40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

10月の出来事

また1か月が過ぎてしまった。毎月最低1つの記事を書くことを自分の中でブログを続けるための小さなルールにしている。最初の頃は、子連れ留学や社会人の博士課程留学などをする人に私の経験をシェアすることで少しでも役に立ててもらえればなあと思っていたが、今や完全に自分の備忘録の日記となっている。でもブログってそういうもの。

 

10月は9月ほどのバタバタ感はなかったが、仕事が結構忙しくて、綱渡りの日が数日あった。いくつか英語のプレゼンもあったけど当日に準備するとか。。ちなみに私は残業はほとんどしない。30代の頃は育児との両立が理由だったけど、40代になると体力と集中力がもたなくて、残業すると翌日以降のパフォーマンスが著しく下がってトータルで見たときに単純に生産性が下がるため。残業しないから、時間内に仕事が終わらないと、次の日の朝がやばいことになっていて、そのことを考えながら寝ると夢に仕事が出てくる始末。

 

仕事では大小イベントをいくつか無事終えた。1つは会社の全体のイベントでのプレゼン。私は部署を代表して行うことになっていた。他の部署の人たちはすごく作りこんだプレゼンをしていたけど、私はスライド2枚だけ。準備時間もトータルで1時間くらいかな。外資系らしく、場所は六本木ヒルズの51Fの六本木ヒルズクラブというところ。こういうイベントにバーンとお金使うのは外資系だなあと。11時に開始し、昼にはワイン片手に立食パーティ。自分のプレゼンが突貫にしては失敗もなかったので、気分が良くなって昼からワイン飲みすぎた。

久しぶりの六本木

初めて行くヒルズクラブ

実は私はメルボルンに行く前は六本木に住んでいて、こんな空気が汚いところでよく幼子を2人も育てていたなあと、懐かしく思いながら歩いていた。地価に反比例して今住んでいるところの方が私にとっては10倍以上良いから、六本木には全然戻りたいと思わないけど、でも子育てが一番大変だったときの家族での思い出がたくさん詰まった場所でもある。ヒルズの51Fの大きな窓から、自分が昔住んでいたところを眺めていた。

 

プライベートでは、10月には毎週のように地域でお祭りがあって、その中でも家から歩いて5分の所にある大学祭に行ったのが良かった。次男と2人で行って、結局朝の10時から午後3時くらいまで、ずっと楽しんでいた。大学の雰囲気がとても良くて、私やっぱり大学が好きだなあと思いながら。育児中はお金のこともあるからもう少しサラリーマンするつもりだけど、その後はフルタイムで大学に所属したい。

大学の古い建物にきゅんとしてしまう

公園とは似ているけど違う大学のキャンパス内の広場

大学といえば、12月に2回、1月に1回、大学で講師の予定が入っている。12月は大阪と東京の私大。大阪の方は学部生向けだけど、一般公開もされる。90分の講義だからちょっと準備が大変そうだな、、東京の方は、8月に日本の学会で英語論文の書き方について話をした縁で、同じ話を今度は大学院生向けにしてほしいと学会でお世話になった先生から打診があった。資料は使いまわしできるので時間もかからない。ちなみに東京の私大は来年の後期から土曜日に非常勤講師をする予定の大学。

 

プライベートでは、先週末、大好きな北杜市に5年ぶりに旅行。六本木生活で心がすさんでいた頃、2-3か月に1度のペースで山梨に行っていた。iPhoneの写真を見ていてびっくり。最後に行ったのが2019年10月26日。ちょうど5年前だった(日付も一緒)。その時のことをブログに書いている。ブログってこういうとき面白い。金曜日、仕事を早く切り上げて山梨に行って、1泊して土曜日の夜に帰宅し、日曜日の朝からアメリカ出張とか、この頃の自分は今とは違って高速回転していたようだ。その合間にビザの手続きとか、ほんとよくやっていたわ(それだけその時の生活から抜け出したい思いが強かったのだろう)。

fourty.hatenablog.com

おなじみの牧場

ホテルのテニスコートで無料でテニスができた

少しだけ紅葉が始まっていた

5年前の記事には書いていないけど、今回写真も撮ったので少しだけ違う話。中央道を通って山梨に通っていたころ、笹子トンネルの天井が崩壊する事故があった。この事故では9名の方がなくなっているけど、そのうちの1人は夫の友人で、子供が生まれる前に私も一緒に八ヶ岳を登山したことがある男の子だった。とても気さくで礼儀正しく、何より人生を楽しんでいるように見えた。27歳で突然こんなことに巻き込まれて死んでしまった彼のことを中央道を通るたびに思い出す。初狩PAでレジの人に言うと供花用の花をくれる。最初の何年かは簡易的な供花台だったが、いつの間にか立派な慰霊碑が作られ、今は事故の説明を読みながら記帳、千羽鶴もお供えできる。5年ぶりに子供たちも一緒に記帳して千羽鶴を折った。 

笹子トンネル天井板落下事故 - Wikipedia

いつまでも忘れないよ

絶対にもっと生きたかったはずなのに、20代で突然死ななければならなかった彼のことを思うと、年を取るということがありがたいことだと思う自分がいる。当たり前だけど、死んでしまったらもう年は取れないから。白髪が生えたり、老けて皺が出て顔がおばさんになったり、老眼で字が読みにくくなっても、これは本質的に嘆くようなことではなくて、喜ぶべきことなんだなあと。

 

生きているうちは色々なことがあるけど、ふとした時にこういったことを思い出す。この時間がありがたいなあ、美味しいもの食べられて幸せだなあ、とか。気づくと完全に日本の生活に満足している自分がいて、あれ?オーストラリアどうなった?と思うこともある。

