40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

惑いが多い40代

今日は帰国を来月に控えた自分の心境について記録しておきたいと思う。最近、オーストラリアを去ることを考えては夜中に目が覚めたりする。タイトルにある通り、私の40代もそろそろ折り返しだが、40代になってからは進路に惑ってばかり。振り返ってみると、20代は学生から社会人になり、自分のやりたい分野で食べていけるようになるために必死にもがいていた。30代は出産と育児と仕事を続けることに毎日一生懸命で、いちいち惑っている暇なんてなかった。ある意味、キャリアも子育てもバタバタの日々が過ぎて、惑う余裕が出たのが40代なのかもしれない。

 

一番直近の惑いはブログにも書いたこの話。博士課程3年目にして、思いがけずオーストラリアの現地企業から仕事のお誘いを受けたこと。この話のその後はきちんとブログに残していなかったので、整理して書いてみる。

fourty.hatenablog.com

 

経緯のサマリー

  • 2020年1月~日本の会社の休職制度を使ってメルボルンに留学(2023年4月復職予定)
  • 2022年9月に、博士課程の研究プロジェクトを通じて知り合ったメルボルンの現地企業から仕事のオファーを受けた

 

出した結論

  • 予定通り来年3月末に日本に帰国し、4月から日本の会社に復職
  • つまり、オーストラリアの企業にはお断りをいれた

 

今回、本当にたくさん悩んだ。書ききれないくらい色々考えたけど、整理してみると以下のようになる。

生活について

  • 日本もオーストラリアもどちらも好き(私も家族も)
  • 日々の生活はオーストラリアの方が自分たちに合っているが、3年間日本を離れていて、当初の予定と異なりコロナのせいで一時帰国もままならない状態が続き、日本に住みたい気持ちも出てきた
  • オーストラリアに永住するつもりはない(永住権取得を目指していない)

 

キャリアについて

  • オーストラリアで声をかけてくれた企業の仕事は自分にとってはチャレンジングではない(今まで積み上げてきた経験を使う形)
  • チャレンジは、100%英語環境でローカル企業向けにサービスを提供すること、そのことによって得られるのは英語力と異文化での職務経験蓄積
  • オファーされたポジションは管理職ではなく担当者レベル
  • 日本企業での復職先は元所属先ではなく、昨年できた新しい部署で、これまで会社としてやってこなかった新しい領域を担当する
  • 転職しなくても、大企業で最先端の領域の経験を積めるのは今後の自分にとってもプラスになる
  • 所属先の企業はコロナでリモートワークが進み、柔軟な働き方がかなり定着している(同じ部署で働いていた仲の良い後輩は昨年通して3回しか出勤していないとか、会社もフロアを集約してホットデスク方式を取り入れたり、社員食堂をクローズしたりして、中期的な視点でリモートワークを定着させたい模様

 

子供の教育について

  • オーストラリアの学校で3年間学んで、日本では得られない経験を得た
  • 英語力は保持、向上したい
  • 子供たちはオーストラリアでも日本でもどちらでも良いと言っている

 

と、ここまで書いたのは12月下旬。まだ帰国が現実的に迫っていない時。今、帰国に向けて物の処分や各種手続きを進める中、感情的にオーストラリアにすごく引っ張られている。オーストラリアは私にとって仕事する場所としてはそんなに魅力的じゃないけど(正確には休みがとりやすい働き方には魅力もあるが、仕事の内容的には日本より刺激が少ない)。でも生活する魅力にはあふれている。人口500万人の大都会メルボルンまで電車で30~40分でアクセスでき、きれいないビーチには車で20分で行ける。1時間くらいドライブすればもっと人の手が入っていない景色に出会える(海も森も)。子供のスクールホリデーには、国中にあるホリデーパークにのんびり滞在。外国旅行しなくてもいいや、と思えるほど、国内にはたくさん行きたいところがある。私は初めてオーストラリアを訪れた25年前からずっと、オーストラリアの景色、におい、空気感が好きなんだと、最近ひしひしと感じて、ここを離れることを寂しく思っている。

ビーチに寝転がって何時間も本を読むようなことが最高の贅沢

その空気を吸い続けるために、仕事のことは少し妥協しても良かったのかな、とも思い始めている自分もいて、ついwhat if を考えてしまう。選択肢に悩んで揺れていた時、こちらで出会った在豪歴20年の日本人ママ友に「どちらにしても後悔しますよ」と言われた。その時は「ネガティブな言い方だなあ」と思ったけど、今、後悔の念がちらつく中で、その言葉に慰められている自分がいる。残る選択をしていても、きっと別の後悔があったんだろうと。

 

「どちらの選択をしてもきっと良い結果になると思いますよ」という言葉は多くの人からもらって、決断するときに勇気づけられた。でも「どちらにしても後悔しますよ」という言葉ほど、今の自分を落ち着かせてくれる言葉はない。経験者は語る、だったのかな。

 

一応嫌な事も書いておくと、オーストラリアに住んでいてストレスなのは、事務手続きが基本いい加減。ミスが多くてスピードが遅い。ちゃんと仕事をしない人が多すぎる。何かの手続きをやるときに、いつも相手がミスしていることを前提に確認しなくてはならないし(そうしないと、結果こちらが困ることが多いから)、ミスやら不手際があった時には、英語で戦わないといけない。この戦いは精神的にも疲労するし、時間もかかる。そういうことが続くと、オーストラリアが嫌になる。

 

一方、日本は事務的なミスが圧倒的に少なく、色々なことがスムーズに進む。手続きの信頼性が高い。でも一人ひとりが自分に厳しい分、他人にも厳しく、息が詰まりそうになることがある。公共交通機関や商業施設では、丁寧すぎるというか、慇懃無礼なメッセージが多くてうんざりする。平気で失礼なことを言ってくる人もいる(オーストラリアではありえないようなことでも)。ほっといてくれ、と思うことが多い。こういううっとうしさをシャットアウトするメンタリティを身につけるか、人と会わなくて済むくらい田舎に引っ越せば、日本も快適な場所だと思う。

 

ちなみに、40代で惑ったのは今回が初めてではない。実は4年前にも大きな選択に迫られた。今回、このことも頭によぎった。4年前、会社の海外赴任のオファーを断ってしまったので、今回はちゃんと戻ろうと。誰に対する義理でもなく、自分の気持ちの部分で。

fourty.hatenablog.com

 

4月からフルタイム会社員に戻ると同時に、博士論文の仕上げに細々と取り組む。提出は希望が6月、納期は8月。その後、審査や修正で1年あっという間に過ぎる。今は、博士論文の仕上げと審査の間、オーストラリアにいるよりも、日本に戻ってお金を稼いでおこう、とも思っている(この3年間全然貯金ができていないので)。きっと私の卒業式は早くて来年5月になるだろう。ビザは2024年10月まである。それまでは移行期と捉えて、博士課程が完全に終わった時に、次のステップを(オーストラリアで仕事を探すことも含めて)考えたい。そのように思うことで、今のオーストラリアに引きずられそうになる気持ちが少し薄まるから。

 

40代について過去に書いたこと。

fourty.hatenablog.com