40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

博士課程2年目の審査終了!

昨日は博士課程2年目の審査の日だった。時間は午後3時から4時の1時間。大学の授業は対面が完全復活しているけど、まだ審査はZoomのまま。私としてはZoomにあまりにも慣れすぎて、Zoomの方がやりやすい。昨年の様子はこちら。昨年は大学の図書館の部屋から参加したけど、今年は自宅から。

 

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その場で合格をもらった。パスするとは思っていたが、実際に結果を聞くとホッとする。博士課程2年目も、1年目と同様にコロナによる影響で研究時間が大幅に削られ、心理的にも辛い1年であったが、その中で研究以外のこととのバランスを取りながら、自分なりにできることはやったと思っている。それが大学の正式な審査で認められたことは、素直に嬉しい。

 

過去の記事にも書いているが、2年目の審査の概要は以下。

  • 事前提出物①:20,000~30,000 words程度のレポート(その中に博士論文に含む章のドラフトを1つか2つ入れる)
  • 事前提出物②:コースワーク(といっても気軽なセミナーみたいなもの)の進捗 ※博士課程中に120時間のコースワークが義務付けられている。LinkedIn Learningのコースを無料で受けられたり、Writingの指導があったり、Mindfulnessのコースがあったりして、私にとってはタダで色々学べる嬉しいシステム。
  • 出席者:学部からマイルストンのチェア、学部内の審査員(General panel)、指導教官が選んだ専門家(Expert panel)、指導教官、他参加したい人誰でもOK

当日の流れ

  1. 学生からによるプレゼンテーション(20分)
  2. パネルとの質疑応答(10~15分)※一般聴衆はこの後退席
  3. チェアとパネルが、学生からヒアリング(5~10分)※指導教官は退席
  4. チェアとパネルが審査(5~10分)※学生、指導教官は退席
  5. チェア、パネル、学生、指導教官が戻って結果とフィードバックの連絡

 

今回も前回に引き続き、Expert panelはイギリスの大学の先生だった。現在、カナダに出張らしく、カナダのホテルの部屋から参加してくれてありがたい。ちなみに現地時間は夜の8時~9時の時間帯。Genral panelは昨年と違う人。フランス風の名前でめちゃおしゃれでマダムな教授だった。

 

私は今回、プレゼンテーションの練習にいつもより時間をかけた。指導教官と1週間前に練習した際にアニメーションを使った方が良いとアドバイスされたため、個人的にあまり好きではないパワポのアニメーション機能を使ってスライドを改訂。読み原稿とアニメーションのタイミングを合わせる練習を何度もした。

 

実は1か月ほど前からオンライン英会話(Cambly)を始めているが、その先生とも2回練習。その先生からは自分の声を録音したり鏡の前で練習するなどした方がよい、と言われたので、今回Zoomだから、Zoomで一人会議してその様子を録画して声のトーンや見た目、ページ送りがアニメーションの動作に不自然な点がないかどうかをチェック。当日の朝、再度、Camblyの先生に通しで見てもらって、10点中10点満点のお墨付きをもらった。ちなみにCamblyの先生はアメリ東海岸に住んでいるアフリカ系アメリカ人の女性で、大学でパブリックスピーキングを専攻していた経歴や企業で人材育成をしていた経験もあって、とてもためになる。普段はこの先生とビジネスイングリッシュを練習しているが、プレゼンの指導も良かった。Camblyの話はまた別の記事に書いてみたいと思う。

 

当日、一般聴衆は同じPhD部屋にいるPhD仲間の3名の他、全然知らない人が2名参加してくれていた。うち1人は、ご丁寧にも先週メールで、「君の研究内容に興味があるから出席しても良いですか?ただでさえ緊張する審査だから、知らない人が来ることが嫌なら全然断ってもらっていいですよ」みたいな連絡をもらっていた。もちろん誰が来ても良いシステムだし(最終審査の時は学生の配偶者や両親が聴衆として参加しているのも見たことがある)、自分の研究に興味を持ってくれる人がいることは嬉しいので、ウェルカムと回答。他1人は飛び込みでの参加。飛び込み参加も何ら問題はない、というかそれが普通。

 

プレゼンは練習しすぎて自分で嫌になるくらいだった。早く3時になってくれないかと思ったほど。実際に始まったら練習通り落ち着いてプレゼンすることができた。やっぱり練習をしていると自信になって、緊張感も良い方にはたらく。仕事をしているときは時間が無さ過ぎて、日本語のプレゼンは当然のことながら、英語のプレゼンの時も前日や当日に資料を作って突貫で報告することがざらにあった。時間の流れが全然違う。学生生活をしている今だからこそ、プレゼンのスキルアップを念頭に時間をかけて準備をした。

 

心配していた質疑もある程度想定していたような質問が来たので、英語の文法はめちゃくちゃでも回答の内容としてはちゃんと答えられたように思う。その上、Expert panelからは有益なアドバイスももらえて良かった。前回はこの先生から辛口コメントだったけど、今回は全面的に良かったみたいで安心した。

 

ミーティングの最後、一般聴衆抜きの全員が再度集まって、結果を伝えられた。パスしたということに加えて、パネルとチェアの間で話し合って、さらなる改善のためのアドバイスも3点もらった。これらは後日発行される正式なレポートにも反映されるようだが、ためになることばかりで本当にありがたい。

 

夕方になって指導教官からメール。

And congrats on the really polished presentation and response to パネルA and パネルB's questions - well done.

The really polished presentationというところで、練習の成果を褒めてもらえたようで再度嬉しくなった。QAも良く出来ていたみたいでほっとした。その下に、Expert panelの先生からのメールもついていた。とりあえず、2年目の進捗としては他国の他大学の先生から客観的に見てOKレベルにあるということが改めて分かった。親切なことに参考になる論文のリストまで送ってくれた。

Well done also to 私の名前, I think her thesis is coming along nicely. Here are a few papers I don't think she cited in her report to us so maybe they'll add to her literature:

 

2年目の審査を終えて、新たに分かった課題もたくさんある。それに気づけたことが収穫でもあるが。今はデータを取りまとめて意味を見つける作業をしているが、12月の最終審査に向けて理論を高いレベルに昇華させていく必要がある。ここで気を緩めることなく、モチベーションを保ちながら3年目を過ごしていきたい。

 

(おまけ)

昨日は次男の7歳の誕生日でもあった。平日なのでケーキを買ってきて家族でこじんまりとお祝い。次男を出産した時のことを思い出しながら。

 

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Breadtopのモンブランケーキ!ケーキはBreadtop以外で買うことがなくなった

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オーストラリアで買う日本のおもちゃは高い…。でもこちらのおもちゃ屋さんに行くと、結構日本のおもちゃが頑張っていて応援したくなる(タカラトミーバンダイのもの)。長男がたくさん持っていたベイブレードに次男もハマり始めた

