40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

投稿論文の不備、日本&アメリカ出張準備

2日前に張り切って論文提出したものの、出版社のEditorial Officeから提出物に不足があるということで差し戻し。詰めが甘い私。。あとは出張前の色々な手続きについて記録。

 

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投稿論文の不備

木曜日の朝7時に提出し、18時過ぎにメールを受け取った。こんなに早くに返ってくるとはきっと書類不備だなと思ったら案の定。不足していたのは“Compliance with Ethical Standards”に関する情報。ちゃんとガイドラインを読んでいたはずだが見落としていたようだ。ちなみにガイドラインはPDFにして64ページ分。長い。共著者である指導教官2人も提出前に何も言わなかった(ちゃんと見てくれていない?)。以下の3点について追加で書面をアップロードするようにと言う指示。

 

  • Disclosure of potential conflicts of interest
  • Research involving Human Participants and/or Animals
  • Informed consent

 

何もかもが初めてなので良く分からないが、とにかく急いでネットで調べて、大体こんな感じかな、という文書を作って、夜の9時に指導教官に送付。指導教官は火曜日から木曜日の3日間だけしか働いていないので、木曜日の夜にメールを送ると、次返事が来るのは翌週の火曜日だろう。タイミング悪い。

 

と思っていたら、休みを返上して金曜日の午前中に返事が来ていた。自分が過去に送った文章を添付して。それを見ながら書き直して、金曜日の午前中に無事出版社の投稿プラットフォームに再度アップ。これで大丈夫かな。カバーレターよりもこっちの方が必須情報だった。

 

日本&アメリカ出張準備

次に、7月下旬から8月上旬にかけての日本とアメリカへの学会はしご出張について、最近の準備状況。今回書くのはプレゼンとかコンテンツについてではなく、主に事務手続き(ペーパーワーク)について。

 

①大学への出張申請

PhDやリサーチマスターが国内外でデータ収集や学会参加のために出張を行う際、大学に届け出が必要になる。扱いはほぼ教授などのスタッフと同じだが、学生については出張をStudy awayというらしい。出張の6週間前までに申請が必要。かなり詳しい情報を色々と記入しなくてはならないので面倒ではあるが、大きなメリットは大学が保険をカバーしてくれること。つまり自分で海外渡航用の保険に入る必要がない。

 

保険の詳細は外部には開示されていない情報なのであまり詳しく書けないが、医療費や病気やケガによる移動費用はUnlimitedでカバー、災害や政治的混乱による国外退避の費用もカバー、パソコンを含む荷物の盗難や故障の補償もついてくる。かなり恵まれたプラン。出張として捉えれば当たり前かもしれないが。

 

出張に対する承認を受けるために、改めて詳しいItineraryを作成。費用の出元(全額、学科からのAwardでカバー)、緊急時連絡先などの情報を提出。申請はオンラインシステムで行うようになっていて、どうやら私が申請ボタンを押した後、情報が指導教官にとんでいくらしい。私が申請した時、指導教官はシドニーで休暇中だったが、その日中に「承認しておいたからね」とメールあり。ありがたい。そして2日後には大学から出張許可が下りた。日本もアメリカもオーストラリア政府の設定したリスクレベルが2であり、ほぼリスクがない国としてのカテゴリーだから、何の問題もなかったみたい。学生の学会発表の出張がこんなにすんなり認められるのだから、大学関連の出張規制は元に戻ったと考えて良いのかもしれない。

 

②フライトの調整

私は今回の出張に伴うフライトを3月下旬にJALのサイトから予約。メルボルン-東京-シアトル‐東京-メルボルンという4つの国際フライトで、税金や燃料費含んでトータル20万円という何故だか格安のJAL。しかし予約したのは良いものの、その1か月後の4月下旬に、メルボルン-東京のフライトが運休との連絡。予約時は毎日飛んでいるスケジュールだったが、7月のフライトスケジュールが確定した4月下旬の時点で、メルボルン-東京の直行便が週2に減便。JALからのメールには、フライトが近い人から順に代替便の案内をする、と書かれていたので待ってたが、一向に連絡がこない。もうすぐフライトまで1か月を切るので、さすがに不安になってきて、JALに電話してみることにした。

 

電話の結果、私のフライトの代替便はまだ決まっていないことが発覚。電話口で金曜日のフライトを火曜日か土曜日なら取り直しできます、と言われた。もともと学会が土曜日にあるので、金曜の深夜にメル発、金曜朝に東京に着くフライトを予約していた。火曜日では早すぎるし土曜日では遅すぎる、と言ったところ、(しぶしぶ?)どこかで乗り換えるフライトを案内してくれることに。調べてもらったところ、シンガポール乗り継ぎかシドニー乗り継ぎになるとのこと。コロナによる色々なルールが国によって違うことを踏まえると、シンガポール乗り継ぎはリスクがあるので、同じオーストラリア国内であるシドニーにしてもらった。追加のメルボルン-シドニー間の国内線(カンタス)はJALが負担。しかし、フライトスケジュールの都合でシドニーで一泊する必要があり、そのホテル代はJALは持てないとのこと。

 

いつもの私なら交渉する場面だけど、まあもともと格安のチケットだし、コロナで航空会社も大変だろうから、ホテル代くらいいいか(どうせ大学から費用が出るので)と引き下がった。JALとの電話の直後に、シドニーの空港の近くのホテルを予約。これで一安心。でも今の段階で自分からJALに電話していなかったら、最悪どうなっていたんだろうと考えるとちょっと怖い。あまりのんびりしすぎも良くない。

 

