40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

外資系企業に転職 面接編

転職ブログの続き。

前回までのあらすじ。

 

LinkedInで求人を見つける(エージェントではなく募集企業のもの)

Applyボタンを押す

企業の人事担当者からメール、履歴書/CV送付依頼あり

メールで英語のCVを送付

オンライン面談の連絡あり

fourty.hatenablog.com

 

仕事のオファーレターをもらうまで、合計3回の面接/面談があった。最初の2回はオンライン、最後はオフィスでin person。3回目はほぼ顔合わせ的な感じで、選考は最初の2回の面接で終わっていたと思う。そして1回目の面接が一番きつかった。

 

面接1回目

人事担当者とメールでやり取りし、人事マネージャーとオンラインで面接することに。日程を調整していざZoom(だったかな)。テレワークの日、早めに切り上げて確か17時から自宅で実施。面談と言われていたから、なぜか軽い気持ちで、何の準備もなく臨んだ私。開始1秒で後悔。

 

まず最初。面談ときいていたけど普通に採用面接だった。それはまだ想定内。想定外はZoomを開いた途端、「Can you hear me?」とネイティブ英語が聞こえてきたこと。それまでのメールは全部日本語だったし、面接官の名前はSuzukiさん(ちなみにこれはブログ用に仮名。でもそれくらい日本人の典型的な苗字だった)。画面の向こうに見える相手はアジア系の女性だったけど、明らかに日本人が話す英語ではない英語で話してきた。脳内プチパニック。

 

あ、これ英語面接なんだ、と分かった時にはすでに面接が始まっていた。お決まりの自己紹介から。英語の採用面接で自己紹介したことない。どれくらいの長さで話せばよいのかも分からず、とりあえず自分のキャリアを簡単に説明(何話したかあまり覚えていない)。その後も比較的スタンダードな質問をいくつかされた(求人に応募した理由、強みと弱み、これまで大変だったこととそれをどう乗り越えたか、など)。

 

途中で、ひょっとしてこの人、オーストラリア人かもしれない、と思った。英語が聞き取りやすい。あと面接官も自宅から面接していて、途中でその人の子供が部屋に入ってきたとき、英語で「今仕事中だから、後にして」みたいなことを言った。子供に英語で話しかけるということは、英語ができる日本人ではなく、日本にいる外国人である可能性が大。いやあ、Suzukiという苗字にやられた。あとから聞いたところによると、やはり彼女はオーストラリア人で、シドニー出身だった。なんか嬉しい。

 

面接では結構厳しいこともたくさん聞かれた。例えば「あなたのこれまでのキャリアで取り扱っていた製品とこの会社の製品は全然違う。こちらは商品サイクルが早いこともあり意思決定がとても早い。そんな仕事にあなたはついてこれますか?」とか「16年も同じ会社にいて、他の会社のことを全然知らないのに、新しい会社で新しい文化の中でやっていけると思いますか?」とか。ちょっと意地悪な感じ?でも英語で聞かれているせいで、自分もオーストラリアモード(英語戦闘モード)になれる。全部言い返した。

 

1時間の面接が終わってどっと疲れた。きっとほとんどこのSuzukiの関門が通らず、落とされるのでは?ベースとなる英語力は必要(相手は日本語を一切話さないし、まずネイティブスピードの英語を理解できないとコミュニケーションができない)。その上で、欧米的な?質問をどんどんされる。オーストラリアで3年間留学していてよかったと思った。指導教官との英語での議論に鍛えられていたから。

 

面接2回目

Suzukiとの面接は正直どういう出来栄えかわからなかったが、2回目の面接の案内が来た。次はSuzukiの上司(人事責任者)と自分の上司となる人との面接。この面接にはお題が与えられた。A4の紙1枚に書かれたビジネスケース。このお題を解くためのプレゼンを10分でせよ、とのこと。スライドは英語で5枚まで。プレゼンは日英両方で、というオーダーだった。次は騙されないぞ。週末に5枚のプレゼンを作って、ノートも英語で作った。面接の直前に数回練習。これで大丈夫。

 

2回目の面接は2人とも日本人だった(そして2人とも女性)。最初から日本語。日本語だから随分気が楽だった。思っていることをそのまま話すだけ。最初10分くらい話してから、それではプレゼンをお願いします、と言われた。それまでずっと日本語で話していたので、「英語でした方が良いですか?日本語ですか?」と聞いたら、どちらでも良いと。それじゃあ、日本語で、と日本語を選んだ私。

 

プレゼンの資料もノートも英語で作っているので、ノート見ながら脳内翻訳。これはこれで難しかった。日本語が拙い日本人になってしまったが、英語の方がうまく出来たかと言うと分からない。とにかくプレゼンは7分くらいで終わって、いくつか質疑。これも日本語。母国語最高。この面接では素の自分で色々質問したり、質問されたり。

 

レファレンス

2回目の面接をクリアした後、レファレンスを求められた。外資系の日本法人だけど、日本企業ではおそらくほぼ求められないので、その辺は外国だなと。日本語か英語ができる人で2人と言われた。現職の関係者には聞けないし、現職には16年間も在籍していたから、その前になると遥か昔になってしまう。大学時代の人でも良いか確認してから、指導教官とPhDの同僚の2人に依頼。

 

その2人のプライベートなメールアドレスと電話番号を教えろと言ってきた。2人ともプライベートのメールアドレスは知らないので、メールでレフェリーになってくれるかどうかを聞いて、承諾してもらってから連絡先を伝えた。結果、電話で15分ほど確認があった模様。最初に面接したSuzukiがクリスマス前にシドニーに帰省していて、シドニーからメルボルンにいる2人にかけたみたい。なんか面白い。つくづく人間関係大事。

 

面接3回目

レファレンスチェックも済み、ほぼ合格しただろうなというタイミングで、一度オフィスに来ませんか、と言われた。これは面接と言うより面談。現職のピッカピカのセキュリティ万全な最新オフィスと比べると、なんか中小企業の集まりみたいなビルだった。大阪駅前ビルに入っていた最初の会社を思い出す。外資系って響きはかっこいいけど、日本の拠点は中小企業みたいな感じだよな、と思った。それが却ってアットホームで心地よくもある。

 

面談はリラックスした雰囲気で進んだ。Suzukiとの面接でも聞かれたが、Salary expectationは?というのが外資系っぽい。Suzukiの時には特に答えを準備していなかったが、今回は今の年収を最低ラインとして答えた。結果、留学前の人生最高年収の水準+アルファを提示され、今よりも年3~4百万円くらい?のアップ。留学したせいで降格をした現職よりも私を高く評価してくれたのが嬉しかった。(実はその後、現職からも昇進の話を聞き、決して低く評価されていたわけではないことを知り複雑な気持ちになるのだが)

 

いわゆる「転職活動」を熱心にしていたわけではなく、面白そうだな、と思う求人にApplyしてみたら、話がどんどん進んで決まったというのが実態。オファーレターをもらったのはクリスマスの日だった。2日以内に回答せよ、と言われて回答。もう考える余裕もなかったし、それが良かったのかな。こんな感じであさってから新しい仕事が始まる。

 

あ、そういえば、外資系転職で面白いと思ったのは、年齢や性別を聞かれなかったこと。入社することが決まって初めて個人情報をおくる。この辺も日本企業との大きな違いかも。

このブログは近所のコメダで書いている