 

新メンバーの登場、留学生活の終わりの設定

先週1週間のハイライトは、PhD部屋に新しいメンバーが来たこと。ドイツからの留学生。女性。30代前半。指導教官は私と全く同じ(正も副も)。ほれぼれするくらい英語が上手。同じ部屋にいるスリランカ出身で永住権取得したローカル枠でのPhD仲間と同じく、私の指導教官2名が獲得した大型グラントの遂行者として採用された人。

 

半年くらい前に指導教官とミーティングしていた時にちらっと話は聞いていた。その時に指導教官たち(2人ともオーストラリア人)が、「彼女はまるでネイティブのような英語を話すから驚いた」と言っていたことが印象的だったけど、本当に英語が上手。

 

パートナーと2人で12月に渡豪して、やっとデスクがあてがわれたようだ。私の斜め後ろに座っているので、ちょこちょこ話をするようになった。西洋人のイメージと異なり、なんだか内向的な部分があるようで、指導教官とのミーティング前に毎回ナーバスになるだとか、自分で書いた文章に対するフィードバックが怖いだとか、自分が毎日何もしていないようで嫌になるだとか、色々な悩みがあるみたい。私もPhDプログラムを始めた当初、そういう感情はゼロではなかったけど、そこまで大きくないというか、年のせいもあるのか、もう少し割り切っていた気がする。

 

今はたまたまメンタルの状況が良くないだけなのかもしれないけど…。なんだか私が年齢的にも、PhD学生としての経験的にも彼女にアドバイスをするような立場になっていて不思議。私は拙い英語を操りながら、彼女の悩みに対して自分の経験をシェアする。こういう同僚のような立場の人がやっと数人出てきて嬉しい。今のところ、スリランカ出身の永住者と、このドイツ人の学生。過去2年は自宅引きこもりの孤独なPhD生活だったので、最後の1年くらいは学生らしく過ごせたらな、と改めて思う。

 

水曜日は久しぶりに指導教官とのミーティング。1週間後に控えている2年目の審査会のプレゼンの練習に付き合ってもらった。全体の流れはOK。提出した100ページ超のレポート(3万ワード弱)を20分のプレゼンにまとめるのは、編集のスキルが試されるな、と思いながら作ったスライド。一部、コンテンツが重たくて、聞いている人が混乱するページがあるので、そこはアニメーションを使ってポイントを順に説明するようアドバイスをもらった。プレゼン練習が終わった後、最終審査についても話し合う。私の予定としては来年2月に博論を提出することにしている。遡って3か月前に提出前の審査会。Pre-submission ReviewもしくはFinal Reviewと呼ばれている。これを11月末か12月初に設定することになった。

 

翌々日の金曜日に早速指導教官が最終審査の枠を予約してくれた。私の最終審査は今年の12月7日。もうすぐな気がして焦る。もう本当にあと一年で終わりなんだ…。寂しい。周りを見ていると大体、3年半~4年をかけて博士課程を終えている。それを私は3年きっかりで終わらせようとしている。奨学金のルール上は、何もしなくても3年9か月分が支給されて(当初の規定は3年3か月だったが、コロナの影響で無条件で半年延ばせることになった)、プラス事情があればさらに数か月の延長も可能。もう少しじっくりとやっても良い気もするが、私は立場上、会社を休職してきていることもあり、当初予定通り3年で終わらせて帰国することを考えている。

 

そんなことがあったので、金曜日に何げなく休職している会社のイントラを久しぶりに覗いてみたら、数日前に驚きの発表。私がメインでやっていた仕事関連で大きな枠組み変更があった。それについて、元上司にメールして、私の感想を伝えるとともに会社の状況も軽く聞いた。そうこうするうちに、翌日土曜日には、私とプロジェクトを一緒にやっていた同僚(当時の部下)からメッセージあり。社内では色々と衝撃が走っている模様。日曜日には、同じくプロジェクトを一緒に進めていたアメリカ支社の同僚(中南米出身)ともメッセージのやり取り。うーん、悪いことばかりではないが、動きが急すぎることもあり、これまで関わっていた人たちのモチベーションが下がるような側面もあるようだ。私の研究内容とも関連しているので、今回の動きと自分が研究していることのテーマを照らし合わせて色々と考えてしまった。なぜ、会社はこのような動きをしたのだろうか?とか。

 

なんだか悶々とする週末。とはいえ、私は今、会社から離れていて客観視できる部分もあり。あとは研究活動に携わっているおかげで、ある程度、理論的に分析するような癖もできて、感情の振れ幅は少なくて済む。PhDをやることのメリットは、色々な物事を多角的に、冷静に見る癖ができることなのかもしれないな、と思った。この状況で趣味的な活動にはなるが、一度自分の所属会社にフォーカスして、一連の動きを客観的に分析してみたいなとも思った。今なら、それができるような気がする。

 

話は変わって、木曜日はパンの配給があった。大学にいると突然フリーフードが配られることがある。この日は大学院生のアソシエーションの事務所の前に大量のパン。見る限りベーカリーからの払い下げっぽい。焼き立てパンの良い香りが充満。遠慮なく家族4人分いただいてきた。やっぱりこういうのは嬉しい。地味なPhD生活にわくわくを与えてくれる。インスタから流れてきた情報を同じ部屋にいる人たちにも共有。皆でパンをもらいに行った。

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パンの配給@キャンパス内にて

 

せっかく丸いパンがあるので、週末はハンバーガー用のパテを買ってきて自宅でハンバーガーをした。パテの肉が大きくて満腹に。今度はブリオッシュパンでも買ってきて、カフェ風にやってみようと思った。まだまだオーストラリア生活を楽しみたい。

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アボカドも入れて具沢山のバーガー

 

イベントフルな一週間

今週はイベント盛りだくさんな一週間だった。まず大学のO-weekが月曜日から始まった。

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O-weekのお祭りは月~水の3日間、木曜と金曜もイベントは開催されていた。月曜日に引き続き、火曜日も大学に。2年目の審査レポートを仕上げて、大学のポータルサイトにて提出。昼休みにO-weekをふらふら。大学院生専用のコーナーでオランダのミニパンケーキが配られていたので、ランチを食べていたにもかかわらず、いただいてしまった。

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手作りベリーソースをかけてもらった(ピントが奥にあって失敗写真)

水曜日はO-weekイベントの中で開催される講演会を一つ予約していた。Facebook(現Meta)の初期のころからの従業員で、ザッカーバーグの近くで仕事をしていた人らしい。Facebookのオーストラリア/ニュージーランドの立上から代表を何年も務めていた。テーマが信頼や倫理だったので、面白そうと思って参加。まるでTEDの世界。引き込まれて40分程度の講演があっという間。