アメリカの学会にワクチン接種証明提出

時系列的には少し前の話になるが、アメリカで参加する学会(AoM)の事務局から、学会にIn personで参加する人は、ワクチンの接種証明を提出すること(できない人は直前にPCR検査の陰性証明の提出)という連絡が来ていた。忘れないうちにと思って、オーストラリア政府が発行している証明書を送って、無事承認された。こういう時、英語圏は証明書がそのまま使えて楽。ちなみに、日本はワクチン接種について、欧米よりも個人の意思を尊重している国だからか、同時期に参加する日本の学会からは特に何も要求されていない。その代わり、日本入国時にPCR検査の陰性証明の提出が必要。

 

アメリカのESTA取得

ESTAが切れていたので申請。手続きは一瞬で終わる。日本人は色々な国に簡単に渡航できる。日本人で良かったと思う瞬間。

 

⑤名刺の準備

日本の学会からプログラムが送られてきて気が付いたが、1日目の後の懇親会がキャンセルとなり、その代わりに名刺交換の時間を取ります、と書かれていた。私は博士課程学生としての名刺を持っていない。このご時世、勝手に大学のロゴを使って名刺を印刷するのも良くないだろうと思い、大学の印刷センターに問い合わせてみたら、学生から直接オーダーは受け付けておらず、学部や学科から注文を入れないとダメとのこと。間に合うか心配だが、とりあえず指導教官に聞いてみることに。指導教官が休みの時に急ぎではないメールを送るのは気が引けるので、来週火曜日の朝8時にメールが行くように、メールを予約送信しておいた。

 

私の勝手な予想だが、アメリカやオーストラリアでは名刺交換の文化はほぼ消滅しているような気がする。プロフェッショナルな場面で出会った人とはLinkedInでつながるイメージ。だからアメリカの学会を主に準備をしていた私は名刺のことは特に考えていなかったが、日本の学会に出て、名刺交換をする時間に名刺を持ち合わせていたなったら良くないかも、と日本の学会のために名刺を作ることにした。納期間に合うかな…。

 

とこんな感じで出張に向けた準備を進めている。来週から1週間休暇。その後、急いで2つのプレゼンの準備をする予定。無事に行けることを祈って。

 

大学の3週間にわたるExam weeksも終了。毎日Free coffeeの恩恵を受けた(Coffeeが飲めないPhD友は抹茶ラテ)



初めての論文投稿!

今朝7時ちょうどに、40年余りの人生で初めて論文を学術ジャーナルに投稿した。投稿しただけなので、リジェクトされる可能性もあるが、まずは投稿できたことを喜びたい。私が所属している大学の社会学部の博士課程学生は、特に在学中に論文投稿をすることを義務付けられておらず、おそらく投稿する人の方が少ない。大体、博士課程にいる間は博士論文に注力して、学位取得後、ポスドクをやっている間などに投稿論文をまとめたりするらしい(知り合いが少ないのであまりよく分からないが)。

 

私は博士課程の途中で(博士論文提出後)フルタイムの仕事に復職予定なので、復職後に投稿論文をゼロから書く時間を捻出するのは難しそうだ。何しろ、博士論文の修正対応すら、フルタイムの仕事をしながら行う予定になっている。ということで、できるだけ物理的に博士課程に在籍しているうちにジャーナルに論文を投稿したいと思っていた。今回の論文の改訂などについては少し前の記事に。

 

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昨日、3週間ぶりに指導教官とミーティングがあった。私はキャンパスに来ているが、相変わらずZoomでのミーティング。前日に指導教官からもらっていたフィードバックで残り2つが解決できていなかったので、画面にWord文書を映しながら、私が言いたいこととそれを正しく伝える英語表現についてディスカッションしていた。たった2つの文章を書き直すのに40分くらい議論。アカデミックな議論を英語でするのは疲れる。でも以前より少しだけ言いたいことが言えるようになってきた気もする。

 

今回狙っているのは、倫理学分野で世界3番目のランキングにあるジャーナル。インパクトファクターは8程度と高くないが、ステイタスがあるので、投稿数が多いらしく、その分リジェクトも多い。毎回のように、今回のミーティングでもリジェクトされる可能性もあるから、心しておくように(Be prepared)と言われた。何回もしつこく言うので、メンタルを準備しておけばよいですか?と聞き直したら、そうだよ、とのこと。Cruelなことを言われたりするらしい。へえ、世界3位の割に全然倫理的じゃなさそう。ちなみに指導教官もquite a few timesリジェクトを食らっているとのこと。もちろんリジェクトされたらショックはあるだろうが、私だって伊達に年食っていない。仕事でいじめにあったり、自分の命のリスクをかけて出産したことと比べたら、いじわるなエディターに論文をリジェクトされることくらい大したことないのでは?どっちに転んでも私にとっては新しい経験になる。

 

ミーティング中にWord原稿がようやく最終化できたので、午後には論文投稿サイト上で投稿手続き。何度も見返しながら慎重に進めていたらあっという間に3時間たってしまった。学生ビザを申請するときのような集中力。1点、迷いが出たのがカバーレター。カバーレターをアップロードすることは必須ではないが、アップする欄がある。考え始めたら分からなくなってしまったので、指導教官に改めてメール。もしよければ過去に送ったカバーレターも見せてもらえないか、聞いてみた。

 

2時間後に返ってきた答えは、指導教官が昨年このジャーナルに投稿し、アクセプトされたときにはカバーレターはつけていないとのこと。でも共著者のイギリスの先生(私のマイルストン審査をしてくれている人)はカバーレターが好きなので、その先生がFirst authorとして指導教官と共著論文を投稿するときにはカバーレターをつけているらしい。ということでその文書をシェアしてもらった。イギリス人らしく?格式高い英語で書いてあった。なるほど、と思ったけど、一方、ほとんどの情報は投稿のプラットフォームに入力しているので、今回は不要かもしれない、とも思った。

 

