40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

指導教官とのミーティング、楽しい水曜日

今日は午前中にランチ付きのワークショップに参加した後、午後には3週間ぶりの指導教官とのミーティング。もちろんZoom。なぜかロックダウン中と変わらない。久しぶりに副指導教官も参加してくれた。今日は1時間の中で重たいアジェンダが2つあったので、時間が足りるかどうか心配なくらいだったが、どちらにしても時間は限られているので1時間めいっぱい使った。ミーティングの後は当然疲れて何もできない。

 

アジェンダその①は、前回の記事に書いたANZ学会に出したペーパーの改訂について。先週2人のレビュアーからのコメントを受け取ってから、コメントをセクションごとに分けて、それぞれのコメントに対する対応方針と返答を考えて一覧表に整理。それに基づいてペーパーを書き直すところまで終えていた。今日は対応方針と返答についてざっと確認し、今後の進め方について討議したいと思っていた。

 

対応方針は概ねOKだったが、やはり2人目のレビュアーの態度はイレギュラーなようだった。冷静な正指導教官が指摘したポイントは2つあって、1つ目はそもそもの言葉遣いが不適切な事(レビュアーとしてのガイドラインを逸脱している)、2つ目はこれはジャーナルペーパーではなくカンファレンスペーパーであるのに、レビュアーはまるでジャーナルペーパーを査読する細かさで突っ込みを入れている、おそらくこの人は経験が浅いのだろうとのこと。これらを踏まえて、このレビュアーがANZ学会のカンファレンスペーパーのレビュアーとして不適切である旨、セクションのコーディネーターに連絡すると言っていた。

 

人間味あふれる副指導教官は、再度この酷いレビューを見ることになって、エモーショナルになっていた。英語ネイティブの人からすると、使われている単語が攻撃的で、よりイラっと来るのだろう。私はといえば、先週のブログもそうだが、リアルでも指導教官、周りのPhD学生何人か、オンライン英会話の先生たちにこのことをシェアしたので、かなりすっきりした。既にこのレビューの毒に対する免疫を獲得したので、もうこのレビューを見ても何も感じない。最後のBullshit論文を通じた不要な攻撃についても、対応方針(=返信内容)を「As this is the reviewer’s personal impressions, no specific action is required.」と書いてすっきり。2人の指導教官もこの点については「その通り」と同意してくれた。

 

アジェンダその②は、博論のDiscussionの章のアウトラインについて。このことを話すのは初めて。2つの案を提示したけど、結果的に両方却下。Discussionのパートは難しい。私は2つのFindingsの章で書いたことを繰り返してはいけない、より抽象化/概念化して、理論的に整理すると理解していたけど、私の案は浮ついた内容と受け止められたようだった。あまりFindingsから乖離することなく、既存の理論を対比させながら組み立てるのが良いらしい。この辺りの匙加減がとても難しい。Literature reviewを書いているときにも同じようなことを思った。提示した案は却下されたが、学びはあったので良しとする。調査して結果をまとめるだけなら難しくないけど、研究論文を書くというのは自分がほとんど経験していないことだから、効率的に進めることができない。

 

午前中に参加したワークショップの途中、正指導教官が指導している学生(ドバイ在住のカナダ人)の3年目の審査があったので、中抜けしてZoomに。3年目の審査でもパネリストからはなかなか厳しいコメント。自分も12月にそうなるんだろうなと予想できたので、終わりそうで終われない博士課程をきちんと終わらせられるのか心配に。

 

ちょっとネガティブモードになりつつあるが、水曜日が私を救ってくれた。これまで、木曜日がBakers Delightのパンが無料でもらえる日なので大学に行くのが一番楽しい日だったが、水曜日がさらにその上にきた。水曜日はこれまでFree Breakfastの日だったが、今週からセメスター1に開催していた夕方のプチ音楽フェスが再開。1日2食(朝食と夕食)を大学で賄うことができる。

今日のFree breakfastでもらったもの。私は既に朝食を家で食べてきているので、トーストやドリンクはもらわないで自分がスナックで食べたいものと子供のお土産をもらっている

これは先週木曜日のFree bread。4人×1週間分のパンを買わずに済むので家計が助かる

午後4時から外のステージでバンドの演奏、Free BBQ、Free Beer(ビールだけでなく、サイダーやソフトドリンクも)が提供される。セメスター1限定のイベントだと思ったら、セメスター2もWeek 7からWeek12まで毎週やってくれるって!嬉しすぎる。

疲れた後のビールは最高。明るいうちに外で飲むビールも最高

こう見えてBBQは全部べジミート。美味しかったので今度スーパーで買ってみよう

周りは10〜20代の若い学生ばかりだが全く気にしないで、30代のPhD友達(中国からの留学生)と楽しむ。とはいえ、家に帰って夕飯を作らないといけないので、私が楽しめるのは最初の30~40分限定だが。それでも十分。今日は特にメルボルンにしては珍しい春の陽気だったので最高だった。大学が学生に色々なものを通じてサポートしてくれるのは本当に助かる。昨日はFree groceriesの配布で野菜、パスタソース、ツナ缶、シャンプーなどを袋一杯にもらってきた。こんな単純なことだけど、また頑張ろうと思えるから不思議。やっぱり食べ物の威力は大きい。

 

酷いレビューとレビュアーの闇

今日はネガティブ投稿。自分自身の気持ちの浄化と博士課程で起きたことの記録として。お題はレビュー(査読)について。対象は前回の記事に書いたANZ学会のペーパー。

 

fourty.hatenablog.com

 

今週月曜日にANZ学会のサイト上からレビューにアクセスできるようになった。レビューの内容を踏まえてペーパーを改訂し、9月中旬に再提出する必要がある。レビューは早速PDF化したが1日寝かせて、フレッシュな気持ちで昨日(火曜日)に対応することにした。レビュー内容への対応は来週の指導教官とのミーティングで話し合うことになっていたが、取り急ぎレビュアーのコメントのみ2人の指導教官に送付。

 

5分後、いつもは私のメールをほとんどスルーする副指導教官から返信が!彼女から返信があったことにまずびっくり。内容を開いてみると何やらネガティブなにおい。

Thanks (私の名前), one positive one less positive. Do ignore the postscript of the last individual - the provocation paper he refers to has been discussed within the XX(私たちの専門) field and the leading research network decided against releasing a statement of rebuttal against this to not give it the airtime ... 

