40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

投稿論文ドラフト書き上げ、2024年の研究露出

今、この記事は羽田空港国際線ターミナルの搭乗口で書いている。今日は勤労感謝の日で、明日は平日だが年休を取得、家族を東京において、3泊4日で韓国に一人旅に行く。目的は韓国人の友人に20年ぶりに会うこと。この話はきっと、また後日書くことになる。

 

今週は月~水が稼働日で短かった。前回の記事では博論が受理されたことを書いたが、その後の出来事。

 

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昨日なんとか投稿論文のドラフトを書き上げて、共著者となる2人の指導教官に送り付けた。今回はさすがに途中であきらめそうになったが、何とか形にすることができたと自分では思っている。まあまあ有名な経営学のジャーナルのスペシャルイシューに出すつもり。締め切りは12月18日。出版は2025年とのこと(遅い!!)。

 

なぜこのジャーナルに出そうと思ったのか。このスペシャルイシューのテーマが私の博論のドンピシャだったから。どれくらいドンピシャかというと、単にテーマが合っているだけでなく、スペシャルイシューのCfPの説明に例として取り上げられている論文(2021年)が、まさに私の博論の理論的骨子に使ったものであり、たとえばこんなテーマで、と挙げられた箇条書きにかなりフィットする内容だったから。スペシャルイシューのCfPは今年の2月に公開され、まだメルボルンにいるときだったが、指導教官からこれには出した方が良い、とアドバイスしてもらった。

 

もっと早くドラフトを書くつもりだったが、3月以降、メルボルンからの撤収、東京での新生活立ち上げとフルタイム会社員の再開、その合間を縫って博論の仕上げと修正などをしていたら、あっという間に11月。指導教官とミーティングしてから2週間で書き上げるつもりだったが、途中両親が泊りに来て何もできない週末もあったため、3週間かかってしまった。でも我ながら、頑張ってよくぞドラフトの形までもっていったと思う。Literature reviewにも最新の論文をいくつか追加した。40代会社員でもやればできる!

 

これが博論をベースとした国際誌への投稿論文の最後になるだろう。トータル3本(+国内誌に1本)。もしこのジャーナルにリジェクトされても、他のジャーナルに送ればどこかに採用されると思う。

前々回の記事に書いた通り、11月初に8か月ぶりに指導教官とミーティングした。その時にこの投稿論文の話になったが、このジャーナルに12月に出したあと、同じものをAoM(世界最大の経営学会)にも出した方が良いと言われた。

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AoMは毎年1万人以上が参加する、経営学の最高峰の学会。いくつものテーマがあるが、私は2022年に1度アクセプトされている。学会発表とはいえ、フルペーパー(1万ワード程度)の提出が求められ、私の研究テーマである「ビジネスと社会」に関する分科会の場合は採択率が2割程度と、学会発表にしては狭き門。2022年はシアトルで開催されたが、なんと私は道中、東京でコロナになって参加できなかった(正確には録画したプレゼンを流す形で参加した)。

 

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Publishされていない論文なら出して良いという条件なので、何ら問題はない。むしろこれからジャーナルに出す論文を周りにたたいてもらうような位置づけでもあるようだ。

 

指導教官は、今年のAoM(@ボストン)に共同研究者に誘われて参加し、私の博論の研究テーマのセッションにもいくつか参加したが、内容がどれもしょぼかったとのこと。なので、私の研究を発表したらインパクトあるんじゃないか、という提案だった。まあ出すだけならそんなに大変じゃないから、出してみてもいいかな。ちなみに2024年のAoMはシカゴ。遠い。でも日程が8月中旬、日本のお盆休みに絡められそうで、タイミングは悪くない。もう博論終わって、投稿論文も3本書いたから店じまい、と思っていたけど、まだこのジャーニーは続くみたい。

https://aom.org/events/annual-meeting/submitting

 

ついでに、私の博論に一発OKをくれたexaminarであるオーストリアの教授から、私がポスドクをどこでやるのか聞かれた、という話も教えてもらった。普通に日本でサラリーマンしている私からすると、ポスドクやる前提で海の向こうの学者たちが私のことを話題にしてくれているのは素直に嬉しい。なるほど、ポスドクっていう手もあるのか、ちょっと探してみても良いかもなあ、と思ってしまった。

 