とにかく結論がその日中に出なかったので、そのまま就寝。朝6時から再開。中途半端なカバーレターを書くくらいなら、書かない方が良いだろう、と腹をくくり?カバーレター無しで提出した。論文が良ければ採用されるし、悪ければ不採用になるだけ。でもジャーナルによってはカバーレターが必要なケースもあるらしいので、今後のためにイギリスの先生が書いたお手本のカバーレターをシェアしてくれたのはありがたい。

 

投稿後の画面 Submissions Being Processedが0から1になった

ちなみにこのジャーナルに不採用になったとき、次に狙うジャーナルも決めてある。なぜかこちらのジャーナルの方がインパクトファクターは高い(IF 10以上)。でも歴史や格式の面で、最初に投稿したジャーナルの方が良いらしい。IFだけではジャーナルの質は測れないということだろう。しかし昨日のミーティングで言われた気になることは、最初に投稿したジャーナルは質的調査でもサンプル数が少ない場合はそれだけでリジェクトされる可能性があるとのこと。今回は日本企業6社16名へのインタビューをもとに分析しているので、サンプル数の少なさがネックとなり落とされる可能性もある。まあ、アカデミアの世界はよくわからない。

 

とにかく40代になって、英語でのバイトに引き続き、国際ジャーナルへの論文投稿という新たな人生経験が増えたことは良かった。あとは野となれ山となれ。今日はまた別の仕事、12月のANZ学会に向けたペーパーに取り組む。

 

 

20年ぶりのバイト

先月、20年ぶりにバイトをした。そして今月も不定期にシフトが入っている。オーストラリアで初めて給与が発生する仕事でもあった。昨年、ボランティアとしてオーストラリアの団体から業務を請け負ったことはあったが、今回はちゃんとお金をもらう仕事。と言っても所詮学生のバイトだが。現在所属している大学で、立て続けに2つのバイトを行った(うち一つは継続中)。

 

一つ目は、Note-takingの仕事。大学の障害サポートセンターからの派遣で、障がいを持つ大学生のために、彼らがとっている講義に同席して文字通りノートを取る。この仕事を知ったのは偶然、同じPhD部屋にいるドイツからのPhD仲間と雑談がきっかけ。いつも金曜日はWFH(ワークフロムホーム)の彼女がある日金曜日にオフィスに来ていたので、「今日、WFHじゃないんだね~」と言ったら、「Note-takingの仕事始めたから」という。何それ?と聞いてみた。次の週には彼女が障害サポートセンターに私を紹介してくれてすぐに契約。翌週には仕事をしていた。なぜこの仕事に飛びついたのかというと、日本語のクラスを取っている学生のNote-takerがずっと見つからなくて困っていることを知ったから。

 

日本語なら私に任せて!と張り切って請け負った。大きな大学だけあって、数千名の学生が障害サポートセンターに登録している。最初、視聴覚障害の学生向けのサービスだと思っていたがそうでもないようだ。私の場合もドイツ人PhD仲間の場合もサポートしている学生は視聴覚障害ではない。Note-takingする前に一度学生と顔を合わせたのでわかる。詳しい障害の情報は知る由もないが、おそらく広く定義すると学習障害に分類されるのだろうと思う(障害サポートセンターの資料にも登録している学生の多くが学習障害だと書かれていた)。

 

肝心の日本語の授業は中級レベルだったので、日本人の先生が日本語で授業する。私にはありがたいスタイル。ノートもすべて日本語でとる。ちょっと難しいなと思ったのは、その学生がどのくらい漢字を理解しているかが不明な事。最初は丁寧に、普通に我々が使う漢字を使ってノートをとりつつ、難しいかなと思う漢字(小学3年生レベル以上くらいかな)には全てかっこ書きでひらがなを追加していた。例えば、先輩(せんぱい)には丁寧(ていねい)な言葉を使う。と言った感じで。残念ながら、私がNote-takingし始めたのは上期の最後の2週だけだったので、この仕事はもう終わってしまった。その学生が下期も日本語の授業を取れば、ぜひこの仕事は継続したいと思う。

 

ちなみにこの仕事の時給は$37.73。大学の給与レベルでは下の方でHEW3のカジュアル。週に3時間の仕事だった。ちなみに毎週障害サポートセンターのコーディネーターから、必要なNote-takingの授業のリストが送られてくるが、とてもじゃないけど英語の授業でNote-takingするのは無理だと感じた。母国語の日本語でも結構大変なので。

https://www.monash.edu/enterprise-agreements/staff-salary-rates/casual-professional

 

二つ目のバイトは、学部生とコースワーク大学院生の試験監督。大量のPhD学生が雇われている。先週から3週間、大学はExam週間になる。2年ぶりに学生がキャンパスに戻って試験を受けるという大きなイベント。研修に出てびっくりしたが、3週間で8万席の試験が行われる。一人当たりいくつ試験を受けるんだろう?3つか4つくらい?でもArts系だとエッセイが主なので、試験を全員受けるわけではないし。とにかくすごい規模。試験が始まる2週間前から設営が始まっていた。

学生が迷わないようにキャンパスには道案内まで登場

コロナの前は競馬場を貸し切ってそこが試験会場になっていたらしいが、今回は広大なキャンパスの大きなビル3つが試験会場となる。自宅から受けたい人や海外にいる人はもちろんリモートで受けられる。すべての学生が同じプラットフォームで受けるので、大学に来ても学生は一人ひとりラップトップからシステムにアクセスして試験を受ける。試験監督はオンライン監督と現場監督の2種類。私はITに苦手意識があるので、現場監督だけを請け負うことにした。

 

