40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

親子留学生の生活@メルボルン

最近忙しすぎてブログに書きたいことがたまっているのに書けない。どんどん新しいことが起きるので、忘れないうちにこの2週間の出来事を羅列してみる。

 

大学の招待でMelboune Zooに

私が所属する大学はとにかくイベントが多いが、2週間前の週末は家族持ちの大学院生をMelbourne Zooに招待してくれるイベントがあった。大学からバスが出ていたが、私たちは自由に動きたかったので現地集合のオプションを選んで自家用車で。

 

この日の午前中は、次男が友達のバースデーパーティに招待されていて(最近、子供たちが隔週でバースデーパーティに行くのでバタバタ)、バースデーパーティからピックアップ、途中でランチ、午後からZooという忙しいスケジュール。ランチはMelbourneで最もおしゃれな?FizroyにあるHinokiという日本食材店のテイクアウトの寿司。文句なしのおいしさ。

ここは日本ですか?

Fizroy全体はオルタナティブな感じで、下北にありそうな店もちらほら

Zooでは、大学がホールを貸し切って、ここでもサンドイッチなどをいただく。家族連れといってもほぼ子連れ。しかも半数はインドネシア人留学生。一緒のテーブルになった金髪ショートカットのママが腕にぐるっと一周トトロのタトゥーをしていたので、日本好きかな?と思っていたら、日本語で話しかけられた。日本語を勉強していたアメリカ人。子供が0歳と1歳という組み合わせ。ベビーのお世話で忙しそうで自己紹介をしそびれた(子連れあるある)。そうしたらなんと翌日に大学のメールにその人から連絡があった。わざわざ大学のHPの社会学部のページにアクセスし私を探しあてて、メールをしてくれたようだ。こうやって新しいつながりができてくるのはうれしい。

動物園のホールを貸し切って交流

寿司を食べた後にサンドイッチ

Zooでの私的ハイライトは泳いでいるカモノハシを存分に見られたこと。意外とアクティブでびっくり。Melbourneの他の2つのZooは既に行っていたので、Melbourne Zooは行かなくても良いかと思っていたけど、大学のご招待で無料で参加できて感謝。なんといっても入園料が高くて、大人一人42ドル!家族で行って食事もしたら100ドルを超えるから、大学様様、ありがたや。

気が付いたら動物の写真をほとんどとっていなかった

子供たちはお土産までもらった。次男お気に入りの鳥を自宅のバックヤードで撮影

 

大学のSustainability Festival

先週は上記Zooに招待してくれたのと同じ大学院アソシエーションのイベントで、Sustainability Festivalがあった。

フェスティバルの様子

洋服の物々交換

要らなくなった洋服を持ちより交換するイベント。私は日本から持ってきたけど全然着ない服(ワンピースやブラウスなどの仕事着)を5~6着持って行った。代わりにとってもかわいいサーフブランドのニットとサッカーチームのユニフォームをゲットした。メルボルンはずっと寒いので、ニットが大活躍。お金出しても買いたいくらい気に入ったニットが無料で手に入って大満足。

 

面白かったのは、同じ部屋のPhD仲間も洋服を持って行って物々交換してきた。何をもらってきたのか見せてもらったら、彼女がもらってきた洋服の1枚は私が放出した服だった。東京にいるときはかなり気に入ってきていた服だけど、こちらでは着る機会がなかったので寄付したが、彼女はTeachingもしているので少しフォーマルな服装を探していたみたい。

洋服の物々交換楽しい!真ん中に写っている黒いブラウスが私が提供して友人がゲットしたもの

食べられるコーヒーカップ

イベントに定番の無料コーヒースタンド。この時はSt.Aliが出していたが、カップリユースできるプラスチックのカップか、食べられるカップかの2択だった。面白いから食べられるカップを選択。無料だからとアーモンドミルクのラテにしてみた。

コーヒーを飲んだ後はカップを食べる

食べられるカップは甘くないビスケットの味。気になって調べてみたら、メルボルンベンチャー企業が2020年に立ち上げたビジネスのよう。他にシティのカフェでも提供されているようだが、カップだけで1つ3ドルくらいするので、まあまあ高い選択肢。先日WA州が使い捨てのコーヒープラカップ(コールド用)を全面廃止し、次はホットコーヒーのカップも廃止の動きになっているようなので、こういう代替品が普及してくるのだろうと。それにしても、カップを食べてしまおうという発想がオーストラリアっぽくて面白い。

https://good-edi.com/

 

エコグッズ色々

エコな商品をいくつか無料でもらえた。私が選んだのはBeeswaxのラップ(ポリエチレン製の使い捨てラップの代替品)、ナプキンが要らない生理用ショーツ、お弁当箱。特にBeeswaxのラップは前から欲しいと思っていたので、無料でもらえてありがたい。

