40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

メルボルンで引っ越し<家探し編>

ここ1か月くらい、生活がバタバタと忙しかった。その理由の大部分は、引っ越しをしたから(他にも小学校の複数の行事や次男の誕生日なども重なった)。しかも自分は前回の記事に書いたように、1年目の審査を控えていた。そんなこんなで書きたいことがたくさんあってもなかなかブログを書くところまで手が回らなかった。忘れないうちに引っ越しの記録をまとめておく。

 

引っ越しした理由

以前住んでいた家に特に大きな不満はなく、残り2年もそこに住んでも良いかな、と思っていた。一方、近所にFor leaseの看板が立っている家をたくさん見るようになって、明らかに空き家が増えていることを12月頃から感じ取っていた。私が通っている大学はメルボルンの郊外にあり、オーストラリアで最大規模の大学。留学生もまあまあ多い。コロナによる鎖国のせいで卒業した留学生は自国に戻るが、新しい留学生がパッタリと入国できなくなってしまったことで大学の周りの人口が減り、急に空き家が増えたようだ。

 

この状況に伴い、家賃相場が値崩れし始めた。ロックダウン中は不動産の下見もできなかったので動きがなかったように見えたが、ロックダウンが明けてからあちらこちらで引っ越しを見るようになった。実際、私の家の両隣の人たちも12月と1月に退去した。もっと安くて条件の良い家に引っ越したのだった。

 

私も毎日のようにWebsiteで貸家を検索するようになった。相場は1割程度下がっていたし、物件をマップで表示させると、一年前とは比べ物にならない数の物件が出ていた。以前のブログ記事に書いたが、オーストラリアは(特にシドニーメルボルンなどの人口が増えている大都市は)完全に貸し手市場。借り手がいくつもの物件を申し込んでも断られたりすることもある。それがコロナで形勢逆転。少なくとも大学の辺りは一気に借り手市場になり、安くて良い家が借りられる絶好のチャンスが訪れた。

 

借りる家の条件

住んでいた家に大きな不満はなかったが、もちろんパーフェクトだったわけではない。私たちが新しい家を探すにあたって考えた条件は以下。

  • 家賃が今よりも安い
  • 庭付きの一軒家(以前住んでいた家も建物自体は一軒家だったが、同じ敷地に6軒の家が建っているというユニット形式だった)
  • 子供が通う小学校により近くなる(かつ私の大学にも自転車で行ける範囲内)
  • お湯がタンク貯湯式ではなく瞬間式(タンク式だと湯がぬるくなってシャワーに連続して入れないため)
  • 湯舟がある(以前の家にもあったが、貯湯式のため、一度に湯をいっぱい貯めることができず使えなかった)
  • 食洗器がある
  • 木材のフローリング(カーペットより掃除がしやすく清潔に保てるため)

これらの条件をすべて満たし、尚且つ必要な部屋数である3ベッドルームの物件が見つかったので、さっそく申し込んだ。

 

賃貸契約と以前住んでいた家の大家さんからの引き留め

以前住んでいた家の家賃は、週当たり525ドル(約18万円/月)だった。引っ越した家は、もともと週当たり400ドル(約14万円弱/月)で提示されていた。物件情報が出てからすぐのインスペクションに行ったら超人気。10組以上が来ていた。家の状態が良いのに家賃がかなり安いので、何組かが申し込むことは予想できた。これは戦いになると思い、家賃を上乗せして申し込むことにした。強気の50ドル上乗せで週当たり450ドル(約15万円強/月)。それでも525ドルと比べたらずいぶん安くなる。

 

インスペクションの翌日の朝に急いで書類をそろえて1formという不動産会社共通のシステムを使って申請。自由記述欄には家の気に入ったところを具体的に記しつつ、日本人だから靴を脱いで生活することもアピールポイントとして書いておいた。その日の午後になって不動産会社から電話があった。インスペクションから24時間も経っていないのに、すでに8組が申し込みしており、何組かは家賃の上乗せを提示しているとのこと。ただ私が提示した50ドルの上乗せが一番高く、大家さんも私たちに貸しても良いと言ってくれているということで、意思確認の連絡だった。

 

実は不動産会社から連絡が来る1時間前くらいに、突然家のドアがノックされ、以前住んでいた(当時住んでいた)大家さんが怒ったような顔をして立っていた。「引っ越そうとしているのか?この家に住んでいてハッピーじゃないのか?」と詰め寄られた。不動産会社から、以前住んでいた大家さんに情報の照会が入ったようだった。私たちは家賃の滞納を一度もしていないのでそのことは伝えてもらえたようだったが、「何が不満なのか?」と聞かれたので、「不満はないが、家賃がもっと安い場所で子供の小学校にも近いところだったので申し込んだ」と正直に伝えた。

 

そうしたら、大家さんが「家賃なら引き下げられる。いくらにしてほしいのか」と聞いてきた。新しい家の家賃は450ドルであることを伝えたら、少し考えるから後から話そう、と言われた。夕方に大家さんの家に行ったら、「家賃は460ドルでどうだ。これなら引っ越すよりも良いだろう。引っ越しには1,000ドルかかる」と説得された。私と夫はこの時点でかなり迷っていたが、結局、引っ越そうとしている家の家賃450ドルよりもあえて10ドル上乗せしてきていることを考えると、相手も私たちに絶対に残ってほしいとまでは思っていないだろう、と引っ越しを決めることができた(どうしても残ってほしいならば440ドルと提示するはず)。

 

正直、私は大家さんの引き留めに対して気持ちがかなり揺れ、数日間は精神的に落ち込んでしまったが、夫は冷静で、8組も申込が入ったような物件を自分たちが手に入れるチャンスを逃すのはもったいないこと、ロックダウンのせいでダークな1年を過ごした家から引っ越しによって心機一転したいこと、限られたオーストラリア生活で色々な経験をしてみたいこと、大家さんは家賃を下げさえすればテナントは見つかるし、所有物件であるユニットを3軒売れば1億5千万円以上を手にすることができる有利な立場なので、庶民の私たちが大家さんの懐状況を気にする必要は全くないことを挙げ、どれもその通りだったので私も気持ちを決めた。

 

翌日朝に不動産屋に連絡し、450ドルでその家を借りたいことを伝えた。メールで一気に契約書類やフォームが送られてきて、その日のうちの敷金と最初の月の家賃の支払いをした。あっという間に決まってしまった。以前借りていた家の大家さんに、引っ越しをすることを告げたら「450ドルにする」と言ってきた。なんだか良くしてくれた大家さんを裏切るような気がして私は精神的に参ってしまったが、とにかく決断したので後には引けない。「今までありがとうございました」と伝え、ルールに沿ってその日から28日後に退去することにした。ちょうど1年の契約が終わるタイミングでもあった。

 

実際の引っ越しの手続きについても色々とあったので次の記事に書こうと思う。

 

最初の家を見つけたときの話。 

fourty.hatenablog.com

 

 

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引っ越した家のバックヤード。色々条件を書いたけど、結局はこの裏庭が気に入って決めてしまったのかもしれない。椅子を出して漫画を読む長男。真ん中にあるのはアプリコットの木。