 

最後にちょっと不穏なニュース。転職した会社では、毎年の健康診断で人間ドックを受けられる。いくつかの有料オプションも無料でつけられるから久しぶりにマンモグラフィーもやってみた。トータル5万円ちょっとの料金がタダなんてラッキーと思っていたら、数日前になんと人生初めて「要精密検査」の結果を受領。びっくりしている自分もいる一方、「私はこのために日本に帰ってきて、今の会社に転職したのではないか?やっぱり自分はついている」と早速都合よく解釈し始めた自分もいる。ずぼらな私はオーストラリアにいたら検査するのはいつになっていたか分からないし、転職前の会社では健康診断の項目が標準的なものだけだったので。

 

11月は海外出張の予定があるので、検査は下旬にする予定。どきどきです。

9月の出来事

最近仕事が忙しくなってしまい、なかなかブログを書く時間が取れない。前回は9月に8月のことをアップした。10月になってしまったので9月のことを少しだけ。

 

9月には3連休が2回あったので、その間にリジェクトされた論文の書き直しと和文の論文(というかとりあえず理論的な整理)に取り組みたいと思っていた。ところが3連休は見事に予定がびっしりになり、研究的な事はほとんど何もできなかった。

 

3連休1回目

土曜日は次男の小学校の学校公開日。前日の金曜日に行けなかったので、這ってでも行かなければならない。今どきの小学校(普通の日本の公立)は昔と違ってディスカッションして自分の意見を表明する機会が多いようだ。次男はオーストラリア仕込みのせいなのか、クラスの誰よりもよく発言するし、次男の意見が他の子供たちの考えに影響を与えている様子を見られて興味深かった。オーストラリアの小学校では年長クラスからディベートがあったけど(題材は寿司とピザ、どちらが良いか、などかわいいもの)、日本の学校ディベートよりもディスカッションという感じ。そしてこの日の午後は翌日に着る洋服の買い物に。夜は家族で久しぶりの焼肉(食べ放題)。

 

日曜日は日帰りで大阪に。数日前に突然、20年前に勤めていた会社の先輩から連絡があり、大阪で還暦パーティをするから参加できないか聞かれた。ちょうど20年前、アデレードでの留学から帰ってきて、初めて働いた会社が大阪だった。当時給料があり得ないほど安く、給料から家賃や生活費を払ったら赤字だったので、1か月で会社を辞めようと思ったところ、色々な人から助けられ、光熱費込みで月1万円で居候させてもらったり、留学から戻ったばかりで服がなかったので、この先輩からはお古の洋服を沢山もらって1年は何とか続けた。大阪は私にとって思い入れが深い場所。朝早く家を出て、夜遅くに帰ってくる。移動時間が1日で7~8時間となり流石に疲れたが行ってよかった。

日帰りで大阪に!

新幹線の車窓から東寺がよく見えた

祝日の月曜日は半分仕事で、渋谷にある清掃工場の見学に。前日夫に子守をしてもらったので、この日は私が子供当番。次男を連れ出した。大阪の会社を辞めて次に仕事したのが渋谷。なんだか自分の歴史をたどっているよう。渋谷も当時と比べると再開発が進み、昔は庭のようだったのに、もうよくわからなくなってしまった。人も多すぎる。東急に支配された街で次男と串揚げランチ。

清掃工場でゴミ収集体験

3連休2回目

誰に言われたわけでもないのに、シカゴの学会で受けた刺激をアウトプットしたくて、8月下旬から週末の細切れ時間を使って、日本語で最新の研究論文の動向をまとめ始めた。あわよくば日本の学会誌に投稿したいなあと思いながら。土曜日にやっと時間ができたので、午前中に集中して取り組んでみた。

 

全体がなんとなく完成したので読み直してみたら、とても論文と言えるクオリティではなかった。自分なりに一生懸命やったのにガッカリしてしまった。やっぱりサラリーマンしながら週末の細切れ時間に論文書くなんて無理なのかなあ…いくら日本のジャーナル掲載の敷居が低いとしてもこれじゃあ無理だろうと思い、でもどこかにこういったものを発表できる場所はないだろうかと考えたりしていた。

 

日曜日、長男のメルボルン時代の友達が東京に来た。メルボルンはスクホリ中。4月に来た友達とはまた別の友達だけど、彼もベストフレンドのうちの一人。家に泊まることを強く勧めたけど、日本に滞在中予定がぎっしりのようで1日みっちり遊ぶという話になった。都心の待ち合わせ場所まで電車で行き、電車でまたうちの近くまで戻る。商業施設の本屋で文房具を物色したり、日本食屋でランチを食べたりカフェに行ったりした。日本の長男の友達とはこんな風に時間を過ごすことはないから、メルボルンにいたときの人間関係の濃さに改めて思いをはせる。オーストラリアでよく食べていた懐かしいお菓子などお土産もたくさんもらった。

 

月曜日の祝日。朝から美容院に行った。なんだかずっと忙しいな。美容院の近くにFlat whiteを出す店を発見。レベルが高くて、メルボルンの有名カフェと同じ、もしくはそれ以上だと思った。この味を日本で楽しめるなんて!また行こう。午後は次男とまた渋谷に。若いころにたまに行っていたJazz clubのBody & Soulが午後のセッションをやるということで、めちゃくちゃ久しぶりに行った。以前は青山にあったけど、数年前に渋谷に移転していた。