色がカラフルで見ているだけで楽しい

他にもVegan用のバーガーが無料でふるまわれたり、オーガニックの野菜がもらえたりと、何かとお得なフェスティバルだった。

 

公園でサッカー

先週末の日曜日は何も予定がなかったが、家で昼食を食べていたら、近所に住む長男の友達(オージー)がドアをノック。家で遊んでいたら、今度は長男の別の友達(日本人ママ)からメール。サッカーをしに行かないか、というお誘い。遊びに来ていたオージーの子も連れて、隣駅の近くにあるサッカー場まで自転車で行った。

 

そのサッカー場自治体が管理している人工芝のサッカー場。とてもきれいなのに無料で使えるというところにびっくり。行ってみると長男の友達の陸上仲間の子たちがサッカーをしていて(ややこしい)、長男の友達のオージーパパも知り合いのパパがいて意気投合。急遽、男子10人でサッカーマッチをすることに。長男は学校ではその友達に次ぐ運動神経の良さ。一緒に行った近所のオージー友達は学年が一つ下だが、同じくスポーツ好き。

 

眼鏡をかけてMinecraftのTシャツを着た小柄なアジア人の長男。一見スポーツが出来なさそうに見える長男を相手はノーマークだったが(舐められていたと思う)、途中からマークされるようになって、認められているのが分かった。身体の大きなオージーの男の子に交じって必死にサッカーをしている長男を見ているのが面白く、長男のサッカーも刺激を受けてだんだんうまくなっている。スポーツっていいなあ、と単純に思った。オーストラリアはスポーツ大国だが、こうやって自治体が無料でスポーツができる場所を各所に整えてくれていて環境に恵まれていることが大きい。

無料でスポーツが楽しめる贅沢

平日も週末もイベント目白押しで毎日があっという間。この週末には長男の12歳のバースデーパーティも控えているし、卒業に向けた色々な行事の準備、自分の研究の発表やら論文の執筆やら、親子留学生の日々はこうやって楽しく忙しく過ぎていく。

オーストラリア現地企業からのお誘い

先週の火曜日、突然仕事をオファーされるという驚きの出来事があった。まだ答えは出していなくて、悩んでいる最中。

 

ことの経緯は昨年に遡る。私は博士課程の研究のために、ちょうど1年前、オーストラリアにある大企業10社のマネージャーや責任者にZoomでインタビューをしていた。当初、コネなしで公開されているメールアドレスに研究参加依頼のメールを送り、返信をくれた人にインタビューを行っていたら、そのうちの一人が私の研究内容に興味を持ってくれて、全く別の業界のA社(Mさん)を紹介してくれた。A社はもともと調査のスコープに入っていなかったが、企業規模や条件をクリアしていたので指導教官への相談を経てインタビュー。

 

その結果を博論のチャプターにまとめるのとは別に、参加者用にレポートを作成し、送付したのが今年の6月。Mさんが数か月前にA社からC社に転職していることをLinkedInで知り、LinkedIn経由でメッセージを送って、Mさんに無事レポートを送付したところ、Mさんのチームミーティングで内容をシェアすることになった。その時の記事は以下。ちなみにC社はイギリスに本社があるコンサル会社。

 

fourty.hatenablog.com

 

この会議に参加していたMさんの上司のSさん(C社のアジア大洋州の責任者)が鋭い質問をいくつか投げかけてきた上、C社が実務者向けに開催するカンファレンスでプレゼンしたいかどうかを聞いてきた。その後、メールのやり取りをしていて一度会うことに。それが先週の火曜日。

写真のビルに会社のオフィスがある。安定の曇天メルボルン

オンラインでも良かったけど、せっかくメルボルンにいるのだからと、シティの近くのオフィスまで電車に乗って向かった。オフィスはいたって普通。近くのカフェにSさんとMさんと3人で行って、コーヒーをごちそうになった。カンファレンスのことを話すのかな、と思っていたら、Sさんが開口一番「きみは博士課程が終わったら何をするつもり?うちで働くことに興味はある?」と聞いてきた。突然すぎて、上手く答えられず、とりあえず日本の会社を休職中なので博士論文を提出した後は日本に帰国予定であることを伝えた。

 

その後、1時間程度、私の過去の仕事のことやその会社の業務内容、募集しているポジションについてや業界の動向などについて話をした。ちなみにSさんは明らかにブリティッシュアクセントだったので、イギリス人ですか?と聞いてみたら当たりだった。私にとっては慣れないブリティッシュアクセントを聞き取るのが結構大変だった。

 

