40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

Back to school、ハイスクール初日

先週、親子留学3人(私、息子2人)ともBack to schoolな一週間だった。長男は1月31日(火)がHigh school初日。次男も同じ日に小学校のTerm 1開始。夫が木曜日に日本から帰国してきて、金曜日になって私自身、やっと大学に戻れた。

 

まず長男のHigh school中高一貫)初日について。次男の小学校入学もオーストラリアで迎えたが、小学校に続き、中学校も入学式という儀式はない。一応、前日に学校から「明日の朝、8時35分に学校の前にきて、そこで子供と別れてください」みたいなメールが来た。長男はついてこなくて良い、と言ったけど、初日くらいは、と3人で自転車に乗って中学校に向かった(私は運転が苦手(というかほぼオーストラリアではできない)ため)。

 

小学校のユニフォームはポロシャツに半ズボン、スニーカー(何でもよい)だったが、中学校になると襟付きの白シャツにブレザー(夏でも)。靴は真っ黒な革靴と決まっている。公立だけど意外とちゃんとルールがあるようだ。着なれないブレザー、履きなれない革靴、初めてしめるネクタイ。夫がいないから、ネクタイの結び方はYouTubeで何度も練習していた。

 

少し緊張しながら学校に到着。地元の公立中学だけど、最寄りの小学校からは男子は他に4人行くだけ(少ない)。小学校も公立だったけど、日英バイリンガルスクールという特殊な学校だったので、遠くから通っている人たちも多かった。中学校で完全にローカルな感じになる。ローカルと言ってもこの辺りはギリシャ系移民が多いので、校長先生を始めとして、ギリシャ系の先生が圧倒的に多い(苗字で判断可能)。以前学校見学に行ったときも、先生と保護者がギリシャ語で話していた。外国語もギリシャ語と日本語の選択。オーストラリアでは、日本語を教えている小学校や中高は多いけど、ギリシャ語は珍しいのでは。友達と無事合流できたのでその場でバイバイ。入学式がないとあっさり。

 

次に次男の小学校に自転車で移動。ぎりぎりではなかったけど、初日だからか多くの子供たちが既に来ていて、教室に入っていたようで、新しい教室の場所がどこか分からない。次男をPrep(年長)と1年生の時に担任してくれていたオージーの先生が歩いていたから、教室の場所聞いてみたら?と提案。次男が先生に英語で話しかけた。先生、びっくり。「N(次男)!英語がとても上手になっている。私があなたと最後に話したのは1年生の時だけど、こんなに英語が話せるようになっているなんて嬉しいわ!」みたいに言ってくれた。ロックダウンがあった最初の2年間の英語の伸びは10~20%(自宅で親と日本語を話す時間が圧倒的に多かったから)、3年目、ロックダウンが無くて1年通して学校に行けたら80%分伸びたと思う。先生が知っている次男は英語カタコトな子供だったけど、流ちょうに話せるようになっていることを認めてもらえてうれしかった。ちなみに小学校でも始業式はない。

 

火曜日から木曜日は子供の学校が始まったもののワンオペ継続なので、私は時間節約のために大学に行かなかった。自転車で片道30分、往復1時間かかるので単純に時間を節約したかったのと、子供の学校の送り迎えも自転車でしていたので、大学にも自転車で行くと体力を消耗しすぎるので。そもそも子供を送った後も自宅で家事が待っているし。普段大人2人でしていることを1人でするとやっぱり自由になる時間が少ない。研究は家のこと全部やってから着手できる趣味的行為なんだと気が付く。

 

木曜日の午前中に夫が返ってきたので、午後からでも大学に行きたかったが、タイミング悪くガス機器の点検が入っていたので在宅。筋肉ムキムキ、腕中にタトゥーを入れたオージーの若い男性2人が来てくれたが、何も言わないのに玄関で靴を脱いでくれて感心した。こちらの現場仕事の人たちは若い人が多くて、大体師匠と弟子の組み合わせで来る。師匠の仕事ぶりはプロだなあと思うことが多い。そしてもれなく英語の聞き取りが難しい。ガス機器は2年に1度チェックすることになっているらしく、不動産屋から手配されてきた。古いガスヒーターのうちの1つがあまり良い状態ではないとのことで、「この家には子供たちも住んでいる。危ないから使えないようにしておくね。不動産会社には交換するように連絡しておくから」と対応してくれた。しかも私が明らかに外国人と分かってからは、ゆっくり話してくれて助かる。

 