学内にいくつかあるチェックインポイントで学生はIDを提示して、フェスでもらうようなリストバンドを手に付けて試験を受ける

何かのカンファレンス来たのかな?と思うくらい、設営も本格的

覚えることが結構たくさんあって、研修は全部で6時間。研修の分も時給つくのでありがたい。先週火曜日、初めて出勤した。私は40名程度の学生を監督する役割。大きなトラブルなく終わったが、他の場所ではITトラブルが続出していたらしくて大変そうだった。現場監督として聞かれたのは試験会場の場所(巨大かつモダンすぎて構造が複雑なビルなので迷子になる学生多数)、トイレに行って良いか、部屋が暑い/寒いなど。ITトラブルが起きるとSlackを通じてIT担当に情報を上げることになっている。同じ時間に同じビルにいる試験監督全員(20~30人くらい)がSlackでつながっているが、次々に色々なトラブルが挙げられているのを見て、何もない私はラッキーだったと思った。

 

この日のシフトは4時間弱。ほぼ立ち仕事だったので、40代の体にはちょいときつかったが、労働したような気がしてすがすがしい気分でもあった。たまに違うことやってみるのも良い。先週、もう一つシフトが入っていたが、咳が出ていたのでキャンセル。今週は2日シフトが入っている。バイトちょっと楽しい。臨時収入もらえるし。

 

この仕事の時給は$43.38。Note-takingの仕事よりレベルが一つ上。正直Note-takingの方が価値が高い気がするが?どのようにしてレベルが決まっているのかは謎。試験監督は半日働くだけで1万5千円くらいもらえる。物価が高いといわれるオーストラリアだが、ちゃんとバイトの給料も高い。

 

やっぱり働くっていいなあ。研究も面白いけど仕事したい気がしてきた。でもオーストラリアで私ができる仕事は限られる。日本で日本語ネイティブレベル+英語が中級レベル、かつ専門分野の知識と経験があれば仕事を選べる立場。逆にオーストラリアでは、自分の強みである専門分野が英語の不完全さにより発揮できない。私の仕事は特に言葉を扱う仕事(広報に近い)なので、単にネイティブレベルで言語を操れるだけでは足りない。ネイティブの中でも特に言葉を使うことが得意じゃないとできない仕事。とてもじゃないけど私の英語が、普通のネイティブを通り越してそのレベルに達するとは思えない。

 

面白いのは、日本にいるときは英語ができる人として扱われるが、逆にオーストラリアにいると日本語ができる人として扱われる。そんなことから、もしポストが空いていれば下期に大学で日本語クラスのチューターをやってみても良いかな、と思い立った。実は「プロフェッショナルな現場で使われる日本語」という、超高度な日本語のユニット(ビジネス日本語)に興味を持った。例えば「今日」じゃなくて「本日」と言う、など、日本人でも社会人1年生で教えてもらいたいレベルの日本語。そのユニットを提供している先生にメールを送って聞いてみたら、残念ながら下期は開講されないとのこと(上級レベルの学生が少ないらしい)。でも他の日本語クラスのチューターに興味があればEoI出してみてくださいと言ってもらえた。フルタイムで会社員していた時はそんな寄り道もできなかったけど、これも学生ならではの経験かな、と。

 

本来なら自分の専門分野のクラスのチューターができたらよいのだけど、カタコト英語だと学生に迷惑をかけてしまうことになるので遠慮した。オーストラリアではアクセントは全然あっても良いのだけど、私の英語はまだまだ文法のミスが多いし、単語のバリエーションも乏しすぎる。ということで、肉体労働(試験監督)と日本語を使ったバイトをする今日この頃。

ジャーナル投稿論文、学会への参加準備など

最近忙しくて毎日があっという間に過ぎる。これではいけない。ブログに記録を残しておかねば。最近あまり書いていなかった研究関連のことをまとめて。

 

ジャーナル投稿論文

もともと今年の8月にアメリカで開催される学会(AoM)への発表申込のために、1月に40ページのフルペーパーを提出。採択率3割(らしい)という狭き門を潜り抜けて、初の正式な学会発表を控えている。

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AoMの良いところは、採択されてもされなくても、提出したフルペーパーに対して見知らぬレビュアー2名からフィードバックがもらえること。このプロセスがあるため、ほとんどの人はジャーナル投稿を前提としてAoMの準備をすると思われる。私の場合ももれなく2人のレビュワーからコメントもらえた。そのコメントを取り入れて、ペーパーの大幅な改訂を行い、ジャーナルに投稿するための論文を書いている。ちなみにAoMはAoMで提出した時点の内容で発表することが求められている。

 

このジャーナル投稿用の論文については、指導教官2人と共著の形をとる。正指導教官からなかなかOKが出なくて、だんだん飽きてきた。もちろん質は毎回良くなってきていると思うが。指導教官的に最初はTier 1だかQ1だかの質の高いジャーナルを狙いたいらしく、気合が入っている。その割に、最初からセクションエディターにリジェクトされる可能性もあるから、と常に言ってくる。

 

AoM提出のペーパーを最初に直したのが5月2日、その次に5月20日、そして6月5日。今、第4稿目。ちなみにAoMのドラフトも3回直しているが、12月27日~1月11日という年末年始を挟んで初稿から提出まで済ませたので、確かにクオリティは高くないかもしれない(今見るとひどいスケジュール…)。つまり、AoMからカウントすると、このペーパーの改訂は7稿目。どうせジャーナルに投稿してもリバイスが来るのだろうから(リジェクトでなければ)、トータル10回以上書き直すことになる可能性大。

 

第一希望として投稿するジャーナルにはいくつかのセクションがあって、セクションごとにエディターがついている。私が提出することになったのは、「企業のサステナビリティとビジネス倫理」というセクションなのだが、そこのエディターと指導教官が過去にひと悶着あったらしく、それを聞いて変に不安に。指導教官とアカデミックな視点での相性が良くない人がいるところに出したくないなあ…。知らなくて良かった情報かも。

 

学会への参加準備

7月末に日本国内での学会発表、その翌週にシアトルで開催されるAoMでの学会発表を予定している。日本国内の方は東京で2日間開催される。日本語なので気が楽。予稿集をちょいちょいと直して先月提出。参加が楽しみだ。

 