メルボルンのカフェを超えてきたFlat white in 国分寺

20年近く前に渋谷で働いていたころ、Body & Soulで初めて聴いて好きになったGrace Mahyaというシンガー。私が好きなSadeの曲はやらなかったけど、その代わりにRadioheadのHigh and Dryをやってくれて大満足(同世代だから好きな音楽が似ているのかも?)。この日ベースを担当していたKenKenという人がめちゃくちゃうまくて、よくわからないけど人間的な魅力もあって、ベースだけではなくドラムもビックリするくらいカッコよかった。家に帰って調べたら、ロック界?では色々なバンドに参加している有名な人みたい。

 

2ステージ聴いていたかったけど、次男が宿題が終わっていないと言い出し、1stステージで退散。名残惜しかったけど、まあ私も次の日から仕事だから結果的に早く帰って良かった。この日は朝美容院に行き、最高のFlat whiteを楽しみ、午後は渋谷まで遠出してJazz Clubでワインを飲みながら音楽に浸るというなかなか贅沢な1日だった。こういう時間を過ごすために、生活以外のところに使えるお金を持っておきたいなあ(しばらく会社員やめられないかなあ)という気もする。

渋谷に移転した老舗ジャズクラブ Body & Soul

先週末は土曜日に仕事のイベントがあり、国内のとある領域で第一人者と呼ばれる有名なお医者さんや研究者の先生たちと交流する機会があった。グループの中には超ベテランの先生たち(東大の名誉教授とか研究所の所長さんとか)もいたが、同世代~少し上の現役バリバリのお医者さんや研究者の人たちもいて、その人たちと食事を一緒に取りながら、わいわいとお話できたのがとても楽しかった。

 

若い時に研究費の獲得にめちゃくちゃ苦労した話なども聞いて、なんでこんなに情熱的で優秀な先生たちが、プリンタ1台買うのに奔走しなきゃいけないんだ、と日本の現状が情けなくもなった。研究に集中させてあげて欲しい。日本で研究するためには、科研費というものを使うらしいが、これがバカげた仕組みで、例えば研究室に必要なプリンタを買おうとすると、そのプリンタはその科研費のプロジェクトのための印刷にしか使えないとか。机がないから机を買おうとすると、そのプロジェクトにしか使えない机とか。おかしすぎる。そうすると科研費ではプリンタや机が買えないから、もう少しフレキシブルに使える別の資金を獲得する必要がある(例えば企業の助成金)。聞いていると日本の科研費は、国内の優れた研究者に優れた研究をしてもらうためではなく、研究のアウトプット(だけ)を求めるという浅ましい考え方、かつ研究者にズルさせないようにという性悪説のもとにあるのでは?とまで感じた。人を育てるという点については、企業の方がよっぽどしっかりしている。

 

分野は全く違うけど、アカデミアの世界を垣間見ることもできて、自分の将来を考える上で参考になった。でも研究者の先生たちって、色々な苦労はあるものの基本的に自分が好きなことしているから年齢よりずいぶん若く見えるし、何より楽しそうだし、話も面白い。ハイレベルで最先端な知識以上に、ポジティブなエネルギーをもらえてありがたかった。

 

 

Chicagoへの一人旅 後編

Chicagoへの一人旅の後編。

 

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Day 5 発表の日。朝は元指導教官のセッションに参加。何気に先生のプレゼンを聞くのは2回目くらい?先生だけあって話すのが上手。いいなあ。私も英語であんな風にプレゼン出来たらなあと思った。頼まれていなかったけど、プレゼンの様子を写真にとって後から送ったらとても喜んでくれた。「私の研究者生活のVery lastのプレゼンを写真に収めてくれてありがとう」と。

 

この日は、先生のセッションと自分のセッションの間にリジェクトされた投稿論文の書き直しについて打ち合わせ。前日にたくさん吸収した内容からひらめいたので、こういう軸で書き直ししてみたい、と提案したら、良いんじゃない、とのこと。ぽろっと、来年から東京の私大で非常勤講師をやることになりそう、という話をしたら、自分の授業スライドを私にシェアしてくれるという。そんなことあるんだ!と嬉しくなった。

 

自分のセッションの話は3つ前の記事にも書いたので割愛。他と比べて結構多くの人が入っていたし、質問もしてもらえて良かった。Great presentationとモデレーターの人からも言ってもらえてほっとした。ここで自分の博士課程の研究を発表し、それを聞いてくれる人がいて、フィードバックをもらえて、本当に良かった。大満足。

 

この日の夜は、先生と私が所属する分科会のビジネスミーティングとパーティにも参加。ビジネスミーティングはまあまあ面白かった。パーティは飲み物がチケット制だったけどチケットが余って、結局飲み放題同然だった。指導教官と一緒にワインを3杯飲んだ。指導教官と学生という立場を超えて、先輩後輩みたいな関係になれた気がする。先生も自分と私は似ているところがあると言っていた。私もそう思う。他にも同じセッションの発表者の人たちとも話ができて良かった。学会って楽しい!とこの時思えた。

 

Day 6 朝ゆっくり目に起きて、少しだけスーパーで買い物して、パッキング。電車はもう嫌なので、ホテルの前からタクシーに。タクシーの運転手が英語ではない言葉で電話をしていたので、「アメリカ出身ですか?」と聞いてみたら「エリトリアだよ」と教えてくれた。「ごめんなさい、エリトリアはどこですか?」と聞いたら東アフリカとのこと。「ケニアの近く?」と聞いたら「まあそうだね」という返事。アメリカに住んでもう20年くらいになるけど、毎年数か月は祖国に帰っているという話もしてくれた。

 