募集中のポジションは2つあって、一つはメルボルン、もう一つはシンガポールで募集がかかっているが、2つをまたがる仕事をしても良いし、拠点も特にこだわりがないとのこと。学生ビザについて話したら、メルボルンに住み続けたいならビザのサポートもできる、会社は意外と大きくて、グループ全体だとグローバル2,000人、オーストラリアで500人の従業員がいるから、アドミン関係もしっかりしているよ、とのこと。迷っているなら博士論文を提出するまでの間、パートタイムで働いてもいいし、とまで言われた。

 

募集中のメルボルンのポジションは、オーストラリアとニュージーランド企業向けのコンサルであり、当たり前だが日本語を全く使う機会がなく、英語を当たり前に話すことが求められている。日常会話ができれば良いのではなく、コンサルタントとして英語力を含む高いコミュニケーション能力が求められる。

 

そんな仕事が自分に務まるはずがないと思って「英語の問題があるので、その仕事に私が就いてもうまくいくかわかりませんよ」と言ってみたが、Mさんが「そんな心配はいらない。ぼくももともと英語ネイティブじゃないから大丈夫」と流ちょうな英語で言う。Mさんはスペイン出身。すかさずSさんも「私だってオーストラリア人じゃない。ここにいる3人みんなオーストラリア人じゃないね(笑)」と。インターナショナルな環境であることは分かった。私は仕事の内容自体には不安はないけど、とにかく英語力が不安すぎる。もう一つのシンガポールのポジションについては、アジア(の国の一つである日本)で働いたことがあるというバックグラウンドは多少役に立ちそう。とはいえ、日本人を相手にするわけではなく、あくまで英語で仕事をするポジション。「考えを整理するために少し時間をください」と言ってその場は終わった。

 

その日は仕事が手につかず。次の日は指導教官とのミーティング。このミーティングで前回惨敗したDiscussionの章のOutlineに合格が出たので、最後にちらっと情報共有。特に反応なし。

ミーティングの後は気持ちを落ち着かせるために独りラーメン

週5でレッスンを受けているCamblyの先生たちにも本件について情報共有。Camblyの先生たち(アメリカ人2人、オーストラリア人1人)はそれぞれCongratulations!と言ってくれ、経験を踏まえて有益かつ興味深いアドバイスをしてくれた。ありがたい。他にもPhD仲間に相談したり、偶然会うことになったメルボルン現地企業で働く日本人の知り合いに話を聞いたり、スクホリ中ということでたまたま予定していた次男のPlaydateでローカルのママ友に相談したりもした。1週間のうちに本当に色々な人から色々な観点でのアドバイスをもらって参考になった。共通するのは、現地での経験がない外国人がオーストラリアで仕事を得るのは簡単ではないことから、このチャンスを逃さない方が良いというもの。相談した6人中、日本人は1人で、彼女もオーストラリアに長く暮らしているため、日本に住む日本人の意見はまた別になるかもしれない。

 

もちろん家族にもすぐに相談。当たり前だが、就職活動していたわけではないのでびっくりされた。ありがたいことに、オーストラリアに残っても日本に戻ってもどちらでも良いという。子供たちにとってはもはやこのままオーストラリアに残る方が自然だろう。夫はずっとオーストラリアに住むつもりはないが、あと何年かは住んでも良いとのこと。私が気にしていることは、①休職している会社をそのまま退職するのは無責任に感じること(約束が違う) ②家族を養う立場で、安定した日本の大企業の仕事を辞め、不安定な雇用のオーストラリア企業に飛び込むこと ③英語でローカル企業向けにノンネイティブの自分がコンサルの仕事をするのはチャレンジングすぎること の3点。

 

一方、オーストラリアで自分のしたい分野の仕事をするのは20代の頃からの夢(目標ではなく、あくまでぼんやりとした夢想)としてあって、今回の出来事でそれを思い出してしまった。

 

私の領域は、20年前には仕事そのものがほとんどなかった。アデレードの大学で修士修了後、オーストラリアに残りたかったが、自分の興味がない仕事をしてまでオーストラリアに住みたい訳ではなかった。自分のやりたい仕事をするために、母国語を使える日本に帰国した。新卒採用どころか、そもそも求人自体がほとんどない状況で、興味がある事業をやっている会社何社かに履歴書を送り、何とかベンチャー企業契約社員としてもぐりこんだ。

 

案の定仕事はとても面白かったし、同僚や先輩にも恵まれたが、超絶不安定なブラック職場環境で、時給換算すると最低賃金を下回る状況。20代の頃はとにかく自分がやりたい仕事でキャリアを積むことを優先し、他のことを犠牲にした。時代の流れは変わり、業界は20年間の間にニッチ産業からメジャー産業に成長。そのおかげで変化の連続で飽きずに続けてこられただけでなく、2回の転職を経て大企業に雇用され管理職になり、いつのまにか年収は15年余りで数倍に。個人的には仕事内容に対してもらいすぎでは?と思うほどの額になっていた。

 

