いよいよバタバタしてきたが、その理由は通常の家族生活におけるイベントに加えて、オーストラリアを去ることに付随する特別なイベントが発生しているから。これらは過ぎ去ってしまうと忘れてしまいそうなので、備忘録的に記録しておく。
シティで会合
先週水曜日は年休を取って、シティまで出かけた。午前中に美容室に。日本人の美容師がいる美容室にしてみたが、美容学校を出たばかりなのか、あまり上手じゃなかった。カットとカラーで170ドルもした割に…。東京に戻ってからしばらく忙しくて美容院にいけないだろうから行ってみたけど、ちょっと残念。美容院の後はメルボルンで知り合った人とランチして、その後は日本から来た人と合流。プチメルボルン会合とお別れランチ。
ちなみに一緒にランチをしていたのは、この動画に出ている方です。今でもオーストラリアで働きたい日本人から問い合わせが絶えないらしい。。
ママ友お別れ会
土曜日の昼にママ友お別れ会(兼参加者の2人の誕生日会)を開催してくれた。4人で集合。ありがたい。招いてくれた人が自宅で味噌カツを作ってくれた。故郷の味に感動。美味しい韓国料理屋さんでキムチを数種類買って持ってきてくれた人も。私はもう一人の友人とケーキを持参。オーストラリアに来てから、すっかりホームパーティが好きになった。
次男のバースデーパーティ
翌日の日曜日の午前中は、次男の8歳のバースデーパーティ。9名招待(あとからもっと呼べばよかったと後悔していた次男)+その兄弟が3名。3年生にもなると、親はドロップオフアンドピックアップスタイルが半数。残ったお母さんたちと会談。親にもコーヒーとマフィンをふるまってみた。喜んでもらえた。次男の友達は日本のバックグラウンドを持つ子とそうでない子が半分半分くらい。オージーのお母さんと英語で話すのはいつも緊張するけど、何度か会ったことある人とはうまく話せるようになる。
ファミリーお別れ会
次男のバースデーパーティが終わったらすぐに家に帰って食事の準備。この日は夕方から別のおうちでファミリーお別れ会を開催してくれた。1日2パーティ体制。私が持参したのは、さっとできる稲荷寿司とカプレーゼというめちゃくちゃな組み合わせ、プラスチーズとハムのおつまみ、ワイン。3家族、合計14名でのホームパーティ。色々な年齢の子供たちがそれぞれ遊べて良い。うち以外は、日本人とオーストラリア人夫婦。でもオージーの旦那さんが2人とも日本に在住歴があり、日本語ペラペラなので、100%日本語で会話できる楽な会。あまりにも日本語が上手すぎて、英語を話しているのを聞くのが違和感。つい、英語上手ですね、と言ってしまうレベル。
小学校の運動会
今週火曜日は小学校の運動会。と言っても開催は夜の6時から。学校の校庭にぞろぞろ集まって、各種競技(綱引き、玉入れ、二人三脚、煎餅食い競争など)を運動場のそれぞれの場所で同時開催方式。この風景にももう慣れたけど、これが最後か、と思うと寂しい。友達と楽しそうにじゃれ合う次男を見られた。スタートはラジオ体操、締めは和太鼓に盆踊り。日本から東京学芸大の学生が手伝いに来ていた。そういう海外研修的なイベントも復活したんだと感慨深い。ローカルのオージーの保護者も楽しんでくれたかな。オーストラリアの学校の行事は平日夜が多い。仕事は夕方に終わるし、土日は別の予定があって来ない人が多いからだろう。
PhD仲間とお別れランチ
翌日水曜日は日本食屋でPhD仲間5人とお別れランチ。いつもつるんでいる友達ではなく、同時期にPhDを始めた同期。大半の期間がコロナに翻弄され、フィールドでのデータ収集もままならず、一生に一度の博士課程が大打撃を受けた世代(みんな社会学部)。私含めて6人、みんな国籍が違ってオーストラリア人は一人もいない。日本(私)、中国、インドネシア、フィリピン、スリランカ、ガーナ。共通の話題があって話のネタに困らない。
みんな博論が終盤なので、3年目の審査をパスした後は博論を片手間に、Teachingを一生懸命やって実績とお金を稼ぎはじめている。あと何か月かは何もしなくても大学から生活費(奨学金)が自動的に支払われる状態なのに、それをわざわざ前倒しで断ち切って日本に帰国する私は変わり者に思われた。確かに奨学金の延期申請する人は多いけど、前倒しする人は聞いたことないかも。40代になるとお金より時間の方が大事になるから、きっと若い人には分からないだろうな。
PhD仲間の3年目審査
この日は中国人の博士課程友人の3年目の審査の日でもあった。ランチの前に聴講していたら、Zoom越しに見る審査員の一人がどうしても、次男の友達のお父さんにしか見えない。それが気になって内容が頭に入ってこなかった。小学校で見かけるときは、いつも気が抜けた感じで(失礼)、子供と手をつなぎながらぼーっと歩いていて、この人一体何している人だろう?と思っていたけど、審査員としてのコメントは切れ味抜群で、見た目もきりっとしていた。プロフィールを調べたら、コーネル大学で博士号を取っているアメリカ人で、とても優秀そうだった。その様子を見てやっぱり違う人かな、と思いつつ、家に帰ってから次男のクラス写真を見たら苗字が同じ。同一人物で確定。オンオフが激しい人なんだなと納得。
その話を同じ部屋にいる中国からのPhD友人(3年目の審査を受けた人とは別)に話したら、その学者のことをよく知っていて、中国政府から入国禁止措置を食らっているとのこと。中国語が堪能で翻訳家やジャーナリストとしても活動していたが、チベットやウィグル、香港などをテーマに研究したことで、危険人物リストに載ってしまったらしい。子供と手をつないで、小学校の前をぼーっと歩いている人物にそんな背景があるなんて想像もつかなかった。友人曰く、中国語でのあだ名は「熊」らしい。
1週間だけでもこんなにもりだくさんのイベント。今日は指導教官との送別ランチ、明日も別の博士課程仲間と送別ランチ、週末はシティで先週とは別のファミリーお別れ会。コロナでほぼ2年間にわたり引きこもり生活をしていた割に、メルボルンでこんなにたくさんの濃い人間関係を作れたのは本当にありがたいこと。東京を去るときよりも多くの人に惜しんでもらっている。どっちがホームなんだか分からない。
博論はいよいよConclusion chapterの最終段落を書いている。Conclusion chapterを書くのは、自分の博士課程の旅を振り返るよう。自分の研究が面白いと思えている自分がいて良かった。博論の振り返りはまた別にするとして、今のところ、自分が疑問に思っていたことを、大学から経済的や知的なサポートを受けながら3年間かけて理解を深め、それをアウトプットできるなんて、こんな贅沢なこと他にあるかな、と思ったりしている。