 

この時点でまだレビューコメントに全部目を通していなかった私。どうやら2つ目のレビューに変なことが書いてあるので無視しろ、ということらしい。ちなみにこの副指導教官の英語、ちょっと難しいと思った。意味としては、2人目のレビュアーが追記(Postscript)に書いてあることは無視しなさい、彼が参照している論文は先生たちの専門分野でも問題になって、でもこの論文が注目されないようにあえて反論は出さないことにした、と読み取った。自分の英語読解力に自信がなかったので、同じ指導教官についているスリランカ人の友達にもメールを見せて私の理解があっているかを確認した。

 

そこで初めて私は自分のペーパーに対する2人目のレビュアーの追記を確認。確かにひどい。彼/彼女が伝えたいのは、私のペーパーはBullshitだ、というメッセージ。直接Bullshitといえないので、私のペーパーはこの論文に書かれていることを想起させる、と「追記」で伝えてきた。その論文のタイトルは「Bullshit in the XX Literature」というもの。

 

夕方になって正指導教官から来たメールはこんな感じ。

The second reviewer's comments are a quite rough - and really the comments are somewhat inappropriate for this kind of review. Maybe the reviewer was having a bad day.

 

とにかく、あまり良いレビューではない。実際、この2人目のレビュアーのレビューは異様に長い。1人目のレビュアーの2倍以上のボリューム(1人目のレビュアーが22行に対して2人目のレビュアーは52行も書いている)。すべてのセクションに対して、至らぬ点を指摘するだけでなく、自分の感想や文句を必ず挟み込んでいる。要は無駄が多い。例えばこんなことが書かれていた。

This is poor in my view. If I were a conference delegate encountering this abstract and using this content as basis on whether to attend the presentation, or download the full paper from the proceedings, I would skip it.

The framing of this paper is off .

To me, this is poor scholarship.

This is the weakest aspect of the paper; it simply does not communicate anything of real value in the context of scientific research.

I didn’t understand what I was reading in the Findings section.

There is no conclusion for the paper really.

What is it that the authors want their audience to take home from this paper?

Postscript: This research reminded me of the sentiment and provocation put forward in the following recently published work: 前述のBullshit論文のタイトルとリンク

 

最初の印象は「この人、このペーパーがとにかく嫌いなんだな」ということ。レビューに生々しい感情が含まれている。次に思ったのは「この人が私の指導教官でなくて良かった」ということ。でも読み進めるうちに、この人はおそらく教授レベルではなく、PhD学生かポスドク、もしくは非常に不安定な状態にある若いリサーチャーだろう、と思えてきた。自分の研究が認められていない、指導教官からボロカスに言われている、ジャーナルに投稿したペーパーがリジェクトを食らった、などの出来事があって、メンタルの状態が悪く、私のペーパーを必要以上に攻撃することでストレスを発散しているのでは、と想像。レビューから負の感情があふれ出ていて、読んでいるだけでこちらにもその感情が移りそうで嫌になった。

 

指摘の中には妥当だと思えるものも一応あったし、そもそもレビューを受けた以上、何かしらの対応はしないといけないのだが、変なのにあたってしまったなあ、というのが正直な感想。ちなみに1人目のレビュアーはペーパーの出来を全体的に褒めた上で(I commend the research team for exploring an important topic which has been presented well in the paper. )いくつかのテクニカルな指摘をしてくれていた。レビュアーが2人いる意味ってこういうことか、と改めて納得。

 

もう一つ、改めて感じたのは、AoM(世界最大の経営学会)のレビューは質が高かったなあ、ということ。AoMの時にレビューも2人だったが、今回のANZ学会と比べるとレビューに深みがあって、グサッとくる厳しいコメントもありつつ、こうしたらもっと良くなるよ、という気持ちが後ろにあることがわかるトーンだった。なんなら、こういうアングルで分析してみたらもっと良くなると思うというアドバイスとともに、読むべき論文をいくつか挙げてくれていた(今回の2人目と対照的)。ANZ学会になるとレビュアーの質も下がるのか。そもそも私にレビューの依頼が来ていたくらいなので、あまり引き受ける人がいないのかもしれない。AoMにはまた挑戦したいが、ANZ学会に出るのはこれが最初で最後だろうな、とも思った。

 

今回は、ジャーナルへの投稿ではなく、15ページ(約5,000 words)のカンファレンスペーパー。ただ、レビューを踏まえて改訂し、受理されればPublication実績にもなる。したがって、このレビューを無視して、学会にも出ない、という選択肢は私にはなく、次のステップとして、レビュアー2人のコメントを踏まえてペーパーを直さないといけない。このワークをするためには、相手の負の感情に引きずられない強い気持ちが必要になる。

 

