40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

指導教官とのミーティング、研究参加者と顔合わせ

今週月曜日は隔週の指導教官とのミーティングがあった。研究プロジェクト参加者のリクルーティング状況の報告及びインタビューの文字起こしや翻訳について相談。リクルーティング状況についてはまずまずといった反応。イギリスの会社に苦戦していることを相談したら、博士課程1年目の審査会のパネラーになってくれたイギリスの先生(指導教官の共同研究者)に相談してみたら、とのこと。

 

文字起こしと翻訳について。文字起こしについての私の相談は、外注業者にお願いするか、ソフトウェアを使うか、自分でやるかで迷っているけど、アドバイスはありますか、というもの。指導教官は通常助成金をもらってプロジェクトをやっていることもあり(もちろん時間がないということもあって)、インタビューの文字起こしは外注しているが、通常学生には自分自身で文字起こしをすることを進めている、という答えだった。自分で文字起こしをすることで、インタビューの内容が完全に頭に入るので、時間がかかるようで分析の時には「あの人があんなこと言っていたな」とすぐにわかるらしい。

 

翻訳についての相談は、日本語のインタビューの文字起こしをすべて英訳してから、英語で行ったインタビューと同じような扱いでNVivoに放り込むか、もしくは日本語のインタビューは日本語のままコーディングして、英語は英語のままコーディングして、最後統合するか、どちらが良いでしょうか、というもの。今回、私のインタビューは7割くらいの参加者が日本語、残り3割が英語のインタビューになる。過去の論文を調べてみたところ、2言語以上を扱うインタビューの場合、大体通訳を入れているので、結局文字起こしの時は1言語になっているから問題ない。私のプロジェクトのように、2つ以上の言語で行われたインタビューをそのままデータとして扱ったことがあるケースが見つからない。

 

日本語のインタビューを全部日本語で文字起こしをして、それを一文字一句すべて英訳するとなると、ものすごいボリューム(おそらくA4で200ページ超)になってしまい、外注すると100万円を超えそうなことが分かった。そのことを伝えたら、日本語のインタビューは日本語でコーディングして、英語のインタビューは英語でコーディングして良いのでは、ということだった。ただそうすると、NVivoに2つのプロジェクトを作ることになり、少し混乱するかもしれない。当然分析が済んだら、コードは全部英訳することになるし、論文で使うことになる発言も英訳することになる。それでもボリュームが元の文字起こし原稿よりもかなり少なくなるはずなので、費用はあまり心配いらないだろう。あと、コーディングや分析は日本語のものは日本語でやった方が、英文と比べて作業効率は何倍も上がるはずなので、これはこれで良いかもしれない。

 

ちなみに費用の面では、私の大学では人文学系のPhDとリサーチマスターに在籍する人は全員(奨学金の有無にかかわらず)、研究に使うことができるFundingを受けられる。旅費が2,815ドル(約22万円)、経費が4,000ドル(約32万円)。これは期間を通じた金額。そんなに高くないけど、あるだけありがたい。

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https://www.monash.edu/arts/current-students/graduate-research/funding

昨日は、研究プロジェクトに参加してくれる企業の担当部署の方と顔合わせのミーティングがあった。私からは自己紹介やプロジェクトの背景と概要説明をし、参加企業の方からは自社の取り組みの説明をしてくれた。日本企業の人と話をするのはすごく久しぶりで少し緊張した。自分が変なこと言ったりしていないか、しゃべりすぎたりしていないか、など気になってしまった。

 

ミーティングで一つ失敗があった。今回、私の方でZoomを設定したが、Zoomのデフォルトで参加者が画面シェアをできないことになっていた。企業の方が資料を使って説明してくれようとしたときにシェアができなくてトラブル。急遽、Teamsでミーティングを設定し直し、説明してくれた。初歩的なミスで申し訳なかった。Zoomのデフォルト設定はちゃんと見ておかないといけない。。先日接続テストは夫に協力してもらってやってみたのだが、画面共有のテストはしていなかった。反省。

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デフォルトでは画面共有がHost onlyになっていたので、All participantsに変更!

 

研究参加企業の方と本題に入る前に少し雑談したが、その企業では昨年4月から基本的に管理系の部署はテレワークで、そのころから今まで月1度くらいのペースしか出社していないとのこと。私が所属していた企業でも同様の話を聞いていたので、驚くことはなかったが、改めて仕事の環境が大きく変わっているんだということが分かった。

 

折しも昨日、Victoria州では新規感染者のゼロが続いていることから、さらなる規制の緩和が発表された。今週金曜日の夕方から、職場(オフィス)で働く人数の規制が、これまでの75%から100%(つまりコロナ前と基本的に同じ)になる。かといって戻らなければいけないというわけではなく、実際にどの程度職場に戻るのかは不明。でもこれを聞いて日本の状況と対照的だな、と思ってしまった。最近、正直コロナのことは忘れてしまうくらい、日常が戻ってきたと感じている。

www.dhhs.vic.gov.au

 

あと、昨夜は嬉しいニュースが一つ。研究参加企業がもう1社増えた。こちらも日本の企業。今のところ全体で7社。縁もゆかりもない異国の大学に所属する学生からの突然の依頼なのに、協力してくれるのはありがたい。イギリスの企業、何とかしないと…。

イベント盛りだくさんな3月

3月はやたらと小学校の行事と子供のイベントが盛りだくさん。まとめて記事にしておく。

 

小学校のミニ運動会

オーストラリアの季節が秋だからか、バイリンガル小学校は毎年3月に日本スタイルを一部取り入れた運動会を行う。昨年はコロナロックダウンの直前に実施できたが、今年は集まる人数の制限や管理の面から、2~3学年ごとに別々の日に学校の校庭で行った(昨年は全学年同時に学校の近くの巨大なグランドで実施)。

昨年の様子はこちら。

fourty.hatenablog.com

 

基本的なスタイルは昨年と変わっていない。まったく練習などというものはしないで、ぶっつけ本番であること、オリンピックの陸上競技のように一つのグラウンドで複数の競技が同時進行すること。また、今年は特にオーストラリア流?予定していた開始時刻よりも30分以上遅れてのスタート。しかも長男の日も次男の日も安定の遅延。。分刻みに進行していた日本の運動会とのギャップが大きすぎる。大幅に遅れているのに先生たちも焦っている様子は全くない。子供たちは十分楽しそうなので、これでいいんじゃないか、と思ったりもする。

 

学校が昨年末に工事をしていて、今回初めて出来立ての校庭に入った。一瞬「せまっ」と思ったけど、オーストラリアに来て感覚がおかしくなっていたよう。写真を撮ってみると十分に広い(でもこちらの小学校の標準と比べたらやっぱり狭い気がする)。

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2時間の間に4~5種目をこなす

運動会の他にも今週は地域の小学生が集まったスポーツ大会(クリケットやバスケットボールなどの多種目で競うらしい)や体力測定?のようなイベントも詰め込まれていた。スポーツ大会なんて、下に書いたキャンプから戻ってきた2日後に突然お知らせがあってびっくり。校長先生がオーバーフローしているのか、前日にお知らせが来たり、スタッフが足りなくて急遽親のボランティアを頼んだり、と、管理職なんだからもうちょっと計画的にやれないものか、と思ったりもした。