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会場の様子

会場は大学内にあるホール。コロナのせいでほとんどのイベントが過去2年間開催されておらず、このようなホールに入るのは初めてだった。入口で「スタッフですか?」と聞かれた。もちろん「No. I'm a student.」と宣言(スタッフだったら参加不可なの?)。基本的に新入生向けのイベントなので、参加者は18歳~20歳くらいの若者が多かった。私の前の席に6~7人、新入生と思しき男の子たちが座って、「僕はジェイソン、サイエンス」「クール。僕はジェイミー、エンジニアリング」などと、自己紹介しあっていたけど、その姿を見て、この子達はむしろ私の子供に近い年齢だな。長男もあと数年でこうなるんだと思って不思議だった。

 

講演者は50代のニューヨーカー。私は年齢的には講演者側。冒頭、事項紹介を絡めて話に入るとき、タイプライターの画面を映し、私が君たちのような大学生だった時はこれを使ってレポートを書いていた。また手書きのレポートも認められていた、と話して、ちょっとざわつく新入生たち。ええ、私が大学生の時も手書きのレポートは認められていましたよ。大学に入ったころにちょうどWindows 95が発売されて、父親が入学式の日に大学生協で25万円くらいするデスクトップのパソコンを買ってくれた。私はそれを使ってタイピングの練習をして、レポートもWordで書いていたけど、大学3年生のころまで手書きで出す人とワープロもしくはパソコンで書いたものを出す人が半々くらいだった。

 

タイプライターからパソコンの時代に、そしてインターネットが出てきて、Facebookの初期の頃の話に。アルゴリズムが無い時代のソーシャルメディアFacebook(インスタやWhatsApp含め)がどんな経緯で急速に成長したのかというのは、改めて当事者の話を聞いてとても興味深かった(My spaceがライバルだった時の話など、10代の子たちは知らないだろう)。君たちにとっては、すごく昔のことに思えるかもしれないが、これらのことは全部私という一人の人間が大人になってから経験したこと、と講演者。テクノロジーの進化と比べて社会の倫理をアップデートするスピードが追いついていないという話は納得感があった。良かれと思って突き進んでいるとき、その活動が及ぼす負の側面に気が回らない時があるというのは、自分の研究の分析の参考にもなり、思わぬ収穫だった。

 

この日はたまたま通りかかったブースにて、しっかりとしたランチを無料で配っていた。また講演会の会場の前にあるジャズクラブの前でジャズを演奏していたので、生ビール購入して優雅な午後を過ごした。

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水曜昼から大学でジャズ聴きながら生ビールを飲む優雅な大学院生

しかも、この日はお祭りの最終日で歩いているだけで色々なフリービーをいただく。RAT(迅速抗原テスト)の配布までしていて、7本入りのボックスのバラマキが行われていたので1箱もらった。数週間前までの品薄が嘘みたい。

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手前の水色の箱がRAT

木曜日はキャシー・フリーマンの講演。水曜日とは別のさらに大きなホールにて。キャシーフリーマンは肩の力が抜けたチャーミングな人だった。一緒に登壇していたAFLの選手の話もかなり驚き。この選手はまだ30代で、つい最近まで第一線でプレーしていたからなのか、キャシーフリーマンよりもこの人の話を聞きに来ている人が多い印象だった。

https://en.wikipedia.org/wiki/Eddie_Betts

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かなり大きなホールの席が半分以上埋まっていた(私は前の方の席を陣取る)

15歳の時にサウスオーストラリアからメルボルンに単身でAFLをプレーするために来た。びっくりしたのは、17歳のころまで読み書きができなかったという話。街にある看板などの意味も分からず、そのことを隠していたとのこと。でもこのままではいけないということで、19歳から21歳の間にAFLでプレーしながら読み書きを習って、今は教育者の側面も持っている。小さい頃の話で、3ベッドルームの家に家族や親せき25人くらいで住んでいた。親密なコミュニティだったと言っていたが、学校に通っていなかったということだろうか。

 

午後は自宅に戻り、今度は日本の大きなカンファレンスにオンラインで参加。このカンファレンスはかれこれ5年くらい前から毎年参加していて、東京にいたころは自分もパネリストとして登壇した経験もあって思い入れがある。流行りのテーマになっているので、イベントの規模も年々大きくなってきた。今回も上司や元同僚の友人がパネラーとして参加することになっていた。

 

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南半球から久しぶりに上司が話している場面を見た

同時に5~6のセッションが開催されているので全て参加することはできないが、ハイブリッド形式であるため、オンラインで後日聞き直せるのが良い。確かコロナが始まった2020年は対面だったが、昨年と今年はハイブリッドだったのでオーストラリアにいながら日本の状況もキャッチアップできるという便利さ。来年は現地にいるのだろうか?

 

金曜日は子供の土曜校のグッズを購入するために午前中にダイソーと無印に。ついでにユニクロで値下げされていたウルトラストレッチジーンズと、ランチに持ち帰り寿司を買ってきて日本まみれの数時間だった。

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最近お気に入りの寿司屋にて握りのセットを購入

午後はまた日本のカンファレンスに。15年くらい前に一緒に働いていた同僚がコンサル所属の専門家として登壇していたので、そのセッションを聞いた。しかも時間が夕方だったので、スマホにイヤホン指して料理しながら日本でやってるセッションをライブで聴くという…。こんな時代が来るなんて。話している人たちも、まさかメルボルンの郊外にある一軒家のキッチンで、夕食のサーモン焼きながら聴いてる人がいるとは思ってないだろう。

 

研究のことはあまり進まなかったが、なんだかんだと充実した一週間だった。こんな時があってもいいよね。リチャージ完了したので、来週はプレゼンの練習と、引き続きオーストラリア企業の分析に取り組む予定。

Welcome back! O-week 2022

最近、オンライン英会話を始めたこともあり、時間があまりなくてブログを更新できていなかった。久しぶりの大学関連の話題。それはO-week。

 

O-weekとはオリエンテーションウィークの略。オーストラリアの大学は、2月末から3月初あたりに学期が開始となるが、その前の1週間に主に新入生を迎え入れるためのイベントが開催される。キャンパスツアーや大学あれこれの紹介の他に、各クラブや団体によるブースの設置、スポンサー企業による商品やサービスの紹介、DJやバンドによる音楽、著名人の講演、夜な夜なパーティーなど遊び要素もたくさんある。ちなみに、私は今通っている大学の他に、これまでブリスベンアデレードの大学にも通ったことがあり、特に20歳の時に交換留学したブリスベンの大学でのO-weekは良い思い出になっている(夜な夜なパーティーも楽しんだ)。

 