ここまできた今、若いころの自分がずっと無理だと思っていたこと(オーストラリアで自分のやりたい仕事をすること)が、突然手の届く範囲に現れて、どうしてよいか分からない状態になってしまっている。日本に住むことや日本企業で働くことが嫌になっているわけでもない。むしろ休職中の企業には今でも愛着があるし、仕事を通じてつながっている人たちにも久しぶりに会いたいし、自分が戻るべきホームのような感じもしている。もう少し悩む時間があるので、よく考えてから答えを出そうと思う。

 

3世代Uluru旅行 後編

前編のつづき。

 

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翌朝、荷物がないことにまた気分がへこむ。化粧もできない。すっぴん+日焼け止めだけ塗って朝食に。ホテルのビュッフェは最高だった。このホテルにしてよかった。私はあまりたくさん食べられないけど、両親が気持ちが良いくらい食べるのでもとを取った気分。

 

朝食後はカタジュタに行くことにした。車で40分くらい。カタジュタでは一番短いコース(1時間程度)を歩いた。混んでいることはなく、たまに人とすれ違う程度。本当はもっと奥のほうまで行きたかったけど、70代の両親と7歳の次男の体力を考えるとあまりアクティブに散策出来ない。しかも母親は両足の股関節を人工関節に入れ替える手術をしていて、日本では障がい者手帳持ちである(とはいえ、私よりも早足ですたすた歩くくらい元気だし、これで手帳もらってよいのか?と思うレベル)。

カタジュタの風の谷。何かを眺めている私の父親と長男。もっとこの景色の中にいたかった

生き物の気配があまりない中、小さなトカゲは何度か目撃した

だんだん昼になって暑くなってきたのでホテルに戻った。懸案の荷物についてまたJetstarにコンタクト。1日1本の飛行機が12時過ぎに到着するはずで、私たちの荷物はホテルに届けられるはず。暇なのでホテル内で無料で使えるランドリーで前日に着ていた服を洗濯。洗剤まで無料で使えるホテルは初めて。ホテルは至れり尽くせり。

 

午後になっても荷物が届かないし、暑くて外の散策はできないので、空港まで荷物を取りに行くことに。2時半ごろに向かったら、空港のカウンターには誰もいない。人っ子一人いない空港。なんか嫌な予感。狭い空港内で誰か人はいないかうろうろしていたら、帰宅する風のスタッフに遭遇。「何しているの?」と声をかけてくれたので、「Jetstarが荷物を無くして、今日届くはずなので取りに来た」と言ったら、「さっきJetstarのスタッフが大量の荷物を積んで出かけて行ったよ」とのこと。入れ違いになったようだ。

 

急いでホテルに戻ったら、ホテルの前に停まっていたバンに私たちのスーツケースが積まれているのを発見。バンの窓をたたいて運転手にアピール。バンは出発しようとしていて、私たちの荷物がまたどこかに持っていかれるのではないかと焦った。そのバンはホテルのバンで、運転手はホテルのスタッフ。私たちの部屋に届けてくれるところだったようだ。他にも2組?の荷物が積まれていて、ベビーカーもあった。ベビーカー無しで過ごした人たちはどこにも出かけられなかったのでは?不幸な思いをしたのは私たちだけではない。

 

無事に荷物をゲットし、子供たちは待ちに待ったプールに。私はプールに入るつもりはなかったが、気分を変えたかったので水着に着替えて子供たちと一緒にプールに入った。

やっと水着を取り戻しホテルのプールで遊んだ。メルボルンからワニを持参していた次男

プールの後は部屋でゆっくりして早めに夕食に。これで旅行のほとんどが終わってしまったと思うとやはり2泊3日は短い。無事に取り寄せた荷物の中にあったパジャマ、コンタクトレンズの保存液、眼鏡などを利用して、2日目の夕方からは快適に過ごすことができた。

 

3日目の早朝6時頃、朝食前に弾丸でUluruに行くことに。夫と2人で行こうとしたら、母親と長男もついてきた。次男は起きていたけど疲れているから父と留守番。朝のUluruは快適。ダウンジャケットを羽織ってちょうど良い気候。Uluruの周りをぐるっと歩きたかったが、もちろんその時間はないので、20分ほど近くを歩いただけ。それでも来てよかった。23年前に来た時、私はUluruに登っている。アボリジニの聖地であることは知っていたけど、感度が鈍くて登ることに疑問を感じていなかった。またこの地に来られて良かった。でもJetstarのせいで(おかげで?)消化不良感は残っている。次男がもっとたくましく成長してから、また訪れて今度は文化についても学びながらじっくりと散策したいと思った。