 

長男、小学校のキャンプに参加

小学校の3年生以上は2泊3日のキャンプに。昨年はコロナによりキャンセルになってしまったので、長男は今年が初めての参加。人数が多いため、3/4年生と5/6年生に日程を分けて実施。5年生の長男は普段仲良くしているのがほとんど4年生の友達なので、キャンプでバラバラになってしまうが、本人はそこまで気にしていないようだった。

 

ちなみにキャンプの日は、少し早めに学校に集合することになっていた。時間がギリギリだったので、私は長男の旅行バッグを抱えて、長男と一緒に駐車場から走って学校に行ったのに、ついてみると半分くらいしか子供たちが揃っていなくて、先生も点呼を取れない状態。余裕で15分くらい遅れてくる子達もいた。おそらく学校もそれを見越していつもより早い時間を集合時間としてアナウンスしたのだろう。

 

キャンプの場所は、学校から車で3時間弱ほど行ったところにあるキャンプ場。3日間盛りだくさんのアクティビティを楽しんだようだった。3日間、私と夫の2人で次男の相手をしていたので、次男は長男がいなくて寂しいというよりも父母を独占できて満足そうだった。子供が1人だけだと静かに時間が流れる。お弁当も1つだけ作れば良いし、すべての面でいつもよりも少し余裕があった。

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海の近くのキャンプ場(でも海には入っていないとのこと)http://waratahbeachcamp.com.au/

長男、友達と夜にお出かけ

ロックダウンが終わって友達も増えてきたし、親同士も交流が始まってきたところで、長男が友達から誘われて夜の外出をする機会があった。オーストラリアでは、家が離れていることや子供が大きくなるまで子供だけでの外出ができないことから、週末に親同士が約束して子供をどちらかの家で遊ばせたりする習慣がある。その延長線上で、友達から誘われて、長男のみ友達のお母さんやお父さんにイベントに連れて行ってもらった。

 

一つ目は「鬼滅の刃」の映画。3月初めに1週間だけ日本語(英語字幕)で上映されていたよう。私は全然知らなかったけど、長男が仲良くしている友達のお母さんから連絡があって、もし良かったら長男を一緒に連れていくけどどうですか?とお誘いしてもらった。時間は平日の夜で、夕方にピックアップしてもらって映画館があるショッピングモールで夕食を取りそのまま映画という流れ。帰りも送ってもらい至れり尽くせりだった。長男は夜の外出に大興奮。映画も面白かったようだ。

 

鬼滅の刃はオーストラリアでも好評らしく、当初1週間の上映期間が2週間に延びたとのこと。数か月後?に予定されている本格上映では吹き替え版になってしまうらしく、友達のお母さん(日本人)はオリジナルの日本語音声で観られる今を狙っていきたかった、ということだが、英語がわからない長男にはちょうどよかった。

 

2つ目のお出かけはサッカー観戦。こちらは先週の日曜日。日本人選手が出ている試合で、その選手とつながりがあるサッカー教室のコーチが誘ってくれて、無料で招待してくれた。総勢100名ほどがこのイベントに参加したらしい。当初家族で行きたいと思ったけど、終了時間が8時半ごろで家に帰ると9時を過ぎてしまう。次男には負担が大きいかな、と思って迷っていたら、映画の時とは別の友達のお母さんから、良かったら長男を一緒に連れていきますよ、とお誘いが。こちらも喜んで出かけて行った。次の日がキャンプなのに、大興奮して9時半ごろ帰ってきた。今度は家族で観戦に行ってみたい(私は10代の頃、Jリーグの地元チームのファンクラブに入っていたくらい、実はサッカーを観るのが好き)。

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右下が長男が一緒に観戦した応援団。でも全体を見ると席がガラガラで、これでプロとして運営していけるのかな、と思ってしまった

次男、6歳の誕生日

次男が6歳の誕生日を迎えた。昨年と同じく、Japanese Chesecakeが希望だったので、アジア系のパン屋さんで購入。写真撮り忘れたけど美味しかった。コロナが収束しているので、今年はBirthday Partyを企画。明日Playcentreで実施予定。またそのことは別の記事に。

 

海に入り納め

イベントだらけの中でも、1日だけ何も予定がない日曜日があった。天気が良かったので久しぶりにビーチに。子供たちはおそらく今シーズン最後の海水浴。大人は寒くて入れない。ビーチは賑わっていた。冬のビーチも人が少なくて好きだけど、わいわいしているビーチも活気があって良い。水は透明だし、日本の海みたいに海藻がいっぱい絡まってきたりしないので(その代わり小さな生き物もあまり見ない)、海水浴には適している。

 

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遠浅で波がほとんどないため、子供たちは安心して遊べる(ちゃんとライフセイバーも待機している)

どうしても日々の生活は子供中心になってしまうけど、昨年は基本的にロックダウンだったので全然イベントを楽しむことができなかった。これくらい忙しいのが逆に普通なのかな?あと2週間でTerm1が終わってスクールホリデーが始まる。慌てて旅行の計画を立てた。子供が小学生のときが家族旅行を一番楽しめるはずと思っている。この限られた期間のオーストラリア生活を満喫するつもりで、旅行はかなり攻めの姿勢で計画している。

 

 

研究プロジェクト参加者のリクルーティング

久しぶりに研究関連のことを記録。1年目の審査が終わってから今までの2週間ほどは、主に研究参加者を募集する作業をしていた。1月に倫理審査がおりて、3月初に無事研究内容にOKが出たので、晴れて研究の実務に着手できるようになった。

 

私の研究対象は、日本、オーストラリア、イギリスに本社を置く大企業。そのうち、研究テーマの要件を満たした会社を絞り込んだ結果、69社が調査の対象となった。この69社の中から、6~10社程度をリクルーティングし、各社の中で働く複数人(理想的には3名以上)にインタビューを行うというのがデータコレクションの中心となる。調査対象は、一番規模が小さい会社でも年間の収益が3兆円弱と超が付くほどの大企業ばかり。

 

69社のうち、日本企業の2社とオーストラリア企業の3社はコネを使ってコンタクトしたが、残りはいわゆるCold callで、すべての会社のホームページや発行しているレポートを地道にチェックして、開示されているメールアドレスやお客様相談室などの問い合わせ先に1社1社連絡し担当部署につないでもらう、という方式を取った。

 

実は日本企業の多くは、以前名刺交換したことがある企業だったし、実際に会食して仲良くなったり、情報交換会をしたり、研究会で何回も顔合わせしたりして親しくしていた人たちも何人かいた(私の分野では横のつながりを作るのが活発なので、他社にも多くの知り合いがいる)。でも会社を休職するときに勢いですべての名刺を溶解処分してしまったので、今は全く連絡先が分からない。これにはさすがにちょっと後悔したものの、会社員の立場で得た連絡先を学生として使うのはグレーな気もするので諦めもついた(でも個人的に親しくしていた数人くらいには打診できたと思うが…未練)。

 