博論をベースとした2024年の露出としては、以下の通り。

  • Webメディアで連載(2023年12月から6回シリーズ、報酬あり)
  • 2月に東京で開催されるカンファレンス(実務者向け)にパネリストとして登壇
  • 2月に投資家とのディスカッション(10月の投資家向けレクチャーからの派生)
  • 8月にAoM@シカゴ(アクセプトされた場合)

 

上3つは日本語/日本人向けなので、英語での実務者/一般向けの発信もしてみたいと思っている。今考えているのは、The Conversationというメルボルン発のグローバルメディアだが、ずっと頭の中にあるだけでまだ何もできていないし、1月~6月は仕事が忙しいので、難しいかな…

 

 

3月にオーストラリアから帰国した時ぶりの空港、すっかりコロナ前に戻っている

 

博士論文の受理

今日、普通に仕事(テレワーク)していて、ふと携帯を見たら「WOO HOO Congratulations」というタイトルのメール。何かと思えば副指導教官から。これはもしや?と携帯で大学のメールを見たところ、大学院オフィスからThesis Certificationの連絡が。

Thesis Certificationのメール

ついに博士論文が受理された。めでたい。修正版を出したのは、先週木曜日。この日は年休を取って最後の仕上げと提出を実施。それから1週間たたずして、合格がもらえた。

 

4年前、このブログの記事に書いた通り、まだ博士課程が始まる前、知り合いの日本の国立大学の教授にオーストラリアの大学の博士課程に行くことを告げたら、「海外で博士号を取るのは難しいよ。うちの大学にしておけばよかったのに」と言われた。その先生にも報告しないと。難しいと言われたけど、私はやりましたよ、と。

 

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これで私のPhDジャーニーは終わりになる。今は一つの節目、新たなスタート地点に立った気がする。正直、博士課程に進んだことで、博士課程に行く前よりも年収は200万円程度下がったし(ラインマネージャーからスペシャリストに降格)、仕事面ではプラスよりもマイナスの評価しか受けないのが博士号だけど、自分がやりたかったことだから、自分の中で達成感はある。

 

博士課程の終わりが見えるにつれて変わったのは、この博士号(とそれを取る過程で得たもの、学んだもの)を100%活かせる環境に自分を置きたいという思い。今の会社では、博士号を取ることを含め自己研鑽をすることは評価されない(悪い会社ではない。やりたいならやってもいいよ、という懐の深さはあるから)。こんなところにいては、この博士号を取るために使った時間と労力、オーストラリア(ビクトリア州)から支給してもらった1千万円以上のお金、家族の協力を無駄にしてしまう。私はこの博士課程で学んだことを今の会社で腐らせるわけにはいかない。次のアクションを起こす責任がある、というのが今の気持ち。

 

投稿論文の出版、指導教官とミーティング

忙しすぎてブログを書く時間が取れないけど、色々忘れないうちに記録だけ。

前回の記事からの進捗を箇条書きで記す。

 

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1.投稿論文の出版

前回の記事ではアクセプトされたところまで書いていたけど、Emerald社、仕事が早すぎ(ミスも多いが)。Proofがすぐきて、5営業日内に返せと言われ、3営業日で催促が来て、週末に急いでレビュー。いくつかの修正を依頼し、その後気が付いたらPublishされていた。指摘した事項がすべて修正されていなかったけど、フォントタイプなどの微細な事なのでまあいっか。4月末に提出してから、約半年でPublish。早い!実際にJournalに掲載されるのは来年1月のようだが、とりあえず先行的にEmeraldのホームページに掲載された。

今回は早かった

2. 博論のリバイス、指導教官とのミーティン

指導教官と3月以来のミーティング。2番目の審査員がややこしいこと言ってきたせいで(おかげで)先生とミーティングする機会を得られたのは良かった。審査員の指摘はかなり偏った意見が混じっていることが分かってきたので、半分くらいは言うこと聞かない。でも丁寧に対応する必要があるので、全否定モードでコメントしてきたところについては、指導教官のアドバイスをもらいながらJustificationを組み立てる。

 

学者ってめんどくさい人いるな。詳しくは時間ができたら記事に書くつもりだが、例えばGrounded theoryに関する流派の違いがあって、両方間違いということはない。それなのに、片方の見方だけで、私のアプローチを全否定してくるような。こういう審査員ってあり?レポートの最後には、Well done!と言われているけど(笑)。何か言わないと気が済まないんだろうね。これだけ読むと直さなくて良い気もするが。レポートにはめちゃくちゃ否定も書いてあるから困ったもんだ。

To conclude, I would once again like to highlight that this was an excellent thesis on an important topic. The thesis was a pleasure to read not only because of the content but also because of the clarity with which the arguments are presented throughout. Well done! 