「往きは電車に乗ったんだけど」と言ったら「きみ、電車なんて乗るもんじゃないよ!次からちゃんとタクシーに乗りなさい」と言われてしまった笑。日本から来たと言ったら、お世辞かもしれないけど「次は日本に旅行に行きたいんだ」と言ってくれた。アメリカのタクシーについてはよくわからないけど、海外では騙されることも結構ある。運転手と個人的な会話をして少し距離を縮めておくことで、騙されたりするリスクも減ると勝手に思っていて、私は海外ではあえてタクシー運転手に話しかけるようにしている。相手もずっと無言の得体が知れない外国人を乗せるというよりは気分が良いと思うので。

 

タクシーはスムーズに空港に着いた。料金は50ドルくらい。一人で乗るには高いけど、安全と時間を買ったと思うしかない。空港では気になっていたGarrett popcornを購入。出張でシカゴ空港を利用するときは素通りしていたけど、もうシカゴに来ることもないかなと思い。まあ日本でも買えるけどね。このポップコーンは期待を裏切る美味しさで、シカゴ帰りに寄った実家では、両親も含めみんなですぐに食べてしまった。

ギャレット ポップコーン ショップス(Garrett Popcorn Shops)

 

こういう装飾がとっても田舎っぽいアメリカという国@シカゴオヘア空港

帰りもJALのプレエコなので、アメリカン航空のラウンジに。5年前に当時の上司と出張した時に連れて行ってもらったラウンジは、普通のラウンジよりも1ランク上のラウンジだったみたいで、今回行ったラウンジは正直あまりぱっとしなかった。

ちなみにその時のブログはこちら…。

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今回のアメリカン航空ラウンジの軽食、どことなくぱっとしない。ドリンクはカクテルを頼んでみたけど口に合わなかった

PC開いて、前日に話をした人たちにメールしたり、資料の参考リンクを送ったりしながら時間をつぶした。そうこうするうちにフライトの時間に。

 

あっという間の1週間だったけど、めちゃくちゃ濃かったし、本当に行って良かった。お金以上の価値があったと思う。2年前、ハイブリッド開催だったシアトルのAoMに、コロナにならずに参加できていたら、今回のシカゴには来ていないかもしれない。そう考えると、人生って分からないもの。この一人旅を通じて、研究をここでやめるのはもったいないかもしれない、もっとこういう場に身を置いてみたい、という気持ちが生まれた。

 

羽田には午後3時ごろに到着。品川のホテルに1泊し、翌日朝、名古屋に移動。法事に出席し、久しぶりに親戚に再会した。その後、次男と2人で東京に帰りがてら長野に旅行。時間があればこのことも記事に書いてみたいけど、ひとまずシカゴ旅行記はこれにて終わり。

Chicagoへの一人旅 中編

Chicagoへの一人旅の続き。

fourty.hatenablog.com

 

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Day2 シカゴ到着2日目は、学会の初日。まだメラトニンを手に入れていない時だったので、あまり良い睡眠は得られず、朝はぼーっとして過ごした。前日にスーパーで買ったバナナをかじる。午前中はとにかく身体を休めて過ごし、夕方外出。元指導教官とシカゴ観光。ボートに乗ってシカゴ川を下り、ミシガン湖まで出る1時間半のツアーに参加。ボートは観光客でいっぱい。言葉を聞いていると9割方、アメリカ人だろう。シカゴは外国人観光客より、国内の観光客が多いイメージ。

ボートから街を見る

早口でまくし立てるMCのアメリカ人女性。時々、元指導教官が「何言っているか分かる?」と聞いてくる笑。正直半分くらいしか聞き取れない、と言ったら、「私もあまりよく分からない」と言われた。早口すぎることと、アメリカンイングリッシュなことと、固有名詞がたくさん出てくることが要因?ぼーっと景色を見ながら、指導教官とおしゃべりして過ごした。

 

ミシガン湖はまるで海のようだった。大きすぎて潮の満ち引きのようなものもあるらしい。この日は少し曇っていたせいもあり、湖に出たころには寒かった。アメリカ人もジャケットを羽織るくらい。水に囲まれた街がシドニーを思い出させる。シカゴに来てオーストラリアが懐かしくなる私。

 

ボートツアーが終わったのが17時くらい。外はまだ十分明るい。指導教官は分科会のOpening partyに行くと言っていたけど、私は全体のOpening partyに顔出してみることに。昔、AoMのOpeningと言えば、フロリダのディズニーを貸し切ったり、ボストンの博物館を貸し切ったり、と随分楽しそうなイベントだったことを指導教官から聞いたが、今回はホテルのレセプションホール。指導教官は「Boring」と一言。

 

私は誰も知り合いがいないけど、ふらっとレセプションホールに。飲み物は1杯だけチケットをもらっていた。あとはビュッフェ方式。何百人も人がいたので、ちょっと疲れた。ワインを1杯飲んで、少しだけ食事をもらって、たまたま側にいたスウェーデン出身でイタリアの大学で博士号をしていて、半年前に3か月間、メルボルン大学に訪問していたという学生と雑談。「メルボルンに住むのはとても楽しかった」と言ったら、「メルボルンも良かったけど、ぼくは東京の方が好き」と言われた。日本もなかなかの人気。Opening partyは楽しいまではいかなかったが、シカゴに行ったら聴きたいと思っていたジャズの生演奏が聴けたので満足。

シカゴの有名なDeep dish pizza

Jazzを聴いている人はあまりいなかったけど、私は前の方で聴き入った

夜はKids向けのメラトニンを2粒(2㎎)飲んで(グミなので正確には食べて)就寝。

 