名刺を全部捨てた話(懐かしい…)

fourty.hatenablog.com

 

幸いなことに、この2週間で6社から調査参加への同意を得ることができた(最低ラインのクリア)。6社のうち5社は日本、1社はオーストラリアの企業。イギリスはコネがないので苦戦している。

 

参加承諾してくれた日本企業のうち、1社はもともと自分が働いていた企業。1年目の審査会が終わった日に元上司に連絡をして、近況報告とともに調査に協力してもらえないかを聞いたところ、すぐに「できることなら喜んで協力します」と言ってもらえて感激した。続いてアメリカ法人で働いている元同僚にも聞いてみたら「あなたのためならもちろん協力するよ!」という返事をもらえて嬉しかった。この他、こんな部署の人にインタビューをしてみたい、ということを元上司に相談したら、部署の責任者の連絡先を教えてくれた。たまたま以前別のプロジェクトで一緒に働いたことがある人達なので頼みやすい。3月は超多忙なので連絡は4月になってからの方が良いと思います、というアドバイスまでもらった。

 

日本企業のもう1社は、博士課程を始めてから知り、コネなしで入会した日本の学会の研究部会を取りまとめている先生に相談してつないでもらった(研究部会でその企業の方が事例報告していたので)。つないでもらった会社の人からも研究参加について無事OKをもらえてほっとした。ありがたい。残りの日本企業3社は全くコネなしでのコンタクト。3社とも日本人なら誰もが知っているような有名企業。Website上の問い合わせフォームからのコンタクトなので可能性が薄いと思っていたが、研究内容に興味を持ってくれた人たちがいた。ゼロベースで調査参加者を得られたことに、個人的なコネクションで得た嬉しさとはまた別の嬉しさがあった。そのうち1社とは来週事前打ち合わせをすることになり、別の1社にはインタビュー第1弾をすることになった。

 

以前なら、電話してアポを取り、会社に挨拶に行って、名刺交換をして…という手順を踏むけど、コロナのせいで大企業の管理部門はほとんどがリモートワークをしている。オンラインでの会議が当たり前になっているので、海外からZoomやWebExでインタビューを受けることのハードルが下がっているのかもしれない。直接会って話をできたらベストなのだけど、コロナ2年目でオンライン会議が定着した時にインタビューを敢行できるのはタイミング的に悪くないかもな、と思った。これがコロナ1年目なら皆混乱していて、ゼロベースでの依頼を受けてくれる会社はほとんどいなかったのではないか(それどころじゃない!という感じで)。ただ、メールや問い合わせフォームを公開していない企業は電話をかけるしかなく、リモートワークなのに代表電話にかけてもなかなかつながらなさそうなので、電話番号(しかも代表電話)しか公開していない企業にはまだアプローチをかけていない。

 

オーストラリアの企業は、指導教官の先生が以前コンタクトをしたことがある人にメールをしてくれた。オーストラリアには大きな企業が少なく、69社中5社のみ。スーパーのColesとWoolworths、銀行のCommonwealthとWestpac、そして鉱山大手のBHP。BHP以外は自分が日々お世話になっている会社でもある(というか顧客である)。銀行の1社からは最初、忙しいので協力するのは難しい、と断られてしまったけど、先生が「今年の後半、落ち着いたときでも良いので検討してみてください」と一押ししてくれたらOKになった。ありがたい。でもオーストラリアであと1社はOKが欲しいところ。できればスーパーのどちらかがOKをくれないかな…。

 

イギリスは20社弱にコンタクトして、1社(大手スーパー)からはお断りの返事(それでも丁寧な返事をもらえたので、その時間を割いてくれたこと自体にありがたいと思った)。もう1社、消費財大手の会社からは担当部署に問い合わせしているので待ってくださいね、という返事。ここは私の分野では世界的に模範とされる企業なので、受けてもらえることになったら本当に嬉しい。残りは音沙汰無しなのでフォローする予定。でもハードルが高そうなので、どうしたら良いか戦略を考えてみよう。

 

自分も会社員として働いていた時、研究に関する協力依頼(多くはアンケート)を数えきれないくらい受け取った。以前は回答していたが、工数が足りなくなったことから、大きなメリットや個人的なコネがないところからの依頼は断るようになった。このため、研究目的の調査依頼が断られること自体は当然だとも思っている。だからこそ、わざわざ受けてくれる企業のことは大事にしたいし、意味のあるフィードバックをしたいと改めて思った。かつての自分と同じ立場の人達が主な調査協力者になるので、その人たちにとってどんな情報がメリットがあるのかなんとなくわかる。これは自分の経験からくる強みだと思っている。

 

インタビューの計画が具体的に進むことになって、今更ながらテープ起こしや翻訳を外注するのか、機械に頼るのか、自分でやるのか、どうしようかを悩み始めた。色々と調べてみたら、すべて外注すると100万円を超えそうなので現実的ではない。ちょうど学科経由で地理学を対象とした助成金(5,000ドル上限)の募集があったので、ダメ元で応募してみようかと考えている。研究内容はハッキリ言って地理学ではないが、対象が学内のGeographyとHuman Geography(マイナーな学科)の学生だけのようなのでライバルが少なそう。ちょうど来週の月曜日に指導教官の先生との定期ミーティングがあるので相談してみるつもり。

 

3月は異常なほど小学校の行事や子供関連のプライベートの予定が立て込んでいて(次の記事にまとめて書くつもり)、研究はこんな感じのペース。あと最近は大学によく行くようになり、PhD仲間が少しずつ増えてきて嬉しい。それによって英語を話す時間が増えて、前よりもスムーズに話せるようになってきた気もする。やっと留学生活らしくなってきた。

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キャンパス内にある日本のお菓子を取り扱っているコンビニが半年ぶりに再開したので、研究のお供に購入。美味しいから食べすぎに注意。今気が付いたけど、おーいお茶にAustralian Green Teaって書いてある。こちらで現地生産しているのかな?

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大学のパブで初めてランチしてみた。ボリュームのあるチーズバーガーとポテトで10ドル(800円)は街中の店より安い。今度は夕方によってビールを飲んでみたい





メルボルンで引っ越し<入居後編>

引っ越し3部作の最後は入居後編とする。これまでの経緯は以下の記事に。このブログはお役立ち情報を発信しているのではなく、あくまで個人的な生活の記録なので、引っ越しについても私が経験したことをそのまま書いている。一方、いわゆるノウハウではないが、これからオーストラリアに来て生活する人の参考になればと思う気持ちも少しある。

 

fourty.hatenablog.com

 

fourty.hatenablog.com

 

入居後は大きなトラブルなく生活しているが、日本とは違うこともある。これも一つの経験なので、忘れないうちに記録しておく。

 

入居後すぐに家中をチェックして記録

入居時(正確には鍵の引き渡し時)に、家の状態を記したコンディションレポートというものが不動産屋(もしくは大家さん)から送られてくる。退去時に敷金を清算する際、どの部分が入居者によるダメージで、どの部分がもともとあったもの(汚れなど)なのかを記録に残しておくためのものである。前回の賃貸時は、間に不動産会社が入らず、大家さんとの直接契約だったため、大家さんが家じゅうの写真を撮ってそれを自宅のインクジェットプリンタ(あまり性能は良くない)でプリントアウトしたものをファイルし、双方サインをして1通ずつ保管した。