2019年10月に完全閉鎖されたUluruの登頂口。うっすらと人が歩いていたルートが見える

ホテルに戻って朝食。素晴らしいビュッフェ。砂漠の真ん中で2日連続手作りのオムレツを食べられる贅沢。朝食後、チェックアウトして、少しだけ美術館に。空港には出発の2時間前、10時半に到着。ほとんど人がいなかったが、荷物をチェックインして待機。すると飛行機の遅延連絡あり。もう驚かない…。早々と空港にきて、待つこと3時間半。飛行機は大幅に遅れて2時ごろに出発。メルボルン便、シドニー便と両方遅れていたので、狭い空港内は人であふれかえっていたが、ほぼ一番乗りしていた私たちは奥のくつろげるスペースを確保していたので、子供たちはNitendo Switchをしたり、大人はスマホをいじったり(夫は仕事していた…)、時間をつぶした。

美術館の前のオブジェ。Palyaとはこの地に住むアボリジニの言葉でHelloを意味する

想定したとおりにはいかず残念な気持ちが残った旅行だったが、きっと振り返ればよい思い出になっているだろう。Jetstarのへまによって失われた時間は何十万と高くつく。補償のやり取りについては別記事にて。

3世代Uluru旅行 前編

前回のつづき。両親の渡豪に合わせてUluru旅行を企画。

 

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本当は3泊したかったが、両親の滞在期間が短いため、2泊3日の旅程となった。Uluru旅行は、とにかく宿をまず押さえなければならないと聞いていたので、5月に予約。旅行予定期間がスクールホリデー中だったせいか、4か月前でほとんどの宿が埋まっていた。ちなみにAyers Rock Resortにある複数ある宿泊施設のほとんどは1つの会社によって運営されているため、この会社のサイト上で予約する。6人分(2部屋)で空いていたのはDesert Gardensというホテルのみ。1泊1部屋のお値段はなんと850ドル!2泊2部屋になるとこの4倍の値段。どおりでオージーはUluruに行かないはずだ。バリとかタイに行った方がずっと安い。

 

でも私たちはUluruに行くと決めていたので、この値段で予約。ちなみに飛行機はメルボルンからはJetstarとカンタスが飛んでいるが、安い方のJetstarで1人往復400ドル程度。こちらは許容範囲だが、6人分となるとかなりの値段。飛行機代とホテル代で50万円を超えたが、これは私たちのオーストラリア滞在のハイライト旅行でもあるし、ロックダウン中に家族で日本に帰れなかったことから、ここでお金を使っても良いと判断。

 

実は旅行の3週間ほど前に何げなくホテルのサイトを調べてみたら、Sails in the desertという別のホテル(こちらの方が高級)に空室があり、一泊600ドルになっていた。850ドルの方をキャンセルし、600ドルの方を再予約して、数百ドルを浮かすことに成功。高いことに変わりはないが。ホテルの予約は直前にチェックすることが大事。

 

飛行機は9時半ごろにメルボルン発。その日は5時半に全員起床、朝ごはんをしっかりと食べて7時に出発。レンタカーで空港に向かい、一旦返却。8時頃からチェックインと荷物預け。これがトラブル1つ目。空港スタッフの不足のせいなのか分からないが、荷物預けが長蛇の列。結果、1時間ほどかかって搭乗時刻ギリギリになった。私たちだけではなく、周りの乗客も皆焦っていて、Jetstarのスタッフにクレームを言っている人たちもいた。手荷物の保安検査場では、搭乗時刻が迫っていることを伝えて列をスキップさせてもらい、走って搭乗口に。

 

無事飛行機には乗れた。ほぼ満席。Jetstarのチケットのプランで15ドル分の機内食がついたので、両親は朝からワイン。よく飲むなあ…。私は次男の乗り物酔いの対応でほとんど何も飲食できず3時間のフライト。ダウンジャケットを着てメルボルンから飛行機に乗ったが、着いたら夏の気候。ここで最大のトラブル。なんとJetstarが我々の荷物をメルボルンから運んでこなかった。この件は書くと長くなるので、Jetstarとの事後の補償やり取りも含めて別記事に。

飛行機の上からUluruが見られた

荷物について空港のカウンターとやり取りしている間に、レンタカーのスタッフがリゾートに戻ってしまっていた。エアーズロック空港は飛行機の離着陸がない時には人が引き上げるスタイルのよう。レンタカーのオフィスに電話して、空港に来てもらうことに。ここでまた30分の待ち時間…。幸先悪すぎる。この時の気分は最悪だった。Hertzのレンタカーのスタッフはとても感じが良く、ロストバゲージされたことに同情してくれた。

 

落ち込んだ気分のままリゾートへ。すでに真夏の気候のUluru。リゾートのプールで遊ぶ子供たちが羨ましかった。私たちも水着やら浮き輪をスーツケースに詰めていたのに。子供たちが不憫だった。ホテルの計らいで2部屋を隣にしてくれるとのことで、その待ち時間が1時間弱あった。プール横のバーで高いビールとソフトドリンクを購入し、手荷物に入れていたお菓子やパンを食べる。私は荷物のことで頭がいっぱい。これからどうすべきか、必要なものはどこで何が買えるのか、それはJetstarで補償されるのかなどを調べていて全然気が休まることはなかった。