Day 3 おかげで5時間くらいは続けて眠れた気がする。朝3時くらいに一度起き、2時間くらい覚醒したままだったけど、その後、二度寝できた。まだまだ頭がぼーっとしていたけど、力を振り絞って、無料で配布されるスタバコーヒーと軽食のために、ロビーエリアまで下りた。

無料の軽食はスコーンやマフィンやフルーツなど+コーヒー

ロビーではベトナム人で、フランスの大学で博士号をしている女性が話しかけてくれた。ベトナムでは化学系の会社を経営していて、取引先の一つは私の前職の会社とのことで、日本人のことをよく知っている。世界は狭い。それにしても遠隔操作でベトナムの会社を経営し、フランスで子供3人を育てながら、博士課程で研究しているって…すごい人はたくさんいる。この日の朝は確か日本人研究者の方からも声をかけられた。東京の私大に勤めている方で、私の日本語の論文を読んだことがあるとのことで、認識してくれていた。嬉しいサプライズ。

 

勢いで外出した。観光名所のミレニアルパークまで徒歩で20分くらい。天気がめちゃくちゃよくて、でも暑くなくて最高だった。

シカゴトリビューンのビル

ミレニアルパークのオブジェ

面白い歩道橋から街を眺める

学会はシカゴのダウンタウンの5つか6つのホテルで行われているが、帰り道にそういえば聞きたいセッションがあったなあと、ふらっと自分が宿泊しているところとは別のホテルに。スピーカーの1人である、ペンシルベニア大学の若手の有名な研究者(同い年くらいかな?)に勇気を振り絞って話しかけてみた。こっちは失うものないからね。学会はどんどん自分からアクションを起こす場だなあとも。

 

このセッションでは、途中退席予定なので後ろの方に1人で座っていたら、「こっちに一緒に座らない?」と声をかけてくれた人がいた。話してみるとオージーだった笑。「私、一人でいる人を見ると気になっちゃうの」と言っていたので「あなたはとても親切で、とてもオージーですね」と返したら笑っていた。ほっこり。話しかけてくれた人はクイーンズランド大学だったけど、一緒にいた人はメルボルン大学。ここでもオーストラリアとのつながりができてうれしい。

 

ほぼ昼ご飯を食べずに午後は自分が泊っているホテルのセッションに参加。今の仕事とつながりがあるテーマなので、そのための情報収集。そうこうするうちに夕方に。稼働は半分くらいだったけど、まあまあいい感じの1日だった。夕食は2日前のチキンを部屋で食べて終了。メラトニングミ3粒食べて就寝。

 

Day 4 朝起きたらスッキリ!時差ボケがなおった。この日はセッションをいくつもはしごしながら、合間に翌日に控える自分の発表の流れを少し変えて練習したりした。これでもか、とたくさんのセッションに参加して、たくさんインプットできたので満足。私の論文をリジェクトしたエディターに話しかけたのもこの日だった。

学会会場のホテルがChicago Riverの両岸に点在しているので、1日に何度も川を渡った

シカゴのダウンタウンはまあまあ安全で、夜7時~8時ごろまでは一人で歩いていても危険を感じない。夕方、CVSという大手ドラッグストアで子供たちのお土産を購入。お土産屋よりもセンスが良く、また値段も半額くらい、しっかりしたTシャツをゲットできて大満足。1枚9ドルだったかな。私は1ドル90円台の時に両替したドルの現金を今回使い切るつもりで持ってきているので、1,000円以下で買えたことになる!

お土産に買ったシカゴのTシャツ。シカゴは西海岸LAまで続くRoute 66の出発点でもある

夕食はホテルの近くのPanda Expressでテイクアウト。これも10ドルちょっとくらい?チャーハンとおかず1品だけど、量が日本の倍近くあるので高くはない。フォーチューンクッキーのおまけつき。

欧米で食べる中華も結構好き

おかげさまで日々私の世界は拡がっている

長くなったので3部作にすることにした。



Chicagoへの一人旅 前編

学会発表のことは前回書いたので、この記事では旅の側面をメインに。Chicagoに行ったのは2024年8月中旬。日本がめちゃくちゃ暑い時だったけど、Chicagoの気候は快適そのもの。昼間は半袖が気持ちよく、朝夕はカーディガンを羽織るような気候。滞在中、雨は一度も降らず、ずっと天気が良かった。

 

今回はJALのプレエコを予約。羽田を午前11時ころに出る便。ちょうど良いと思いきや、9時に羽田着ってなると、朝の通勤ラッシュにぶち当たることに気が付いてげんなり。会社に行く日と同じ朝7時に家を出て、いつもと同じ電車に。スーツケースを持ちながらラッシュ時に乗り換えをするのは厳しいので、新宿で降りてバスタからリムジンバスに乗った。この作戦は大成功。スムーズに空港まで行けた。

 

空港に着いたら外国人観光客向けの店で、オーストラリアからくる元指導教官のためにお土産を買った。買い物はそれだけ。プレエコの権利を最大限に使うために、サクララウンジに。朝10時前なのにJALのラウンジと言えばカレーでしょ、ラウンジと言えばワインでしょ、と変な組み合わせ。まあいいや。1人でラウンジで過ごす時間は最高。前日まで仕事をしていて、この日から私の夏休みが始まったという開放感!

