40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

仕事の終わり

休職前の最終出社日は今週木曜日。次の日から会社のみんなは冬休み、私はしばらく休職。そんな中、先週は業務がパンパン、怖いのはこの段階で新しい仕事が増えていたこと。今週は流石にヤバイと思って、在宅勤務を入れたり、他の事業所に挨拶に行く予定を入れて、あまりオフィスに顔を出さないことにし、残っている仕事を片付けていた。それでも最終日、朝9時から17時までの半分以上の時間に会議が入っており、本当に私はいなくなる人なのか、自分でもわからなくなるほどだった。

 

ようやく片付けに着手できたのは、7割以上の社員が退社した18時過ぎ。。本当は勤怠の処理をしたり、社内外のお世話になった人に休職の挨拶メールを送ったりした後、パソコンを初期化、その後デスク周りの片付けや書類の廃棄などを考えていたが、どう考えても終わりそうにないので、パソコンの初期化はあきらめて、デスクの整理と荷物の片付けに専念することにした。そうこうするうちに19時ごろになり、いつのまにかフロアには自分一人。だんだんどうでもよくなってきて、大事にとってあった過去の書類や名刺も仕分けせず全て機密文書の箱の中にダンピングした。ついでに自分の残っていた名刺も箱ごと全部捨てた。

 

こうして捨ててみると気持ちが軽くなる。多分私はこの作業を一人でやりたかったのかもしれない。みんながいる場所で自分だけ過去の書類を処分したり、片付けるのが嫌で、最後までこの作業を取っておいたのかも。みんなが帰宅しても自分は年末ギリギリ最後まで仕事して、年明けいつも通り出社して「あけましておめでとうございます」と挨拶しそうなところを、デスクにも引き出しにも何も痕跡が残っていない状態にしておくというのが、無意識の中で理想的な引き際としてイメージされていたのかな、と思った。

 

そしてゴミ箱と自分のデスクを行ったり来たりしながら、最後の片付けを終えたのが20時前。フロアの照明を全部消して、今日は最後だからタクシーで帰ろう、と思いついた。実際、いくつか捨てられない私物の書籍や頂き物などもあり、両手がふさがった状態で混み合った都心の地下鉄に乗るのはウンザリなので。そしてタクシーから東京の夜景を見ながら、もうこの辺に来ることもしばらくないだろうと思っていた。やり残した事務処理をやってパソコンを初期化した状態で会社に返却に行かないといけないけど、それは少し先のこと。

 

クタクタになって帰宅してからすぐお風呂に入り、簡単に夕食を済ませて21時過ぎに子供と就寝。朝には来年のプロジェクトの打ち合わせに参加してたのに、もう仕事をしないということが不思議だけど、感慨に浸る暇もなく、これから怒涛の片付けと出国準備が待っている。でもその前に帰省。

 

翌朝、帰省に向けたパッキングをして、実家に預ける本やスーツなどの衣類を車に積み込み、なんとか午前中に出発できた。慌ただしい。関東はイマイチな天気だったけど、静岡あたりから晴天。最初は見えていなかった富士山が静岡ではくっきり。

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時速100キロくらいで走りながら撮った富士山

 

実家では東京では忙しすぎてできなかった出国に向けた事務処理の情報収集や手続きをするつもり。 束の間の休息。ようやくここまできたという感じ。やっと仕事から解放されて、新生活に向けて100パーセント時間を使うことができる。