昨日の午前中、半分弱対応が終わった。午後にも続けてやっつけようと思っていたが、昼ご飯を食べたら向き合いたくない気持ちになってしまい、しばし日本語の文献を読んでクールダウン。それでもやりたくないので、ゴールドコーストのホテル探し。今回の学会はグリフィス大学のゴールドコーストキャンパスで開催されるが、調べてみるとサーファーズパラダイスからトラムで行けるらしいので、大学の近くではなく、サーファーズパラダイスに泊まることにした。立地が便利で値段が高くない場所を押さえたが、ちょっとした贅沢で50ドルほど余分に支払い、海が見える部屋に。3泊で400ドルちょっと。ゴールドコーストのホテルは安い。

 

ホテルの予約が済んで、やっと気分が晴れてきたので、再びレビューに向き合う。人のペーパーをこんなにボロカス言える人って、逆にどんな人なのか興味がある。ずっとアンハッピーな日々を送っているのか、このレビューを書いたときだけBad dayだったのか。後者だといいなと思いつつ。ジャーナルへの投稿と違って、今回は学会のペーパーなので、実際にこのレビュアーも会場にいる可能性が高い。私の発表を見に来るだろうか?

 

仕事をしていた時にも、やたらと攻撃的なメールを送ってくる人、実際に面と向かってひどいことを言ってくる人にも何度か遭遇した。だからこういう人がそこかしこにいることには驚かない。仕事をしていた時に出会った攻撃的な人は、大抵周りからの評価が低く、自分が認められていないことに不満を持っている人や何かしら大きな不安を抱えている人が多かった。つまり満たされていない人。もちろん、こういう人がすべて攻撃的になるという意味ではない。

 

この人はどんな人なんだろうと考え始めると、アカデミアの闇に引きずられそうになった。私のペーパーに対して、何時間も(何日も?)かけてレビューを書いてくれたことには感謝するが、どんな状況であっても大人なんだから、もうちょっとProfessionalなコミュニケーション術を身につけてもらいたい。

 

Bad dayで思い出した曲。レビュアーに教えてあげたい。


www.youtube.com

 

毎週水曜日はキャンパスでFree breakfactがもらえる日!もちろん家で朝食は食べてきているが、自分のおやつと子供たちのお土産にありがたくいただいている

 

ANZ学会にアクセプト

昨日、12月にゴールドコーストで開催されるANZの学会にペーパーがアクセプトされたとの連絡があった。これはオーストラリア企業の分析結果。シアトルで開催されたAoMと比べるとローカル色(オーストラリア&ニュージーランド)が強く、アクセプトのハードルも低いと指導教官から聞いていたが、実際にアクセプトの連絡をもらえてほっとした。オーストラリア企業の結果なので、オーストラリアのことに詳しい人達の前で発表して、ローカルコンテクストも踏まえたフィードバックをもらいたいというのが私の意図。

 

学会に提出した際の記事はこちら。

fourty.hatenablog.com

 

アクセプトはアクセプトだが条件付き(subject to revision)。これは普通なのか、私のペーパーの出来が特に悪いのか、初めてなので不明。実際にレビュワーからのコメントは来週になってからしか確認できない。9月中旬にレビュワーのコメントを踏まえて更新したペーパーを再提出する必要あり。

 

私のペーパーはこの3番目のオプションに滑り込んだようだ

この連絡をもらったのが昨日の昼頃。そのすぐあとにJetstarで飛行機のチケットを確認。メルボルンからゴールドコーストまでは直行で2時間強。毎時間飛行機が飛んでいて、運賃は安い便で60ドル(安くてびっくり)。まだまだ余裕があるから、夜に家に帰ってから予約しようと思った。夕食後に再びJetstarのホームページを開いたら、安い便が全て売り切れ。えっ、これってANZ学会にメルボルンから参加する人が予約した?!数時間でチケットがなくなるってびっくり。確かにメルボルンには大学が多いし、私の所属する大学からもおそらく何人か(主にビジネススクールから)参加者がいることは予想できる。

 

これ以上のんびりしていると高いチケットしか残らないだろうと、急いで予約。とはいえ、予定が変わる可能性もあるのでフレキシブルなプランで予約したので少し高くなり、往復で300ドル弱(これでも高くはないとは思うが)。学会参加費や交通費、宿泊費は大学が全PhD学生に与えてくれる旅費(2800ドルまで)で全額カバーできるので、今回の費用については心配する必要はないが、なるべく安く行けたらその方が良い。

 

しかもこのANZ学会の参加費用がなぜかべらぼうに高い。たったの2日間なのにアーリーバードの学生料金で400豪ドル+学会員になるために95豪ドル。合計で500豪ドル。学会員にならないと参加費用は1,290豪ドル。高すぎないか?ちなみにAoMは6日間にわたっての開催で学生料金は250USドル(約350豪ドル)。AoMは参加者が多いから、逆に安いのだろうか?ANZ学会は日本の学会の参加費用5,000円の10倍。。自腹だったらANZ学会への参加は躊躇するなあ。AoMの参加費がとても良心的に見えてきた。

 

ゴールドコーストは観光地で宿泊場所がたくさんあるのでホテルはまだ押さえていないが、ホテル代も入れると余裕で10万円を超える。おそらくこれが私にとって博士課程に在籍している間の最後の学会発表になると思うので、金はかかるが実り多い機会にできればと思っている。学会の2日目に博士課程の最後の審査であるFinal reviewのパネルがあるので、それはゴールドコーストのホテルから出席する。この週は盛沢山になりそうだ。

 

最近、来年の学会発表の仕込みをどうしようかと思案中。復職してからでも卒業するまでは大学の所属を名乗れるはずなので、できればまだ外に出していない研究成果を学会発表したいが、そのために年末年始に博論とは別に1万ワードのペーパー(AoM用)を書く時間があるかどうか(おそらくない)。来年のAoMはボストン。8月上旬。8月上旬なら会社勤めしていてもお盆休みの前倒しみたいな感じで、年休を取得して学会に行けるんじゃないか、という気もしている。悩ましい。