今回の留学では、2020年、自分が新入生の時はコロナが蔓延し始めた時期で、O-weekは準備だけして開催無し、昨年はロックダウン明け(正確にはロックダウンとロックダウンの間)に開催、そして今年は3年目にして2回目のO-week。昨年のこの頃はまさか2021年も2020年と同じようにロックダウンに数か月も苦しめられる年になるとは思わず、明るい記事を書いていた。

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さて、今年のパターンも昨年と大抵同じ。違うのは、メインの図書館の前に遊園地にあるような遊具が設置されていたこと。しかも逆さまになってグルグル回るような、結構きつめのもの(もちろん無料で参加できる)。

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St. Aliのコーヒーブースが出ていなかったのは寂しい。さすがに2年も続いたロックダウンで財政厳しくなったんだろうな。代わりに留学生団体がやっていたタピオカミルクティーをいただいた。インスタをフォローして、ストーリーに団体のアカウントを記載してアップするのが条件だったけど、どうやってやるのか分からない40代の中年博士学生のために、若い係の子が代わりにやってくれた。お手数おかけします。

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恒例のBBQにも並んだし、アイスクリームもゲットして大満足。私、お祭りが好きなので、O-weekは先週から楽しみにしていた。子供を連れてこられたら良いのになあ、と思ったくらい(子供たちは当然小学校に行っているので来られない)。

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今年はフリーフードをゲットするだけでなく、数ある講演会やセミナーのうち1つ参加してみることに。大学のO-weekサイトを見ていたら目に入った名前。キャシー・フリーマン。2000年、シドニーオリンピックの時の女子400m金メダリスト。そしてオーストラリアの先住民、アボリジニの女性。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3#cite_note-1

Wikipediaに書いてあるけど、オーストラリアの暗い歴史を背負って生きてきたアスリートでもある。

 

私は2000年のシドニーオリンピックの時に、ブリスベンに交換留学していて、オリンピックの盛り上がりをこちらで体験していた。特にキャシー・フリーマンについては多くのニュースが取り上げていて、印象に残っている。アボリジニに関する政策も今よりも発展途上で、まだまだ多くの議論がなされていた時期。村上春樹シドニーオリンピックについて書いたノンフィクションの中でこんな記述がある。

 

夜の八時十分。女子四百メートルの決勝。キャシー・フリーマンが今夜、決着をつける。金メダルも取っていないアボリジニーの女がどうして栄誉ある最終聖火ランナーなんかになるんだといういちゃもんにとどめを刺すには、とにかく金メダルを取ってしまうしかない。もちろん彼女の頭の中にも金メダルしかない。それ以外の選択肢はありえない。今日のレースに彼女の意地と、選手生命と、人生のエッセンスがかかっている。何があろうと負けるわけにはいかない。

(中略)

彼女が出てくると、会場が大きくどよめく。熱い拍手がわき起こる。例によって無数のフラッシュが光る。しかしそれだけだ。例のハッピーは「オジー、オジー、オジー、オイオイオイ!」の声もあがらない。そういう声をあげにくい凛とした空気がある。観客たちもみんなそれぞれに緊張しているのだ。特別な夜なのだということを、誰もが心に感じている。

村上春樹シドニー!②ワラビー熱血編」p.42-44

 

キャシー・フリーマンも今はもう40代。どんな話をしてくれるのか。生で話を聞ける機会に恵まれるなんて嬉しい。でも今は2022年。新入生としてO-weekを楽しんでいる学生たちは、シドニーオリンピックが開催された後に生まれてきた人達が圧倒的に多い。だからこのイベントには誰が来るんだろう?とも思う。年齢層高めのイベントになりそうだ。

 

若い学生があふれる大学のキャンパスはやっぱり素敵だと思った。おそらく私にとってこれが最後のO-weekになるので、このキャンパスライフを存分に楽しみたいと思う。ちなみに、浮ついた気持ちのままではあるが、今日、2年目の審査レポートを提出予定。祭りが始まるのは昼なので、午前中に仕上げて提出しないと!

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O-week初日の収穫。缶コーヒーを大量に配っていたけど、スパークリングって書いてある。美味しいのか?ウォーターボトルは1本ずつ息子達に取られた(2本あったので喧嘩にならず良かった)。

Withコロナの日記 後編(Day 4~Day 7)

前編(Day 0 ~Day 3)の続きとまとめ。

 

Day 4 水曜日

長男は変わりなく元気。完全にノーマル状態。ノーマルすぎてコロナであることを本人も忘れそう。これはこれでリスクがある。コロナ陽性が分かってから、長男は隔離部屋で1日24時間のうち、23時間以上を過ごしている。残りの時間はトイレ、シャワー、庭での軽い運動など。隔離部屋に私もしくは夫が食事を運んだり片づけたりするが、その場合はお互いマスクをしている。長男が隔離部屋から出てトイレに行く際などもマスクを着用。でも今日はあまりにも自分の体調が普通過ぎたのか、マスクをつけ忘れて部屋から出てくることがあった。家庭内感染の可能性をなるべく下げたいので、もう少しの辛抱だが、何とか頑張ってほしい。

 

長男は今日は家の周り(敷地内)を15周ジョギングした。ちなみに私と次男は昨日の2倍の10周。長男は症状が完全になくなっているとはいえ、どの程度運動をさせて良いのかわからず、軽くとどめておいてもらった。あとはテニスラケットを取り出して壁打ちをしたり。長男の性格によるものなのかもしれないが、意外とこの隔離生活に対してストレス耐性があるようだ。昨日は工作に没頭していたが、今日はScratchというプログラミングをしていた。電子書籍で日本語の本を読んだり、友達とチャットしながらフォートナイトをしたりと、デジタルデバイスの恩恵を受けている。なんだかんだ好きな事ばかりしているから、普段よりも楽しいのかも。

 

夜7時ごろ、長男の友達のお母さんからメッセージがあった。学校が始まったのに長男が学校に来ていないから、友達が心配してくれたみたい。隠す必要もないので、コロナ陽性になったこと、それにより家族全員で自宅隔離中であることを伝えた。食品を持っていこうかと聞かれたので、スーパーのデリバリーがあるから大丈夫、と答えた。でもその45分後に電話があって、今玄関の前に食材置いたからすぐ冷蔵庫に入れて、とのこと。ドアを開けたら袋が置いてあってびっくり。

 

