40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

出張準備、投稿論文の進捗、査読の依頼

もうすぐ出張。先日からバタバタと過ごしている。そんな中、研究以外に学内でバイトも始めた。先週から今日までの出来事。

 

アメリカ学会のプレゼン最終化と録画のアップロード

先週の火曜日にオンライン英会話Camblyの先生(毎週2~3回、レギュラーでお願いをしているビジネスイングリッシュが得意なアメリカ人の先生)にプレゼンを見てもらってOKをもらい、質疑応答の練習までした。私の専門分野について詳しくないはずなのに、結構鋭い質問をしてくれてよい練習になった。かなりレベルが高いレッスン内容となったのに、45分間で1,000円程度ととてもコスパが良い。その内容で、翌日水曜日に指導教官の前で(といっても相変わらずZoomだが)練習。微細な修正のみ。あとはOK。完成してしまった。

 

学会は2020年と2021年は完全オンライン、今年は初めてのハイブリッド開催。ちなみに私の出るセッションはIn personのみ。今回、学会発表する人は事務局から事前にプレゼンのビデオをアップすることを強く推奨されていた。もともと納期が先々週と早かったので、間に合わないためスルーするつもりだったが、そんなに早くプレゼンが完成している人がいないからか、アップロードの納期が先週末まで延びた。ということで、私はプレゼン動画をアップロードすることが可能になった。

 

指導教官に録画のアップロードを相談してみたら、「どちらでも良いのでは?」という答え。私はひょっとして自分のペーパーに興味を持ってくれる人がいて、その人がシアトルに来られないとしたら、録画を見てもらいたいなあ、と思った。だからその日の午後、大学の会議室で一人Zoomをして録画。3テイクくらい撮ったかな。Zoom機能を使った録画が一番楽。勝手にMP4で記録されるので、それを学会のサイトにアップロードしただけ。最悪自分がコロナか何かになって、直前にシアトルに行けなくなっても、現地でこの動画を流してもらえば良いので、バックアップの意味にもなる。

 

日本の学会のプレゼン資料作成

母国語で作るプレゼン資料は英語と比べて100倍楽。何なら、日本に帰る飛行機の上で作っても良いくらいの気分だったけど、思いのほかアメリカの学会の資料が早く最終化できたので、日本の学会のプレゼンも作成。もともと昨年、学会の研究部会で発表した資料のベースがあったので、それをアップデート。読み原稿は作っていないが、母国語なのでプレゼンに困ることはない。いいなあ、英語が母国語の人は勝手に周りが自分の言葉を話してくれて。世界相手に仕事しようと思った時、言語の壁がないとそれだけで大きなメリット。イギリスが世界を侵略した歴史の影響はとても大きい。

 

名刺の完成

出張にもっていきたくて作った名刺。学部の事務が仕事がスローなのは分かっているので、動きが良い大学の印刷サービスに先週の火曜日、進捗をメールで問い合わせてみた。問い合わせの30分後くらいに電話がかかってきた。早い。タイミングが良いことに、ちょうど名刺が出来上がったが、学内の定期便に乗せると手元に届くのは翌週(今週)になるかも、とのこと。直接取りに行っても良いですか?と聞いたらOKという返事。学部の事務を通すと仕事が遅くて嫌なので、翌日、大学の近くの工業団地の中にある印刷会社に取りに行った。

何とか出張前に間に合った名刺

印刷会社のやり取りは女性だったけど、朝イチで行ったので対応してくれたのは職人さんらしい男の人。雰囲気が良さそうな職場だった。オーストラリアでは、仕事ができる人(早い人、責任感がある人)、できない人(遅い人、いい加減な人)がはっきりと分かれるので、なるべく後者とは関わらず、前者をいかに見つけてその人と付き合うかが重要。今回、印刷会社の人は問い合わせの時からレスポンスが早くて好感度大だったが、この読みは大当たり。ありがたい。ちなみに、事務をすっ飛ばして自分で印刷会社に取りに行ったことは、ちゃんと事務の人にメールで報告しておいた。

