40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

オーストラリア現地企業からのお誘い

先週の火曜日、突然仕事をオファーされるという驚きの出来事があった。まだ答えは出していなくて、悩んでいる最中。

 

ことの経緯は昨年に遡る。私は博士課程の研究のために、ちょうど1年前、オーストラリアにある大企業10社のマネージャーや責任者にZoomでインタビューをしていた。当初、コネなしで公開されているメールアドレスに研究参加依頼のメールを送り、返信をくれた人にインタビューを行っていたら、そのうちの一人が私の研究内容に興味を持ってくれて、全く別の業界のA社(Mさん)を紹介してくれた。A社はもともと調査のスコープに入っていなかったが、企業規模や条件をクリアしていたので指導教官への相談を経てインタビュー。

 

その結果を博論のチャプターにまとめるのとは別に、参加者用にレポートを作成し、送付したのが今年の6月。Mさんが数か月前にA社からC社に転職していることをLinkedInで知り、LinkedIn経由でメッセージを送って、Mさんに無事レポートを送付したところ、Mさんのチームミーティングで内容をシェアすることになった。その時の記事は以下。ちなみにC社はイギリスに本社があるコンサル会社。

 

fourty.hatenablog.com

 

この会議に参加していたMさんの上司のSさん(C社のアジア大洋州の責任者)が鋭い質問をいくつか投げかけてきた上、C社が実務者向けに開催するカンファレンスでプレゼンしたいかどうかを聞いてきた。その後、メールのやり取りをしていて一度会うことに。それが先週の火曜日。

写真のビルに会社のオフィスがある。安定の曇天メルボルン

オンラインでも良かったけど、せっかくメルボルンにいるのだからと、シティの近くのオフィスまで電車に乗って向かった。オフィスはいたって普通。近くのカフェにSさんとMさんと3人で行って、コーヒーをごちそうになった。カンファレンスのことを話すのかな、と思っていたら、Sさんが開口一番「きみは博士課程が終わったら何をするつもり?うちで働くことに興味はある?」と聞いてきた。突然すぎて、上手く答えられず、とりあえず日本の会社を休職中なので博士論文を提出した後は日本に帰国予定であることを伝えた。

 

その後、1時間程度、私の過去の仕事のことやその会社の業務内容、募集しているポジションについてや業界の動向などについて話をした。ちなみにSさんは明らかにブリティッシュアクセントだったので、イギリス人ですか?と聞いてみたら当たりだった。私にとっては慣れないブリティッシュアクセントを聞き取るのが結構大変だった。

 

募集中のポジションは2つあって、一つはメルボルン、もう一つはシンガポールで募集がかかっているが、2つをまたがる仕事をしても良いし、拠点も特にこだわりがないとのこと。学生ビザについて話したら、メルボルンに住み続けたいならビザのサポートもできる、会社は意外と大きくて、グループ全体だとグローバル2,000人、オーストラリアで500人の従業員がいるから、アドミン関係もしっかりしているよ、とのこと。迷っているなら博士論文を提出するまでの間、パートタイムで働いてもいいし、とまで言われた。

 

募集中のメルボルンのポジションは、オーストラリアとニュージーランド企業向けのコンサルであり、当たり前だが日本語を全く使う機会がなく、英語を当たり前に話すことが求められている。日常会話ができれば良いのではなく、コンサルタントとして英語力を含む高いコミュニケーション能力が求められる。

 

そんな仕事が自分に務まるはずがないと思って「英語の問題があるので、その仕事に私が就いてもうまくいくかわかりませんよ」と言ってみたが、Mさんが「そんな心配はいらない。ぼくももともと英語ネイティブじゃないから大丈夫」と流ちょうな英語で言う。Mさんはスペイン出身。すかさずSさんも「私だってオーストラリア人じゃない。ここにいる3人みんなオーストラリア人じゃないね(笑)」と。インターナショナルな環境であることは分かった。私は仕事の内容自体には不安はないけど、とにかく英語力が不安すぎる。もう一つのシンガポールのポジションについては、アジア(の国の一つである日本)で働いたことがあるというバックグラウンドは多少役に立ちそう。とはいえ、日本人を相手にするわけではなく、あくまで英語で仕事をするポジション。「考えを整理するために少し時間をください」と言ってその場は終わった。