中を見ると日本の焼きそばや薄切りの豚肉(冷凍)、トッポなどのお菓子、ゼリーなど、明らかにアジア食品店で買ってきてくれたものばかりが入っていた。その友達家族は車で20分程度と少し遠いところに住んでいるのに、わざわざ夜8時前に外出して、アジア食品店で買い物して、うちまで届けてくれたんだ。もちろん食材もありがたいが、それ以上に気持ちがとてもありがたい。大丈夫です、というのに届けてくれるというのが関西人らしいなあ、と思った。すでにコロナ陽性であることを伝えている長男の友達は他に2人いて、その2人のお母さんたちもやっぱり「食材を届けるよー、他に何か困ったことがあれば言ってね」と言ってくれていた。親切な人達に囲まれているありがたみ、自分ができることをするという気持ちは忘れないようにしたい。

 

Day 5 木曜日

朝、体がだるいという次男。5日間家族以外の人と会っていないのに体調が悪くなるなんて、これはもう100%感染したなと思いつつ、学校から支給されたRATでテストしたら案の定陽性。家族が時間差で感染するという一番避けたかったパターンになってしまった。

 

またDay0と同じように、州政府と学校にそれぞれガバメントが用意したサイトから報告。それとは別に次男は来週も学校を休むことが決定したので、学校から指定されている欠席連絡フォームにて欠席予定日を入力。幸い誰にも会っていないから前回よりはシンプル。そうしてまた同じように公立病院からSMSが来て、体調を報告する様式に入力。1人だけ隔離すれば良かった状態から子供2人とも隔離が必要になると、家庭内のオペレーションも変更が必要。とりあえず長男の隔離部屋に次男もいてもらう。でも食事をそこで2人ともとるのは難しいので、食事はダイニングルームで子供2人がとった後に大人2人がとることにした(感染防止的には逆の方が良さそうだが)。すべてにおいて小5の長男は自律的に何でもできるが、小1だとできないことの方が多い。結局グダグダになりそうだ。

 

次男が長男の感染発覚の5日後に陽性になったことを受け、隔離のルールがどうなるかを州政府のホームページで確認。

 

①陽性者:症状がない限り7日間の隔離後に外出可能。テストは受けなくて良い

②同居家族:最初の陽性者の隔離開始からカウントして6日目にテストをして、陰性ならば7日目から外出可能。隔離中に陽性になった別の家族がいても、隔離のカウントをやり直さなくても良い

③同居家族:最初の陽性者の同居家族として隔離中に陽性になった場合、自分が陽性になった日から7日間隔離

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https://www.coronavirus.vic.gov.au/checklist-contacts#checklist-for-household-or-household-like-contacts

 

長男は①、私と夫は②、次男は③に該当する。①の一度陽性になった人は再度テストを受けなくても良いというのも驚きだが、②の隔離カウントが別の家族の陽性発覚によりリセットされないのにもびっくり。家族として6日間ウィルスにさらされていて大丈夫だった人は同じ型のウィルスにかかりにくいということ?理由がいまいちはっきりしないが、州のルール的には、私と夫はDay 6に検査して陰性で症状もなければ、Day 7終了後から外出可能ということになる。そうすれば隔離が解ける長男の学校の送り迎えなども可能になる。あれ、Day 7に検査と思っていたら、Day 6に検査と書いてある。隔離が明ける前日ではなく前々日に検査する?なぜだろう?それともテストした日をDay 0 とカウント?でもそうだと家族がテストする日はDay 1でなくDay 0となるはずだし…?とここまで書いてから、おそらく検査日はDay 0とのカウントだろうということで、ブログのカウントも修正。テストは隔離明け(予定)前日に受けることに。

 

小学校からのメールで、2つの学年でコロナ陽性が出たとの連絡あり。うちだけじゃないんだ、と変にホッとするような気持ちもありつつ、本当にどこにでもある状態なんだと思った。

 

Colesのデリバリーが便利だったので、水曜日に注文して届けてもらった。火曜日から木曜日の間で、配達の時間枠を6時間に設定すると、配達料が2ドルという格安料金になる(ただし50ドル以上の注文が必要)。1週間で100ドルはスーパーで使うので、50ドルは楽勝。今回も問題なし。冷蔵車で届けてくれるので、全てが冷え冷えの状態で来る。便利すぎて癖になりそう。

 

Day 6  金曜日

朝イチで自分の検査。陰性であれば、長男と同時に私も隔離最終日となる。結果は陰性。良かった。陽性のラインが全く、うっすらとも出ない。夫も陰性だった。今のところ家族内感染は長男→次男のみ。ワクチンが効いているのか、もともと免疫がついているのか、手洗いや消毒、マスクによる予防が聞いているのか、これらのすべての要因の組み合わせなのか。結局分からないが、とりあえず陰性であることに越したことない。

 

それにしても、長男と次男、2人とも元気すぎる。本当にコロナなの?と思うほど、普通に過ごしている。インフルエンザに罹った時の方が、触った時に「熱っ」となるほどの高熱が出て嘔吐、脱水、頭がもうろうとするなど、看病していてよっぽど心配だった。でも一定の感染者がこのように無症状や軽症であることが、コロナウィルスが社会に拡がる要因にもなっているので、今更驚くことではないんだろうが。経験してみるとやっぱり不思議な感じがする。

 

一週間の自宅隔離は健康でほぼ無症状な子供には退屈以外の何物でもない。次男は時間差で感染したせいで隔離が12日間に及ぶ。長男の友人のお母さん数名からLINEで様子を聞かれた。時間差があって感染した家族の隔離ルールについて、州のページに書かれている通りに伝えたら、皆不思議そうにしていた。とはいえ、休む権利がないのに学校を休むことは推奨されていない。ちなみに、「学校を休むのは子供の教育にとってどれだけ良くないことなのか」みたいな文書が隔離初日に校長から送られてきた(おそらく新学期の始まりでたまたま全員に送っただけなんだろうが)。次男がまだ自宅隔離中であっても、長男は州のルールに従って月曜日から登校することになる。

 

長男の陽性発覚により先週ドタキャンした自分の3回目のワクチンを予約。小学校からのお知らせで、2月25日までに3回目のワクチンを打っていない人は、それ以降、学校内でのボランティア活動などができなくなるとのお知らせ。現在、2回打っていない人に適用されるルールが、3回目の接種まで拡大される。もう実質強制されているようなもの。正直、打たなくて済むなら打ちたくはないし、これから先もずっと数か月ごとに打ち続けることになるのか疑問もある。コロナのことでよくわかったが、日本とオーストラリアでは自由の種類が違うようだ。

 

Day 7  土曜日

今日が長男、私、夫の隔離解除日。この3人はどこに出かけてもOKな状態。とはいえ、次男がまだ自宅療養中なのでそもそも3人で外出はできないし。特にコロナにかかって回復した長男以外の大人2人は今この瞬間に次男から感染している可能性もゼロではないので、なるべく人との接触が生じる外出は控える。日本のニュースでよく聞いた自粛ってやつだ。

 