 

今回は大手不動産会社が間に入っているので、すべてがオンライン化されており、とてもやりやすかった。まず不動産会社が各部屋の写真を撮って専用のWebsiteにコメント付きでUploadしたものをこちらでチェックして、違う点があれば入居者側のコメント/写真を添付することができる。不動産会社はざっとしか見ないので、こちらで細かくチェックをした。例えば、網戸に穴が開いていたり、シャワーの扉の一部が欠けているなど、住むには特に問題ない点をいくつか指摘した。写真はアップロードとともに日付と時間がシステムに登録される仕組みで、後付けできないようになっている。

 

オーストラリアはこういうシステム化があらゆる場面で日本よりも進んでおり、合理的で感心する。一方、ヒューマンエラーは多くて、今回も鍵を3本もらっているのに2本と書かれていたりと、修正することは多い。人間が絡むところは注意が必要。

 

設備のマイナーな不具合を発見

私たちは鍵の引き渡しの1週間後くらいに入居したので、上記のコンディションレポートは入居前に返信した(3営業日中に返さなければならなかったため)。一方、実際に電気やガスが通じた後や、住んでみて発見した不具合もいくつかあった。見つけ次第、不動産会社の担当者に連絡して対応をお願いした。

 

入居する直前に2点の不具合を発見。1つ目はトイレを流すと、タンクから水が少し漏れるという点(幸いきれいな水)。2つ目はダイニングルームにある照明の1つが点灯しないという点。両方不動産会社に連絡したら、大家さんがすぐに出向いて修理するとの連絡あり。この時はまだ住んでいなかったので大家さんに会えなかったが、翌日家に行ってみたら両方直されていて感心した(オーストラリアでこんなに迅速に進むこともあるんだという意味で)。

 

そして実際に住んでみて、さらに2点の不具合を発見。1つ目はシャワーヘッドの向きが固定されずに常に下を向いてしまうこと。2つ目はガスオーブンが点火しないこと(ガスコンロとグリルは使える状態)。シャワーヘッドはずっと下向きのまま、ちょっと中腰になって使えば問題はないが、直してほしいし、ガスオーブンは週に1~2回使うので修理してほしいと伝えた。この対応はしばらく時間がかかった。不動産会社の担当者は大家さんに連絡しているらしいが、大家さんがなかなか来てくれない。先週の土曜日に来ると言われていたけど、来た形跡もなく修理もされていなかった。

 

まあすぐに困ることではないからもう少し気長に待つか、と思っていたら、一昨日の夕食後に突然ドアがノックされて、大家さんがやってきた。私たち夫婦と年齢は同じくらいか少し上かな、という男の人。とっても気さくな人だった。こちらからお願いしなくても玄関で靴を脱いでくれた。「オーブンがうまく作動しなかったら設備ごと取り替えるよ」と言ってくれたけど、色々と試してくれたら、私たちが(大家さんも)気が付かないところに点火用のレバーがあったようで、それを引っ張ったらちゃんとガスの火が付いた。良かった。

 

シャワーヘッドの方は、位置を固定するためのパッキンが古くてダメになっているから、シャワーヘッドごと交換するとのこと。「明日の朝いちにBunningsに行って、その後交換に来るから」という答え。その後、大家さんと少し話をしたら、子供は3人いて、上の2人は20歳と18歳だけど、下の子は小6とのこと。その下の子が通っている小学校は、土曜日に日本語の補習校として使わせてもらっている学校なので、そのことを告げたら土曜校のことも知っていた。さらに小6の息子さんは、外国語で日本語を習っているということも聞いて、なんだか親近感がわいた。シャワーヘッドの交換は、あまり期待せずにいたら、翌日の午前中に大家さんのお父さんが来て、小一時間かけて交換してくれた。トラブル続きだったので、スムーズにいくと感激する。

 

お隣に住む大家さんのお父さん

シャワーヘッドを直してくれた大家さんのお父さんは、歯が抜けていて髭と髪の毛が真っ白の仙人みたいな風貌のおじいさんで、隣に住んでいる。もともと入居した日に、私たちが住む家のGreen waste(剪定した庭木や食品残差など)のごみ箱をその人が出しているのを見て、すかさず挨拶し、大家さんのお父さんであることを知った。入居者がいない間、この家の庭の手入れをしていたようだ。

 

このおじいさんがとても良い人で、いくつかの嬉しい誤算があった。入居から数日後、夫が裏庭の掃除をしていたら、どこかから声をかけられた。周りを見ると、家の裏の倉庫の上におじいさんが立っていて、うちの裏庭のさらに裏にある敷地で、洋ナシの収穫作業をしていた。「洋ナシいるか?」と聞かれたので、夫が「Yes!」と答えたら、バケツ一杯に洋ナシをくれて、「もっといるか?」と聞かれて、また「Yes!」と答えたら、バケツを返して、と言われそのバケツにまた山盛りの洋ナシを入れてくれた。家に帰ってきてびっくり。100個近い?洋ナシを手に入れてしまった。

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置き場所に困るくらいの大量の洋ナシ

ちょうどその次の日に子供のサッカー教室があったので、10個から20個ずつ袋に入れて、日本人ママたちに配ったら喜ばれた。それでも家に50個くらい残っていて、毎日洋ナシを食べている。こちらは小学校に毎日フルーツを持っていくので、フルーツはたくさんあっても困らない。その数日後、今度はイチジクをもらってしまった。おじいさんの家の敷地は果樹園のようになっているらしい。その続きなのか、私たちが住む家にもアプリコットとネクタリンの木が植えられている。

 

もう一つの嬉しい誤算は、おじいさんがうちの家の前庭と裏庭の芝刈りをしてくれたこと。先週末に作業服のおじいさんが来て、「芝刈りするか?」と聞かれたので「良いんですか?」と聞いたら、「いいよ」という感じで、ぱっぱと手際よくやってくれた。その時に少し話をしたら、このおじいさんもギリシャからの移民だった。なんとなくそんな気がしたので、聞いてみたら正解だった。私たちはメルボルンに来て、2回連続でギリシャの人から家を借りたことになる。前の大家さんとの共通点は他にもあって、家のメンテナンス(例えばシャワーヘッドの交換や庭木の手入れ)などをフットワーク軽くやってしまう。おそらく仕事としてそういう設備系もしくは庭木の手入れなどをやってきた人のようだ(隣の家には脚立や作業用のバンが停まっている)。

 

ギリシャ人の移民一代目は働き者の人が多いんだな、と思った。私たちに親切にしてくれるのは、自分ももともと移民として来て苦労したからかもしれない。「この辺りはギリシャ人が多いですか?」と聞いてみたら、前の大家さんと同じく「Too many!」という答えだった。何か困ったことがあれば言ってね、と言ってくれた。親切な大家さんに2回連続当たって、私たちは幸運だと思った。

 

