40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

帰国して2か月

海外生活って、海外に行ったときには細かく記録するけど、帰国した時にはそうでもないと自分のブログを読んでいても思う。3月末に帰国してあっという間に2か月経った。簡単に振り返ってみたいと思う。

 

前回の振り返りは博士課程メインだったので、今回は生活のことも。ちなみに博論は1か月間かかってUpdateしたものを指導教官に送付し、レビューしてもらっているところ。

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最初の2週間

とにかく日本での生活立ち上げ、オーストラリア生活のクローズに関する手続きでバタバタした。正直、オーストラリア生活を懐かしがる時間的、精神的余裕はない(大人には)。日本での生活立ち上げで良いところは、夫と分担出来ること(日本語ができるから)と、知っているルールが多いので想定外のことが最小で済む。生活系は便利な日本ではどうとでもなるが、帰国して1週間で私の仕事が始まり、10日程度で子供2人の学校が始まったので、それらのための準備が地味に大変だった(会社に着ていく服がない、持っていくカバンが無い、社員証がどっか行った、子供の制服や体操着が無い、お道具箱など学用品全般が無い、など)。

 

次の2週間

生活立ち上げが済み、私は仕事に子供たちは新しい学校に行くことが普通になる(ちなみに夫の仕事は何も変わらないので一番変化がない人)。日本の生活も楽しいね、とどこか無理やりポジティブに思っている自分たちがいる一方、オーストラリアに帰りたいという気持ちに少し蓋をしていたようなところがあった。長男はこの頃から、いつオーストラリアに戻るのか、夏休みに少しでも遊びに行けないか、と言い始めた。

 

1か月経った頃

ちょうど日本はGWに入った。4月1か月頑張ってきて、少し気が抜けたようなところがあった。仕事から一旦離れて博論にどっぷり向き合ったことでオーストラリアに戻りたい気持ちがあふれてきた。と同時に、私の場合は働きながら論文を書くことがかなり大変な状況であることに気が付き、なんでこのオプション選んじゃったんだろう、と思ったりしていた。一方、一度会社に戻って奉仕したら、もう私は自由になれる、とも思い始めた。

 

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2か月目

私に関して言えば、GW明けから急に仕事が忙しくなり、不本意ながら定時で終われない日も出てきた。自分がチームの一員として働けている実感が出てきた一方、もともとの性格とオーストラリアでの生活から、会社で色々自由に発言したり、自分をさらけ出すことに対する周りの反応に戸惑うことも増えてきた。日本の会社の階層構造や建前主義、大きな決断をすることよりも微細な間違いをゼロにすることに注力する文化を目の当たりにし、ああ、こういう風だったな、と少し嫌な面が見え始めたりもした。

 

また仕事上、会社のダイバーシティについて考えたり情報を得たりする機会もあるが、圧倒的で不自然なほど意思決定層に女性がいないことに改めて驚いた。ジェンダーの話をすると必ず「性別に依らず実力のある人を昇進させよう」という言説を振りかざす人がいる。もしそれが本当に機能していたら、日本だけこんなに会社のマネジメント層に女性が少ないのはおかしい。日本の女性が他国の女性や日本の男性よりも圧倒的に知能が劣っている、といったデータは見たことが無いから。結局、実力=仕事のパフォーマンス+滅私奉公的な長時間労働とおじさんロジックへの迎合という図式なんだろう、と思った。私は好き勝手やらせてもらっている方だけど、もうそろそろこういう世界はいいかな、と思ったりもしてきた。

 

子供たちの様子

子供たちに関しては、長男(中学校)、次男(小学校)ともにだんだん慣れてきて、友達を家に呼んだり、友達の家に遊びに行くようなことも増えてきた。特に長男はGW明けに初めての定期テストがあり、自分の勉強のレベルを知った(私と似ず、勉強は最小限にしたいタイプ)。運動会という一大行事もあり、一人だけラジオ体操ができないから家で練習したり、軍隊方式の行進が新鮮だったり。運動会の練習の練習の練習みたいなことをずっとやっているのが不思議そうだった。日本の運動会ってスポーツイベントではなく、軍隊として統率の取れた動きを叩き込むためのイベントなんだと改めて思った。部活は陸上部に入って、週に3日ほどは身体がボロボロになるほど、とにかく走りこんでいるらしい(1日は休み、1日は室内の日)。身体を動かすのが好きな人なのでちょうど良いだろう。食事の量が増えた。