 

その日は仕事が手につかず。次の日は指導教官とのミーティング。このミーティングで前回惨敗したDiscussionの章のOutlineに合格が出たので、最後にちらっと情報共有。特に反応なし。

ミーティングの後は気持ちを落ち着かせるために独りラーメン

週5でレッスンを受けているCamblyの先生たちにも本件について情報共有。Camblyの先生たち(アメリカ人2人、オーストラリア人1人)はそれぞれCongratulations!と言ってくれ、経験を踏まえて有益かつ興味深いアドバイスをしてくれた。ありがたい。他にもPhD仲間に相談したり、偶然会うことになったメルボルン現地企業で働く日本人の知り合いに話を聞いたり、スクホリ中ということでたまたま予定していた次男のPlaydateでローカルのママ友に相談したりもした。1週間のうちに本当に色々な人から色々な観点でのアドバイスをもらって参考になった。共通するのは、現地での経験がない外国人がオーストラリアで仕事を得るのは簡単ではないことから、このチャンスを逃さない方が良いというもの。相談した6人中、日本人は1人で、彼女もオーストラリアに長く暮らしているため、日本に住む日本人の意見はまた別になるかもしれない。

 

もちろん家族にもすぐに相談。当たり前だが、就職活動していたわけではないのでびっくりされた。ありがたいことに、オーストラリアに残っても日本に戻ってもどちらでも良いという。子供たちにとってはもはやこのままオーストラリアに残る方が自然だろう。夫はずっとオーストラリアに住むつもりはないが、あと何年かは住んでも良いとのこと。私が気にしていることは、①休職している会社をそのまま退職するのは無責任に感じること(約束が違う) ②家族を養う立場で、安定した日本の大企業の仕事を辞め、不安定な雇用のオーストラリア企業に飛び込むこと ③英語でローカル企業向けにノンネイティブの自分がコンサルの仕事をするのはチャレンジングすぎること の3点。

 

一方、オーストラリアで自分のしたい分野の仕事をするのは20代の頃からの夢(目標ではなく、あくまでぼんやりとした夢想)としてあって、今回の出来事でそれを思い出してしまった。

 

私の領域は、20年前には仕事そのものがほとんどなかった。アデレードの大学で修士修了後、オーストラリアに残りたかったが、自分の興味がない仕事をしてまでオーストラリアに住みたい訳ではなかった。自分のやりたい仕事をするために、母国語を使える日本に帰国した。新卒採用どころか、そもそも求人自体がほとんどない状況で、興味がある事業をやっている会社何社かに履歴書を送り、何とかベンチャー企業契約社員としてもぐりこんだ。

 

案の定仕事はとても面白かったし、同僚や先輩にも恵まれたが、超絶不安定なブラック職場環境で、時給換算すると最低賃金を下回る状況。20代の頃はとにかく自分がやりたい仕事でキャリアを積むことを優先し、他のことを犠牲にした。時代の流れは変わり、業界は20年間の間にニッチ産業からメジャー産業に成長。そのおかげで変化の連続で飽きずに続けてこられただけでなく、2回の転職を経て大企業に雇用され管理職になり、いつのまにか年収は15年余りで数倍に。個人的には仕事内容に対してもらいすぎでは?と思うほどの額になっていた。

 

ここまできた今、若いころの自分がずっと無理だと思っていたこと(オーストラリアで自分のやりたい仕事をすること)が、突然手の届く範囲に現れて、どうしてよいか分からない状態になってしまっている。日本に住むことや日本企業で働くことが嫌になっているわけでもない。むしろ休職中の企業には今でも愛着があるし、仕事を通じてつながっている人たちにも久しぶりに会いたいし、自分が戻るべきホームのような感じもしている。もう少し悩む時間があるので、よく考えてから答えを出そうと思う。