 

投稿論文の進捗

今週の月曜日、投稿したジャーナルのサイトを確認したらステイタスが変わっていた。「Reviewers assigned」から「Under review」に。次のステップはレビューコメントの受領、もしくは(考えたくないけど)リジェクトの連絡だろう。提出してからこのステイタスになるまで約1か月。

初めてのことなのですべてがドキドキ

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ANZ学会からの査読依頼

先日、発表用のペーパー(12ページ)を提出した12月に開催されるANZの学会。締め切りは10日ほど前なので、まだ結果は出ていない。そんな中、昨日、その学会の部会(私がペーパーを提出した部会)のCo-chairの人から査読者になってくれないかと依頼が来た。当然、そのCo-chairの人は私がPhD学生だとわかっているはず。私はこれまで一度も査読付き学術論文の出版実績がなく、この分野での学会発表もまだしていない(今月末と来月初にするが)。こんな自分が他人のペーパーの査読なんてできるのだろうか?

 

よっぽど査読者がいないんじゃ?と心配になる。査読というのは英語だとPeer review、ペーパーを提出した私は紛れもなくPeerの一人であるわけで、依頼が来てもおかしくはないのだけど…。自分のペーパーのレビューをお願いするだけではなく、自分もレビュアーとして貢献すべきということは頭でわかっていても、実際にちゃんとレビューができるのかどうか不安。とりあえず指導教官にアドバイスを仰いでみる。

 

⇒追記

このブログを上げた少し後に指導教官から返信あり。とてもありがたいアドバイスだった。ぐちぐち悩まずにすぐに聞いて良かったー。レスポンスの速さもありがたい!

I suggest you respond by saying that you do not have any experience in reviewing academic papers (conference or journal papers) as you are a PhD student. And you are not confident of providing appropriate scholarly feedback on academic papers at this stage of your candidature.
I am happy for you to recommend me, as your supervisor, to review 1-2 papers instead of you. I've reviewed for ANZ学会 many times in the past.

 

日本渡航前のPCR検査

昨日の朝、大学の近くの検査所にて検査。24時間以内に結果が来るとのことで、約22時間後にメールで受領。オーストラリアの検査会社なのに自動的に日本政府の書式に書かれていて、ハンコらしき印まで押してある(笑)。肝心の結果は陰性でほっとした。周りはコロナだらけ。今週末の次男の友達のバースデーパーティも本人と母親がコロナになってしまい延期…。早くこのコロナがなくなってほしい。コロナだけでなく、インフルも流行っている。早寝早起き、3食きちんと食べて無理をしない。消毒やマスクも大事だけど、自分の免疫力を落とさないことも大事。

 

長くなったのでバイトの話は次の記事に。

最後のO-week、友人の帰国

今週も色々なことがあった。まずは前半の話。大学は来週からセメスター2(後期)の開始で今週はO-weekだった。昨年、一昨年のこの時期は完全にロックダウン中だったので、当然のことながらO-weekもなかった。今年はメルボルンに来て初めて経験するセメスター2のO-week。そしておそらく私の博士留学最後のO-weekになるだろう。O-weekはもともとは新入学生のためのイベント。だから「最後のO-week」という言葉は変なんだけど、それが気に入っている。同じPhD部屋にいるオージーの学生(男性)に「今回が私にとって最後のO-weekになる」と言ったら、笑ってくれた。ちなみにローカルのPhD学生は、学部生時代に散々楽しんだためなのかどうか知らないが、全然O-weekに興味を示さない。

 