 

日本の学会は比較的簡単に参加できるので、復職後も博士課程中に収集したけど処理しきれていないデータを小出しに発表したり、実務を通じて発見した内容を発表することも可能と思われる(論文にはできないかもしれないが)。

 

私はもうあと半年で博論を提出しようとしている(開始から3年1か月)。周りを見ると4年かけて提出している人が多いので、本当にできるかなと不安はある。私も4年かけて博士課程を終えたかったなあ、と思うこともあるが、これ以上休職期間を伸ばすことはできないので仕方がない。やれるところまでやるしかない。実は今週、休職中の会社の元上司とオンラインで面談をして、復職先についての意見交換をした。いよいよ私のPhDジャーニーも終盤に差し掛かってきたと寂しく思いつつ、3年ぶりに実務の最前線に戻るのも楽しみではある。博士課程を通じて学んだ経験によって、おそらく今までとは違った見方ができると思う。

 

近所のColesの酒屋でエビスを見つけたので、嬉しくて買ってしまった(4缶で15ドル也)

 

オーストラリア企業の分析結果をプレゼン

昨日は私の博士課程の研究プロジェクトに参加してくれたオーストラリア企業へ、フィードバックのプレゼンテーションを行った。研究の事例調査には日本企業6社、オーストラリア企業10社が参加してくれて(いずれも大企業)、それぞれの内容を博論のFindingsのチャプターにまとめた後、そのサマリーをレポートの形で送付していた。

 

日本企業からは大抵丁寧な返信をもらったが、追加で説明してほしいというようなリクエストはなかった。一方、オーストラリア企業はほとんど返信無し(想定内)。でも一部の人は食いついてくれた。そのうちの一人が昨日の相手。実は彼自身、昨年私がインタビューを行ってから、オーストラリアの大手企業から私の研究領域に特化したシンクタンク/コンサル(本社はイギリス)に転職をしている(これもオーストラリアあるある)。今回はその転職先の彼のチームのミーティング内で発表をしてくれないか、というリクエストだった。

 

もちろん快諾。準備のための手間や時間はかかるが、インタビューに協力してくれた人へ私ができるお礼の方法だから断れない。また、素直に自分の研究内容に他者が関心を持ってくれることはうれしい。この件を指導教官に話したところ、月曜日は指導教官の休みの日にも関わらず、同席したいとのこと。私が調査参加者とやり取りする内容については、私から求めない限り特にいつもコメントなしだったので意外。

 

プレゼンの相手は、メルボルンシドニーシンガポールという3拠点にまたがるいわゆるAPAC(アジア大洋州)のチーム。ちなみに日本には拠点がない。なんとなくシンガポールの人たちも参加するというのを聞いて安心した自分。私以外、おそらく全員英語ネイティブ(もしくはほぼネイティブ)ではあるが、アジアの人がいるだけでなんとなくアウェイ感が減るような気がするのが不思議。

 

東京でコロナ罹患中に宿泊療養施設で最後の2日間、資料作成に着手した。でも倦怠感があったので一日あたり1-2時間しかできていなかった。メルボルンに戻ってきてからもなんとなく集中力がなく、資料は先週水曜日に完成、木曜日にあった指導教官とのミーティングでざっとレビューして、金曜日に読み原稿を作成した。今回の資料作成はこのプレゼンのためだけではなく、(もし選ばれたら)12月のANZ学会発表の基にもなるので効率的。このプレゼンのレビューのプロセスを通じて、指導教官とオーストラリア企業の分析内容について議論できたことも良かった。

 

前置きが長くなったが、実際のプレゼンは昨日の12時から。10時~12時で日本語クラスでNote takingのバイトをしていたのでぎりぎりで心配したが、幸い日本語クラスが少し早く終わったので、授業があったビルから走って自分のオフィスに戻り、その横にある会議室でスタンバイ。

 

参加者はオーストラリアから5~6名、シンガポールから4~5名程度だった。30分の枠をもらっていたので、最初の15分をプレゼン、残り時間をディスカッションにした。オーストラリア企業の分析内容を人前で話すのは初めてだったのでちょっと緊張。プレゼンの出来具合も学会の準備と比べたらまだ自分の中では質が高くないという不安もあった。

 

プレゼンは14分程度で終了し、質疑に。10名の参加者から次々と質問を受けて、頭がパンクしそうになった。自分でも何を話したのかほとんど覚えていない。シンガポールの人たちはほとんど質問しないで、ほとんどがオージーからの質問。早口英語を聞き取るのに必死。完璧に理解することはできないので、頭をフル回転させて大体こういうことを質問しているのだろう、と想像し、それに対して瞬時に自分の回答を英語で言わないといけない。

 

1対10の対話なので、私は30分間、一切気を抜くことができなかった。水すら飲む暇がない。博士課程のマイルストンの審査よりも厳しい環境。直前には「引き受けなければよかった…」とナーバスになっていたが、いくつかとても良い質問やコメントをもらえたので、参加して良かったと思っている。ブロークンイングリッシュでも内容は伝わったようだ。活発なディスカッションがあって大変だったけど、「しーん」としてしまうよりも100倍マシ。どんどん投げかけられる質問への対応が大変で、正直最後の方は早く終わってくれ、と思っていたが。

 

最後に、かなり突っ込んだ質問をしてきたボス的なオージーの男性(見た目50代くらいのベテラン)から「君はいつ博士論文を提出するのかね」と聞かれたので「来年の2月か3月です」と答えたら、「今年の12月に予定しているカンファレンスで日本とオーストラリアの比較分析を発表してもらえないか?」と言われてびっくり。聞き間違いかもしれないと思ったので、一応「Sure!」とだけ答えておいた(便利な言葉)。この時点ですでに30分を数分すぎていたので、ミーティングはここで終了。

