40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

3世代Uluru旅行 後編

前編のつづき。

 

fourty.hatenablog.com

 

翌朝、荷物がないことにまた気分がへこむ。化粧もできない。すっぴん+日焼け止めだけ塗って朝食に。ホテルのビュッフェは最高だった。このホテルにしてよかった。私はあまりたくさん食べられないけど、両親が気持ちが良いくらい食べるのでもとを取った気分。

 

朝食後はカタジュタに行くことにした。車で40分くらい。カタジュタでは一番短いコース(1時間程度)を歩いた。混んでいることはなく、たまに人とすれ違う程度。本当はもっと奥のほうまで行きたかったけど、70代の両親と7歳の次男の体力を考えるとあまりアクティブに散策出来ない。しかも母親は両足の股関節を人工関節に入れ替える手術をしていて、日本では障がい者手帳持ちである(とはいえ、私よりも早足ですたすた歩くくらい元気だし、これで手帳もらってよいのか?と思うレベル)。

カタジュタの風の谷。何かを眺めている私の父親と長男。もっとこの景色の中にいたかった

生き物の気配があまりない中、小さなトカゲは何度か目撃した

だんだん昼になって暑くなってきたのでホテルに戻った。懸案の荷物についてまたJetstarにコンタクト。1日1本の飛行機が12時過ぎに到着するはずで、私たちの荷物はホテルに届けられるはず。暇なのでホテル内で無料で使えるランドリーで前日に着ていた服を洗濯。洗剤まで無料で使えるホテルは初めて。ホテルは至れり尽くせり。

 

午後になっても荷物が届かないし、暑くて外の散策はできないので、空港まで荷物を取りに行くことに。2時半ごろに向かったら、空港のカウンターには誰もいない。人っ子一人いない空港。なんか嫌な予感。狭い空港内で誰か人はいないかうろうろしていたら、帰宅する風のスタッフに遭遇。「何しているの?」と声をかけてくれたので、「Jetstarが荷物を無くして、今日届くはずなので取りに来た」と言ったら、「さっきJetstarのスタッフが大量の荷物を積んで出かけて行ったよ」とのこと。入れ違いになったようだ。

 

急いでホテルに戻ったら、ホテルの前に停まっていたバンに私たちのスーツケースが積まれているのを発見。バンの窓をたたいて運転手にアピール。バンは出発しようとしていて、私たちの荷物がまたどこかに持っていかれるのではないかと焦った。そのバンはホテルのバンで、運転手はホテルのスタッフ。私たちの部屋に届けてくれるところだったようだ。他にも2組?の荷物が積まれていて、ベビーカーもあった。ベビーカー無しで過ごした人たちはどこにも出かけられなかったのでは?不幸な思いをしたのは私たちだけではない。

 

無事に荷物をゲットし、子供たちは待ちに待ったプールに。私はプールに入るつもりはなかったが、気分を変えたかったので水着に着替えて子供たちと一緒にプールに入った。

やっと水着を取り戻しホテルのプールで遊んだ。メルボルンからワニを持参していた次男

プールの後は部屋でゆっくりして早めに夕食に。これで旅行のほとんどが終わってしまったと思うとやはり2泊3日は短い。無事に取り寄せた荷物の中にあったパジャマ、コンタクトレンズの保存液、眼鏡などを利用して、2日目の夕方からは快適に過ごすことができた。

 

3日目の早朝6時頃、朝食前に弾丸でUluruに行くことに。夫と2人で行こうとしたら、母親と長男もついてきた。次男は起きていたけど疲れているから父と留守番。朝のUluruは快適。ダウンジャケットを羽織ってちょうど良い気候。Uluruの周りをぐるっと歩きたかったが、もちろんその時間はないので、20分ほど近くを歩いただけ。それでも来てよかった。23年前に来た時、私はUluruに登っている。アボリジニの聖地であることは知っていたけど、感度が鈍くて登ることに疑問を感じていなかった。またこの地に来られて良かった。でもJetstarのせいで(おかげで?)消化不良感は残っている。次男がもっとたくましく成長してから、また訪れて今度は文化についても学びながらじっくりと散策したいと思った。

2019年10月に完全閉鎖されたUluruの登頂口。うっすらと人が歩いていたルートが見える

ホテルに戻って朝食。素晴らしいビュッフェ。砂漠の真ん中で2日連続手作りのオムレツを食べられる贅沢。朝食後、チェックアウトして、少しだけ美術館に。空港には出発の2時間前、10時半に到着。ほとんど人がいなかったが、荷物をチェックインして待機。すると飛行機の遅延連絡あり。もう驚かない…。早々と空港にきて、待つこと3時間半。飛行機は大幅に遅れて2時ごろに出発。メルボルン便、シドニー便と両方遅れていたので、狭い空港内は人であふれかえっていたが、ほぼ一番乗りしていた私たちは奥のくつろげるスペースを確保していたので、子供たちはNitendo Switchをしたり、大人はスマホをいじったり(夫は仕事していた…)、時間をつぶした。

美術館の前のオブジェ。Palyaとはこの地に住むアボリジニの言葉でHelloを意味する

想定したとおりにはいかず残念な気持ちが残った旅行だったが、きっと振り返ればよい思い出になっているだろう。Jetstarのへまによって失われた時間は何十万と高くつく。補償のやり取りについては別記事にて。