オーストラリアの賃貸については、ネット上でトラブルの話をよく見るけど、そんなことばかりではないというのも事実。ギリシャには行ったことがないけど、メルボルンに来て、ギリシャに良いイメージを持つようになった。

メルボルンで引っ越し<手続き編>

引っ越し記事の第2弾は各種手続きについて。不自由な英語を駆使して何とか乗り切った記録。

第1弾の記事はこちら。

 

fourty.hatenablog.com

 

不動産屋さんとの手続きは2回目だったのでスムーズ。前回は個人のオーナーだったから、手取り足取りで良かった半面、すべて紙ベースで面倒な部分もあった。今回は大手の不動産仲介業者が間に入っているので、見事にすべてがオンライン化されており、とても便利だった。担当の人も対応が良く問題はない。入居契約以外で取り急ぎ必要だったのは、電気やガスなどの接続、インターネットの接続、引っ越し業者の手配。入居退去の手続きは全て私がやったので、夫には他の手続きをやってほしかったが、いかんせん英語が私以上にできない。インターネットだけはもともと夫が日本語ができる代行業者に頼んでいたので夫がそのまま手続きしたが、他2つは私がやることになった。

 

電気とガスの接続手続き

これが今回一番トラブルになって大変だった。退去する家と新しく入居する家は2週間ほど家賃をオーバーラップさせて余裕がある引っ越しをするつもりだったのに、最終的に電気とガスの接続がギリギリになってしまった。原因は、不動産業者が情報を横流ししたエネルギー接続の代行業者(オーストラリアは電力やガスの自由化が進み複数の業者が競争しているため、代行業者が間に入って顧客をあっせんするビジネスモデルができている模様)。

 

もともと入居契約をするときに、電気ガスの接続を代行業者に頼むかどうかの質問があり、私は今まで使っていた会社で継続するつもりだったので「代行業者への連絡は不要」の部分にチェックしていた。そして、入居契約の日に自ら電気ガス会社(AGLという会社)のサイトで手続きを済ませた。それにもかかわらず、入居契約の3日後くらいにその代行業者から電話がかかってきた(ちなみにYourPorterという会社)。「不動産会社に頼まれて、あなたの電気とガスの手続きを代行します」と言ってくる。

 

自分の記憶の中では頼んだ覚えはないけど、あまりにも相手が当たり前のように話すので、ひょっとして自分の記憶違いでお願いすることにしていたのかもしれないと思ってしまった。でも数日前にAGLのサイトで手続きしていたため「自分で手続きをしたからあなたのサポートは不要です」と答えた。そうしたら「それでは手続きがちゃんとできているかを念のためチェックしてあげます」と言ってきたので、それは悪くないな、と思い、個人情報を伝えた上でチェックしてもらった。

 

代行業者がAGLの私のアカウントページを見ると、新しい住所での接続について、申し込みが受付られていない状態とのこと。ここで私は「えっ!」とびっくり。代行業者が「まだ手続きできていないようなので、こちらで手続きしましょうか」と聞いてきたので、「お願いします」と言ってしまった。これが大きな間違いだった。

 

次の日、その代行業者の別の担当者からまた電話がかかってきて、「あなたのAGLの申込がなぜか却下されているので、別の会社と念のため契約しますか?もしAGLの方がうまく行ったら、別の会社をキャンセルすれば良いだけですので」と聞いてきた。「それは混乱するのでしなくて結構です。私は自分でAGLに問い合わせます」と言って電話を切った。その後もしつこく電話がかかってくるのでうっとうしいなと思い、その番号を着信拒否にしておいた。この頃、毎回別の担当者が代わる代わるインド訛りの早口英語で畳みかけてくるのに疲れてしまっていたし、日中に何度も電話がかかってくるのが単純に煩わしかった。

 

自分でAGLの手続きをしてから1週間ほど後、新しい家の鍵の引き渡しがあったので、新居に行って電気をつけてみたらつかない。引っ越しはその1週間後くらいで、時間にはまだ余裕があったが、通常電気ガスは2~3日で接続できるはずなので急に不安になった。そこで気が重かったが、AGLのカスタマーサービスに電話して問い合わせた。

 

その結果、「あなたの新住所の電気とガスは新規申し込みではなく、Transferの申込がされている。Transferの申込の場合は接続に1か月以上かかる」と意味不明な回答。「自分ではTransferの申込をした覚えはなく、おそらく代行業者が勝手に手続きしたと思うので、そのTransferの申込をキャンセルし、普通の新規申込に変えてほしい」と伝えたところ、そのAGLの担当者は「こちらで勝手にTransferの申込を取り下げることはできないので、Transferの申込をした人に取り下げを依頼してください」と言ってきた。

 

そんなバカげたことがあるか、とこの時はかなり腹が立った。なぜ私の電気ガスの接続を自分自身でできなくなっているのか、なおかつTransferという全く身に覚えがない手続きまでされている。おそらく代行業者は、私に聞く前にAGLではない会社(マージンが良い会社)に勝手に申し込んでおり、私がAGLにこだわるので慌ててAGLに戻す手続きをしたのではないかと推測。彼らのせいで、実際の契約者である私が新規契約ができない状況になっていた。その物件に関して私は電気ガス会社と契約したことがないのに、私の名前でTransferの申込がされているなんてどう考えてもおかしすぎる。

 

仕方がないのでまた代行業者(YourPorter)に連絡し、新しく出た担当者に最初から成り行きをすべて説明。この時、かなり怒っていたので強い口調で「あなたの会社が私に断りなく申し込んだらしいAGLのTransferの申込はキャンセルしてもらわないと困る。そちらでキャンセル手続きをするのか、私の方でAGLに再度言うのか、どちらが良いか?」とまくしたてたら、「そちらでキャンセルしてもらってよいですよ」という答え。

 

その回答をもって、再度AGLのカスタマーサービスに電話。こちらも当然、また別の人が出るので、その人にゼロからこの複雑な経緯を説明。このカスタマーサービスのおばさんがとても気が利く人で、事情をすべて理解してくれた上で、Transferをキャンセルして、私の新規申し込みの手続きをその場で受け付けてくれた。私の英語力は限られているので、何度も聞き直したり、言い直したりしたが、辛抱強く親身になって対応してくれた上に、最後の方で「あなたは日本のバックグラウンドでしょ。私は名前で分かるわ」と言われた。この英語が不自由な日本人を私が何とかしてあげなきゃ、みたいな雰囲気が電話越しに感じ取れた。

 

このAGLのカスタマーサービスのおばさんが仕事できる人で本当に助かった。この人も英語にアクセントがあったが、おそらくアジアではない。あまり聞いたことがないアクセントだったが、話すうちに距離が近くなる空気を出していたので東欧か南欧かな。ちなみに、こちらに来て様々な手続きをする中、今までいわゆるオージーイングリッシュを話すカスタマーセンターの人にあたったことはあまりない。圧倒的に多いのはインド系と中国系のアクセントを話す人。アクセントがあること自体は、オーストラリアでは特に仕事をする上で障害にならないようだ(もちろん英語自体はきちんと話せている前提)。

 