今日も朝から公立病院からテキストメッセージがあり。いつもと違うのは、長男は隔離が解除されましたよ、というお知らせ。次男にはいつも通り体調を記録するフォームへの入力。長男はもちろんのこと、次男もぴんぴんしている。良かった。私は朝イチに家の周りを歩いた。7日ぶりに敷地外に。天気は晴れ、気温は18度程度と気持ちが良い気候。健康で外を自由に歩けるということだけで幸せを感じられた。次男の自宅隔離はまだ続くが、とりあえず日記はこれで終了。

 

状況まとめ

  • 長男の感染発覚後、5日後の検査で次男の陽性も発覚(2人ともワクチン未接種)
  • 大人2人は家庭内感染なし(ワクチン2回接種済、最終接種は2021年8月と9月)

感想まとめ

  • RATs(迅速抗原検査)が自宅にあったことで、少しでも異常を感じたらすぐに検査できたこと、検査のために外出して他人に感染させるリスクを減らせたことは良かった
  • 食品はある程度ストックしていたが、オーストラリアでもスーパーのデリバリーが日本と同じような便利さで使えたのが嬉しいサプライズ(オーストラリアのサービスを見くびりすぎていたかも…)
  • コロナ感染時のルールは州のHPを隅々までチェックし、最新情報を確かめた上でそれに従うことが重要(情報が上書きされるスピードが速いので、人からの情報やネット上の二次情報は参考にしない)
  • 外国で暮らしていて自分の親族を頼ることができない中、日本人の友人の親切さに救われた
  • 子供を自宅で隔離する際、自分で隔離を守れる小学生以上に対しては、家庭内感染だけでなく疎外感/孤独感を感じさせないようメンタル面のケアにも気を付ける(一人で別室で食事をとらせたり、同じ家に暮らしているのに会話がほとんどなくなったり、マスクで顔が隠れてお互いの表情が読めないなど、子供はコロナ自体が軽症で済む分、隔離による精神面への負担が大きい)

Withコロナの日記 前編(Day 0~Day 3)

社会が「Withコロナ」状態になってからもうすぐ丸2年。とうとう我が家にもコロナがやってきた。社会という大きな枠組みではなく、家庭という小さな枠組みの中での「Withコロナ」生活を送った。状況やその時の考えを日記として記録。毎日書いていたらとても長くなったので、前編後編に分けた。

 

Day 0  土曜日

長男、朝6時15分ごろに唸る。5時に目覚めてそれから眠れなかったらしい。だるいと言いながら、6時半ごろ起床。いつものように朝食を自分で準備。その後、30分間のゲームタイム。ゲームができるくらいなら大丈夫だろうと思い、私は子供たちの日本語補習校(土曜校)の弁当作りをしていたら、ゲーム後にまた「だるい」と言い始めた。本人がテストしたいというので、数日前にPCR検査場で無料でもらってきたRAT(迅速抗原テスト)の残りで検査。実はこの数日前、学童保育にて陽性ケースがでたため検査に行ってPCRを受けようとしたら、代わりにRATを4本くれたのだった。その時は陰性だったのに、今度は陽性に…。液体を垂らして1分も経たずに、前回は出なかった「T」にうっすらラインが出始めたのを見たとき、あー、こりゃコロナかかったわ、とすぐにわかった。

 

すかさず他の3人(夫、私、次男)も家にあったRATで調査。これは小学校から配布されたものを使わせてもらった。結果3人は陰性。長男だけが陽性だった。お弁当も教科書も上履きもカバンに詰めて、夏休み明け初めての土曜校に行く直前の出来事。行く前に検査して本当に良かった。

 

急いで各所に連絡。①土曜校のそれぞれの担任の先生に休むことを連絡 ②州政府のサイトから陽性結果の登録 ③学校から案内されていた学校用の州政府のページにて陽性結果の登録 ④通常の学校欠席連絡サイトでも月曜日から休むことを連絡 ⑤前日と前々日に参加していた学童保育へメールで連絡 ⑥翌日予約していたワクチン接種のキャンセル手続き。自分の分は州のHPでできたが、子供の分は電話しないといけないらしく、電話にて事情を話してキャンセル完了。とりあえず必須の連絡先はこれでカバーできたはず。

 

そうして今度はプライベートな関係に連絡。⑦土曜校の後にホームパーティするはずだった友人に連絡とドタキャンのお詫び。⑧数日前に長男が遊んだ友人のお母さんにも陽性結果の連絡。とりあえず、連絡系はこれで終わり。これらを情報を調べながら1時間くらいで一気に済ませたのでどっと疲れた。久しぶりに仕事スイッチが入った。

 

午後になって州のHPで陽性時の規則を再確認。陽性者とその同居人は7日間の自宅隔離。ロックダウン中と異なり、一歩も外(敷地外)には出られない。自宅の庭には出られるので、前庭と裏庭がある一軒家で良かった。いつコロナにかかってもおかしくないということで、4人×7日分の食料のストックはしていた。米5キロ、パスタ、そうめん、シリアルなどの穀類、ツナやトマト、コーンなどの缶詰もある。肉はジプロックに入れて7日分冷凍してあるし、普段は食べない冷凍野菜(ブロッコリー)もストック。牛乳は長期保存ができるパックのものを5リットル以上保管。トイレットペーパーは10ロール以上、パナドールも十分あるし、特にすぐ必要になるものはない。

 

生野菜やフルーツ、卵は不足するが、7日間なら栄養バランスを多少無視しても良いだろう。と思いつつ、せっかくの機会なので、スーパーの宅配も試してみようとColesのデリバリーに登録。初回は100ドル以上頼むと無料で届けてくれるらしいので、ビール24本(約50ドル)も追加で注文。非日常モードでちょっとハイになっている自分がいた。

 

長男は寝室にこもっていた。なるべくその部屋には入らないようにして、他3人は別の場所で過ごした。ランチは、補習校にもっていこうと朝作ったお弁当をそれぞれ食べた。大人は適当に家にあるもので済ませる。長男少しだるそうだったので、パナドールを1錠飲んだらよくなったみたい。暇なのでベッドの上でYoutubeを見たり、コロコロコミックを読んだり。熱はないし、咳もしていない。少し眩暈があるらしい。でも全体としては軽症に分類できると思う。

 

私は午前中にどうしても仕上げないといけない作業があったので、2時間ほど自室で集中してワーク。正午にドラフトを指導教官に送付。午後は次男と室内遊びしながらまったりと過ごしていたらあっという間に夕方。自宅にある材料でカレーを作った。長男は食欲がないかと思ったけど、意外と食べることができて安心。来週から新学年が始まるのに、そこにいられないのがとても残念そうで可哀そうになった。

 

