった。審査員の指摘はかなり偏った意見が混じっていることが分かってきたので、半分くらいは言うこと聞かない。でも丁寧に対応する必要があるので、全否定モードでコメントしてきたところについては、指導教官のアドバイスをもらいながらJustificationを組み立てる。

 

学者ってめんどくさい人いるな。詳しくは時間ができたら記事に書くつもりだが、例えばGrounded theoryに関する流派の違いがあって、両方間違いということはない。それなのに、片方の見方だけで、私のアプローチを全否定してくるような。こういう審査員ってあり?レポートの最後には、Well done!と言われているけど(笑)。何か言わないと気が済まないんだろうね。これだけ読むと直さなくて良い気もするが。レポートにはめちゃくちゃ否定も書いてあるから困ったもんだ。

To conclude, I would once again like to highlight that this was an excellent thesis on an important topic. The thesis was a pleasure to read not only because of the content but also because of the clarity with which the arguments are presented throughout. Well done! 

 

3.オーストラリアの団体のレポートに研究者として寄稿

ドイツ人のPhD同僚から突然連絡があり、とあるオーストラリアの団体向けに超短納期で短い寄稿の依頼あり。無償だと思うが、トピックスが私の博論と今の仕事のど真ん中だったので、引き受けることに。そのせいで先々週の週末のうち1日つぶしてしまった。英語だから日本語で書くのと比べて何倍も時間がかかる。研究に関することで依頼があれば、今は断らないことにしているが、だんだんその領域が増えてきて、仕事との両立が難しい今日この頃。

 

寄稿自体は書いていて楽しかった。私、研究のことについて執筆するの好きなんだな、と改めて発見。書いた原稿は先方にもfabulousと喜んでもらえたので良かった。

 

4.新たな投稿論文の執筆

もう忙しすぎてやめようかと思ったが、指導教官とのミーティングで勢い余って「新たな論文の執筆に着手している、11月中旬にドラフト送ります」と言ってしまった私。自分を追い込みすぎている。でもこの話は年初からしていたし、できるところまで頑張らないと。はあ…10月末までに書き上げるつもりが、まだIntroしか書けていない。これから毎日5時~7時の朝時間と、週末全部使って何とか2週間で仕上げる予定。

 

月~金にフルタイムで働いて、その隙間時間に2週間で投稿論文書く生活、やってる人この世界にいるのかな?とにかく時間が無くて、仕事している場合じゃないんだけど、仕事は仕事で年末に向けて忙しくなってきた。もう仕事辞めてずっと研究だけしていたいのにな、と思う瞬間もあるが、現実的にそうもいかない。とりあえず、新たな投稿論文の執筆が終わるまで全速力。副業の日本のメディア向けのコラムは12月で良いと言われたので、時間の猶予ができた。

 

プライベートはプライベートで、子供の誕生日や運動会、義理の両親や自分の両親が家に来てもてなしたりで、色々とある。とにかく2023年はあっという間に過ぎそうだ。