電気ガスの接続なんて何も難しいことはないのに、代行業者が絡んできたせいで状況が混乱して無駄に時間を取ったし、何より精神的に疲弊した。YourPorterはかなり強引な会社だということが分かった。これだけやり取りした後なのに、数日後、しれっと「YourPorterのサービスはどうでしたか?あなたのフィードバックをください!」というメールが来たので、10段階中0のスコアをつけて返した。

 

引っ越し業者の手配と引っ越し

こちらに来て家族4人で生活し始めてから、家具も家電も必要最低限とはいえ、それなりにそろえた。これらを自分たちで運ぶことは不可能なので、引っ越し業者に頼まなければならない。夫に仕事を分担してもらうために、当初は日系の引っ越し業者をあたってもらったが、値段が高すぎて断念(概算見積もりで10万円程度)。評判が良さそうな現地の引っ越し業者に見積もりを取ったら3万円程度だったのでそこに決めた。ちなみにRocket Removalsという会社。

 

ホームページから見積もりを取ったらさっそく翌日の朝に電話がかかってきた。こちらも早口。何を言っているのか半分くらいしかわからないが、とりあえず運んでほしいものを大体口頭で伝えたら、メールで見積書を送ってくれた。6トン車で作業員2人という見積だった。それから特に引っ越し当日までやり取りすることはない。ちなみに段ボールなどの資材を引っ越し業者から購入すると高いので、Officeworksで段ボール10箱(15ドルくらい)を購入し、あとは酒屋にある無料の段ボール箱をいくつかもらってきた。

 

引っ越し当日、時間通りに6トン車と作業員の人が来た。作業員の人はとても背が高く筋肉質で南アジア系のような見た目。日本人にはまずいない種類の体つきだった。2人とも背格好も顔も似ていてひょっとして双子もしくは兄弟だったのかもしれない。手際よく、なおかつ丁寧に作業を進めてくれた。結果、引っ越し自体は2時間ちょっとで完了。プロの仕事だなあ、と感心。こちらの引っ越し業者はいい加減だという悪い話もよく聞くけど、全然そんなことはなかった。

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長い6トン車で引っ越し。カラッと晴天で暑くもなければ寒くもない引っ越し日和だった

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冷蔵庫を運び出しているところ。自分たちでは絶対にできない作業

しかし、問題は引っ越しした日の夜に発覚。解体して運んだIKEAの2段ベッドのパーツのうち、はしごの部分の短い板(登るために足を乗せるところの板)が見つからない。おそらくトラックからおろし忘れたのだろう。翌日の朝、事務所にメールで連絡してみたが反応がない。もう見つからないのかもしれないと思い、週末にIKEAに出向いた。カスタマーサービスで、以前購入したベッドのパーツを引っ越しで無くしたことを告げ、パーツだけ売ってもらえないか聞いた。一応調べてもらったが、あいにく在庫がないとのことでダメだった。

 

土日を挟んで月曜日。再度引っ越し業者にメールしてみたら、すぐに電話がかかってきた。週末で対応できなかったことの謝罪とパーツはトラックの中に残っていたという連絡。これでほっとした。翌日、引っ越し作業に来てくれた人がパーツを家まで届けてくれた。小さなパーツだったので無くさないようにとツールボックスに入れておいて忘れてしまったよう。ちゃんと対応してもらえて良かった。

 

インターネットの接続

これは夫が対応したので夫から聞いた話。もう次々と起こるトラブルに失笑しか出ないが、インターネットの接続でもミス発生。日本語が通じる代理店に引っ越しの2週間以上前に連絡。こちらでは前の家で使っていたモデムは家において、新しい家には新しいモデムを手配して使うルールらしい。代理店からnbnというオーストラリア全体のブロードバンド会社に連絡してくれたが、nbnが住所をミスして新しいモデムが全然関係ない人の家に届くようになってしまったらしい。ストリート名は合っているが、番地の数字を間違えたとのこと。そんなことあるか?という初歩的なミス。こちらではどうしようもない。

 

引っ越しの前日くらいになって代理店から連絡があり、早くてもモデムの到着は1週間後くらいになるとのこと。こちらは2週間以上余裕を見て手続きしたのに、間にミスする人が出てしまい、結局引っ越してから1週間は家のインターネットが使えないという不便。。無事モデムが届いてからは接続は問題なく完了。別の記事にも書いたが、まさかインターネットが使えない時に、私はPhD1年目の審査(Zoomで実施)という重要な節目を迎えることになるとは(当然このタイミングで引っ越しをしたのが悪いのだけど)。

 

何でも一筋縄でいかないのが海外生活だということを改めて思い知った一方で、めちゃくちゃな英語でもなんとかなるという経験値を積ませてもらった。引っ越し自体よりもその手続きに疲弊し、1年目の審査の緊張も相まって、審査が終わった日の夜中に激しい眩暈。寝ているのに自分がぐるぐると回っていて、気持ち悪くて目が覚めた。朝起き上がることができず、朝食も子供の弁当も夫に任せてベッドに半日寝ていたが、午後には何とか復活できた。今回は短くて済んだ。でも前回の眩暈の後遺症なのか、何なのかよくわからないが、ストレスがかかると眩暈がする体質になってしまったようだ。

 

そんなこんなで苦労した引っ越しだったが、今とても満足している。終わってみれば全部結果オーライだった。引っ越した家での生活が気に入っているので、前の家に戻りたいと思ったことはない。次は引っ越し後のことについて書く。

メルボルンで引っ越し<家探し編>

ここ1か月くらい、生活がバタバタと忙しかった。その理由の大部分は、引っ越しをしたから(他にも小学校の複数の行事や次男の誕生日なども重なった)。しかも自分は前回の記事に書いたように、1年目の審査を控えていた。そんなこんなで書きたいことがたくさんあってもなかなかブログを書くところまで手が回らなかった。忘れないうちに引っ越しの記録をまとめておく。

 

引っ越しした理由

以前住んでいた家に特に大きな不満はなく、残り2年もそこに住んでも良いかな、と思っていた。一方、近所にFor leaseの看板が立っている家をたくさん見るようになって、明らかに空き家が増えていることを12月頃から感じ取っていた。私が通っている大学はメルボルンの郊外にあり、オーストラリアで最大規模の大学。留学生もまあまあ多い。コロナによる鎖国のせいで卒業した留学生は自国に戻るが、新しい留学生がパッタリと入国できなくなってしまったことで大学の周りの人口が減り、急に空き家が増えたようだ。

 

この状況に伴い、家賃相場が値崩れし始めた。ロックダウン中は不動産の下見もできなかったので動きがなかったように見えたが、ロックダウンが明けてからあちらこちらで引っ越しを見るようになった。実際、私の家の両隣の人たちも12月と1月に退去した。もっと安くて条件の良い家に引っ越したのだった。

 

私も毎日のようにWebsiteで貸家を検索するようになった。相場は1割程度下がっていたし、物件をマップで表示させると、一年前とは比べ物にならない数の物件が出ていた。以前のブログ記事に書いたが、オーストラリアは(特にシドニーメルボルンなどの人口が増えている大都市は)完全に貸し手市場。借り手がいくつもの物件を申し込んでも断られたりすることもある。それがコロナで形勢逆転。少なくとも大学の辺りは一気に借り手市場になり、安くて良い家が借りられる絶好のチャンスが訪れた。