午後になって、州政府からSMSあり。緊急時の連絡先や隔離のルールについてのリマインド。1週間後の土曜日に隔離が解けるらしい。また、近所の公立病院からもSMSが届いた。健康状態をケアするデータベースに登録された模様。指定されたリンクから毎日健康状態を報告することになっている。懸念がある場合、その公立病院から連絡が来るらしい。

 

Day 1 日曜日

朝、いつもどおり7時ごろ起床。長男はかなりすっきりとしているようだったので安心。隔離部屋に朝食を食べていた。その後ゲーム。ベッドの上でダラダラしていた。動画見たり、友達と通信しながらゲームしたり、工作したり。

 

次男が暇していたので、ロックダウン用に買っていたクッキーのキットを開封して朝からクッキーづくり。時間はたっぷりあるので、粉を混ぜたり、卵を割ったり、ほとんど6歳の次男にやらせてみた。クッキーづくりをしているとロックダウンを思い出すなあ(私は普段はお菓子作りなんてしないから)。一歩も家から出られないというのが違う点だけど、そのことをあまり考えないようにすれば、慣れた感じでもある。

 

午後になって、学童保育の本部と担当の先生から前日のメールに対する返信あり。その後、学童保育の一斉メールにて、先週陽性者が参加していたとのこと(長男のこと)。1週間前にも同じフォーマットのメールが来ていたが、今度はうちが当事者になってしまった。そうしていたら、土曜校からもメール。「あれ、うちは土曜校は欠席しているから、皆にお知らせしなくても良いのにな」と思って添付を開いたら、違う学年の子で陽性の子がいたようだった。もうそこら中にあるコロナ。

 

夕食はハンバーグ。長男はおかわり。食欲十分。シャワーも浴びられたし、だんだん普通になってきた。でもウィルスは排出されているはずなので、油断は禁物。時間差で家族がかかった時の隔離ルールや、コロナ感染後のワクチン接種時期などについて、州や連邦政府のホームページを調べまくり、知識を頭に入れておいた。

 

Day 2 月曜日

長男完全復活。学校に行きたいなー、と。6年生の第1週は色々決めごとがあって大事らしい。でも仕方がないね。ちなみに、コロナに一度かかった人は、その先30日間はクロースコンタクトなどに該当されても隔離不要というルールがある(州政府からのSMSに書かれていた)。免疫が付くから。とりあえず、今回の隔離が明けたら、長男についてはこの先1か月は感染や隔離の心配はしなくて良さそう。

 

ワクチンは症状がなくなれば打って良いらしいが、4か月後まで猶予されるとのこと(つまり4か月間くらいは感染による免疫が続くということらしい)。ただ、まだ調査中でもあるのでルールは変わる可能性あり。

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https://www.health.gov.au/initiatives-and-programs/covid-19-vaccines/advice-for-providers/clinical-guidance/additional-considerations#:~:text=in%20special%20circumstances.-,Vaccination%20after%20testing%20positive%20for%20COVID%2D19,least%20this%20amount%20of%20time.

朝10時ごろ、Colesで注文していた食材が届いた。不安だったが、卵も割れておらず、量り売りのブドウなどもきれいなものが来てよかった。2つ欠品があったものは値段を請求されない。注文していない肉が入っていた。今までオーストラリアのデリバリーは信用していなくて、なるべく避けていたが、意外と便利で良かった。数ドルの配達料で届けれくれるから、これからもちょこちょこ使うかもしれない。

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午後には日本の両親からの荷物が届いた。お菓子がいっぱい。長男がリクエストしたミニ四駆(私が楽天で遠隔注文)が履いていたので、長男大喜び。隔離中に届いてグッドタイミング。
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夜、長男は友達とLINEでビデオ通話。長男の状態を心配してLINEしてくれた。久しぶりに話すからなのか、1時間弱の長電話。お互いのミニ四駆を見せ合って情報交換したり、昼間に作った段ボールのコースを走らせる様子を見せていて、長男はかなりの気晴らしになった模様。優しい友達。

 

Day 3 火曜日

この日も長男の体調は通常。でもウィルスは排出されているはずなので予断は許さない。毎朝の健康状態登録をするほかは普通に過ごす。何か変化が欲しいから、ランチはKFCをデリバリーしてみた。店舗が近いためか、注文から約20分後に配達完了。配達料9ドル。まあこんなもんかな。郊外での生活はなかなか便利だ。

 

長男はミニ四駆が完成したので今度は段ボールを使ってコースづくり。何時間も集中して部屋で工作。かなり本格的なコースを作っていた。この人は机に向かう勉強よりもこういうことの方が得意なんだろうなあ、と見ていて思う。私なら子供の時も今でも何時間も工作に向かうことはできない。当たり前だが、自分の子供であっても違う人間。

 

ロックダウンの時は、厳しい時でも1時間はエクササイズのための外出が許されていた。自宅隔離になると家から一歩も出られない。これでは完全に運動不足になる。今住んでいる一軒家は裏庭がまあまあ広く、前庭やサイドにも庭というかグリーンの部分がある。私は家の外周をぐるっと一周回れることになっている。今日は家の周りを5周、ジョギングしてみた。普段自転車は乗るがジョギングはしないので、5周しただけで息が上がった。長男もその後に10周ジョギング。コロナ患者の長男の方が普通に走れている。

 

後編に続く。

博士課程3年目の始まり

私は2020年2月1日に博士課程を開始したので、今日からちょうど3年目になる。私が所属する大学の社会学部は365日いつでも好きな時に博士課程が始められるので、学校が準備する区切りがなく、自分で1年目、2年目とカウントすることになる。

 

初年度と2年目の開始の時の記事を自分で読み返しながら、節目に振り返りをしておきたい。

 

fourty.hatenablog.com

 

fourty.hatenablog.com

 

今ちょうど、3月初に控える2年目の審査の準備をしている。25,000 words程度のレポートのドラフトを提出。その中には博士論文の2つのチャプターのドラフト(約23,000 words)が含まれている。ちなみに博士論文は80,000 words弱になるので、ざっくり3割強。粗々のドラフトとしては40,000 wordsくらい(4章分)書けているが、今回はそのうちResearch designの章と、Findingsの章のうちの一つを提出した。Research designの章は1年以上前にドラフトが完成していたので、それを現実に合わせてアップデートする形。Findingsの章も半年前に一度ドラフトを作成して指導教官からフィードバックをもらっていたが、こちらは大幅に書き直した。数日前に指導教官に提出して、今はフィードバック待ち。

 

ドラフトが手離れしている間にプレゼン資料を作っている。審査会には約20分間のプレゼンテーションが含まれる。提出したレポートとプレゼン(QA含む)から、学部がアサインした審査員(大抵社会学部に在籍している自分とは専門が異なる先生になる)、指導教官がアサインした審査員(自分の研究に近い分野の人。私の場合はイギリスの大学の先生)、学部のチェアの先生の3人から評価を受ける。当たり前かもしれないが、評価するのは自分の指導教官ではない。どちらかというと、指導教官も評価される側の人間。