 

3.オーストラリアの団体のレポートに研究者として寄稿

ドイツ人のPhD同僚から突然連絡があり、とあるオーストラリアの団体向けに超短納期で短い寄稿の依頼あり。無償だと思うが、トピックスが私の博論と今の仕事のど真ん中だったので、引き受けることに。そのせいで先々週の週末のうち1日つぶしてしまった。英語だから日本語で書くのと比べて何倍も時間がかかる。研究に関することで依頼があれば、今は断らないことにしているが、だんだんその領域が増えてきて、仕事との両立が難しい今日この頃。

 

寄稿自体は書いていて楽しかった。私、研究のことについて執筆するの好きなんだな、と改めて発見。書いた原稿は先方にもfabulousと喜んでもらえたので良かった。

 

4.新たな投稿論文の執筆

もう忙しすぎてやめようかと思ったが、指導教官とのミーティングで勢い余って「新たな論文の執筆に着手している、11月中旬にドラフト送ります」と言ってしまった私。自分を追い込みすぎている。でもこの話は年初からしていたし、できるところまで頑張らないと。はあ…10月末までに書き上げるつもりが、まだIntroしか書けていない。これから毎日5時~7時の朝時間と、週末全部使って何とか2週間で仕上げる予定。

 

月~金にフルタイムで働いて、その隙間時間に2週間で投稿論文書く生活、やってる人この世界にいるのかな?とにかく時間が無くて、仕事している場合じゃないんだけど、仕事は仕事で年末に向けて忙しくなってきた。もう仕事辞めてずっと研究だけしていたいのにな、と思う瞬間もあるが、現実的にそうもいかない。とりあえず、新たな投稿論文の執筆が終わるまで全速力。副業の日本のメディア向けのコラムは12月で良いと言われたので、時間の猶予ができた。

 

プライベートはプライベートで、子供の誕生日や運動会、義理の両親や自分の両親が家に来てもてなしたりで、色々とある。とにかく2023年はあっという間に過ぎそうだ。

 

博論審査結果&投稿論文その後

3連休明けの先週火曜日、ビッグニュースが2つ飛び込んできた。1つ目は博論の審査結果。2つ目は再提出していた投稿論文の審査結果。なぜ同じ日?先週は海外拠点の人との対面の会議や来客がいくつかあり、毎日出社。往復3時間の満員電車、心身共にボロボロで、大学用のパソコンを開く時間もなかった。まだちゃんと咀嚼できていないが、取り急ぎ記録を。

 

1.博論の審査結果

結果としてはCongratulationsということで、学位はほぼOK。ただし修正が必要な模様。このメールを火曜日の午前中に受けたけど仕事中だから内容が確認できなかった。昼休みにメール見たらすぐに指導教官からかぶせてメールが来ていた。

ひとまず落第は避けられた

審査レポートは見ていなかったが、指導教官からのメールで2人の審査員のうち、1人は修正なしでの合格、もう1人は修正(Major revision)を条件に合格という結果。ちなみに1人目の方がオーストリア、この道ベテランの教授。もう1人はオーストラリア(南オーストラリア大学)、Associate Professorで経験はあまり積んでいない(博論審査経験は5~10件の間と書かれていた)。 

 

指導教官のメールに書かれていたこと(2人目の審査員について)。

I apologise for choosing her as an examiner - I don't' think she was the right examiner. I don't agree with some of her comments. 

 

博論の審査員は、もちろん研究領域に詳しい人でないといけないが、指導教官と利害関係がゼロの人でないといけない。利害関係には、過去に1回でも共同研究や共同執筆をしていることが含まれるので、研究領域が同じで全くつながりがないような人を選ぶというハードルの高さ。オーストラリア企業を取り扱っていることから、1人はオーストラリアの先生にする、という理由だけであまり知らない人を選んでしまったのが失敗だったかもしれない。。なかなか一筋縄ではいかない。ベテランが10点満点中9.6点というありえない高評価(Exceptional)をしてくれていたのに…もうそれでOKにしてほしい。

 