 

プレゼンの直後、指導教官から「Great presentation」という題名のメールが来ていて、褒めてもらったのがうれしかった。セッションの間に出たいくつかの質問について、博論のディスカッションパートで掘り下げた方がよい、とのアドバイスも。このメールで参加者から何を聞かれていたのか確認することもできて良かった。

 

どっと疲れたので午後はほとんど使い物にならなかった。何も生み出す活動はできないので、AoMのサイトにアクセスして、参加予定だったハイブリッドやバーチャルセッションの録画を見て過ごした。

 

夜になって、もともとの調査参加者の人からお礼のメールをもらうとともに、Ccにそのボス的な人が入っていて、カンファレンスについての相談があるかもしれないと書いてあった。私の聞き間違いではなかったようだ。まだどうなるか分からないが、日本とオーストラリアというAPACに位置する2つの国の比較をしている点に興味を持ってもらえたのだと思う。

 

めちゃくちゃな英語でもなんとか理解してもらえるのが分かったのは良かったが、残念なのは相手が言っていることがまだ100%理解できないこと(人にもよるが初めて話す人の場合は大体7~8割程度)、それに対する自分の答えは言いたいことの半分くらいしか言えないこと。伝えたいことが英語でうまく出てこない。単語のつなぎ合わせみたいな、とぎれとぎれの文章になってしまう。もっと英語ができればなあ、と改めて思った。いつもギリギリの英語で乗り切っていて疲れる。

 

シアトルの学会は、実はオンラインでの参加が多くて、現地はあまり盛り上がらなかったらしいという話も聞いた(私のマイルストンパネルのイギリスの先生から)。コロナのせいでシアトルに行けず、録画ビデオで発表するだけになりガッカリだったが、実は現地に行っていてもそんなに色々なフィードバックはもらえなかったのかもしれない。今回、アカデミックな場ではないが、参加者から多くの示唆をもらえたのは、研究にとって絶対にプラスになる。博士論文を書いている最中に研究内容を他者と共有し(論文投稿も含む)、フィードバックをもらうことは大事だなあと感じた。

一時帰国して気付いた日本の良いところ

前回の記事では、日本に一時帰国して気付いたメルボルン郊外の生活の良いところについて書いたので、この記事では日本に一時帰国して気付いた日本の良いところについて書いてみる。

 

fourty.hatenablog.com

 

今回の帰国では残念ながらコロナに罹患し、東京で10日間の隔離生活を余儀なくされたので、外出できたのは4日間程度。一時帰国をフルで楽しめたわけではない。それでもやっぱり日本のこういうところが良いなあ、と思ったことはあった。特に変わり種はなく、おそらくこれまで他の海外在住者が感じてきたことをなぞったような形ではあるが、とりあえず私の記録として。

 

今回、東京の都心(中央区)に滞在していた。東京にはありとあらゆる食があって、選ぶのに迷ってしまう。世界各国の美味しい食事を楽しむこともできるが、それは移民が多いメルボルンでもある程度同じなので、今回は日本食に絞って探索。

 

帰国した日は疲れていたのでホテルのビルの中にあるコンビニで夕食を調達したが、食べたいものがありすぎて迷った。2年半日本を離れていると、日本のコンビニの便利さと質の高さに驚かされる。お惣菜の種類が多いような気がしたのは、ここが都心ど真ん中であることやコロナ禍で中食が増えたせいもあるのかな、と思った。

コンビニでレバニラが買えるなんて!サラダの種類も豊富で迷ってしまった

今回銀座界隈を拠点としていたが、築地まで足を延ばす時間がなかったので銀座で寿司。

久しぶりに日本のお寿司を食べて満足

銀座には日本各地のアンテナショップが集結している。メルボルンではおそらく食べられないソーキそばを沖縄のアンテナショップでいただいた。このソーキそばは、仕事をしているときにたまにランチタイムに一人で食べに行っていた。懐かしい。

アンテナショップでは雪塩ちんすこうをお土産に買った

メルボルンでは食べられないであろう和食その2としてもつ鍋。博多の店らしく、昔、福岡に出張した時に食べたもつ鍋と似ていて醤油のさらっとした味付け。美味しかった。

こんなに色々ついていて1400円と安い(しかも銀座のど真ん中なのに)

疲れていた時にはホテルのすぐ近くにあった「はなまるうどん」。うどんはメルボルンでも食べられるけど、山芋はレアなので。安すぎて申し訳なくなるくらい。

冷やしとろろうどん、ちくわの磯部揚げ

メルボルンに戻る日に木場のイトーヨーカドーに買い物に行ったが、その時にみつけた「若鯱家」。世界の山ちゃん矢場とんと比べると関東での知名度は低いと思われるが、若鯱家は庶民的な名古屋メシの店。カレーうどんが看板メニューだが、カレーうどんメルボルンに帰って自分で作れるのでパス。ここでもメルボルンで食べられないものをチョイス。

ざるきしめんと味噌どて煮

コロナにならなくても日本で自由に動ける時間は同じくらいだったので、大体こんなもの。今回食べたかったけど時間が無くて食べられなかったのは、焼き鳥、焼肉、うなぎ、お好み焼き。日本に帰ってからの楽しみにとっておく。

 

銀座を歩いていて、街自体がまるでテーマパークだと感じた。便利だし綺麗。何でも手に入るし、全てが良く出来ている。食事も選び放題。お土産を買いにLoftに行ったが、なんでこんなに色々なものが売っているんだろう、と面食らった。買い物がエンターテイメントになる日本。こんな場所、世界のどこにもないんじゃないかな。