O-weekにはもちろん在校生も参加しても良い。新入学生であった2020年にO-weekが開催されなかった私は、その時の悔しさや留学生活を全く楽しめなかった恨みを解消するために意地になって参加。でも蓋を開いてみたら、後期のO-weekは前期のO-weekの10分の1ほどの規模。メルボルンの冬は寒くて雨なので、野外に大きなテントが一つ建てられていて、その中に4つほど、大学のブースがあっただけ。あとは体育館の中でプレイセンターのような遊具が多数設置されていたり(小学生の息子たちにちょうど良さそう…)、著名人の講演が数回開催される程度。

 

前期のO-weekの様子はこちら。

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月曜日、昼前にテントに行ってみた。いつも恩恵を受けている大学院生のアソシエーションでグッズ入りのバッグとランチバウチャー(13~14ドル程度)をもらった。新入生ではない、と伝えたら、新入生向けのくじは引かせてもらえなかったが、ランチバウチャーをもらえたのでありがたい。バウチャーは学内のカフェ3店舗で使えた。一緒に行った中国からのPhD留学生とランチ。私はチキンタツタ風にスイートチリソースで味付けしてあるサンドイッチ+ソフトドリンク。友人はスープとパン。写真では分からないが、食べきるのが大変なくらいのボリュームだった。

9.9ドルもするRollだが、美味しかった

2日目の火曜日。スカッと晴れた青空。晴れた日は寒い。朝の気温はマイナス3度まで下がっていて、そのせいか、毎朝自宅のエアコンのタイマーをセットしているが、室外機が冷えすぎたせいか機能していなかった。寒い寒いと言いながらガスストーブをつけて暖を取っていた。前庭には霜。霜は先日キャンベラで見た。メルボルンで冬を過ごすのは3回目だが、霜を見たのは初めてかも。

前庭の芝生が霜で白くなっていた(朝9時前でまだこの状態)

天気が良いせいか、この日は学生が多かった。St. Aliのコーヒースタンドが出ていたけど、長蛇の列なので諦めた。ドーナツ屋のキッチンカーも出ていて、なぜかこちらは全然人が並んでいなかったので(有料だと思われていた?)、並ばずにゲット。この日はランチバウチャーはなく、外でBBQを配っていたが、ドーナツにBBQはジャンク過ぎるだろうとBBQはもらわなかった。

出来立てのドーナツも無料で(奥でBBQ)

コーヒーは一番の人気

3日目の水曜日。この日も晴天で冷え込み、霜が降りていた。今日こそは絶対にSt. Aliのコーヒーをゲットしたい!とやる気に満ちて大学へ。10時ちょうどにテントに行ったら、既に列が。並んでいるオージー風の女の子に「Is this a queue for coffee?」と聞いてみたら「Yes, everyone has the same idea!」とのこと。寒い冬の朝にはコーヒーが飲みたくなる。無料コーヒーと言っても、ミルクは3種類(通常、豆乳、アーモンドミルク)から選べるし、カプチーノ、フラットホワイト、ラテ、ロングブラック、モカホットチョコレートなど、普通のカフェのメニューで提供してくれるため、1杯1杯カスタマイズして作るのに時間がかかる。20分ほど待って、無事にフラットホワイトを入手した。St. Aliのコーヒーは美味しい。

半ば意地になってもらったフラットホワイト。St. AliのおかげでI feel good.

外にあるドーナツスタンドは並んでいた。3日目になって、みんなタダでもらえることが分かったんだろう。コーヒーを持ってオフィスに戻ったら、中国人の友人から「今日はランチバウチャーは配っていなかった?」と聞かれた。コーヒーをもらうことで頭がいっぱいだった私は「わからない」と答えたら、彼女は「私、外に行って見てくる」と言って出ていった。ちなみに彼女は2018年にPhDを始めた古参。最近ビザも延長してギリギリ4年間で終了できるかどうか、というところにいる。執筆が佳境を迎えているはずだが、そんなときほど気分転換が欲しいのかもしれない。

 