指導教官は2人目の審査員のコメントに納得がいかないようだ。彼女の論文をいくつか引用するような指示も来ているとのこと(笑っちゃうけど笑えない、その人の論文1本も読んだことない私)。指導教官はその日のうちに、学部の別の先生にメール。納得がいかない場合、審査員の指示に従わなくても良いのか聞いていた。結果はOK。ちゃんとJustifyできれば、すべてに従わなくても良いようだ。というか、1人目がべた褒めでOK出しているのに、2人目の指示で変えてしまったら、1人目のOKが意味をなさなくなる。矛盾する。

 

私は先週仕事(というか通勤)が忙しすぎて、1週間たった今日になってやっとレポートのPDFをダウンロードしてざっと見たばかり。そんな中、指導教官は今日から3週間、Annual leave…だから先週あんなに焦ってたのね。博論の修正納期は4週間なので、先生がAnnual leaveから戻ってきた途端提出することになる。それはまずかろう、ということで、指導教官が先週のうちに大学院の事務に問い合わせて、2週間提出納期を延長してもらっていた。私は修正対応のために1週間くらい仕事を休んでちゃんと向き合いたいけど、そうはいかないよな。気が重い。

 

2.投稿論文の再査読結果

前に出したのはいつだっけ?ブログ記事によると9月3日に再提出している。10月10日に再査読の結果をもらったから、1か月超かかったことに。

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結果は無事アクセプト。良かった。これで博士研究から生まれた論文は3本(2本は国際誌、1本は日本の学会誌)。でも博論の修正のことや仕事の忙しさで頭がいっぱいで、全然喜びの気持ちが湧かない。あー、アクセプトか、やっと連絡来たか、と。忙しいと心が固まってしまうのかもしれない。これから出版社側で組版が行われるので、形になっているのを見たら実感がわくかな?共著者である2人の指導教官はもちろん喜んでくれた。

 

12月までにあと1本投稿論文を書かなくてはいけないのに、博論の修正をするので精一杯になりそうなのがとても不安。副業の方はペースダウンしよう。本業の方は、とにかく通勤があると心身ともに疲れ果てて、貴重な時間も大幅にロスするから、できるだけテレワークしたいけど、最近そうも言ってられない状況になってきた。いっそのこともう仕事辞めよっかな、と何度も思う今日この頃。ずっとテレワークでいられたら、仕事も続けやすいんだけどなあ…

 

先週疲れすぎて夢にうなされたり、リンパが腫れて痛いと思っていたら、そこから膿が出てくるような始末。そんな中でも週末は長男が13歳の誕生日を迎え、家族でお祝いをした(オーストラリアのような友達を招待してのパーティはしていない)。私はとにかく時間が欲しい…。時間がないと心の余裕がなくなってしまう。もっと自分を甘やかさなくては。

Research affiliateに申請、副業色々

前回の記事から間が空きすぎて、どこから書いたら良いか分からないが、今週、久しぶりに指導教官からメールがあった。メールのタイトルはResearch affiliateとなっていた。7月末に提出した博論は10月中旬までには結果が出るだろうとのこと(オーストリアの教授は既に返してくれていて、オーストラリアの方がまだらしい)。

 

先生のメールによれば、PhDがアクセプトされた1か月後に、これまで自由に使えていた大学の色々なリソース(論文データベースへのアクセス、様々な有償ソフトウェアの無償利用、LinkedIn learning、E-mailなど)が使えなくなる。私はまだ投稿論文を書こうとしているから、Research affiliateとして登録することを推奨する、同意するなら生年月日や現住所などの情報を教えてくれ、という内容。

 

これまで周りのPhDの人にPhDの切れ目ってどこなの?と聞いたけど、論文提出後~卒業式までってかなりグレーゾーンのようだな、と感じていた。多くのPhD学生はResearch assistantやチューターをしているので、スタッフとして引き続きメールや各種リソースへのアクセスはできるものと思われるが、私はそうではない。そういう人のためにResesarch affiliateというポジションがあり、給与は発生しないが、代わりに無償で色々使いたい放題、という条件のようだ。ちなみに副指導教官はResearch Associateと言っていた。どっちが正しいのか分からないが、大学のホームページなどでもちゃんと説明がない、よくわからないポジション。

 

私にとって、自分から何も言わないのに、指導教官の方からこのことを教えてくれて本当にありがたいと思った。というのも、投稿論文を書くだけではなく、前回の記事に書いたように、兼業研究者として講演やコラム執筆をしばらく行うので、PhD Candidateの立場ではなくなると、大学に紐づいたタイトルが使えなくて困るな、と思っていたところだった。

 