 

細かいところを突き詰める国民性が日本なのかなあ。仕事をしていた立場からすると、それだけ仕事が多くなるような気もするが。毎月出る新商品、毎年変わるモデル、豊富なホテルのアメニティ、清潔で整った社会システム。丁寧な説明書き、道案内。必要以上に高度化しているんじゃないか。メルボルン空港について、薄暗い照明と分かりにくいサイン(というかほとんどサインすらない)、トイレの冷たい便座に、ああここは日本じゃないんだ、と思い出した。

 

日本から持ち帰った品々(子供たちへのお菓子が多め)



日本に帰国したら懐かしくなるであろう生活

今回、期せずして日本で2週間を過ごすことになり、うち10日間はコロナ罹患による一人きりの隔離生活を送ることになり、オーストラリアでの日常生活をあれこれ思い出しては懐かしんでいた。家族と一緒にいないことによるホームシックもあったのだろうが、それ以上に東京都心での生活(メルボルンに来る前の4年間は東京のど真ん中に住んでいた)とあまりにも違うメルボルン郊外での日常生活を懐かしく思っていた。本帰国後に感じる「オーストラリアでの生活、良かったなあ」を疑似的に感じていたのだと思う。

 

帰国まであと7か月残っている。この時間を大切に過ごしたい、と改めて思えたことは、今回の単身一時帰国の土産だと思っている。2年半も暮らしていると、当初感じていた新鮮な気持ちは無くなり、多くのことが日常になるが、一時帰国により改めて新鮮な気持ちを取り戻すことができた。今は冬でメルボルン生活のベストシーズンではないが(というよりも天候的に一年で一番悪い時期だが)、そんな中でもこんな時間の過ごし方をしていたということを改めて思い出したい。

 

気軽にきれいなビーチに行ける

自宅から車で20~30分行くと綺麗なビーチがたくさんある。ビーチにはそれぞれ名前がついているが、まだ全部制覇できていない。一時帰国の前の週末、夫と次男と3人でSandringhamビーチに行った(長男は友達の家に遊びに行っていた)。このビーチに行くのは初めて。似ているようで一つ一つのビーチの雰囲気は風景は違っているので、自分のお気に入りを見つける試みはまだ続く。

冬のSandringhamビーチ

冬のビーチは空いている。じっとしていると寒いけど、それでも天気が良い日はテントを出してのんびりすることができる。子供は砂遊びに夢中になる。オージーが寒中水泳をするのを眺めながら、のんびり何をするわけでもなく過ごす時間自体が最高の贅沢。もう少し暖かくなればランチやスナックを持参して半日ビーチで過ごすこともできる。

砂があれば何時間も遊べる

 

郊外のカフェでゆっくりランチ

日本からメルボルンに返ってきた翌日の土曜日、子供たちを日本語補習校(土曜校)に送り出した後は、夫と2人でゆっくりできる時間。といっても掃除や洗濯、食料の買い出しなどやることはたくさんあるが、昼頃になるとそれらのタスクも終わる。この日は掃除、洗濯、コストコでの給油と食料買い出しの後に、コストコと自宅の間にあるカフェに。以前テイクアウトはしたことがあったが、中で飲食するのは初めて。

メルボルンの冬は天気が悪いので、晴天は嬉しい

気取っていない郊外のカフェが気楽

日本から帰国したばかりだったこともあり、オーストラリアっぽい場所に行きたかった。郊外のカフェなので家族連れが多い。外の席はサッカー教室を終えた子供たちとその親が予約していたようで、にぎやか。リラックスした雰囲気の中でゆっくりカフェ時間を楽しめるのがこの生活の良いところ。

昼からビール

値段は高いが美味しいし量も多い

大学のイベントに家族で参加

子供たちを土曜校からピックアップした後は、私が通う大学で開催されている冬まつりに。地域貢献のイベントらしく、遊園地にあるような乗り物がすべて無料。みんなどこから情報を得たのか知らないが、開場となる4時前から多くの家族が列をなしていた。長男の友達を誘って5人で参加。乗り物は並んでいたので観覧車に一度乗っただけだが十分楽しめた。

普段のキャンパスが遊園地に様変わり

暗くなってきたらフードトラックで夕食を調達。私は昼のカフェランチでお腹がいっぱいだったので、食事の代わりにカクテルを購入。寒いけどライトアップされた大学のグラウンドがきれいだった。私が通う大学はイベントが本当に多い。日本にいた間にも参加したいイベントがたくさんあって悔しい思いをした。

寒いけど楽しい大学の冬まつり

 

シティの有名カフェなどまだ行けていないところがいくつかあるが、おしゃれカフェよりもこういう郊外での日常生活の中でのちょっとした楽しみの方がきっと帰国してから懐かしくなるし、今ならではの貴重な経験である気がしている。これは日本とオーストラリアの時間の流れ方の違いだけでなく、都会の中心部での暮らしと郊外での暮らしの違い、企業でフルタイムで働き毎日時間的にも精神的にも余裕ゼロで生活していた自分の状態と、お気楽な学生状態、自分で自分の時間の使い方を決められる状態という違いも大きいように思う。

 

もちろん博士学生としてやるべきことはあるが、社会人としてのコミットメントの多さと重さ、もらっていた給与に相応する責任と比べると、今ははっきり言ってサバティカル状態。この後、自分がどうなるのか分からないところもあるが、同じようには過ごせないだろうという気はしている。だから、このメルボルン郊外での学生生活は自分の人生の中で長い夏休みのような感覚。だんだん帰国が近づいていることは分かっていたが、今回実際に日本に一時帰国したことで、より帰国後の東京での生活がリアルに想像できて、改めて今の生活のありがたみを感じることができた。