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まだ学会の発表資料のノートができていなかったので、少しだけ作業。そうするうちに、ラウンジ内にプリンターがあることに気が付いた。PPT資料にノートをつけて、プリンターで印刷できた。ラッキー。もちろん無料。プリンターはレーザーではなく、インクジェット。そこは文句言えない。

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あっという間に搭乗時間。エコノミーよりも多少広い座席。良かったのは、椅子を後ろに倒しても前後の人のスペースに影響がない構造になっていること。椅子のフレームは固定なので。あとスリッパがもらえるのも長時間フライトにはありがたい。私はいつも機内食は食べないので、今回も3回出てきた機内食は全部断り、「うどんですかい」という小さなカップうどんだけ食べた。JALがどんなに機内食を頑張ってくれても、カップうどんや、以前食べた「Air吉野家」を超えることはない。プレートにごちゃごちゃ乗せてこなくていいから、うどんやおにぎりなど、シンプルなものだけくれたらいいのに、といつも思う。

 

Chicagoの空港は、前の会社の時に乗り継ぎで何度も行ったことがあるので少し懐かしい。おきまりの入国審査の長蛇の列も懐かしいし、巨大な空港内のターミナルをシャトル電車で移動するのも慣れている。今回、ダウンタウンまでの移動手段は電車をチョイス。汚くて臭いだろうと思ったら意外とそうでもなく、拍子抜け。

 

一回乗るチケットと一日乗車券がどちらも5ドルという謎の料金体系。物価高と言われるアメリカにおいて、電車は日本より安い。でもブログを書いているちょうど今日、シカゴの電車で銃撃があって4人殺害されたというニュースが目に入り、今更ながら怖くなった。私が乗っていた時にはファミリーもいたりして危ない感じは特にしなかったけど、アジア人が珍しいのか何なのか、白人のティーンエイジャーにめっちゃジロジロ見られたり、途中でホームレスの人がお金を貰いにきたりした。

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ちなみに駅は臭いし汚い。あと全くバリアフリーではない。世界一、ニの経済を誇る超大国アメリカなのに、こういうところには途上国以下の出来栄え。アメリカの残念ポイント。スーツケース持ちながら乗り換えは大変だった。もちろん日本の鉄道とは比べ物にならないが、メルボルンの電車や駅の方がきれいだし便利。

シカゴの鉄道路線図、空港からダウンタウンまで45分くらい

時刻表には電車が来る大体の間隔しか書いていないのが斬新

ホテルには昼頃に着いたが、チェックイン時間前なのに部屋の準備ができていたのですぐに入れた。ありがたい。ホテルはダウンタウンのマリオット。場所はとてもよく、周りも安全な感じがした。疲れたのでシャワーを浴びて、日本から持参したかっぱえびせんを一袋たいらげた。24時間で、カレー少しと小さなカップうどんしか食べていなかったから。疲れているけどここで本気で寝てしまうと時差ボケになると思い、ベッドで休憩しながら、何とか起きていた。

 

夕方、ふらふらになりながらホテルのレストランに。元指導教官とディナー。5月にメルボルンで会ったばかりだけど、やっぱり知っている人に会えると嬉しい。いつもアメリカに着いたらステーキを食べるのだけど、この日はなんかそんな気分ではなく、チキンを頼んだ。マリオットのレストランなのにワインがあまりおいしくなくて残念。チキンはまあまあ美味しかったが量が多すぎたので、ケースをもらって持ち帰った。

 

指導教官とは最近の出来事を交換。指導教官側からは主にNSWに建築中の家やそれにかかるお金のやりくり、設計、許可を得ることの大変さなどなど。写真も見せてもらったけど、とても良い場所だった。今メルボルンで住んでいる家のローンは返済しているけど、モーゲージに入っているから家を担保にお金を借りられるらしく、結構かつかつでやっているっぽい。おそらく全体で1億円以上、ひょっとしたら2億円くらいかかっていそうな感じ。高い!!オーストラリアに来たら、うちに泊まりに来て、ゲストルームあるから、と言ってもらえた。

 

そんな会話を英語でしながらだんだん頭がもうろうとしてきた。翌日、一緒に観光しようと誘われた。私、学会発表に来ているけど、実はこれ、転職後の貴重な有給を使った夏休みだからね。堂々と遊んでよい。指導教官もお金はGrantから出ているけど(ディナーもおごってもらった)、もう大学はリタイヤしたのでたくさん遊ぶと言っていた笑。まだ色々なところからは声がかかるけど、これを最後の学会にするつもりだってさ。

 

私がアメリカに来るときにはいつも時差ボケに悩まされる、と言ったら、メラトニンを飲むと良いと言われた。メラトニンアメリカではサプリだけど、オーストラリアでは処方箋が必要らしく、指導教官はアメリカやカナダに来るたびに大量に買って帰るらしい。

 

翌日、だるい体に鞭打って、ホテルの近くのスーパーとドラッグストアに。スーパーはTrader Joe‘sというところで安くて美味しいものが売っている。オーストラリアと比べて高いものと安いものがある。バナナは日本より安い。

普通のバナナは1本40円くらいで安い

ドラッグストアCVSではメラトニンを物色。種類がありすぎて迷ったが、とりあえずKids用のグミタイプの1㎎のものを選んだ。身体が大きな白人向けに作られている薬は強すぎることがあるので。大人用は1㎎、3㎎、5㎎、10㎎、20㎎と様々な容量で売られていた。

私の身体はアメリカではキッズサイズだからキッズ用のメラトニンをチョイス

記事長くなったのでここでいったん終わり。

 

 

AoMに参加して

無事、世界最大の経営学会であるAoMに参加し、発表を終えることができた。シカゴへの一人旅について、色々と書きたいネタはあるけど、まずは学会のこと。国際学会に参加して得られたものをリストしてみたい。