返信で、ぜひResearch affiliate(もしくはassociate)になりたいと伝え、博士論文の研究をテーマに、機関投資家ファンドマネージャーやアナリスト)向けに60分のレクチャーをすること、10月から半年間、6本分のコラムを執筆することが決まっていると伝えた。とても喜んでくれた。

 

副業①単発レクチャー

機関投資家向けのレクチャーが金曜日にあった。実は引き受けた後は結構気が重くて、なぜかと言うと、私の所属は社会学部でビジネススクールではなく、研究内容としても、企業を取り扱ってはいるが、ファンドマネージャーやアナリストが期待する企業価値(経済的側面)の切り口で話せることが少ないと思っていたから。その点はあらかじめ声をかけてくれた証券会社の方に伝えていて了承を得ていたが、ずっと気になっていた点だった。

 

平日は当然仕事なので、スライドづくりは9月の週末に少しずつ進めた。既に学会発表につかったスライドを膨らませ、参加者のニーズに合うような背景情報や最新情報を入れ込みつつ完成させた。日本に帰国してから、平日は仕事、週末は研究(博論の仕上げ、投稿論文の修正)という生活をしばらく続けていて、最近、ちょっと休みたいなあ、と思うようになっていたこともあり、土日に作業するのは気が乗らない感じだった。今回、かなりの部分、近所のコメダでワークした。週末感を出しつつ、ちょうど良いモードで向き合えた(論文を書くような頭をめちゃくちゃ使う作業は、個人的にはコメダではできないが)。

とあるコメダワーク日、長男はコーヒーゼリー食べながら中間テストの勉強、私はアイスコーヒー片手にプレゼン資料作成

いざ、金曜日の朝。話を始めてみると、まるで空から言葉が降ってくるように、50分間ノンストップで語っている自分がいた。あまりにも自動的すぎて、自分ではない人が話しているような感覚すらあった。ZoomのWebinar形式だったので、参加者側の顔が見えなかったが、セミナーには30名超の方が参加してくれていたようだった。

 

質疑の時間を10分残して終わった。日本だし質問出ないかなあ…と思っていたが、Q&Aボックスにいくつもの質問が投げ込まれていて嬉しかった。質問への回答を行っていたら、セミナーの時間を5分オーバー。最後は主催者の方が、質問はこれで打ち切ります、というほどだった。いただいた質問はどれも面白く、研究してみたいと思うテーマもあったし、私の話が少なくとも何人かの方には響いたんだと分かってほっとした。

 

講演が終わった後には、しばらく経験したことがないような爽快感。アドレナリンが出まくっていた。私、50分ずっと話し続けて、それが楽しいと思える人なんだ、と新たな発見だった。これまで研究のことはほとんど英語でしか話したことがなく、それがどれだけ自分にとって伝える上での足かせになっていたのか、と気づかされもした。このテーマを母国語を自由に操って話す私は、水を得た魚のようだった。

 

夕方になって、主催者の方からメールがあった。「掛け値なしに、非常に面白いお話でした。」と書かれていた。これ以上の誉め言葉ってない。会社員として得たことがない種類の充実感だった。その上、報酬もいただけるなんて。1つ、QAで私が持っていない情報(アメリカのとある産業について)の質問があり、それは調べて後日返すことにした。こういう一つ一つが学びの機会だなと思う。

 

副業②コラム執筆

前回記事に書いたが、とあるカンファレンスでセッションを持たせてくれと掛け合った話から、コラムを書かないかと言われ、その後、企画書を書いて提出。先方の会議で上げてもらい、OKがでた。条件としては「硬くなりすぎないこと」。企画書が硬いと思われたみたい(笑)。10月から始めようと思っているので、そろそろ1本目を書かなくては。

 

そのサイトに他にコラムを執筆しているのは、大学教授を含むベテランが多くて、私だけ経験や肩書で見劣りするが、大事なのは内容!一般ビジネスパーソンや学生にも読んでもらえるよう、研究内容を分かりやすく伝える文章を書く。おそらく1本のコラムを書くのにかかる時間は1時間、修正を入れると2時間くらいじゃないかと思う(博論をベースにしているので、新たに調べることがほとんどないため)。

 

報酬について、運営の方は額が少なくて申し訳ありません、と言われていたけど、1本にかける時間が2時間であれば、今の仕事よりも時給換算で1.5倍くらいと全然悪くない。お金よりも研究者としての立場で、自分が関心があり掘り下げてきたテーマ、考えていることを多くの人に知ってもらえるありがたい機会。