10分後、「ランチバウチャー配っていたよ!」と嬉しそうに戻ってきた。じゃあ私も、と結局2回目のテント訪問。「新入生ではないですが、ランチバウチャーもらえますか?」と単刀直入に聞いたら少し変な顔をされたけど、Noと言われずもらえた。昼時になり、一緒のPhD部屋にいるドイツ人、スリランカ人、中国人と私の4人でランチバウチャーを握りしめて1日目とは別のカフェに。無事にランチをもらい、カフェが入っているビルでランチを取っていたら、知り合いのオージー修士学生(教育学専攻、息子たちが通う小学校で英語のサポート教員をしてくれている)、彼の友人の修士学生(中国からの学生で、私と同じ専攻であることがわかり意気投合)もランチバウチャーでゲットしたランチを持って合流。6人でわいわいと楽しめた。O-weekらしくてよい。

2つのおかずが選べるランチ+コーヒー

少し長めのランチを終えて1時過ぎに部屋に戻ったら、以前のPhD部屋で友達になったバングラディシュからの留学生から携帯に着信あり。何かと思ったら、今週末に帰国するので会えないかとのこと。もちろん。30分ほど外で話した。彼女は私と同時期にPhDを始めたが、ロックダウン中に半年間休学していたため、この日の朝に2年目の審査を終えたところ。3年目はStudy Awayという仕組みを使ってバングラディシュにいながら博士課程を続けるらしい。すごいのは、バングラディシュに帰ってからも大学からの(正確には州からの)奨学金をもらい続けるようにできたこと。通常の奨学金ルール上はこれができないはずなので、何かと理由をつけて大学と交渉したのだろう。オーストラリアの生活費(奨学金)をバングラディシュに持って帰ったら、十分に余裕がある暮らしができる(それが彼女の目的でもある)。ちなみにPhD学生には大学から一人分の生活費として、月々約20万円が支給されるが、私の場合はそのまま家賃(3ベッドルームの庭付き平家戸建)に消えていく。

 

この日はもう一つイベントがあり、夕方からWine and Cheeseという大学院生向けのパーティ。もちろん参加費は無料。バンドやマジシャンなどのエンターテイメントもあり、飲み放題、食べ放題の充実の企画。昼のメンバーと同じ4人で参加、ウガンダからの留学生もそこに加わり、5人とも出身国が異なる国際色豊かなテーブルとなった。それにしても前期に参加した時よりも人が多くてびっくり。これが普通のキャンパスライフなのか。海外からの留学生もどんどん入ってきている模様。ロックダウンがない世界で学生生活を始める人が羨ましい。。

Wine and Cheeseのイベントの食事(一部)

調子に乗ってスパークリングワインを3杯飲んだ

遊んでばかりの感じだが、来週からの日本とアメリカ出張に向けた準備も進めている。そのことは次の記事に。

学会へのペーパー提出、初めての出版、Proceedings掲載からの問い合わせ等

先週~今週にかけて、本業である博士課程学生としての動きが色々とあった。まとめて一つの記事にする。

 

ANZ学会へのペーパー提出

12月にGold Coastで開催される学会発表に申し込みするために、オーストラリア企業10社へのインタビュー結果の分析を12枚にまとめ上げ、先週の金曜日に提出。もととなるドラフトは1万ワード以上あったのでかなり圧縮することになった。でもこのプロセスを経たおかげで、否が応でも要点をクリアにせざるを得なかったのは良かった。日本企業の分析の際も最初1万ワード以上の結果を研究部会での発表資料としてコンパクトにまとめる過程で、理論的な軸が明確になった。

 

学会は私の博士課程のFinal review(3年目の審査でこの日から3か月以内に博論提出する必要あり)の日にちと被っている。もしこの学会で発表する機会を得たら、おそらくGold CoastのホテルからZoomでFinal reviewのプレゼンを行うことになるだろう。1年目、2年目、3年目とすべてのマイルストンがZoomを使った審査となる。私としてはもはや博士課程=Zoomの日々なので、こちらの方がやりやすい。