荷物がないせいで水着に着替えられず、恨めしく見ていたプール

ひとまずホテルにチェックインした後、買い出しに行くことに。Jetstarが荷物を無くさなければ、夕方はUluruの散策に行くつもりだったが、それよりも先に必要なものを買いに行かなければならない。リゾートの買い物ゾーンはこじんまりとしていた。小さなスーパーとお土産物屋さんだけ。何とか2枚×6人分のTシャツ(12枚)、大人用のスウェットパンツ4枚、歯ブラシ、スナックを購入。土産物屋で12枚のTシャツと4枚のスウェットパンツを買ったらお店の人に驚かれた。総額600ドル以上…。おかしなアジア人と思われていそうだったので、Jetstarが荷物を無くしたことを説明。ここでも同情してくれた。

リゾート内に咲いていた花に癒される

Jetstarが補償してくれると信じて爆買いしたTシャツたち

大量のTシャツとともにホテルにもどった後は夫と2人でビールの買い出しに。エアーズロックリゾートではアルコールを買うときに身分証明とリゾートでの宿泊証明(ホテルのカードキーなど)を示すことが必要。アボリジニの人たちへのアルコール販売を控えているせいなのだろうか?年齢をチェックするだけなら宿泊証明は見せる必要ないはずなので…。これはリゾートに唯一あるボトルショップだけでなく、レストランにおけるバーカウンターでグラスワインを購入したりする際にも必要だった。

 

ホテルは最高で、バルコニーからエアーズロックが見られた。荷物がないことを忘れたかったけど、気持ちの半分は沈んだまま。でも限られた時間をずっとJetstarへの怒りに費やしても仕方がないので、急遽、Uluruのサンセットを観に行くことに。日没まであと15分というところで、急いでUluruまでドライブ。リゾートからは15分くらい。

夕日に照らされて赤くなるUluru。周りに何もなく静かだった

Sunset時のUluruを見られる場所は既に多くの人が集まっていたが、タイミングとしてはベストだった。急いで家族写真を撮った。Uluruは宿からも飛行機からも見ていたけど、近くから見ると格別。

 

夕食はリゾート内のカフェにて。日没後は非常に混んでいて、料理が出るまで40分かかると言われていたが、他に選択肢がないので待つことに。9時前にホテルに帰宅。コンタクトレンズの液体や眼鏡もスーツケースに入れたままなので、適当な容器に水をはってコンタクトを保存。当たり前だがリゾートのスーパーにはコンタクトレンズの液体は売っていなかったので。ハードレンズだから1日くらいは何とかなる。家族全員、土産物屋で買ったUluruのTシャツを着て就寝。

 

後編につづく。

 

両親の来豪 メルボルンシティ散策

先週の月曜日から土曜日まで、日本から両親が遊びに来ていた。両親に最後に会ったのは、メルボルンに来る直前の2020年1月のお正月だったので、2年8か月ぶりの再会。もともと2020年3月にこちらに遊びに来る予定で航空券も購入していたが、ちょうどコロナが始まったころでもちろんキャンセル。今回は直前に日本入国に必要なPCR検査が不要になったりと旅行をしやすくなったものの、6人(両親+私の家族)の中で誰か1人でもコロナにかかれば旅行が取りやめになるので、最後までこの旅行が実現するかどうかが不安だった。

メルボルン空港に出迎え

両親は中部国際空港を利用するのでメルボルンまでの直行便が出ていない。シンガポール航空シンガポールにて乗り継ぎ、飛行機は往復で約13万円とまあまあお手頃。直前で見たら30万円に跳ね上がっていたとのこと。予約した時期が良かったようだ。70代の両親はすでにリタイヤしているのに、なぜか6日間という短い期間の旅行。日本人らしい。

 

うちの車は5人乗りなので、両親が来ると1人乗れない。ということで、7人乗りの大型車をレンタカー(これが結構高い)。空港に迎えに行って、初日は家でゆっくり。子供たちの小学校を見せに行ったり(春休み中だが校内には自由に入れた)、いつも買い物する近所のショッピングモールのスーパーをぶらぶらしたりして過ごした。ランチはショッピングモールのおなじみの中華で。小籠包や海鮮焼きそばなど、私たちのお気に入りを美味しいと言って食べていた。夕食は私がメインを作り、母親が副菜を作って、自宅で食べた。

 