コロナとともにある留学生活

2週間以上ブログをさぼってしまった。実はこの間、ついに(というべきか)コロナウィルスに感染。ブログを書くこともできたけど、色々な事務手続き、体調の変化、気持ちの整理などに時間がとられた。タイトルだって、なんて書いたら良いのか分からないくらい。でも正直な気持ちは、「私の留学生活、コロナにとことん邪魔をされている」ということ。

 

振り返ってみると、1年目、博士課程が始まって2か月も経たずにロックダウンが始まった。ロックダウン自体は研究生活に直接的な影響はないように見えた。何が大変だったかというと、小学生の子供2人が学校に行けなくなり、平日は毎日4時間程度、まだ英語ができない子供たち、自立学習ができない子供(次男は当時年長)の学習サポートと子守に時間がとられた。どこも旅行に行けないこと、外食できないこと、家族以外の誰にも会えず友達ができないこと、指導教官とはすべてオンラインのミーティングになることは我慢できても、留学の目的であり本業である研究時間が子供のホームラーニングによって奪われるのは本当にきつかった。そして2年目も同じことの繰り返し。この2年は本当に辛かった。よく耐えたと自分でも思う。

 

3年目、2022年になってオーストラリアはコロナ対策を180度転換。いわゆるWith コロナに舵を切った。コロナはそこら中にあったけど、学校はもちろんのこと、レストランや商業施設も閉じない。RAT(抗原テスト)を配りまくって陽性者は州政府への登録と自主隔離というやり方。国境も開いて留学生もたくさん入ってきた。大学も対面授業が開始となり、新しい友達ができた。そんな中、博士課程のハイライトとして、私は世界最大の経営学の学会(AoM)に発表を申し込み、受理された。ついでに日本の学会にも申し込み、これも受理。2週間の日本~アメリカ学会はしごツアーを予定していた。

 

どのタイミングでコロナになったのか。日本にいるときに陽性になり、東京で10日間の隔離生活を経験した。日本入国72時間前のPCRテストでは陰性だったので、メルボルンシドニーへの国内移動中、シドニー~東京への移動中、もしくは東京についてから感染したと思われる。東京では過去最大の感染者数を記録している時期であり、いかにも東京で感染したような気もするが、潜伏期間を考えるとシドニーで感染した可能性もゼロではない。

 

毎日の様子を書くときりがなくなるが、自分の記録のためにも日本到着からコロナ隔離生活まで日付ベースで振り返る。

 

7/29:夕方に日本到着、真冬のオーストラリアから猛暑の東京に。羽田から京急で都心まで向かい、ホテルに直行。疲れていたのでホテル1Fにあるセブンイレブンで夕食を調達してホテルの部屋でリラックス。翌日のプレゼンに備える。

 

7/30:朝イチで学会会場に移動。マスクしながらのプレゼンに酸欠になりそうだった。外は35度を超える猛暑、中は冷房ガンガン。オンラインでしか会ったことがない人に対面で会えたこと、何人かの先生や学生にポジティブなコメントをもらえたことが嬉しかった。特にお世話になっている部会長の先生に「研究、頑張りましたね」と言われたときは報われた気がした。

学会の会場になった大学、立派な建物があった

7/31:早朝に頭痛。オーストラリアから持参したパナドールを飲んだ。その後、コロナを疑いオーストラリアから持参していたRATでテスト。陰性。身体がだるかったので、学会2日目はホテルの部屋からZoomで参加。午後になって元気が出てきたので外出。

 

8/1:朝起きて熱っぽいので、再び持参したRATを使って検査。くっきりと陽性。この日の予定は東京駅周辺で所属先の会社の上司とランチミーティングをした後、新幹線で実家に移動する予定だったが、もちろん両方キャンセル。急いで東京都や厚労省のHPでやるべきことを調べた。一般ホテルで外出しないで10日間の隔離生活を送るのは不可能と判断、療養ホテルに入れてもらうための手段を調べたところ、RAT陽性にもかかわらず、外出して病院で検査が必要とのこと(陽性者に外出を強いるとは信じられないルール…)。近くの病院にいくつか電話をかけるものの、RAT陽性の人は検査できないとの答え(でた、日本の縦割り、部分最適ルール)。ようやく検査してもらえる病院を見つけて、陽性者であるにもかかわらず外出。病院でもRATで陽性(当たり前)。保険証がないので自費で5万円(これは仕方ない)。

もともと両親へのお土産のつもりで持ってきたRATを自分で使用

8/2:朝から東京都に電話をしまくり。何とかして宿泊療養ホテルに入れてもらうよう交渉。つながらない電話に心が折れそうになりながらも何度かかけるうちにつながった。しかし日本の携帯電話がないと受付できないと言われたり、短期アルバイトスタッフなのか、話がうまく通じなくて難航。夕方になって別の職員らしき人から折り返しがあり、宿泊療養ホテルを手配したとのこと。翌日移れることになった。これまたつながらないJALの電話に何度もかけ、シアトルへの往復便のキャンセル(返金してもらえた)。シアトルのホテルもキャンセル(無料だった)。シアトル学会のチェアにも連絡(録画を流してもらうように依頼)。

 

8/3:泊まっていたホテルから徒歩5分程度のところにある宿泊療養施設にお迎えの車で移動。ビルとビルの間で薄暗く、気が滅入るようなホテルだったが文句は言えない。一泊4,000円程度の格安ビジネスホテル。でも食事の心配はいらないし、感染を広げるリスクも減るのでありがたかった。

 