シアトルの方は不安が大きい。ハイブリッドセッションを希望していたが、結局In personでのセッションになってしまい、共著者である正副指導教官は参加できない。事務局に問い合わせしたところ、私が個人的にZoomで接続しながらハイブリッドにすることはできるらしい。幸いシアトルで午後2時~のセッションは、メルボルンは朝7時~でベストな時間だったりもする。

 

AoMは5日間にわたって開催され、1万人以上が参加する大きな学会。いくつものセッションやイベントが同時進行するらしく、最近次から次への色々な情報が送られてくる。とりあえず自分が発表する「経営における社会課題 Social Issues in Management (SIM)」という部会のDoctoral consortiumなるものに参加申し込みしてみた。こちらは完全にバーチャルでの開催で、学会開催日の中で日曜日の朝8時半から夕方4時半まで。自分の研究を他のPhD学生とシェアしてディスカッションしたり、アドバイザーの教授からコメントもらったりするらしい。他にもいくつかのセッションに参加する予定。私の普段の会話の多くは家族との日本語での会話なので、シアトル滞在中は英語で頭がパンクするだろう。日本からの参加者は少ないらしいが、日本人に会えるといいなと少し期待している。そもそもこれまでの人生で学会というものにオンライン以外で参加したことがないので、どんな感じなのか予想がつかない。

 

学会がらみで先週、宿泊するホテルについて変な出来事があった。私はAoMを通じて学生料金で学会開催場所である複数ホテルのうちの一つの部屋を早々に予約していた。4つ星ホテルで普通に泊ると1泊4万円(高!)のところが、半額の2万円(それでも高い)。6泊で24万円のところが12万円程度。費用は先日大学から獲得したアワードで全額カバーできるのでありがたい。

 

と思っていたところ、突然、SIM部会の取りまとめの先生(女性)からのメールが指導教官経由で転送されてきて、一緒にホテルの部屋をシェアしないかと持ち掛けられた。どうやらその先生と指導教官(女性)はいつもAoMに参加するときには、費用節約のためにツインの部屋をシェアしているらしい。そのこと自体にもびっくりしたが、今回指導教官がシアトルに行かないので、シェアする人が見つからず、私とシェアするのが良いというアイデアが浮かんだらしい。

 

えっ?!そもそも誰かとホテルの部屋をシェアするという考え方が私にはないし、会ったことない人ならなおさら。逆に相手はイギリスの大学で普通にフルタイムで働いているのだから、お金だって持っているでしょうに。なぜそうまでして誰かと部屋をシェアしたいのかがわからない。私はこれまで社会人で国内海外色々な場所に出張に行ったが、部屋のシェアなんて一度もしたことないし、している人を見たこともない。会社と大学はこうも違うのだろうか。私の本心は「誰とも部屋をシェアしたくありません」だったけど、それを返信に書くのも何なので、悩んだ末「私はAoM経由で学生料金で安く部屋を確保できました。部屋をシェアできる相手が見つかると良いですね。8月にお会いできるのを楽しみにしています。」とシンプルに返信。なんか、この3文のメールを返すだけなのに余計な気を使った。

 

オーストラリア企業へのフィードバックレポート

今週はずっと延び延びになっていたオーストラリア企業へのフィードバックレポートにようやく着手できた。4月にオーストラリア企業へのインタビュー結果のFindingsチャプターのドラフト第1稿が完成し、5月に指導教官からフィードバックをもらった。16,000ワードのごちゃごちゃした原稿をもっとスリム化しなくてはならず、3,000ワード程度削って、何とか形になってきたのが5月下旬。今はそれを基にフィードバックレポートを作っている。

 

内容はほぼドラフトチャプターと同じだが、無駄に理論振りかざしている部分などはカットし、その分、グラフなどのビジュアルを追加して、実務者に分かりやすいように体裁を整えている。昨日、Wordのデザインテンプレを入れてみたら一気にレポートっぽくなって満足。できれば今週中に完成させて、来週参加者に送りたいところ。

 

Interim reportなので、文法ミスはGrammerlyで直した状態で、プロのエディターに見てもらわないで出してしまおうと思う。私の英語がネイティブではないことは、インタビュー参加者全員分かっているので、そこは気が楽。通じる内容であれば問題ないだろうと判断。最終レポートはもう少しちゃんと対応したいと思っている。

 

ANZの学会への申込

12月にゴールドコーストで開催されるオーストラリア&ニュージーランドANZ)の経営学会にて、オーストラリア企業への調査結果を発表してみようと思い、今週から準備する予定。発表申込のためには、12ページ分のペーパーを提出する必要あり。日本企業の結果は日本の学会で発表して日本人からフィードバックをもらい、オーストラリア企業の結果はANZの学会で発表して、オーストラリア人からフィードバックをもらおうと目論んでいる。ちなみに国際学会であるAoMでは、データを基に作った理論的なモデルを発表する予定。

 

3年目にしてやっと色々な活動ができるようになった。私の学生ビザや保険は2024年10月まであるし、大学のコースも2023年8月終了(3年6か月)が標準なんだけど、仕事に戻るために博士課程を数か月前倒しして進めている状態。研究生活をもっと楽しみたいと思う一方で、最近はそろそろ実務の最前線に戻りたいという気もし始めている。

5月末の週末に近くの国立公園に出かけたときの写真(遠くにメルボルンのシティが見える)

 

子供の行事で忙しい日々

この数週間、忙しすぎて一週間があっという間に過ぎていった。コロナ規制がない通常の生活ってこんなに色々なことが次々にあるのか!という発見。とにかく2人の小学生の息子たち関連でほぼ毎日何かがある。現在、子供たちの学校は1年を4学期に分けたうちの2学期目。2学期はなぜか行事が多く、毎週何かしらの行事がある。その中から印象に残っていることをいくつか。

 