ガスは何かあってからだと怖いので点検してもらえてありがたい。もう一つのガスヒーターは問題ないとのこと。私たちは3月に退去するから、もうガスヒーターを使うことはないだろうと思っていたら、なんと翌日使った。メルボルンらしい。朝の気温11度。雨が降っていて、ヒーターなしでは震える寒さ。長袖2枚着て、ダウンジャケット羽織って大学に。。2月って、北半球で言うと8月、真夏なはずなんだけど。

 

大学に来たのは3週間ぶり。なつかしささえある。寒いし、久しぶりのキャンパスだったので、カフェでFlat white調達。久しぶりの自分のデスク。やっぱりオフィスの方が集中できる。この日は誰にも会わなかった。やっと自分がフルタイムの学生に戻れてうれしい。

Back to school記念にコーヒー

とはいえ、引っ越し関連もあるし、子供たちの学期の最初は何かとバタバタする毎日。特に長男のハイスクール関係が、学校側のミスというか、オーストラリアあるあるのいい加減なことが多くて疲れる。ふと気が付いたこと。小学校もローカルの公立に通っていたけど、副校長先生は日本人だし、各クラスオーストラリア人と日本人の2人担任体制で、要は学校の先生の半分近くが日本人の学校。だから、小学校関連はあまりオーストラリア的な「はあ?」と思うことが少なかったのかも。こまやかで責任感が強い日本人の先生たちが日本クオリティを保っていたことに今更ながら気が付いた。

 

中学校での出来事。たとえば、パソコンを1人1台購入せよと言われている。しかも適当に家にあるものを持って行ってはダメで、学校の指定業者から指定のパソコン3台のうち1台を購入することがほぼ強制されている。一番安くても13万円くらいするハイスペックなPC。2か月しか在籍しないので迷ったが、仕方なく注文。PCは業者から学校に1月20日に届いていることを確認。

 

初日の前日にロッカーのカギを買いに息子と学校に行ったとき、オフィスの人に、パソコンをまだ受け取っていないんですけどと聞いてみたら、「私は知らない。連絡待てばいいんじゃない」みたいな返事。そういうものか、と初日はパソコンなしで登校。初日はパソコン持ってこなくて良いと言われていたので問題なし。2日目もパソコンなしで登校した長男。周りは皆パソコンを持ってきていたらしく、先生に「お前のパソコンはどこにあるんだ?」と聞かれた。「まだ待っています」と答えた長男。その日、皆がパソコンを使って重要なセットアップをしている間、パソコンが無くて手持ち無沙汰だった長男。

 

この話を夕方聞いて怒りがこみ上げた。ただでさえ英語にハンデがあって、新しい環境で不安な中、数日前に確認の問い合わせまでしたのに無視されて、結局予定通りに事が進まない境遇に置かれるなんて許せん。学校のシステム使って複数の先生に連絡。「長男のパソコンは1月20日に学校に届いています(証拠添付)。一刻も早く彼にパソコンを渡してください。今日先生から、なぜパソコンが無いのか聞かれました。何らかの理由で彼のパソコンをすぐに渡せないのであれば、無料でパソコンを貸し出しすること。彼はトラブルに巻き込まれています」と強めのメール。誰が担任かもわからないので、10人くらいの先生に一斉に送った。でもその後、オーストラリアでは複数の人に連絡すると誰も責任を取らない傾向があることを思い出し、学校から配られた資料をひっくり返して、ITの担当を突き止め、学校のシステムで検索して、再度同じ文面で送付。

 

夜8時ごろIT担当から「長男のパソコンの準備ができています。翌朝ピックアップしてください」との連絡。謝罪の言葉はなし。8時に連絡が来るとは予想外(残業したということだから)。強めメールでプレッシャーをかけたのが功を奏した。お人好しではいられないオーストラリア生活。学校指定業者から高額なパソコン(含む業者への高額な手数料)を指定の方法で指定の期日までに買ったのに、放置されるというのがいかにもオーストラリアらしい。お金を巻き上げるところは熱心だけど、それ以降はいい加減。強めの口調で戦わないと優先度を上げてもらえないから、いちいち疲れる。。他にも教科書のやり取りを含めて、謎+いい加減なことが多い。オーストラリアとしては普通なのだが。

 

先週、不動産の退去手続きをしていたとき、退去申請のフォームのリンクがおかしくて問い合わせしたら、「それはいつも僕たち側でもうまく行かないんだよね。放っておいて大丈夫だよ。All good.」と謎の返事。何がAll goodなんだか。こういうのにもそろそろ疲れてきた。日本に帰るのも悪くないと思わせてくれるやり取りが複数ある今日この頃。

 

もうすぐ日本に帰るのに、夫が持ち帰ったスーツケース一杯の日本の食材が嬉しい