シカゴの街にAoMのバナー

1.名前だけ知っていた一流研究者と会って話ができた

博論のフレームワークに使ったアメリカ人の教授、この領域で飛ぶ鳥を落とす勢いのアメリカ人若手研究者、似た研究をしているスペインの研究者などなど。いままで論文を通じて名前だけは知っていた研究者たちに直接会うことができたのは面白い経験だった。

 

大御所の研究者や有名な研究者はもちろん私のことは知らない。でも彼らのセッションが始まる少し前に部屋に行き、暇そうにしているときに自己紹介して話しかけたり、セッションで挙手して質問することで、実際に会話をすることができた。これからは彼らの名前を見るたびに、人となりを想像することができる。対面の学会ならではだと思った。

 

2.自分の研究を引用している研究者と会えた

正直、1よりもこちらの方が数倍嬉しかった。1人目はドイツの大学にいるPhD学生。Best student paper awardにノミネートされるような優秀な人。研究テーマが似ているので、現地についてから彼女の学会ペーパーを読んでみたら、私の研究が要所要所に引用されているのを発見!これは話しかけなければ、とBest student paper awardのセッションの後に声をかけた。

 

1で書いたことの逆のバージョン。彼女は私と会えてとても喜んでくれた。5分程度の立ち話では足りなかったみたいで、その後にメールが来て、もっと話したいから時間を作ってもらえませんか?と聞かれた。一緒に参加していた別のセッションが早く終わったので、30分ほど会場のロビーで話し込んだ。彼女は来年PhDを終える予定で、アカデミアでの就職を狙っている。私はどうしたいのか、考えるきっかけをくれた。

 

1で書いていたスペイン人の研究者チームは、私と同じセッションで発表することになっており、また彼らの最新の論文では私の2023年の論文を引用してくれていることも分かった。お互い引用し合う関係で、セッションも同じ。研究手法は異なるが、テーマが近い。このテーマで実証研究を発表しているのは、現状、世界を見渡しても(英語で発表されている論文に限れば)、私とそのスペインの研究チームとあと1組しかいない。ちょっとしたコミュニティ感があった。

 

もう1件、会場であり宿泊していたホテルの交流スペースで一人で朝ご飯を食べていたら、日本人の研究者から話しかけられた。AoMではほとんど日本人を見かけないので、嬉しかった。東京の私大に所属されている方で、研究テーマはドンピシャで一緒ではないが、私の日本語で書いた論文を読んでくれて、私のことを認識してくれていた。その方が受け持つ大学院の講義で、ゲスト講師ができるかどうかを聞いてくれた。アメリカで日本人研究者とつながれるのも面白いと思った。

 

3.ジャーナルのエディターに挨拶できた

前々回の記事に書いた投稿論文のリジェクト。最後に返事をくれたエディターが非常に丁寧で、リジェクト自体はショックだったけど、丁寧なメールには感謝していた。そのエディターがパネルを務めるセッションに参加。直接話す姿を見て、考え方が自分に近しい感じがした。この人はオランダの大学の教授。

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そのセッションが終わったら話しかけようと思っていたけど、パネルだったのでたくさんの人に囲まれていた。私は次のセッションに参加するためにその会場を出た。翌日、もう一度チャンスが巡ってきた。別のセッションでその教授が聴講者として参加しているのを発見。セッションが終わった後、ホールで話しかけた。私のペーパーに対してthoughtful feedbackをくれてありがとうございます、と直接伝えることができた。

 

自分がリジェクトしたペーパーの著者と話すのは、少し居心地が悪いのかもしれない。君が期待する結果にならなくてごめんね、と言ってくれた。3名のレビュアーのうち、2人目が相当辛辣なコメント。悩んだ末の結論だったんだろうと思う。メールに書いてくれていた、改善ポイントについて、再度口頭で伝えてもらえた。ということは、私のペーパーのことを記憶しているんだと少しうれしかった。

 

今回、AoMで自分の研究テーマに関するセッションに5つくらい参加し、その中で交わされている議論や切り口から、書き直すために使う理論をひらめいた。もう書きたい内容は決まっていて、あとは会社員しながらどのようにして時間を捻出するかなんだけど‥‥このジャーナルからは、実は自分がレビューしたペーパーの再レビュー依頼も来ている。自分がリジェクトされたのに、アクセプトされるペーパーの改善に貢献するのは複雑な気持ちだけど、そこはもちろんフェアに行動する。

 

懇親会の時に私の発表と同じセッションで発表していた北欧の研究チームと雑談していて、同じジャーナルの同じスペシャルイシューに投稿してリジェクトされた、という話を聞いた。私だけではなかった。というか、このテーマ、流行になってきて、おそらくスペシャルイシューへの投稿数がかなり多かったのではないかという気がする。研究者にとって、質の高いジャーナルに投稿チャレンジして、リジェクトされるのは日常茶飯事なんだなあと。同じことを経験している人と話したことで気持ちが軽くなった。

 

今回、自分が研究者としてAoMに参加し、他の研究者と交流して思ったのは、有名なペーパーを出している(=ジャーナルに採用されやすい)のは、アメリカの研究者が多いが、自分と課題意識やアプローチが似ているのは、ほぼ全員が欧州の研究者だった。経営学の世界では、おそらく社会文化的要素が色濃く反映されるが、日本と欧州は日本とアメリカよりも共通項が多いことを考えれば当たり前のことかもしれない。あと、欧州の研究者の方が日本やアジアに興味を持ってくれている雰囲気も感じた。

 

長くなったので、AoM参加の研究面での振り返りはこの辺にしておく。次はシカゴ旅行記について書くつもり。

毎朝のちょっとした軽食とスタバのコーヒー(無料なのでありがたい)

巨大な学会なので自分が所属するDivisionのリボンをつけて仲間を見つける

 

AoM@Chicagoに向けて!