長男のクロスカントリー

3kmという中距離レースで、トラックではなく野山を走るレースをクロスカントリーというらしい。オーストラリアの子供たちにとっては冬のスポーツの定番のようだ。2020年はロックダウンで何もなく、2021年はロックダウンとロックダウンの合間で予選のみ行われた。長男は学年で(おそらく)一番小柄だけど、足はまあまあ速い。短距離も長距離でも学年で3番目くらい。昨年も学校から選抜され、地区のレースに出た。地区レースでは6~7の小学校が集まって各学年100名以上が走るが、10位以内に入ることができれば次のステップである広域のレースに出られる。昨年は12位だか13位だかで惜しくも落選。それが悔しくて、今年は地区レースで絶対に10位以内に入る、というのを目標にし、近所に住んでいる1学年下のオージーの男の子と家の周りを走って自主トレしていた。

 

多分、オーストラリアの学校関連の行事は皆そうだと思うけど、普通に平日に行われる。つまり地区レースや広域レースに選ばれれば、その子供たちは授業をさぼって走りに行けるというインセンティブ?がある。地区レースの会場は自宅から車で20分くらいのところにある公園。子供たちは学校からバスで。レースに出ない子は学校で留守番。

 

昨年はレース自体にあまり興味がなく観に行かなかったが、今年は本人がずいぶん張り切っているのと、もうオーストラリア生活での最後になるだろうから、ということで夫と2人で朝から観に行ってみた。最初スタート切った時は後ろの方だったが、最終的に8位でゴールし次のステップに行けることに。ちなみに6年生で1位になったのは長男の親友。スポーツ万能な友達。通っている小学校から6年生男子で広域レースに出られるのはその子と長男の2人。6年生女子、5年生女子でも1位や2位でフィニッシュする子が多く、小規模な学校ながら総合成績は2位、ハンディキャップ(中小規模学校)を考慮したら総合1位を取っていた。ちなみに自主トレを一緒にしていた5年生の友達も10位以内に入れたようだ。日本語バイリンガル小学校がまさかスポーツも得意だったとは!私はもう一度楽しませてもらう機会が来た。

寒いけど気持ちよく晴れた日に開催されたクロスカントリーの地区大会

今回、子供のスポーツを応援する楽しさを始めて知った。こんな気分なんだ。私の弟は高校生の時にラグビーが強い地元の県立高校に入って、花園(全国大会)に出場することができた。当時母もフルタイムで仕事をしていたが、姉の私から見るとちょっと引くくらい応援に熱中していたことを思い出す。

 

長男の眼鏡破損とシューズ購入

とにかくアクティブな長男なので何かと色々なものを壊したりダメにする。最近、眼鏡が壊れた。学校の休み時間にボール遊びをしているとき、友達と言い合いになり、相手が足を引っかけてきて、長男が転び、眼鏡が吹っ飛んでフレームが割れた、とのこと。メルボルンに来て長男の眼鏡を買うのは3回目。フレームを壊すのは2回目。頼むわ。。近所の眼鏡屋さんに行ったら、顧客データをパソコンで調べて、店主が一言「君たち、僕のところで眼鏡を作るのは3回目だね…!」。まあ普通、2年の間に3回も眼鏡作らないよね。

 

長男は視力が低いためレンズが高く、レンズだけで300ドルくらい。今回はフレームの破損なので、何とかレンズはそのまま使いたい、と思っていたところ、メーカーに問い合わせたら運よく最後の1本が残っていたとのこと。助かった。ちょうどモデルチェンジした後で、「君たちはラッキーだ」と言われたけど、まあ複雑な気分でもある。フレーム交換だけで80ドルで済んだ。「85ドルのところを80ドルに負けといたからね!」と言われたので「Thank you!」と答えたら、内容を理解していないと思われたのか、また「85ドルのところを80ドルにまけといたからね!」と同じセリフを言われた。「5ドルのディスカウント、ありがとうございます」と言ったら、満足そうだった。

 

何かと金がかかる長男。先週末にはレース用に靴も新調。地区レースのときはスケッチャーズのスニーカーを履いていたが、やたらと消耗が激しい。2か月ほど前におろしたての靴なのに、もう何年も履いているかのようなボロボロ具合。毎日どんだけ運動しているんだか。この靴でレースをするのは可哀そうかな、という気もして、奮発してアシックスの靴を買うことに。オーストラリアではアシックスは高級ブランド?アスリートやスポーツ愛好家が好むブランドで、ナイキやアディダスなんかよりも靴の性能は優れている分、値段も高い。アシックスの直営店を調べたら、シティに1軒とシティ近くにアウトレットが1軒。アウトレットの方に行くことにした。

 

シティからヤラ川を挟んで反対側にある、比較的新しく開発されたエリアにアウトレットモールがあった。日曜日の午後だったので混んでいた。アシックスで好みの靴が見つかって購入。定価100ドルが70ドルになっていた。キッズ向けトレイルランニング用のシューズで、ソールがしっかりしているから、クロスカントリーにもちょうど良いし、激しい動きをする長男にぴったり。でも子供のスニーカーで70ドルは高い…。せめて半年は履いてほしいところ。ちなみに大人のスニーカーのコーナーも見たがほとんどが200ドル以上。でもお店は混んでいてよく売れているようだった。

 

買い物を終えてふらっとしていたら、なんと長男の友達家族にばったりあった。住んでいるところから結構離れているのに、こんなところで会うってすごい偶然!この友達は2020年のロックダウン中に偶然公園で会うようになって仲良くなった家族。長男がメルボルンに来て最初に仲良くなった友達でもある。ちなみに4人きょうだいで、下から2番目の子は次男と同じクラスになったこともあり、家族ぐるみでの付き合いをしている。最初、ヤラ川沿いでおしゃべりしていたけど、川沿いにパブやらレストランやらが並んでいるから、ビール飲もうということになった。お互いの家で食事をしたことはあるけど、外で一緒の飲むのは初めて。新鮮だった。