2日目はメルボルンシティ観光。6人で移動するとなると、電車で行くよりもレンタカーを使って移動してシティの駐車場に停めた方が安い。Queen Victoria Marketの広大な駐車場に停めることにした。そのままQVMを散策。以前来た時はまだロックダウン前後だったので、お土産屋さんゾーンは閑散としていたが、だいぶ人が戻ってきたようだ。驚いたのは、日本語もちらほら聞こえたこと。日本からの観光客(家族連れや若い人たちのグループ)がいたようだ。

だいぶ人が戻ってきたQVMの土産物ゾーン

行列に並んでドーナツの買い食い

マーケットでコーヒーを飲んだり、名物のドーナツを買い食い(揚げたてのジャムドーナツが5個で7.5ドルとお手頃)。母親はドイツの店で朝食用のソーセージ、お菓子屋で石の形をしたチョコレートを購入。その後、無料のトラムに乗ってFlinders Street Stationまで。父親が鉄道関連の仕事をしていたので、駅やトラムには興味を持ってもらえたようだった。ついでにストリートアートを紹介し、Federation SquareのTaxi Kitchenでランチ。この日はとても天気が良く気温も15度以上あり、メルボルンにしては上出来の天気。ヤラ川を見ながら、ビールを飲んでゆったり。

珍しく晴天のメルボルン

ストリートアート(正確にはHosier LaneにあるCulture Kingsの壁)

ヤラ川沿いのTaxi Kitchenのテラス席でランチ

メルボルンのシティ散策として、ロイヤルアーケード、ブロックアーケードを歩いて、目抜き通りのバークストリートから再び無料トラムに乗ってQVMに戻り、シティ散策は終了。結構歩いたので疲れていた。そういえば、今回初めてFlinders Street Stationの斜め前にあるSt Paul's Cathedralの中に入った。お葬式の準備らしきことをしていたので、写真撮影は控え、中の様子を見たら出てきた。天井が高くて静かで落ち着く空間だった。

いくつかあるカフェ通りも歩いてメルボルンらしさを感じてもらった

この日も自宅で料理。6人もいると外食はお金がかかること、この次の日から旅行に行くので外食続きになることから最初の2日は料理。いつもは1人で料理をするけど、もう一人いると手分け出来て楽。ただ量が多くなるので、肉を焼くにしてもフライパン2回転。それは仕方がない。ビールとワインで乾杯。

 

翌日から2泊3日でUluruに。色々とトラブルがあったがとりあえず次の記事に。

ANZ学会のペーパ再提出、博論の見直し

今週は火曜日に日本語論文を提出した後、ANZ学会のカンファレンスペーパーの改訂を行い、木曜日に再提出。先週の指導教官とのミーティング内容を受けて、私がUpdateした内容をさらに指導教官が上書きして提出。

 

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指導教官の文章は、論文そのものについても洗練されているけど、レビュアーに対する返信もカッコよくて勉強になる。全てが新しい経験なので学ぶことがたくさん。自分では良いと思っていてもまだまだな事ばかり。最後の追記、この論文はBullshitだというレビュアーの追記に対して、私の文章よりもダイレクトにすっきりまとめられていて胸がスカッとした。もともと書いていた「the revier's personal impressions」の表現をそのまま使ってもらえて嬉しい。

 

私の文章:As this is the reviewer’s personal impressions, no specific action is required.

指導教官の文章:We do not agree with the reviewer’s personal impressions.

 

やっとサイドワークが片付いたので、博論の方に向き合える。Discussionを書き始めたいと思ったけど、私が思っているDiscussionと指導教官が思っているDiscussionが違うことに気が付いたので、そもそもDiscussionとは何ぞや、を勉強することに(今更?)。急がば回れ作戦。

 

Youtubeで参考になりそうな動画をいくつか選んでみていたら、理解が深まってきた。当たり前かもしれないけど、Discussionを理解するためには、その前に書くFindings(もしくはResults)に何を書くべきかを理解する必要がある。これらのビデオはそのあたりを整理するのに役にたった。

 


www.youtube.com


www.youtube.com

 

私はFindingsのチャプターにDiscussionの要素を入れてしまっていたがために、Discussionのチャプターが明後日の方向に行ってしまったのかもしれないと思った。Findingsから見直すことにした。データをdescribeしてpresentすることにフォーカス、データを基にした考察やLiterature reviewと紐づけたような文章はすべて抜き取った。またFindingsのチャプターを改めて読んでみると重複がまだまだ多いし、Research questionsやaimにダイレクトに紐づかない(でも自分としては重要と思っている)データを沢山入れてしまっている。これらをバッサリと削除したらかなりすっきりした。

 

なんだか自分の博論が新たなフェーズに入ってきたように思う。ジャーナルへの投稿論文や学会のペーパー発表を経験して、博士課程での研究が深まってきたと思っていたけど、まだまだ全然だということにも気が付けた。博論自体が独立した一つの作品なので、各章の位置づけを明確にし、何をどこに書くべきか、全体のストーリーは何なのかをはっきりとさせなければならない。しかしこれがまだはっきりとしていない。