 

趣味の投稿論文

12月締め切りで書くつもりだけど、アイデアだけは頭にあってまだ書き始められていない。もちろん英語での論文執筆だし、コラムと比べて負荷が大きいので、ちゃんと計画して取り組まなくては…。指導教官もそれを期待して、Research affiliateのことを勧めてくれたのだから。本業が会社員の今、投稿論文の執筆は週末に行う趣味になってしまった。論文執筆は報酬が出ないから副業とは呼べない。趣味は論文執筆です、という人に会ったことがないけど、他にこの活動を表す言葉が見当たらない。

 

研究をしたり、それをアウトプットしたり、今回のようにレクチャーしたりするのは、自分に合っていそうだけど、かといって今すぐアカデミックポストを狙うところまで気持ちが高まっていない。そもそも狙って得られるものではない狭き門ということもあるが、給与が今よりも明らかに下がるので、子供にお金がかかる時期に、あえて駆け出し研究者の道に突き進むモチベーションがなかなか湧かない。年収が今と同じくらいならトライしてみたい気もするが、日本ではおそらく教授レベルにならないと釣り合わない。もちろん、すぐに教授になれるわけがないので、もっとずっと低いところからのスタートになる。子供に手もお金もかからなくなるころ(10年後くらい?)、学術の世界にどっぷりと戻れたらなあ…とぼんやり考えている。

 

博論を武器に売り込み

今週は2日連続出社したので身体が疲れてしまった。8月は暑いという理由でほとんど出社しなかったので、身体がなまってしまったかも。今のところ会社は無制限でテレワークを許可しているけど、これからは週1くらいで出社しようかな、と思っている。テレワークだと基本的に家族+放課後に家に遊びに来る息子の友達(小学生)としか話さない。たまに大人とリアルに会って話すと刺激になる。

 

前回の記事にも書いたが、4月に出版された論文を読んで声をかけてくれた証券会社のセミナーに登壇することが正式に決まった。もうあとには引けない。10月初旬に向け、しっかり準備しなくては。私の研究はお金儲けの観点ではないけどいいんですか?、と聞いたけど(もちろんこんな言い方ではないが)、良いとのこと。とはいえ、ほとんどの参加者は日本株ファンドマネージャーとのことで、彼らの関心に少しでも合わせた形で話をしつつ、研究のコアな部分を伝えるにはためにはどうするか、考え始めている。参加する人たちが読んでいる可能性があり、私の研究テーマにも関連する書籍(英米の学者が書いた本の和訳)を何冊か買って、知識を補充中。

 

立場は会社員としてではなく博士課程の研究者としてなので、今の自分には副業になる。会社は昔から副業を禁止していないが、どこで話がつながるか分からないから、上司には伝えた。そして、この話をもらってから、もっと自分の研究を日本国内で売り込めるのでは?と思うようになった。それで、昔から仕事で付き合いがあった、今や私の専門に関しては日本最大の規模を誇るカンファレンス(アカデミックではなく実務者メイン)の主催者に連絡してみた。

 

会社ではなく、大学のメールから。オーストラリアから4月に帰国したこと、研究内容が金融庁や証券会社に興味を持たれていること。日本のオーディエンスに興味を持ってもらえると思うので、カンファレンスに何らかの形で関われないか、聞いてみた。聞くだけならタダだと分かっていても、一歩踏み出すのに少し勇気がいる。返事があって、話を聞かせてください、とのこと。都心の本社に出社したついでに直接会って話をした。

 

博論のテーマと内容には興味を持ってもらえたが、いかんせんカンファレンス自体が私がメルボルンに留学する前に参加した4年前よりも2倍の規模に成長し、参加者は今では5,000人規模とのこと。スポンサー枠も含め、セッションの枠に対して既に希望が多く、取捨選択をしないといけないような状況ということだった。なんとか社内の会議で上げてみると言ってもらえた。6年程前にこのカンファレンスに初めて参加した時には、数百人程度の規模だったのに…私は20年前からずっとこのテーマに関わり続け、流行りに乗っているつもりは全くないが、社会が大きく変わっているんだと改めて思う。

 