 

2年目の審査について、同じ部屋にいるPhDの先輩(年下)に聞いたところ、2年目の審査が一番楽とのこと。落ちる人はほとんどいない。研究が進捗していて、ちゃんと終わる見込みを示せれば、少しくらい遅れていたり、突っ込みどころがまだまだ多くてもOKらしい。とはいえ、私としては今できるベストのもので臨みたいところ。

 

プレゼン資料の最後の方に2年目の成果の振り返りをする。そこに書いたこと。

Progress during the second year

  • Completed data collection and interview transcription (may conduct additional interviews if needed)
  • Conducted initial analysis of Japanese companies
  • Research findings report prepared and sent to six Japanese companies
  • Presented research findings to the external audiences (A University and B 学会)
  • Submitted a research paper to one conference (C Conference 2022)

 

自分としては、2年目も1年目に引き続きロックダウンによって、子供のホームラーニングのサポートに時間を取られ、子供がうろちょろする中で数か月を費やしたことを考慮すれば、最低ラインはクリアできたと認めたい。ロックダウンさえなければ、オーストラリア企業の分析とレポートの作成(フィードバック)、投稿論文をもう1本書くことくらいは想定していた。コロナに足を引っ張られながらもなんとか2年目を渡り終えたという感覚を持っている。とにかく、絶対に必要なデータ収集が何とか終えられたのは良かった。当初想定したベストな形ではないし、まだ正当化しないといけないロジックも残っているが、おそらく大丈夫だろう。

 

また博士課程とは別に、書籍の章の執筆(ケーススタディ)が大きな活動となった。これはいよいよ出版社への提出原稿や権利関係の書類(各種承諾書など)を整えるという最終段階に来ている。今年のどこかで出版されるようだ。取りまとめの先生から、私の章を他の人のモデルケースにしたい、この先に発行する書籍にも原稿を作ってくれないか、と依頼された。これは素直に嬉しかった。おそらく規定にきちんと沿ってコンテンツを作成したこと、納期をきちんと守ることなどが良かったのだと思う。私は研究よりケーススタディみたいな文章を書く方が合っているのかもしれない。もっと貢献したいが、ネタ探しからしないといけないから難しい。

 

その他、プライベートも含めて博士課程留学2年目にやったのは、スポットコンサル(個人コンサル)10件、翻訳ボランティア2件、子供関係のボランティア1件。どれも会社員としてバリバリ働いていた時にはできなかったことなので、貴重な経験になった。

 

そして迎えた3年目。提出するレポートには、博士課程修了までの細かいスケジュールも掲載する。章ごとにいつ書き終えるかも書く。もう終わりが見えてきたのは寂しいし、この先1年間の予定を書くと、あっという間に終わってしまう気がする。予定では今年の12月に提出前に審査(3年目審査)を終えて、今からちょうど1年後である2023年1月か2月に博論を提出したい。3年間で博士課程を終える予定(あくまで希望)。ちなみに3年間は私の所属する大学の社会学部で最短で博士課程を終えられる期間。標準は3年3か月であり、それをさらに6か月間延ばすことができる(奨学金などの権利含め)。奨学金(PhD学生の生活費)は博論を提出した時点で打ち切りらしいので、急いで提出するメリットはなく、なるべく書き直しがない状態、十分なクオリティまでもっていってから出す人が多いとのこと。

 

そんな中、つい先日まで悩んでいたのは、TeachingやTutoringをするかどうか。指導教官の先生からふわっと勧められたが(私だけではなく他の学生も)、悩んだ末に申し込みしないことにした。理由は複数あるが、一番は時間的な優先順位。1年目、2年目と散々コロナによるロックダウンで研究時間が削られてきた中、3年目の今年だってどうなるのか分からない。2年も痛めつけられて、もう楽観視はしていない。もしロックダウンのように、自分の研究時間を奪うような出来事が起きた際、責任が重たいTeachingやTutoringの仕事を研究よりも優先させてしまう可能性がある。そうすると、予定通り博士課程を終えることができない。途中で放り投げることができない仕事を追加でやるのはやめておいた方が良いという判断を下した。

 

もし博士課程を始めて2年間、コロナが無い状態で、研究がもう少し前に進んでいたら、私にとって英語面での課題は大きいが、TeachingやTutoringにもチャレンジしてみたかったと思う。私は日本の大学の学部卒業と同時に高校の教員免許(理科と農業)を取得したが(今は失効している?)、教育実習に参加した時に先生というのも面白い職業だな、と思っていて、その記憶は今もある。また、社会人になって何度か大学に赴いて学生に対してプレゼンテーションしたり、インターンシップの受け入れをする中で、若い人と一緒に課題を考えたりするプロセスは楽しいと感じた。TeachingやTutoringをすれば、また多くの学びと経験を得られることは分かっているので、チャレンジしてみたい気持ちもあった。

 

一方、私は博士課程が終わった後、今のところ会社員に戻るはずなので、キャリア上、大学におけるTeachingの経験は必須ではない。そういう意味でも優先度は必ずしも高くない。もちろん、大学院生の中にはお金を稼ぐことを目的にTeachingスタッフをするケースもある。時給はチューターでざっくり1万円程度。

https://www.monash.edu/current-enterprise-agreements/academic-professional-2019#92

 

高いようで、英語にハンデがある私がやるとなると準備の時間が人よりかかるし、決して割りが良い仕事ではなくなる。ちなみにスポットコンサルの時給は2万円~3万円なので、お金だけみれば、日本語でできるコンサルの方が効率的。でも、私はお金稼ぎのためにオーストラリアに来ているわけではなく、帰国したらまた嫌というほど仕事をすることになる(はず)。仕事をしなくても良いサバティカル的な3年間を別の仕事で埋めるよりは、研究以外の時間はボランティア活動や論文、書籍等の執筆、オーストラリア生活を楽しむ経験に費やしたいと思った。

 

TeachingやTutoringについて声をかけてもらったことで、自分の中での優先順位を考えるきっかけとなったことは良かった。少しだけ後ろ髪を引かれる思いもあるが、どうしてもやりたいと思えば、残りのセメスター2で申請することもできる。それよりも何よりも研究の分析、論文執筆、学会発表など、博士課程の学生としての本分をしっかりとやらなくては。3年目は欲張りしないで、確実に研究を進めていくとともに、家族でのオーストラリア生活最終年を十分に楽しみたいと考えている。

 

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夏休みの家族旅行、フィリップ島(2回目)の景色。子供たちも2年で大きくなった