 

次男は次男でぽわぽわしながらも毎日学校に通っている。こちらは意外と勉強が好きなようで、何も言わなくても宿題をやっていたりしてびっくりすることもある。同じ環境で育つ兄弟でも全然違うから、やっぱり生まれ持った性格ってあるんだなと。次男はこれまで狭い都心のアパートで4年、ロックダウン中のメルボルンで2年、ロックダウン後のメルボルンで1年という生活だったこともあり、運動面で心配がある。基本インドア派なのは性格もあると思うが、出かけてもすぐに疲れたというし、逆上がりができないのもクラスで1人だけ。兄弟で得意なことと苦手なことが対照的。

 

長男の運動会を見て思ったが、都心の学校に通っていた時と比べて、自然豊かな郊外の子供たちは各段に運動能力が高い。長男の身体能力は自然豊かな郊外(今住んでいるエリア)に住んでいた5歳までの幼少期にベースが作られたと思う。都心の小学校時代(3年間)、メルボルンの小学校時代(3年間)ともに足が速い方で、それを自信にしていたが、こちらに来て、普通の公立中学校に運動ができる子がものすごくたくさんいてびっくりしている。都会の子と動きが違う。小さいころからそこら中を走り回る生活をしていたからじゃないか、と夫と仮説している。メルボルンは意外と車生活だから、スポーツをやっている子とそうでない子の差が激しい。

 

もう一つ、運動会でびっくりしたこと。長男と次男、それぞれと同じクラスにいる兄弟がいて、子供たちの性格も合うからか、長男は長男で、次男は次男で、その兄弟と友達になった。運動会の時にそのご両親とお話しする機会に恵まれた。驚いたことに、そのご両親は12年間アメリカに住んでいて、子供が2人ともアメリカで生まれている。こんな郊外の公立中学で、海外経験がある人に出会えるんだ、と嬉しく思った。

 

お父さんの方に、12年もアメリカにいたのはお仕事ですか?と聞いてみた。駐在なら数年なはずなので、10年以上というのはまれ。そうしたら研究者とのこと。なんと有名国立大学の教授だった。子供の運動会でアカデミアの人と出会えるなんて。興味を持って調べてみたら、東大を卒業して、プリンストンでPhDをとり、その後8年間ほどアメリカの大学で教えていたという経歴を持った人だった。すごい人が近所にいるな(笑)。話してみると色々分かって面白い。長男からそのおうちの長男(友達)は先生によく注意されている、と聞いていたけど、「〇〇君、勉強できるでしょ?」と聞いたら、「めっちゃできる」とのこと。担任の先生に何話しているかばれないように、2人で英語で話しているらしい、と弟の方が教えてくれた。

 

あともう一つの出来事としては、長男の保育園の同窓会に参加したこと。4年間住んだ都心のエリアに久しぶりに出かけた。多少なつかしさは感じたが、都会過ぎてホーム感はなかった。泊りがけで行ったので、翌日ぶらついていたら、オーストラリアのカフェに遭遇。久々にFlat whiteを飲んだ。

懐かしいメニュー

その後、オーストラリア大使館主催の留学フェアに。ちょうどメルボルンの学校から来た先生が模擬授業を実施していた。長男は久しぶりに45分間英語の授業を受けた。懐かしかったみたい。またメルボルンに行きたいね、と話していた。

模擬授業の様子

そして先週は長男が大好きなアーティストのライブに2人で行ってきた。また都心に。アメリカ人アーティストということもあり、オーディエンスも2~3割程度が外国人だった。我が家のように親子連れも何組か。曲の合間に色々話すが、言っていることほぼ全部理解できるから、英語ができて良かったね、と思う。今、このアーティストはオーストラリアにいて、今週末はメルボルンでライブをする。長男の友達はメルボルンでライブに行くみたいで、ここでもつながっている感ができてうれしい。

BoyWithUkeという人。とにかく若いエネルギーにあふれていた。今どきのライブは、スマホでの写真と動画の撮影やSNSへの公開もOKということにびっくり(NGは一眼レフでの撮影とライブ動画配信)