カンファレンスでセッションを持たせてもらえる可能性はまだ半々だが、打ち合わせの中で、私の研究の話が面白そうだから、その会社が運営するウェブメディアで連載記事を書いてみない?と打診してもらえた。もちろんやってみたいと答えた。1か月に1回の記事で6回連載。全体の企画とタイトル、6回分の記事タイトルと各記事の概要を連絡すれば、社内の企画会議にあげてくれるとのこと。この週末でやることがもう一つ増えた。

 

カンファレンスのセッションは無償だが(逆にスポンサーとしてお金を払って枠を確保するのが通常のところ、私は図々しくもタダでセッションを持たせてもらえないか打診している)、証券会社のセミナー登壇とウェブメディアでのコラム執筆は報酬が発生する。これらは、日本の会社の会社員としてではなく、メルボルンの大学に所属する博士課程の学生としての自分。これまで言いたいことがあっても会社の肩書があると言えないこともたくさんあったが(機密情報ではなく、立場上の問題で)、大学に所属する研究者という立場だと、テーマについてフリーに自分の見解を述べることができる。

 

自分の次のステップのためには、どんどんアクションを起こしていかないといけないと感じている。自分の専門性を強化するだけでなく、自分がそういう人材であるということを周りに分かってもらう必要がある。オーストラリアでの仕事探しはあまりうまく行っていないが、今回のカンファレンスについても、メルボルンで仕事をオファーしてくれた会社の人に紹介し、日本企業に売り込みたいならこういう場があるよ、とアピールしてみた。色々なアクションの中には、何にもつながらないこともあるが、その中から次につながることがあるはずと、これまでの経験から確信している。10発撃てば、1~2発はヒットする可能性もあるので、少しでも可能性があることや思いついたことは、労力を惜しまずにトライしていく。

 

博論はまだレビュー結果をもらっていないが、私が今後、自分を世の中に売り込んでいくときに博論(というか研究内容そのもの)が武器になる。研究のアウトプットは、投稿論文だけではないとより強く感じたし、実務者上がりの自分は、実社会へのインパクトを重要視している。投稿論文をベースとしつつ、その他のアウトプットも模索していきたい。

 

ーーー

記事とは関係ないが、先日会社のプロジェクトで社外のワークスペースを借りたとき。本棚にメルボルン発見!St. Aliのマグが表紙になった雑誌。

メルボルンが私を呼んでいる?

St. Ali本店のグッズコーナー、右端にトレードマークの猫ちゃんマグ(次にメルボルンに行ったときにはお土産で買おう)

 

投稿論文修正版の提出、将来について考える

今朝、細々と進めていたジャーナルへの投稿論文の修正版を提出。仕掛は今年の3月末。メルボルンで引っ越しのドタバタで書き始めた思い入れがある論文。出来は個人的にそこまで良いと思えていないけど、とにかく限られた時間の中で一定の質の論文をアウトプットすることも大事だと思っている。いつまで自分の中でこのモメンタムが続くか分からないから。

 

前回の記事では夏休みのことを書いていて、その中で論文についても触れていた。

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やっと9月になって、子供たちの長い夏休みが終わり。日本中の親はほっとしているんじゃないかな。子供たちも楽しく学校に行き始めた。今風に言うと陽キャな長男はもちろんのこと、インドア派の次男も楽しそう。それが何よりありがたい。中1の長男は夏休み中の部活はいつも7時半からという早朝だったが、通常営業に戻ったら、放課後から18時半まで。18時半だともう真っ暗。日本の公立中学校、無料でそんなに毎日スポーツを教えてくれてすごいな、とオーストラリアから戻ると思ってしまう。栄養たっぷりの給食もありがたいし。

 

でも私の気持ちは、ここのところふわふわしている。博士論文を提出してから、頭に余裕ができたせいか、今後の進路をよく考えている。ひょっとして知っている人が読んでいるかもしれないブログではあるが、正直な気持ちを書き残しておくと…

 

昨年メルボルンの会社からオファーしてもらった仕事を断ったのは、やっぱり誤った判断だったかもしれない、という考えが抜けきらない。これについては過去の記事にあれこれ書いているのだけど、それを今も自分でたまに読み返したりしている。

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なぜ後悔のような思いを持っているのか。論理的には説明しきれないけど、一言で言うとメルボルンに未練がある。日本の生活も悪くはないけど、心から楽しめているかというとそうではない。自分がいる場所は日本じゃないような気がして、言葉に表し切れない違和感を持つ瞬間もある。

 

