40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

メルボルン生活、ラスト2週間

いよいよあと1週間で帰国となった。先週1週間(つまり帰国2週間前)の出来事を記録。

 

引っ越し関係

冷蔵庫と洗濯機という、生活に必要な二大家電をついに手放した。ちょっと早めではあったが、これらの処分に困るとストレスになるため、少し不便な生活を受け入れる方を優先。家族用の巨大な冷蔵庫はオーストラリア人が50ドルで引き取ってくれた。洗濯機と乾燥機はスリランカ出身のPhD友人が200ドルで。ついでに私のホームオフィスにあったスタディデスクとチェアも彼女に。何をいくらで処分したか、落ち着いたら記事にしたい。

 

冷蔵庫無し生活は結構大変。友人がキャンプ用の電源付きのクーラーボックスを貸してくれた。あくまでクーラーボックスなので容量は限られているし、冷凍品は保管できない。冷蔵庫からクーラーボックスまでの移行はかなりストレスだった。一人暮らしや二人暮らしなら問題ないだろう。食べ盛りの子供二人を含む家族4人の三食分を保管するにはクーラーボックスはやはり小さい。いくつか捨てた食材もあるが、今は落ち着いて毎日スーパーに行くスタイルで何とか乗り切っている。

 

洗濯機もないと不便。今まで必ず毎日1回洗濯、多い日は2回洗濯を回していた。最初の2日間は夫と手分けして手洗いしていたが、それが嫌になって、近所のコインランドリーを2日に1度使うことに。家庭用よりも少し大きめな洗濯機だから、2日分洗濯物を溜めても何とか1回5ドルの洗濯に収まる。

近所のコインランドリー。旅行者気分で使っている

 

荷物の発送

上記の他にも細々とした荷物の処分を進めつつ、日本に送るものの発送をした。当初、Australia Postを使う予定だったが、日本の会社の方が安いことに気が付き、Cube itという会社のサービスを使うことに。これは帰国者が別送品として取り扱う荷物を送るというサービス。大きめの段ボール3箱と夫の自転車で1,000ドル程度。やっぱり金がかかる。

 

何が大変って、子供たちの本やおもちゃ。片付けしていて気が付いたけど、私1人の荷物量に対して、子供たちは1人当たり3~4倍以上のものを保有している。学校関連、本、どこからか集まってくるおもちゃやらなんやら。どんだけ物持ってるんだと驚く。子供たちの本、50冊以上処分したはずなのに、日本語の本は約60冊(絞ったはずなのにまだこんなにあったなんて…)、英語の本は約70~80冊を日本に送ることに。子供の本だけで合計100冊以上。大学院生の私ですら、持って帰る本は20冊程度にとどめているのに。あなたたち何なんですか、一体。

 

とにかく本は重たい。Cube itのサービスは大きな箱に20キロまで詰めて料金は一律なので、本を1箱あたり15キロ程度入れて、空いたスペースにおもちゃを入れる。レゴだけでも10種類くらい?LaQの大きなボックスも2つ。あとはよくわからないけど子供が持って帰りたいというおもちゃ色々。おもちゃもだいぶ減らしたのに…。はあ。

 

博論のドラフト送付+投稿論文に着手

スケジュールでは2月末に指導教官に博論のフルドラフトを送付して、片付けに専念する予定だったが、案の定、遅れてきている。各章のワードファイルを統合したらフォーマットが崩れ、それを直したり、読み直していておかしなところを直したり。きりがない。火曜日になって、もういいや、エイっと指導教官に送ってしまった。4月中旬のMid-semester breakの時に返事をもらうようリクエスト。

 

博論が一旦手を離れて、研究からフリーになる1か月間と思いきや、その1週間前に目にしたJournalのSpecial issueのことが頭から離れない。私の研究テーマにぴったりのSpecial issueが組まれていることをGoogle Scholarのアラートで知ってしまった。しかも締め切りは4月30日…。この納期、絶対無理だろうと、忘れたいのに気になってしょうがない。

 