 

そのうち、友達のお父さんのご両親まで合流。アイルランドから35年前に子供を7人連れて移住してきたという話を聞いた。16歳の時に英国空軍にメカニックとして入隊。アイルランドで出会った奥さん(長男の友達から見るとおばあちゃん)はまさかメルボルンに住むとは思わなかったとのこと。英語が通じるとはいえ、異国で立派に育て上げたことがすごいと思う。やっぱり移民1世はバイタリティがある人が多い。オーストラリアで出会う60代、70代の人の人生話は面白い。大抵どこかの国から移住してきている。それぞれのライフヒストリーが世界の歴史やオーストラリアの歴史とリンクしているようで、聞いていて飽きない。

 

アウトレットモールの裏側はヤラ川、東京の隅田川沿いを思い出す風景

 

次男の社会見学

次男にも行事があって、2週間前にはMelbourne Museumに社会見学。こういう行事がオーストラリアの学校にもあるんだ、と今更わかった。過去2年は本当に何もない、グレーな日々だった。

 

小学校の授業参観

今週は授業参観。時間があまりなかったので、急ぎ足で子供2人のクラスを見学。2年生の次男は日本語の授業で得意げだった。Wearという英語が日本語では、身につけるものによって、着る、履く、かぶる、巻く、など違う言い方になるというのを学んでいて、結構難しい内容だと思った。日本語の授業の見学では、もちろんローカルのオーストラリア人の親も来ていて、親が全く知らない言語を子供が習得しているのがどう見えるんだろう、と不思議でもあった。

 

6年生の長男は英語の授業。レベルによって分かれたグループごとにそれぞれのワーク。一番英語レベルが低い長男のグループでは、4人の生徒が先生を囲んで輪になって床に座り、音読をしていた。驚いたのは、他の子供たちもグループごとに別のことをしている。長男の仲良しの友達2人がちょうど近くにいたので覗いてみたら、パソコンで算数のアセスメントをしていた。英語の授業で算数をやるのか、と驚き。もちろん先生の指示に従って進めている課題。また別の子供たちは、長男が読んでいる本とは別のワークブックを各自進めていた。こういうのはバイリンガルスクールならではなのか、それともオーストラリアの小学校の標準なのかは分からないが、同じクラスにいるからといって、同時に同じことを学ぶわけではないというのが新鮮だった。

 

補習校(土曜校)関連

日本語補習校は日本の学期に合わせて4月から新学年になるので、学期の最初の4月~5月は係決めやクラス会などが多い。提出物も多く、地味に時間を取られる。現地校は大抵オンラインで済ませられるのに、土曜校にはコロナ禍を経てもまだ紙文化が残っている。変なところで日本の特徴出さないでくれ。試しに長男次男それぞれの担任に、記入した提出物をPDF化してメールで送ってみたら、1人の先生はこれでOK、もう1人の先生は「原本を出してください」とのこと。捺印もサインもしないような提出物なのになぜ原本が必要?紙で保管したいのであれば、PDFを学校のプリンターで出力すればよいだけだと思うが?私ってめんどくさい親になってるだろうか。子供に家族の個人情報と子供のプライバシー情報が書かれた紙を渡したくない。子供が途中で無くすリスクが高いので、嫌なんだけど…。

 

あと各種支払いも現地校のようにオンライン決済や振り込みではなく、現金払いが好きな土曜校。今日も写真撮影のために14ドルという微妙な現金が必要で、普段現金をほとんど使わないから、私も夫も10ドル札や5ドル札を持ち合わせていなかった。いつもより早く、7時前から弁当を作って朝食も済ませた上で、朝7時半から開いているパン屋にわざわざ出かけて、20ドル紙幣を使って現金で支払い、お釣りをもらってきた。何なんだろうな、この紙と現金文化は。誰のためにこんなことやっているんだか。日本に帰ったらこういうのにうんざりしそう。モンスターペアレントにならないように気を付けなければ。

 

最後は愚痴になってしまった。なんか子供関連のあれこれをフォローしていると、あっという間に時間が過ぎる。2人でもこんなに予定の把握や予定に合わせた準備、書類の提出や支払いなどが大変だから、4人子供がいる友達は一体どうやっているのだろう、と思ってしまう。これ普通に事務仕事として回すレベルだよ、と思う今日この頃。

 

そんな中、最近大学でバイトを始めた。自分の研究は大丈夫か?最後の年だからといって色々欲張り過ぎているような気もするが、過去2年のグレーな生活からの反動で色々と経験してみたい気持ちが大きい。

2022年秋の旅行②、Warrnambool

前回の旅行記の続き。

 

fourty.hatenablog.com

 

友人家族と3日目の昼に別れた後、帰路につく。帰りは途中で1泊する計画。たまたま宿が空いていたWarrnamboolに。友人の旦那さん(オージー)にWarrnamboolに泊ることを言ったら、「グレートオーシャンロードの始まりだね」と言った。そうか、アデレードから見ると始まり。メルボルンから見ると終わりの街。Warrnamboolは中規模の街。150年以上前から人が住んでいて街には19世紀からの古い建物がたくさん残っていた。

 

ここでもホリデーパークに宿泊。今回は部屋がいくつか空いていたので、グレードの高いキャビンを予約。フルキッチンもついていて、1泊ではもったいないくらいだった。Warrnamboolには5時ごろに到着。もう暗くなる時間だったので外食に。日本食の店があったので、そこに行ってみたがなんと満席。嫌な予感。案の定、いくつか目星をつけていた店を順にめぐっても満席と言われた。最悪スーパーで買ってきたものをキャビンで食べることになるかな、と思っていたころ、4軒目で席があった。スクホリ中、観光地の飲食店はすぐに満員になるので注意が必要。

 

めずらしくメキシカン。全部美味しくて当たりだった。Warrnamboolにはなぜかメキシコ料理が多い。中南米からの移民が多いのだろうか?