 

博士課程の研究を通じて得たデータで投稿論文は書けるけれど、それと博論は別物なんだと気が付いた。しばらく博論に集中したい気分。というか、集中しないととてもじゃないけどあと半年弱で終われない。博士課程を切り出した投稿論文や学会発表は一旦休もうと思う。次にやるとしたら博士論文を提出した後。もちろん今仕掛中の2件は何とかしないといけないけど。3年目の審査まであと2か月少ししかないので焦る。

 

でも博論だけの毎日にもしたくない。残り少ない貴重な学生生活も楽しむつもり。日本に帰ったら仕事まみれになりそうだから。オーストラリアからもうすぐ離れるなんて、寂しいなあ。来週から2週間、小学校の春休み。最初の1週間は私も休みを取る。といっても、木曜日は急遽エリザベス女王を悼む祝日となり、金曜日はAFLの決勝関連での祝日なので、カレンダー的には月~水の3日間有給をとるだけだが。

 

今週は水曜日の夕方に大学でイベントがあったので、息子2人を連れて行った。1つ目は家族連れの留学生の交流会、2つ目は水曜日恒例のフリーBBQとフリーBeerに音楽のイベント。子供を連れて行っても変な顔されず、子供たちにもちゃんとジュースとBBQをくれた。もちろん私はビール。大学で飲むFree beerは最高。

 

最近家族向けのイベントが定期的に開催されていて、10月はMelbourne Zooへの遠足(家族分の入場料やスナックなどの費用も全部大学持ち!)、11月はキャンパス内でプチ遊園地+お祭りがある予定。どちらも楽しみ。博論がんばろう。

留学生交流会でのお土産

 

 

日本語論文を投稿

今朝、日本語の論文を最終化して、学会誌に投稿した。これは7月末に参加した日本の学会での発表をベースとしている。学会で発表した人はその内容をもとに学会誌に論文投稿することが推奨されている。せっかくなのでやってみようと思ったが、思った以上に時間を使ってしまった。

 

日本語で論文を書くことは、普段英語で論文を書く状況にある私からすると、当たり前だがとても楽。ネイティブイングリッシュスピーカーは、いつもこんな楽をしながら、国際的な業績を積むことができるなんて、本当に羨ましい。何かハンデをつけてほしいくらいだ。

 

何も楽だからという理由だけで日本語の論文を書いたわけではない。日本人に読んでほしいと思ったからというのも大きな理由。私の分野では、日本人の研究者は海外の論文を読む前に日本語で書かれた論文を読んでいるようだ。日本の学会誌に掲載されている論文の中にはもちろん英語文献を参照しているものもあるが、割合としては日本語の論文の参照数の方が圧倒的に多い。日本人に読んでもらうためには、日本語で書いた方が良いということになる。

 

私の博士研究はオーストラリアと日本という2つの国を対象にしている。そのうち、これまで日本の会社のデータをもとに、英語でカンファレンスペーパーとジャーナルペーパーを1本ずつ、日本語でカンファレンスペーパー1本を書いて、今回はこれをベースとしたジャーナルペーパー。自己剽窃を避けるために、これまで英語で書いたペーパーとは異なる内容で書いたので、結果的に博士課程の研究プロジェクトそのものというより、多少スピンオフ的な内容となった。

 

この日本語論文を書くために、今までほとんど読んでいなかった日本語の文献もいくつか読み、日本語の書籍を何冊か買って実家から送ってもらったりもした。データは博士課程のプロジェクトをベースにしているが、日本語が分からない指導教官にレビューしてもらうことができない。誰にも見てもらわない状態で投稿したので質に不安はある。無事査読に回って、査読者からコメントがもらえると良いけど…。

 

ちなみに、英語で書いた投稿論文はずっとReviews Completedのステイタスのまま、1か月近く変化なし。Editorで止まっているのか忘れられているのか分からないが、当面やることがたくさんあるので、せっつかなくても良いかと様子見をしている。この前のブログに書いたANZの学会のペーパー(これはオーストラリア企業のデータをもとに書いた)を提出し終わって、一息ついてからリマインドしてみようかな…。

 

楽しかった日本語の論文執筆が終わってしまったので、再び英語との格闘が始まる。博論のDiscussionの章に向き合わねば。アイデアが空から降ってくれば良いのにと思いつつ、空から降ってきたかのように思ったアイデアは先週指導教官に「I'm not convinced.」と却下されたので、やっぱり地に足を付けた分析が必要なんだと再認識。そういえば、私が分析に使っているのは、Grounded theoryと呼ばれている手法なんだったと改めて納得。

 

週末に長男と一緒に作ったみたらし団子。売ってない日本のものは自分で作るのが海外生活