 

借りる家の条件

住んでいた家に大きな不満はなかったが、もちろんパーフェクトだったわけではない。私たちが新しい家を探すにあたって考えた条件は以下。

  • 家賃が今よりも安い
  • 庭付きの一軒家(以前住んでいた家も建物自体は一軒家だったが、同じ敷地に6軒の家が建っているというユニット形式だった)
  • 子供が通う小学校により近くなる(かつ私の大学にも自転車で行ける範囲内)
  • お湯がタンク貯湯式ではなく瞬間式(タンク式だと湯がぬるくなってシャワーに連続して入れないため)
  • 湯舟がある(以前の家にもあったが、貯湯式のため、一度に湯をいっぱい貯めることができず使えなかった)
  • 食洗器がある
  • 木材のフローリング(カーペットより掃除がしやすく清潔に保てるため)

これらの条件をすべて満たし、尚且つ必要な部屋数である3ベッドルームの物件が見つかったので、さっそく申し込んだ。

 

賃貸契約と以前住んでいた家の大家さんからの引き留め

以前住んでいた家の家賃は、週当たり525ドル(約18万円/月)だった。引っ越した家は、もともと週当たり400ドル(約14万円弱/月)で提示されていた。物件情報が出てからすぐのインスペクションに行ったら超人気。10組以上が来ていた。家の状態が良いのに家賃がかなり安いので、何組かが申し込むことは予想できた。これは戦いになると思い、家賃を上乗せして申し込むことにした。強気の50ドル上乗せで週当たり450ドル(約15万円強/月)。それでも525ドルと比べたらずいぶん安くなる。

 

インスペクションの翌日の朝に急いで書類をそろえて1formという不動産会社共通のシステムを使って申請。自由記述欄には家の気に入ったところを具体的に記しつつ、日本人だから靴を脱いで生活することもアピールポイントとして書いておいた。その日の午後になって不動産会社から電話があった。インスペクションから24時間も経っていないのに、すでに8組が申し込みしており、何組かは家賃の上乗せを提示しているとのこと。ただ私が提示した50ドルの上乗せが一番高く、大家さんも私たちに貸しても良いと言ってくれているということで、意思確認の連絡だった。

 

実は不動産会社から連絡が来る1時間前くらいに、突然家のドアがノックされ、以前住んでいた(当時住んでいた)大家さんが怒ったような顔をして立っていた。「引っ越そうとしているのか?この家に住んでいてハッピーじゃないのか?」と詰め寄られた。不動産会社から、以前住んでいた大家さんに情報の照会が入ったようだった。私たちは家賃の滞納を一度もしていないのでそのことは伝えてもらえたようだったが、「何が不満なのか?」と聞かれたので、「不満はないが、家賃がもっと安い場所で子供の小学校にも近いところだったので申し込んだ」と正直に伝えた。

 

そうしたら、大家さんが「家賃なら引き下げられる。いくらにしてほしいのか」と聞いてきた。新しい家の家賃は450ドルであることを伝えたら、少し考えるから後から話そう、と言われた。夕方に大家さんの家に行ったら、「家賃は460ドルでどうだ。これなら引っ越すよりも良いだろう。引っ越しには1,000ドルかかる」と説得された。私と夫はこの時点でかなり迷っていたが、結局、引っ越そうとしている家の家賃450ドルよりもあえて10ドル上乗せしてきていることを考えると、相手も私たちに絶対に残ってほしいとまでは思っていないだろう、と引っ越しを決めることができた(どうしても残ってほしいならば440ドルと提示するはず)。

 

正直、私は大家さんの引き留めに対して気持ちがかなり揺れ、数日間は精神的に落ち込んでしまったが、夫は冷静で、8組も申込が入ったような物件を自分たちが手に入れるチャンスを逃すのはもったいないこと、ロックダウンのせいでダークな1年を過ごした家から引っ越しによって心機一転したいこと、限られたオーストラリア生活で色々な経験をしてみたいこと、大家さんは家賃を下げさえすればテナントは見つかるし、所有物件であるユニットを3軒売れば1億5千万円以上を手にすることができる有利な立場なので、庶民の私たちが大家さんの懐状況を気にする必要は全くないことを挙げ、どれもその通りだったので私も気持ちを決めた。

 

翌日朝に不動産屋に連絡し、450ドルでその家を借りたいことを伝えた。メールで一気に契約書類やフォームが送られてきて、その日のうちの敷金と最初の月の家賃の支払いをした。あっという間に決まってしまった。以前借りていた家の大家さんに、引っ越しをすることを告げたら「450ドルにする」と言ってきた。なんだか良くしてくれた大家さんを裏切るような気がして私は精神的に参ってしまったが、とにかく決断したので後には引けない。「今までありがとうございました」と伝え、ルールに沿ってその日から28日後に退去することにした。ちょうど1年の契約が終わるタイミングでもあった。

 

実際の引っ越しの手続きについても色々とあったので次の記事に書こうと思う。

 

最初の家を見つけたときの話。 

fourty.hatenablog.com

 

 

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引っ越した家のバックヤード。色々条件を書いたけど、結局はこの裏庭が気に入って決めてしまったのかもしれない。椅子を出して漫画を読む長男。真ん中にあるのはアプリコットの木。

 

博士課程1年目の審査終了!

先ほど博士課程の1年目の審査会が終了。一応大きな問題なく終わったのでホッとしている。 審査については簡単に過去の記事に書いているが、今日がその当日だった。

 

fourty.hatenablog.com

 

もちろんZoomでの開催。パネリストの1人がイギリスの大学の先生なので、時差の関係で少し早めのスタート。朝8時45分からとなった。こんな大事なときなのに先週引っ越しをしたので家のインターネットが使えず、大学に来る羽目に(といっても大学の方が回線が安定しているので結局大学で良かった)。大学の図書館は学期が始まってからは朝8時から夜12時までやっている。こちらの大学生は本当によく勉強する。今回は図書館の中にあるDiscussion roomという個室を使わせてもらうことに。通常なら予約制なのだが、コロナのせいで予約制ではなく早い者勝ちになっている。まずは昨日試しに8時半前に来てみたら、最後の1室がようやく確保できた。今日はもっと早く来ないといけないということが分かった。

 

私の朝のお勤めは子供たちの弁当作り。いつもは7時頃朝食をとった後に作るが、今日はそれでは間に合わないので、5時45分から弁当作りを頑張った。メルボルンは秋というか冬の様子で朝は特に寒くて暗い。この1週間は朝ガスストーブをつけている。弁当作りが終わって少し時間があったので、1回だけ家でプレゼンの練習をしていたら、家族が起きてきたので終了。

 