 

初めての出版

昨年のロックダウン中に執筆したケーススタディがやっと出版された。出版社は各種学術ジャーナルも出版しているEmerald社。これが(ほぼ)私の人生初の出版業績となる。細かく言うと20年近く前に国連機関でインターンシップをしていた際に参加したプロジェクトが論文化されており、そこに共著者として自分の名前も入っている。しかしこの論文はPeer reviewではないし、掲載されている名前は旧姓だし、自分の出版物という感覚はほとんどない。

 

今回のケーススタディ出版は、今の名前になって、今の研究分野で、博士学生としての業績としてカウントできるもの。ただし、内容は博士のプロジェクトとは別。テーマは共通しているが、全く博士課程とは関係なく副業的に行っていたので、指導教官も知らない。自分で書いた英語の文章を自分のお金で英語の校正サービスに出して修正、事例掲載会社に了承を得た上、写真等の素材を提供してもらった。Editorの先生と何度もやり取りして完成させ、最後は出版社の下の制作会社と最終調整。一連の作業を経験できたのは良かった。嬉しいのはGoogle scholarのアラートでその出版物が流れてきたとき。ついに自分の名前を自分で見ることになった。使う予定はないけどEndNoteにも登録してみた。オンライン上ではもちろんPDFで見ることができるが、せっかくなので紙版もアマゾンから注文してみた。

 

シアトル学会のProceedings発行…からの問い合わせ

8月に発表するシアトルの学会のProceedingsが出版された模様。上のケーススタディの数日後、Google Scholarのアラートで再び自分の名前を確認。これも業績としてカウントできるので、1週間のうちに2つ、研究者としての業績が公になったことは嬉しい。シアトルの学会はもともと1万ワード程度のFull paperを提出し、それに対する審査を経て、発表者としてアクセプトされている。一方、ProceedingsにはAbstractしか掲載されないため、提出したFull paperは修正後、ジャーナルに投稿することができる。Reviewersのコメントを受けて、かなり修正した上で先日、とあるジャーナルに投稿したところ。

 

このProceedings関連で昨日一つ出来事があった。夕方に知らない人からメール。署名欄を見るとSydney Uniの先生で怪しい人ではなさそうだった。用件は学会のProceedingsに掲載されているAbstractに興味を持ったので、良かったらフルペーパーをシェアしてもらえないか、というリクエスト。学会に参加する人は期間限定で学会サイト上でFull paperにアクセスできるので、この人は学会に参加しない人なのかな?初めてのことで、私はどう対応したらよいのか分からないので、指導教官にアドバイス依頼中。私と全く関係ない人が私の研究に興味を持ってくれたのは初めての経験で、正直うれしい。でもどうやって私のメールアドレス(大学の)が分かったんだろう?

 

初投稿論文の進捗

シドニー旅行に行く直前に人生初、論文を学術誌に投稿した。

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その後、一週間旅行していたので論文のことは完全に忘れていて、戻ってきた先週、そういえばどうなったかな、と投稿サイトをチェック。ステイタスはEditor assignedのまま。あれ?普通Editorの判断は数日と聞いていたけどおかしいな?と思って、Springer社のサイト(Editorial Manager)の色々なところを見ていたら、Author statusというリンクがあった。何気なくそこを押してみたら、なんと!共著者である副指導教官がConfirmしていないという事態…。まさか身内が止めていたとは。

 

ちなみに正指導教官は提出当日にConfirmしていた。副指導教官が10日間止めているせいで、おそらくEditorが論文を確認する状況にない。Editorial Managerの機能を使って、再度Confirmationのメールを副指導教官に送るとともに、メールでもリマインド(Ccに正指導教官)。それでも2日間動きがないので、再度、Editorial Managerからメール送付。もしこれも聞かないようなら、正指導教官から直接プッシュしてもらおうと思っていたら、ようやく先週の金曜日にConfirmした。

 