後悔、という観点で分析してみると、メルボルンに残ったら残ったで、別の後悔があったと思う。日本の会社で今の現実以上にバリバリ活躍している自分を妄想。妄想内では日本語とたまに英語を使いながら、大企業の中で周りに影響を与え、組織の変化に関わる仕事をしている(現実は残念ながらそうではない)。それと比べて、メルボルンで不自由な英語を操りながら、クライアントの前で失敗したり、同僚との意思疎通が不十分で落ち込んだりしている自分。自分の能力が最大限に発揮できない環境にいることにストレスを感じていたかもしれない。

 

隣の芝生は青く見えるの自分版。このような思考をしばらく持つことは仕方がないと最近割り切っている。何でもやってみないと分からない。やってみて分かったことが、結局次のアクションにつながる。そういう意味で言うと、日本に戻って5か月、新しい仕事をしてみて分かったこと。

 

  • 私は4月から始めた新しい領域の仕事よりもこれまでの自分の専門領域が好き
  • 私は日本人男性ばかりに囲まれた画一的な組織よりも、色々な国籍やバックグラウンドの人がいる場所で働きたい

 

1点目はやりたいこと、2点目はありたい状態。この2つがかなり明確になったのは収穫だと思える。難しいのはこの先のアクション。この数週間で何人かの転職エージェントと話をした。LinkedInにプロフィールを公開していると、リクルーターから時々連絡が来る。通常は反応しないけど、次のアクションを考えて、気に止まった人とやり取りし始めた。ちなみに、そのうち1人はフィリピン人のリクルーターで、面談も100%英語だった。

 

リクルーターの人から投げかけられる質問に答えるうちに、自分の気持ちが言語化出来てきた部分もある。上記2点も書いてみるとこんなものか、と思うけど、その前はもやもやしていたことでもあるので、少し前進したようにも思う。またこの2つは今の会社にいても100%できないことではないので(2点目については海外赴任になるので、可能性はかなり低いが)、社内に残りながら実現する道と社外に行く道と両方あると思っている。実際、いくつか紹介された求人の中に1つとても興味を引くものがあり、応募したくなったが、タイミング的にやめておいた(今の仕事をすぐに辞めるのは無責任になってしまうので)。

 

と、こういう思考回路で色々と考えていると、メルボルン以外の海外の道も自分の中で考えていることに気が付いた。そしてそれに少し混乱したりもする。私はメルボルンが好きなのに…仕事の面で考えると、ヨーロッパでチャレンジしてみたいと思う自分もいてびっくりする。ビザもコネも何もないのに、そんなことを頭に浮かべている自分がいて不思議。

 

先週は、4月にPublishされた私の論文を読んだという、日本の証券会社の方から大学のメールアドレスに連絡が来た。ありがたいことに研究内容に興味をもっていただいたようで、投資家向けに話をしてもらえないかという相談だった。実際にどう転ぶかはまだ分からないが、こういう連絡をもらえると、研究やっていてよかったと思う。私がやりたいことを一生懸命やって、それをアウトプットしたら、関心を持ってくれる人もいるんだなあと。もっと自信をもって自分がやりたい世界の方に働きかける動きをしてみようと、思いを新たにするきっかけにもなった。すべてうまくいくことはないけど、ダメでも失うものはほとんどないから。

 

年末までにあと1本、頑張って投稿論文を書きたいと思っている。博論の修正次第で時間がどれほどとれるか分からないが。その他にも、昨夜、突然思い立ったことがあり、そのアイデアを形にしてみたいと思っている。私の気持ちは「今ここ」にない状態。Mindfulness的にはNGだけど(笑)。

 

最後に夏休みの思い出を少しだけ記録。夫がキャンプに行っている間に37度の猛暑の中、息子2人と外出。所沢にある角川武蔵野ミュージアムへ。この暑い1日はとても良い思い出になった。

隈研吾の建築物

何時間でも本読み放題だから、私たちは入場料のもとを取るだけの本を読んだ

実はこのミュージアムの近くに、勤めている会社で常務役員をしていた人がオープンしたカフェがあるので帰りに寄ってみた。何年か前から、飲み会の時にコーヒーが好きという話や喫茶店をやりたいと言っていたのは聞いていたけど、本当に土地を買って、会社を辞めて、建屋を建てて、焙煎機を買って、と実現してしまった。年収何千万円という仕事から、今は「人を雇うと赤字になるから、全部自分でやっている」という仕事に。私も現実的な事は考えながらも自分の気持ちに素直に生きていきたいなと思った。

カフェの外観

落ち着く店内