気が付いたら指導教官にメールしていた。こんなジャーナルのこんなSpecial issueがあって、私の研究のこういう側面でペーパー書いてみたいんですが、どう思います?と。いいんじゃない、という答え。納期に間に合うか分からないけど、間に合わなければ他のジャーナルに出せばいいから、やれるだけやってみることに。

 

自分でもおかしなことをしていると思う。引っ越しが大変だから頑張って博論を片付けたのに、博論が手を離れた途端、投稿論文書き出すなんて。どんだけ研究が好きなの?今、全然時間が無い中、1日1~2時間程度、細切れ時間を使って書き始めている。書きたいことは頭の中にあるから、日本語ならいいのにな、と思いつつ。実際に英語で書き始めると辛くなる…。これからのキャリアに何かプラスになるわけでもないのに、研究を通じて知ったことをアウトプットしたいという心の声に逆らえない自分。

 

Farewellまみれ

前回の記事にも書いたが、3年間でこんなに多くの人と関係が作れたんだと自分たちでもびっくりすくくらい、たくさんのfarewellをしてもらっている。先週はなぜか指導教官とのfarewell第2弾。先々週に1対1でランチをした後、名残惜しくなったのか、副指導教官を呼ぶのを忘れてしまったと思ったのか、ランチしてさよならのハグをした直後に、また送別会が企画された。今回は大学内の職員用のカフェで、指導教官、副指導教官、その2人のペアに指導を受けている学生3人(私、スリランカ人、ドイツ人)。皆女性。

 

1時間以上、おしゃべり。いつもオンラインでミーティングをするだけだから、先生たちと研究じゃないことを話すのは新鮮。もう3年たったなんて信じられない、と涙ぐみながら言われた。ロックダウンが終わっても私とのミーティングは先生の希望でずっとZoomでやっていたこと、ひょっとして少し後悔している?私的には正指導教官の指導の質には満足しているが、確かにもっと人間的なコミュニケーションがあればよかったかな、と今は思う。ずっとオンラインだったのに最後に2週続けてランチとコーヒーを飲めてたくさん話せたのは良かった。

メルボルンのコーヒーもあと何回飲めるか(大学内のカフェはSt. Ali系列)

水曜日にはそのスリランカの友人がスリランカレストランに連れて行ってもらった。私だけでなく、家族4人で。友人の旦那さんも参加。コロンボに本店があるという、ちょっといいスリランカレストラン。味が洗練されていて、水曜日にもかかわらず席も結構埋まっていた。 

Upalis Melbourne

 

家族全員、ドリンクやデザートまで堪能してお会計しようと思ったら、何と友人が全部払ってくれるという。断っても払わせてくれ、と強く言われるのでごちそうになってしまった。家族4人、まあまあ良いレストランで飲み食いしたら、150ドル~200ドルいくはず。。そんなにおごってもらって恐縮した。帰りの車で夫が「そこまでしてくれるというのは特別な友達ということだよ」と。なんだかジーンとしてしまった。

友人お勧めのスリランカ料理が並ぶ。子供のために辛さは抜いてもらった

復職先の決定とアナウンス

火曜日に復職先の部署と役職が正式に決まり、人事通知を受けた。翌日水曜日に社内への開示。メッセージをくれた後輩もいた。私からも何人かに連絡。進路に迷っていた時に相談した、アメリカ支社の同僚かつ友人にも報告。私が戻ると聞いて喜んでくれた。新しい部署でもアメリカ出張があればいいなあ。彼女にまた会いたい。今週、直属上司とWeb面談。まっさらな気持ちで色々学べたら良いな。

 

今週はいよいよ最後の1週間。今日も朝から弁当作りして日常が始まった。子供たち、今になって「帰りたくない」と言い始めた。私も日中は片付けやらいろいろな手配で考える余裕がないが、夜中や明け方に目が覚めたとき、本当にここからいなくなるんだ、と寂しい気持ちが押し寄せる。またメルボルンに来られるかどうか。可能性はゼロではないと言い聞かせている。