 

キャビンに戻って就寝。翌日、Warrnamboolの公園で遊んだ。海の近くに大きな湖があって、そこでボート貸し出しをしていた。暇だったので2人ずつに分かれてボートに。広大な湖に誰もいなくて、自分たちだけの貸し切りのようだった。今まで日本国内の色々な公園でボートを漕いできたが、間違いなく今回が最高のボート体験。30分があっという間。私たちのボートの他にはブラックスワンが泳いでいた。

 

この公園は遊具も充実していて、また遊びに来たいくらいだった。でもやっぱりメルボルンからだと少し遠いかな。昼は無難にハングリージャックスでワッパーを食べて帰路。3泊4日という短い旅行だったが、まあまあ楽しめた。やっぱり旅行は最高。7月のスクホリはシドニーに、9月のスクホリはエアーズロックに行く予定!

 

帰りは300キロ未満でオーストラリアでは短距離のドライブ、東京から浜松くらい

 

2022年秋の旅行①、南オーストラリア州Robe

4月下旬、子供たちの秋休みに3泊4日の旅行に行ったので、その時の記録。1年ぶりにアデレードに住む友人家族と会う予定にしていた。当初、メルボルンに遊びに来るという話もあったが、計画段階でコロナの感染者数が高かったメルボルンアデレードから来るのはリスクが高いということで、また中間地点で会うことに。友人家族はGrampiansに行きたがっていたが、計画が少し遅れてHoliday parkがいっぱいに。Victoria州の人口は多いので、海外や州外に行きにくい時には州内の観光地がすぐに満員になる。結局、アデレード寄りのRobeという田舎のビーチタウンのホリデーパークに行くことになった。

 

メルボルンからローブまでは520キロ以上。東京から大阪までより少し長い。往きは途中で泊まらずに一発で行くことに。

 

家を9時前に出て、到着したのは16時過ぎ。まさに一日ドライブ…。疲れるけどロードトリップを何度もしているので、大人も子供も慣れてきた。しかもこのルートを通るのはすでに3回目。1度目は2021年夏のMount Gambier旅行(南オーストラリア州)、2度目は2021年秋のAdelaide旅行(南オーストラリア州)。友達と会うために南オーストラリア州ばかり行っている私たち。

初日のランチは田舎のベーカリーでお決まりのパイ

到着した日は夕暮れだったので街に1軒だけあるスーパーでお肉や野菜を買ってキャビンで調理。友人の長男は私の長男と同い年で0歳の時から毎年会っている親戚のような存在。私たちのキャビンが子供部屋、友人たちのキャビンが大人部屋で夕食後数時間それぞれの時間を過ごす。家族だけで旅行する場合と比べて、他の子連れ家族と旅行すると大人だけの時間を楽しめるのが良い。

 

2日目は朝からホリデーパーク内のプレイグラウンドに。さらに敷地内のプール。公園とプールで遊ぶために500キロ運転してきた。そういえば、今回のキャビンはバスルームが共同だったが、朝シャワーを浴びようとしたらお湯が貯湯式のようですでに切れていた。仕方ないので水でさっとシャワーをしてシャンプーで頭を洗った。外の気温が10度前後でそんなことしていたのは私だけ、家族にも友人にも驚かれた。

ホリデーパークには必ずと言っていいほどあるジャンピングピロー

室内温水プールがあったので子供たち大喜び

午前中みっちり遊んだ後は歩いて1分のビーチまで。友人の旦那さんが街でFish and chipsを買ってきてくれたのでビーチにシートを敷いてランチ。

天気が良くて海がエメラルドグリーンだった

午後はまたホリデーパーク内で遊ぶ。観光というものをしていない。長男と次男が秋休み中に参加したホリデープログラムでもらったバルーンアートのセットを使ってバルーンアートづくり。そのうちキャビンの前で商売し始めた。スクールホリデー中のホリデーパークには子連れがたくさん。暇な子供たちが集まってくる。バルーンアートを作ってあげたら、お礼にクッキーやらキャンディーやらをもらって物々交換が始まっていた。数十個持ってきた風船を全部使いきった。

 

夕食はまたスーパーに行って買い出し。米を持参していたので、米を炊いてレトルトのインドカレーを食べた。ちなみに友人はホリデーパークに泊るときいつも炊飯器を持参する。私は旅行中は鍋で米を炊くが、今回は友人の炊飯器があるので楽々だった。

 

3日目は少しだけRobeの街を観光。といっても何か特別なものがあるわけでもない。ぶらぶら歩いて、駄菓子屋のようなところでお菓子を買った。

 

Robeの街のかわいいアイスクリームショップ兼駄菓子屋さん

真剣にお菓子を選んでいる子供たち

10分あれば端から端まで行けてしまう小さな街を散策した後は、少し早めのランチ。ロブスター屋さんに。生きたロブスターを買うことができるお店。旅行メンバーの中に誰もロブスターをさばける人がいないので、茹でてあるロブスターを購入。追加料金を支払うとすぐに食べられるように盛り付けしてくれる。

ロブスターは重さによって値段が違う

65ドルくらいの大きめなロブスターを買ってみんなでシェア

ロブスターはカニのような味。甘くておいしかった。高級食品なので普段は食べることが無い。こういう旅行の時には思い出になって良い。日本に帰ったら日本海側に旅行してカニを食べに行きたいなあ…。昔、城崎温泉で食べたカニがすごくおいしかった。

ロブスターの後は別のビーチに。ここは岩場があって子供たちをワクワクさせていた。この後、友人家族とはお別れ。今回は2泊3日なのであっという間だった。私たちがメルボルンにいるうちにあと1回は会いたいね、と話す。

 

つづく