40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

帰国に向けた準備

3月下旬の日本への本帰国に向け、1月下旬から準備を始めた。いよいよ帰国まで1か月を切り、博士論文を書きながらも帰国に向けた様々なことに翻弄されている。ブログに「帰国編」というカテゴリーを設けてみた。今日はその第一弾の記事。今やっていることをざっと書いてみる。家族帯同、国をまたぐ移動、会社のサポート無しというのは大変だと改めて思う。駐在だと会社が引っ越し費用を全部持ってくれるから、物の処分を頑張らなくてもコンテナ1本、船便で運べて羨ましい…。

 

日本での生活セットアップ準備

1.住居探しと契約

独り身、もしくは子供がいなければ、帰国後すぐに会社の社宅や寮に入らせてもらって、じっくりと住居探しをすることができる。義務教育年齢の子供がいるとそれができない。そんなに頻繁に学校を変わるのは良くないから。

 

我が家の場合は、帰国の3~4か月前からネットで物件を探し始めた。東京に保有していた家は売ってきたので、賃貸の一軒家を探す。会社がほぼリモートワークになっているので、東京にこだわる必要はなかったが、賃貸の一軒家が神奈川や埼玉、静岡などになると一気に減る。子供の学校のことなども考慮し、結局東京で探すことに。夫が1月下旬から2月上旬に単身帰国。目星をつけた物件を2日ほどですべてまわり、不動産屋の協力もあり無事契約にこぎつけた。

 

2.子供の学校の入学手続き

賃貸が決まってすぐにやったのは、自治体への連絡。長男は中学校(入学)、次男は小学校。二人とも地元の公立に通う。長男については帰国枠の中学受験も一時期真剣に検討したが、色々考えた結果、地元の公立に通うことにした。自治体に電話して事情を説明。HPであらかじめ確認していた学区内の中学校と小学校の名前を聞いた。

 

中学校と小学校にそれぞれメールを送付。中学校の方はすぐに返事が来た。電話で話したいというので、副校長先生に電話。背景などを説明し、帰国後すぐにアポ。その時に詳しく説明してくれるとのこと。特に書類等を出す必要はなし。小学校の方は返事がないので、こちらから電話。小学校も副校長先生が対応。中学と同じく、帰国後にアポを取った。拍子抜けするほど簡単な手続き。オーストラリアの学校に入るより、日本の学校に入る方が楽だと気が付いた。住民登録制度があって、そこから情報が紐づけられているからだろうか。来るものは拒まず受け入れてくれる公立の学校、本当にありがたい。

 

3.レンタカーの手配

空港到着から数日間レンタカーを使って移動したり生活のセットアップをする。着いた日は神奈川にある夫の実家に1泊させてもらい、翌日にその近くに借りてある倉庫から荷物を新居に運搬する。当初引っ越し屋を手配する予定だったが、義父がトラックを所有していて、それとレンタカーの2台体制で引っ越しをする。義父母にはオーストラリアに発つとき、かなりお世話になったのに、また色々とお世話になることになる。

 

4.仕事関連

帰国後、1週間を待たず復職。まだ復職先を正式に聞いていないので、だんだん不安になってきて、今週人事に問い合わせしてみた。すぐに返事が来て、元上司、新上司との3者で復職面談(オンライン)が設定された。復職1週間目は、まだ子供の学校が始まっておらず、その週の金曜日には長男の中学校入学式も控えている。初日は会社用パソコンや会社用携帯の受け取り、IT関連のセットアップのために本社に出社することを想定しているが、しばらくバタバタしそう。

 

幸い会社は社員の毎日の出社を推奨していない(そもそも社員が全員出社する分の席がなく、テレワークが前提となっている)。とはいえ、帰国後すぐに在宅勤務の環境が整うか分からないので(家具やネットなど)、新居の近くにある研究所にてテレワークする想定。この研究所は会社に入った最初の7年間通った愛着のある場所(当初は技術系枠で入社したので研究所勤務だった)。自宅に引きこもって仕事するのは合わないかもと思い、あえてリモートワークできる研究所の近くに家を借りた。

 

オーストラリアでの生活撤収準備

1.住居解約

不動産屋に1か月半ほど前に連絡。もともと日曜日に退去予定にしていたが、土日はオフィスが閉まっていて鍵の返却ができないことが分かったので、金曜日に退去となった。ダメ元で退去日を2日前倒しにして、その分の家賃(日割り)を減らしてもらえないかと聞いたらOKだった。100ドル以上節約できたので良かった。

 

2.クリーナーの手配

不動産屋から推奨されている退去に当たってのクリーニング業者を手配。3ベッドルームの戸建てで見積もりは400ドルちょっと。Bond(敷金)返却保証なるサービスがあり、もしBondが100%戻ってこなかったら、そのための追加の清掃は無料とのこと。

 

