40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

続・怒涛の出国準備

昨日、無事メルボルンに到着。今回の引っ越しは今までの中で断トツに大変だった。こんなに疲労困憊したのはいつぶりだろうか。今は少し落ち着いたので記録を残しておく。

 

前回のブログは出国2日前のことについて書いた。翌日、つまり出国の前日もハードな一日だった。

fourty.hatenablog.com

 

夫の実家でゆっくりと眠らせてもらい、朝8時頃に起床。そこから引っ越しと片付けが終わっていない、という現実に再び向き合う。まだ少なくない荷物が前の家に残っているため、レンタカーではなく、義父が所有する1トンのトラックを借りて、夫と2人で都心の元我が家に向かう。夕方には作業が完了するだろうという目論見で子どもは夫の両親に見てもらうことにした。

 

結論から言うと、作業が終わったのは深夜の12時。夫の実家に戻ったのは日付が変わった1時だった。引っ越し後の撤収に12時間以上もかかったということに愕然とする。夫と二人で黙々と作業を進め、昼食もコンビニおにぎりを5分で片づけるくらいだったので、ほぼ正確に12時間を作業に充てていたことになる。出国前日にやったことは以下。

 

  1. 部屋の片づけ(残っていた荷物を、オーストラリアに持っていくもの、オーストラリアに送るもの、倉庫に保管するもの、捨てるもの に仕分けて搬出)
  2. オーストラリアに送るものを段ボールに詰め、郵便局から国際小包で発送(最終的に7個分)
  3. 子供が日本語補習校で使う日本の教科書をJOESに取りに行く

 

1の片づけについて、1トントラックの荷台に乗りきらないくらいの荷物を都心の元我が家から夫の実家に運びこんだ。トラックの荷台から荷物が落ちないようにうまく積み込みシートをかぶせてロープで固定するのに1時間以上かかった。深夜の都心の集合住宅の駐車スペースで荷物をトラックに山盛りに積んで、まるで夜逃げをしようとしている人たちみたいだね、とクタクタになりながら夫と話した。そして、出国当日の朝、それらを仕分けし、ごみの処分は夫の両親にお願いした(ひどく迷惑な息子夫婦である)。時間がないため、相当いろいろなものを捨てることになり、後ろ髪引かれる気持ちもあったが、細かく仕分けをする時間的余裕は全くなかった。

 

せめて、3.は年内にやっておくべきだったと反省。毎日仕事をしていて平日に時間がなかったとはいえ、決して出国前日にやることではない。そして、2.は出国1週間前には終わらせておいた方が良かった。これも前日にやることではない。ちなみに、今回は会社から全額引っ越し代が出るような恵まれた海外赴任ではないため、海外引っ越し業者は使わず、送りたいもの(主に子供の本やおもちゃ)は郵便局の国際小包(SAL便)を使うことにした。7箱送ってトータル12万円程度。

 

2と3が事前にできていれば、引っ越しの2~3日前に1は概ね終わって、出国前日はゆっくりと買い物でもしながら過ごせたはず。自分がこんなに計画性がない人だとは思わなかった。というよりも、やはり初めてのことは見通しを立てるのが難しい。今回はそんなドタバタの中で、子どもを夫の両親に見てもらい寝かしつけまでしてもらって本当に助かった。日本を出る前日に両親がいつまでも帰ってこない中、祖父母の言うことをちゃんと聞いて良い子にしていた息子たちにも感謝。夫の両親のサポートがなければ、フライトを1週間ほどずらすことになっていたと思う。

 

そうしていよいよ出国当日。朝、トラックに積んだ荷物を降ろして仕分けし、スーツケースにパッキング。その後、残り1箱分入りきらなかった荷物を郵便局から発送しに行き、その足で携帯の解約もした(違約金1万円の支払い)。そして昼食後13時に夫の実家を出発。高速は空いていて15時過ぎに成田空港に到着。ここ数日のトラブルと比べると順調すぎて怖いくらい。

 

レンタカーを返却し、空港にあらかじめ送っていたスーツケース2つと自転車2台を引き取る。その後、カンタス航空に手荷物預け入れ。今回、エコノミークラス4人分なので、荷物は30kg×4=120kg預ける権利を持っている。結果、大型スーツケース3つ(26kg, 26kg, 22kg)と自転車2台(合わせて36kg)で100kg越えの荷物を預け、プラス持ち込みで小さなスーツケース(キャリーケース)を2つ、リュックサックを4つ(一人ひとつずつ)に大人はさらに肩掛けカバンもそれぞれ持ち、すさまじい荷物の量だった。預けと機内持ち込みを合わせるとおそらく130kgくらいになる。これらの荷物をカートに乗せて移動するにあたり、9歳の長男が完全に戦力となってくれた。

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これらのスーツケースに加えて自転車を2台運んだ

荷物を預けて搭乗口に向かう中で、あまりにも疲れて自分が何をしているのかわからない状態となっていた。新しい生活へのワクワク感や日本を離れるさみしさなどを全く感じることができないような精神状態。おまけにいつの間にか右手の親指と中指の先が裂けて何をするにも痛い。

 

成田発メルボルン行きのカンタスは19時20分の出発が遅れて離陸したのは20時を過ぎていた。飛行機の上では心配していた子どもの嘔吐もなく、それぞれ7時間程度眠れていた。その中で大人も4時間くらいは眠れたように思う。今回、私は機内食を事前にフルーツプレートにしておいたので、夕食も朝食もひたすらフルーツだった。マンゴーやイチゴなども入っており、おいしかった。機内食JALAir吉野家以外はほとんど食べる気がしないが、このカンタスのフルーツメニューは良かった。半分以上、隣に座った次男に食べられてしまったが… このようにして、何とか出国にこぎつけた。夫の両親をはじめとするいろいろな人のサポートあっての海外引越だった。3年後にまたやるのかと思うとうんざりするが、2回目はもう少し段取り良く進めたい。