7時40分ごろに家を出るつもりが少し遅れて8時前。図書館についたのは8時15分。競歩のスピードでDiscussion roomのエリアに向かったら空室は残り2つだった。そのうちの一つにさっと入室。私が競歩で抜かした女の子が最後の1つを確保していた。ぎりぎりセーフ。開始まで30分の余裕があるので、図書館の中のカフェでコーヒーを買った。その後、準備したQ&Aをプリンターで印刷していたら、新入生らしき女の子からプリンターの使い方を聞かれてしまった。簡単に教えてすぐその場を退散(今日は時間がなく丁寧に教えてあげられなくてちょっと罪悪感)。図書館でプリンターの使い方を聞かれるのは初めてではない。他にもペンを貸してくれとか、道を聞かれたりとか、駅で切符の買い方を聞かれたりとか、オーストラリアにいても日本にいても、他人から何やら聞かれることが多い。

 

話はそれたが、時間よりも少し早めにZoomに入室したら、Chairの先生と学部がアサインしたパネリストの先生がすでに入室していた。早い!審査会は人文学系のすべてのHDR学生が自由に参加できるようになっており、私のプレゼンは同じPhD部屋の中国人の学生(政治学)と日本に住んでいたことがあるというガーナ人のPhD学生(この人もたまたま政治学)が聞きに来てくれていた。他には正指導教官と副指導教官も。イギリスのパネリストの先生の参加が遅れて少し心配したが、5分の遅れで無事スタート。

 

プレゼンは台本を準備していたので滞りなく進んだ。その後、恐れていたQ&A。イギリスのパネリストの先生からコメントと質問。簡単に言うと、①この研究をやって何か重要なことがわかるのか?それは誰のためになるのか? ②研究でAの点をどこまで明らかにするつもりか? の2点。①は想定していた質問だったので、一応答えることができたような気がするが、英語が不自由なのでちゃんと伝わったかどうか、一抹の不安が残る。②については本来解き明かしたいことをPhDの期間内にどこまでできるかはわからないが、こういう視点を持ちながら、このくらいのところまでは掘り下げたい、といった回答にしておいた。

 

私のテーマは間口が広くて、事象を表面的にさらうことができる内容でもあるため、学術的な人達からはそれが一種のリスクに見えるようだ。表面的な事だけをなぞっても何も新しいことは分からないよ、誰のためにもならないような研究をしないようにね、ということをリマインドしてくれたのだと思う。でもこれが結構難しい。もともとこのテーマは自分の実務経験の中から出てきたことなので、現実世界に根差している。でもそこに力点を置くと、多くのAssumptionが入ってきてしまい、研究として成り立たないことは昨年学んだ。それでは純粋な研究としての質に力点を置くと、どんどん理論的な方向に進んでしまい、今度はこれが分かったとして何になるのか?という疑問を持たれてしまう。私は自分の経験からPracticalな視点に重心を置きがちなので、Theoreticalな貢献を意識し続けることが研究のバランス的にはちょうどよいだろう、と今は思っている。

 

もう一人の学部がアサインしたパネリストの先生は社会学の人。専門分野の人よりも専門外の人からの質問の方が怖い。そう思っていたら「社会学者として質問するけど…」と始まって、社会学の基礎をちゃんと学んでいない私は焦った。質問は私がリサーチデザインで触れたInterpretivismに関することで、Interpritivismがこの研究の理論的フレームワークにどのように関係しているのか?(もっとちゃんと関連付ける必要があるのでは?)という、質問というよりも指摘だった。これは正直に「Interpretivismについては、少し本で読んだだけで知識が足りないと感じています。Interpretivismについてもっと勉強して、理論的フレームワークとのつながりを明らかにした上で論文に反映させたいと思います。アドバイスをいただき、ありがとうございます」という回答にしておいた。

 

あとその先生からは、私がプレゼンで使った”Wicked problems”というフレーズにひっかけて、あなた自身がもっと”Wicked”になることをお勧めする、みたいな洒落が利いたことを言われたけど、あまり意味がよくわからなかった。Criticalになれ、ということですか?と聞いてみたが、そういうことではないらしい。しかもその後、Chairからは、でもToo wickedにならないようにね、みたいなことも言われて、自分が言い始めたことなのに、ネイティブの言葉遊び?についていけなくなってしまった。今度指導教官にどういう解釈をしたらよいのか聞いてみようと思う。

Wicked definition and meaning | Collins English Dictionary

 

上手いこと時間切れになったので、ここでQ&Aは終了。2人のパネリストの先生には上記の他にも何か言われた気がするが、100%理解できた自信はない。感覚的には65~70%くらい。いつも指導教官の先生とZoomミーティングするときは、ほぼ100%理解できるが、今回自分の英語力がまだまだであることも改めて思い知った。イギリス人の先生はそもそもアクセントが普段聞いている英語と異なること(とはいえ、そんなに強いアクセントではなく、ゆっくり目に話してくれたような気がするが)、初めて話す人であることというハードルの他に、インターネットの接続のせいか、音声の質があまりよくなくて聞き取りに苦労した。学部がアサインした社会学の先生は使う言葉が難しくて、内容を理解するのが大変だった。

 

プレゼンとQAも含めて、このミーティングは以下のように進んだ。

①プレゼンとQ&A

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)、学生(私)、任意の聴講者

【内容】学生がプレゼンして、その内容についてパネリストから質問やコメントを受ける

 

②学生の研究態度についての確認

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)※学生は退室

【内容】指導教官からChairに対して学生の研究態度についての報告

 

③指導教官の指導状況についての確認

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、学生(私)※指導教官は退室

【内容】Chairから学生に対して、指導教官の指導状況についての確認(不満や懸念点がないかどうか)

 

④評価シートの作成と合意

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)※学生は退室

【内容】評価シート(いくつかの項目でスコア付けされているらしい)に則り、学生の進捗について評価、合意形成

 

⑤ラップアップ

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)、学生(私)

【内容】評価結果について簡単に説明を受ける

 

これを1時間の間に済ませるので、プレゼンの後はZoomに入ったり出たりの繰り返し。⑤で評価結果を知らせてもらえることは知らなかったので「あなたはパスしました」と言われたとき、「もう結果が出たんですか?」と聞いてしまった。私の英語の聞き間違いでなければ、無事にパスした模様。ただパスにもいくつか段階があって、文句なしのパス、Minor revisionのパス、Major revisionのパスがあるようなので、どれにあたっているのかは、後日正式な文書で確認することになる。とりあえず出直しは不要のようで安心した。

 

良かったのはChairの人から「僕の専門分野とは違うけど、君のレポートとプレゼンはとても興味深いと思ったし、楽しませてもらったよ」と言ってもらえたこと。もちろんリップサービスもあるだろうけど、違う分野の人に自分の研究テーマを知ってもらえる機会となるのは、この審査会の副産物の一つだと思う。とにかく1年目の審査はこのようにして終わった。来年はデータを引っ提げて報告するので、濃い内容になるはず。いよいよ実際の研究に着手する準備が整ったので、これから1年また頑張ろうと気を新たにした。

 

(追記)

記事を書いた後、指導教官からお疲れ様メールが送られてきた。そこには、M (Chairの先生)said you were confirmed with flying colours. とあった。Flying colours??調べてみると、coloursは色ではなくて旗のことで、with flying coloursというのは、良く出来た、といったような意味らしい。英語をもう少し真面目に勉強しないと話についていけない。

 

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この赤い部屋で1年目の審査会に臨んだ