8/4~8/9:宿泊療養施設で隔離生活。3食弁当を取りに行くときのみ部屋から出ることができる。20代~40代の人が多い印象だったが、0歳の赤ちゃん連れや小学生と母親の組み合わせもいた。弁当は病院食ではなく普通の仕出し弁当。味が濃く揚げ物が多い印象。トータルで弁当を20食以上いただいた。久しぶりに日本の弁当を食べられてありがたかったが、今はしばらく日本式の仕出し弁当はいらない気分。オーストラリアから余るほど持ってきていたRATを使ってみたら、8日目、9日目はまっさらな陰性。

宿泊療養施設で提供された標準的なお弁当

8/10:無事隔離期間が終わり、また徒歩で5分程度のところにある別のホテルに移動。往きと違ってスーツケースをゴロゴロ引きながら猛暑の中を歩いたが、開放感でいっぱいだった。隔離明け初めて行った娑婆の食事はホテルの2Fにあったコメダ珈琲のモーニング。実家に帰ったら行こうと思っていた目標が一つ達成できて大満足。午後は銀座で買いもの。日本食のおいしさ、日本の便利さ、トイレの快適さに感動。

コメダのモーニングが東京都心で楽しめるようになったとは

8/11:地下鉄に乗ってイトーヨーカドーまで買い出し。子供に頼まれていたこまごまとしたものや食品を調達。イトーヨーカドーで4時間買い物尽くし。ここでもきしめんと味噌どてという名古屋メシの店があったので入店。実家に帰れなかったのがよほど悔しかったようだ。ホテルのレイトチェックアウトプランを使っていたので、夕方にシャワーをしてから東京駅に移動。東京駅はコロナ前の賑わい(お盆休みの始まりだったから?)。でも成田エクスプレスはガラガラ。成田空港の店もほとんど閉まっていて、開いている2つのレストランに長蛇の列。ホノルル便と時間が近く、チェックインカウンターも混んでいたし、家族連れもちらほらいた。飛行機は往きと比べると混んでいたが、隣が空席だったので小さく丸まって眠ることができた。

 

8/12: 真冬のメルボルンに到着。到着した時の気温は10度。寒いけど元気があったので、夫に車で迎えに来てもらうのは断り、バスと電車を乗り継いで自宅まで自力で戻った(シティを挟んで空港と反対側に住んでいるので、1時間以上かかった)。

 

ざっと振り返るとこんな感じ。研究がらみや2年半振りの日本帰国で感じたことは別の記事に書くとして、コロナになってみて感じたこと、コロナへの向きあい方など今の考えを最後に残しておきたい。

 

メルボルンに住んでいて、子供たちの学校でも毎日コロナが出ているし、子供たちの間ではもはやコロナにかかっていない子の方が少ない状態。親も子供からコロナをもらい、多くの知り合いが感染していた状態なので、自分がコロナに感染すること自体は驚かなかった(もちろん感染しないに越したことはないが)。また日本でもコロナが増えていることはニュースから知っていたし、今回の旅で日本もしくはアメリカで感染する可能性も想定はしていた。

 

かといって、2年間ずっと文字通り閉じ込められていて学会に参加できなかった自分が、博士課程最後の年にコロナのリスクを理由に、対面実施が再開された国際学会にチャレンジしない理由はなかった。つまりリスクを承知でチャレンジしてみたら、今回は悪い方に転んでしまったという顛末になる。当然ガッカリはしたけど、自分の選択に後悔はしていない。なぜなら今回が私の人生の中で博士学生として国際学会に参加できる唯一のチャンスだったから。自分でできることはやった。でも外部要因によって目標はかなわなかった。

 

自分は物事(や人)の良い面を見るように心がけている。そういう意味で、今回、一番悪いシナリオは、コロナに感染していることに気が付かずに、コロナウィルスを実家に持ち帰り、70代の両親を感染させ、重症化もしくは最悪死に至らしめること。実家に移動するその日の朝にRATをして陽性が判明したので、RATをオーストラリアから持参した自分はラッキーだったと思っている。

 

二番目に悪いシナリオは、シアトルに移動してからコロナに感染(もしくは陽性が判明)すること。アメリカの医療システムは全くよくわからないし、知り合いもいなければ文化も社会システムも言語も日本とは違う社会の中でコロナになるのは不安だっただろうと思う。また、日程的にシアトルに行ってからコロナに感染すると、メルボルンに戻る日もずれ込んだはずなので、後々のスケジュールにも影響が出ていたはず。

 

今回の成り行きは三番目に悪いパターンだったかなと思う。なるならメルボルンでかかっておきたかったけど、それはもう自分にはコントロールできないことだから仕方がない。

 

最後に症状について。最初の数日は多くの手続きをこなすのに必死で気が張っていた可能性もあるが、あまり辛さは感じなかった。しかし症状発生後、5~7日目にひどい倦怠感が襲ってきて、コロナの恐ろしさを知った。この間、ふらつき症状が出たので、ホテルに常駐している看護師に連絡して血圧を測らせてもらったら、案の定、高血圧。普段はどちらかといえば低血圧だが、出産時に高血圧症状が出てから、自分はストレスがかかると高血圧になる体質であることが判明した。倦怠感と高血圧による眩暈で3日ほどは辛かったが、熱はなく、咳もほとんど出ない症状だった。

 

後遺症については、現段階では若干疲れやすく、眠たくなりやすいように思う。これはコロナのせいなのか、真冬~真夏~真冬という移動で体の自律神経が狂っているのか、はたまた旅の疲れなのか、しばらく使っていなかった英語を再び使う生活になったことによる脳への負担なのか、これらの複合的な作用なのか分からない。まだ集中力が100%戻ってきた感じはしないが、普通に生活できるレベルなので徐々に戻していければと思う。