いよいよ来週からシカゴ。私にとって初めての国際学会への対面参加となる。

 

AoMは博士課程の3年目の2022年にアクセプトされていたが、道中でコロナに罹患し、東京で足止めされ、良いのか悪いのか、ハイブリッド開催だったこともあり、オンライン録画での発表に。その4か月後、ゴールドコーストで開催されたANZ学会は、当日の朝に家を出ようとしたら夫がぎっくり腰になり、ベッドから起き上がれないため、家事と育児をするために泣く泣くオンライン参加。

 

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もう何も起きないで、とにかく私を一度で良いから国際学会に参加させてくれ…ちなみに学会は8月9日(金)~13日(火)の5日間開催。私の発表は4日目の月曜日。時差ボケが回復する頃なので嬉しい!

 

先週末、学会が実はすぐだということに気が付き、慌てて土曜日にスライドを作成。日曜日に元指導教官に送付。今週末、時間があれば少し練習してみようと思う。ちょっと余裕があるのは、シカゴに行ってからでも練習できるから。ありがたい。

 

もともと学会はフルで参加するつもりだったが、自分の発表が4日目であることが分かってからは、帰りの飛行機を1日前倒しに変更して、発表翌日に帰国することにした。最終日にも面白そうなセッションはたくさんあったのだが。理由は、10何年振り?に実家の方で法事が行われるということで、親戚が30~40人?集合する。子供の頃、毎週のように遊んでいて、お互い子供が生まれてもしばらくはよく会っていた従妹たちや叔父さんや叔母さんにも久しぶりに会いたいと思った。

 

学会のプログラムが発表され、自分のセッションが最終日でないことを知ってから、飛行機のスケジュールを調べたら、ギリギリ参加できそう。こんなこともあろうかと、もともと帰り便だけ予定変更可能なチケットにしておいたので、電話して無料で変更してもらえた。シカゴから羽田の直行便だが、時差の関係で14日の午後に到着。その日は自宅に戻らずに品川のホテルに1泊し、15日の朝イチ、新幹線で名古屋まで移動すれば、15日の午前中に行われる法事に参加できる。夫と子供2人は別途、法事の前日に私の実家まで移動しておいてもらうよう、新幹線のチケットを購入した。

 

時差ボケで法事中眠くなりそうだけど、私にとっては、アメリカの学会に参加するだけでなく、ちゃんと実家の法事にも家族と一緒に出られるということで、ほっとした。母親と夫からは体調を心配されているが…アメリカ帰りに無理して法事に参加しなくて良い、と両親から言われたが、自分が参加したいから参加する。

 

5月のメルボルンと今回のシカゴで年休をほぼ使い切ってしまうので、会社のPCを名古屋に送って、法事の後は実家からテレワークする計画。夫と長男は飼い犬の世話のために法事の翌日に帰るけど、私と次男は少しゆっくり。そして気まぐれで、帰りは東海道新幹線ではなく、特急しなのと特急あずさを使って、ぐるっと長野経由で帰ることにした。途中、諏訪湖で下車して1泊。花火を見る予定。自宅→シカゴ→品川→名古屋→諏訪湖→自宅というトータル10日以上の旅。体力ないのに、気力だけあるから、ついこういう予定を組んでしまう。

 

話はそれたが、学会がらみで2件、個別メールでの連絡があった。2件とも出版社から。

1件目はAoMのEditorから。

Hopefully we'll have a chance to meet next month, either at the AOM Publications team's table near the registration desk at XXX or YYY. I'd be curious to hear about your areas of focus and the types of research that you're working on. 

初めてのことなのでよくわからないが、AoMのアカウントからのメールで怪しそうではなかったので、とりあえず返信してみた。何が次につながるか分からないからね。痛いのは、今進行中の研究がないこと。アイデアはいくつかあるんだけど…

 

2件目は大手出版社のPublisherから、フォーカスグループへのお誘い。

I am reaching out today as your session (~~~) in the AOM program caught my eye. We are holding a small focus group on social impact in business education. .(中略)..  We'd greatly appreciate your time and feedback as we learn more about this area of study and develop the framework for this collection. We are also keen to connect with potential authors and editors for this future collection. 

こちらのフォーカスグループは、日時と場所(会場内)が設定されており申込制。謝礼として50ドルのバウチャーがもらえるとのこと。時間があれば行こうかな…なんでも経験だから。

 

AoMに提出したフルペーパーは、先日リジェクトされた投稿論文とほぼ同じ(AoMのルール上、出版前のペーパーであれば発表して良いことになっているため)。私の研究に興味を持ってくれた人には会ってみたいと思っている。

 

とりあえず、着いた日の夜は先生と合流して、ホテルでディナー(先生の研究費から出るとわざわざ教えてくれた笑)。リジェクトされた論文のリバイスの方向性とAoMでの発表資料のレビューをする予定だけど、どうなることか。雑談して終わりそうな気もしなくもない。AoMは全体で参加者が1万人という巨大な学会なので、自分の興味があるテーマに絞って参加し、少しでもネットワーキングができればと思っている。自分を覚えてもらうために、個人としての紙の名刺(LinkedinのQRコードを入れた)も作ってみた。

 

シカゴは東京よりも少し涼しいみたいでそれもありがたい。何事もなく行けますように…