3.仮住まいの予約

来た時と同じく、大学のビジター用アパートメントを借りる予定だったが、3か月以上前に問い合わせたのに満室。この時期、海外から山ほど人(主にサバティカル研究者と想像)が入ってきているんだと実感。仕方ないので、大学の近くにある普通のサービスアパートメントを数日間予約。子供たちは出国直前まで学校に通うので、生活ができる状態を確保することが重要。大学のアパートが1泊100ドルちょっとなのに対して、一般のサービスアパートメントは約2倍の1泊200ドル。2ベッドルームのアパートメント。大学割を使って少し安くしてもらった。5泊で1,000ドル。

 

4.レンタカーの予約

車も処分するが、飛行機に乗る時まで車は必要(子供たちの学校送迎、大量の荷物とともにする空港までの移動、不要物の処分など)。レンタカーはミニマム4日間で良いだろうと判断。オーストラリアに来た時は確か10日ほど借りていたが、その時と同じく三菱のアウトランダーを予約。4人+荷物なので、なるべく大きい車が良いが、これより大きくなると値段が急に高くなるので。

 

5.子供の学校の退校手続き

小学校と土曜日の補習校は3月末で退校手続き済み。ハイスクールにまだ行けていない。今週中に何とかしなくては。

 

6.車の処分

家具を含めたあらゆるものの処分の他に、車も処分しなければならない。日本人の中で買いたいという人もいたが、値段の関係でオークションに出してみることにした。次男の土曜校の友達のお父さんが中古車関連の会社から駐在しているので、その方に相談。言葉の観点以上に信頼の観点で、なるべく日本人のネットワークを使って想定外のリスクを低減する作戦。

 

7.物の処分

3年以上家族で生活していて、ありとあらゆるものが家にある。それらのほとんどを処分して帰らなければならない。このことは別記事に書こうと思っている。売れるものは売って、売れないものは寄付をして、寄付をできないものは最後お金を払って処分する。日本を発つときに、これがうまく出来なくて悪夢を見たので、同じことを繰り返さないように、なるべく前倒しで行動している(つもり)。

 

8.物の輸送

我が家はオーストラリアに来る時に、日本から自転車を2台持ち込んでいる。夫の趣味がマウンテンバイクで、30万円くらいする自転車に乗っている。来るときはカンタスだったが、カンタスは自転車を入れる箱を販売していて、分解して入れれば、大型荷物として追加料金なしで運ぶことができる。その箱の中にスペースがあったから、長男のマウンテンバイクも入れてきて、今それは次男が乗っている。

 

今回はJALで帰るが、JALの大型荷物の規定はカンタスよりも小さいらしく、箱を自作してその中に入れて持ち帰る予定だったらしい。でもバタバタするので、自転車の輸送に関しては、オーストラリアから日本の荷物輸送を行っている会社のサービスを使ってみることにした。オーストラリアに来るときは、自転車を預け荷物にした代わりに、段ボール7箱を郵便局から送ったが(合計10万円以上)、今回はその数をできれば、1~2箱程度に押さえたい(ほとんどは子供と私の本と日本に持ち帰りたいおもちゃ)。

 

9.思い出作り

ありがたいことに、3年の間に仲良くなったファミリー何組かがそれぞれお別れ会を開いてくれる。それで日曜日の予定はほとんど埋まった。でも子供たちにとっても私たちにとっても、別れを惜しんでパーティを開いてくれる人がいることはありがたいこと。話の成り行きで、シティでパーティをし、その後、家族でホテルに1泊することになってしまった。こんなにバタバタしているのに、シティのホテルに泊まっている余裕なんてあるのか?思い出作りと片付けのバランスが難しい。

 

加えて、3月生まれの次男のバースデーパーティもすることに。この忙しいタイミングで…。でもそれが次男の友達との思い出作りになるので、親としてはお金と時間をケチることは出来ない。招待したい友達は10人程度。全然知らないローカルの子も何人かいる。こちらで友達のネットワークを作ったんだなあとしみじみ。片付けの合間にパーティ会場の予約、招待状の作成、出欠確認、パーティバッグの用意などなど…。

 

こんなことを毎日やりながら、博論に向かうのは至難の業。できる限りやるつもりだが、正直、集中力がなくなってきている。日中も色々なことが気になってしまうし、実際に手続き関連で連絡がバンバン入ってくるし。とにかく目標はオーストラリアを経つ前日、家族でこの3年間をじっくり振り返って、何なら最後に海にでも行きたい。間違っても東京を出るときのようなことにはならないように…。今でもトラウマになっている。

 

ブログを書いていてよかったと思うこと。過去のことを振り返ることができる。自分のブログの一番の読者は自分(笑)。過去の記事を読むのが好き。

fourty.hatenablog.com

 

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思い出作りにと先週末は地元の自治体のお祭りに。ステージでは息子が通うバイリンガル小学校の子供たちによる太鼓の披露があった