40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

留学に対する周りの反応

 今週は仕事が辛いWeekだったので、ようやく終わってホッとした。何が大変だったかというと、グローバル関連の会議が多かったこと。火曜日、水曜日、木曜日の3日間、日本の本社に世界各地のグループ会社から人が来て多くの会議が開催され、私の分野でもその流れを受けていくつかの会議が設定されていた。ここ数週間はこれら会議に向けての準備をしていた。

 

その中でも火曜日の午前中に比較的大きな会議で、役員や本部長といった日本人や外国人の偉い人を前に英語でプレゼンをしなくてはならなかったことが一番気が重かった。当日の早朝5時になりようやくカンペを作り、カッコ悪いけど紙をちらちらと見ながら話して何とか乗り切った。そしてその日の夜、アメリカ法人の役員の人が私のためにお別れディナーをしてくれた。そのこと自体は貴重な機会でとてもありがたかったけれど、朝から夜まで英語漬けはやっぱり疲れる。

 

水曜日と木曜日はもう少し実務者レベルでの会議。昼ごはんも海外の人と行くため、ほぼ1日ずっと英語を話していた。そして水曜日に実務者のみんなとのお別れディナーも設定してもらえたので、2日連続で会食。そして、金曜日になってようやく通常業務にもどったが、午後は研究会に参加する予定があった。その夜は別のメンバーが壮行会を開いてくれた。平日5日のうち3日も飲み会。。嬉しい悲鳴だけど40代の身体に疲労が蓄積した。そんなこんなで、日常会う人とは違う人と過ごす1週間だったが、改めて今回の留学についていろいろなコメントをもらえたので、記しておこうと思う。

 

※以前、休職が発表された時の周りの反応は以下の記事に。

fourty.hatenablog.com

 

まず、2年ほど一緒に仕事をしてきたシンガポール支社の担当者(女性)の反応。「すごく良いこと!おめでとう!このチャンスを絶対活かしてほしい。素晴らしい!!私も興奮してきた!あなたを誇りに思う!」といったとてもポジティブなコメント。彼女は私よりも年上で20代の娘がいながら、仕事もバリバリこなし、つい数か月前まで大学院の講座を受けていたよう。特徴的だな、と思ったのは、大学院に行って学位を取得することがキャリアアップになる、という考え方。彼女から「休職から戻ってきたら、今よりも上のポジションにつけるんでしょ?」という質問をされて、「そんなことはないと思う」と答えたら驚かれた。上昇志向が強いシンガポールがそうなのか他の外国もそうなのかわからないけど、高い学位を持っていることは、仕事を得るうえで大きなアドバンテージになるよう。日本では社会学の博士号を持っていても、会社では特に評価されず、むしろ「3年も悠長に休職した人」というような風にみられると思う。(そのこと自体について特に何も思うことはないけど)

 

次にアメリカ人の役員。彼女も女性だけど、会食の時に「いつから行くのか、どこの大学に行くのか?何を勉強するのか?」と質問攻めに。思わず「Is this an interview?」と聞いてしまった。聞かれたことに答えたら、その役員からは「あなたが勉強しようと思っているテーマは会社にとっても重要なテーマであるから、ぜひ会社に戻ってきてその知識を生かしてほしい」と言ってもらえた。あとは子どもの教育についても興味を持っていて、「子どもたちはびっくりするくらい早くに語学を習得するから、心配しなくて大丈夫」と。彼女のお母さん、お父さんは東欧から米国に移住しており、彼女自身はアメリカで生まれたけど、家では父母の母国語を使っていたとのこと。Tree of Knowledgeという名のギフトを頂戴し、これを見るたびに私たちのことを思い出してね、と言われた。

 

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ハンドメイドのグラスのオブジェ Tree of Knowledge

そして金曜日の午後の研究会にて。とある国立大学の教授が週末に開催している有志の研究会にプライベートで3年ほど参加しており、金曜日の研究会はそれとは別の会だが、開催しているのは同じ教授。最初は自分の勉強のため、会社以外のネットワークを作るために参加し始めた有志の研究会だが、だんだん面白さに目覚めていって、私が博士課程に進みたいと思うことになった一つのきっかけになった。その先生に「実は1月から休職して海外の大学院に留学します」と伝えたところ、驚いていた。どこの国?どの大学?という質問に対して、大学名を答えたら「あそこは良い大学だね」と言ってもらえてうれしかった。日本人にはほとんど知られていない大学だけど、やっぱり大学の人達は知っているようだ。その先生とは別の私と同い年くらいの先生は、「その大学の先生とちょうど今、共同研究していて3月に打ち合わせでメルボルンに行く予定」とも。何かと縁がある。

 

そんな会話をしながら、国立大学の教授からちょっと怖いことを言われた。「海外の大学院で博士号をとるのは大変だよ~。〇〇さん、うちの大学にすればよかったのに」と。一緒にいた別の教授からも「日本人だから、とかではなく、現地の学生も博士号をとるのにはすごく苦労しているから、日本人が3年でとるのは結構難しいと思う」と。その先生は別オーストラリアの大学でMBAをとっているので、状況を知っているようだ。大学の教授たちから一斉にそういうコメントをもらって、正直かなり不安な気持ちになった。私を脅すメリットは彼らにないわけなので、ある程度本当のことなんだと思う。。

 

その話を聞いた後、色々と考えたこと。日本の大学で博士号をとるよりも、海外の大学で博士号をとることは、難易度が数段高いのは事実だろう。では、少しでも博士号取得の確度が増す日本の大学(できればその先生がいる国立大学)の博士課程に行った方が良いのだろうか? それは私の目的とは少し異なる。日本の大学で日本の先生に指導してもらって、日本語の論文を書くことよりも、海外の大学で、日本人ではない先生に指導を受けて、英語で論文を書くことの方が、自分にとって挑戦のし甲斐がある。私自身、修士のときに辛い思いをしていて、それよりも博士は数倍大変であることは予想できるが、その分得るものも大きいということも確信できる。精一杯やった結果、仮に博士号が取れなくても、その経験を通じて得るものは依然大きいはずなので、この道に進んで後悔はしない。以前も書いたように、私にとって博士号をとること自体が最終目的ではないこともこの考え方に影響していると思う。

 

じゃあ大学院に行って何をしたいのか?今回思ったのは、興味を持っているテーマを集中的に研究したいという純粋な気持ちが大きいけれど、他にも、研究を通じてわかったことを英文ジャーナルに投稿し、同じような課題を感じているであろう多くの人に読んでもらいたい、ということが野望としてあることに気が付いた。留学に対する教授陣からの反応で、自分のよりクリアな気持ちに気づくことができた。最後にその教授からは「でも何となく、〇〇さんなら大丈夫な気もするけどね」と言ってもらえた。私が不安そうにしていたのでフォローだったのかもしれないけど。とにかく甘くはない、ということを肝に銘じて?自分ができる限り精一杯頑張って、そこで得られたものを次につなげていけばよいんだ、と気を新たにした。