副指導教官は一度も社会人をしないで博士課程からアカデミアに入った人。完璧主義者で研究者としては優れているのだろうが、とにかくすべての仕事が遅れている。仕事を抱えすぎていっぱいいっぱいになっているのに、一つ一つの仕事を細かく実施するので完全にオーバーフロー。仕事を断ったり他人に振ることを知らない。一般社会なら仕事ができない人のカテゴリーに入るが、学術界では立派な業績を積み上げて、今は(暫定)学部長の立場。私のPhD友達で、この人を正指導教官として博士研究している人がいるが、彼女の話を聞くと1年目の審査の文書も1か月近く見てもらえなかったり、その遅れのせいで土日に稼働せざるを得なかったり、と明らかに支障が出ている。

 

今回のことで改めて思ったのは、私の正指導教官はこういうタイプじゃなくて良かった、ということ。正指導教官は私と同じで15年程度、企業で働いた後にPhDを取り、その後大学で研究者をしている。仕事の進め方が自分と似ているのでとてもやりやすい。タイムマネジメントに関しては、性格の問題もあるかもしれないが、経験の問題も大きいように思う。組織で働く人は、納期を守れない場合、信頼を得られず自然淘汰されていく。その点、学術界はアーティストと似ているのかな、と思った。納期が一番の優先項目ではなく、おそらく質が最も重要視される世界なのだろう。ネガティブなことを書いてしまったが、副指導教官自身の性格はとても良くて、気配りができるし(むしろしすぎるくらいだし)、私と同世代で子供の年齢もほぼ同じ、共感することは多い。だからこそ、このタイムマネジメントの出来なさが際立つ。

 

話が長くなったが、今朝、何気なくEditorial Managerを開いてみたら、ステイタスが動いていた。Editor assignedからReviewers assignedに。とりあえず、最初の関門はクリアしたということだろうか?Reviewersにめちゃくちゃ言われてもいいから、何とかこのまま進んでほしい…。

 

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2022年冬の旅行② Sydney一日観光

2022年の冬休みに実行した6泊7日の旅行記。一週間も旅行した割に、ロードトリップで移動時間が長く、あまり旅行記として書くことがないことに気が付いた。ロードトリップはもうこれで十分かな。。

 

Day1~Day4についてはこちら。

fourty.hatenablog.com

 

Day 5:Sydney一日観光

この日の天気予報は曇り時々雨。だんだん天気が崩れ始めるシドニーの天気予報。翌日の金曜日から一週間程度雨の予報。ずっと天気予報とにらめっこしていた。この日は一日シドニー観光に充てる予定にしていた。Day1~Day4まで、毎日ドライブしすぎて車にうんざり。運転者の夫だけでなく、家族全員疲れていた。やっと車に乗らない一日を過ごせる。

 

朝はホテルの部屋でゆっくり。ネットフリックスに入っていないけど、息子が誰かのアカウントを使ったのか何か知らないが、ホテルのテレビでネットフリックスが見られた。日本のアニメを立て続けに見ていた。この日の朝もダラダラと日本のテレビを見ていたが、時間がもったいないということで9時半くらいに思い立って出発。

 

ホテルから徒歩でSydney Fish Marketまで。もともとランチをFish marketで食べようと思っていたので少し早い。私はこの日、10:30~11:30に参加したいZoomセッションがあって、それを加味していたらスケジュールの立て方がわからなくなってしまった。とりあえずFish marketの見学と軽くつまめるシーフードを購入。メルボルンのマーケットよりも刺身の種類が豊富で羨ましい。一般人が入れるエリアは思ったより狭かった。

新鮮な魚が並ぶ

すぐに食べられるお総菜コーナー

購入したシーフードのお惣菜を外の席で食べる。平日の朝10時なので空いていた。天気は予報よりも良くて青空が見えていた。このまま雨が降らずに済むと良いけど、と思いながら、私は10:30にスマホからZoomに参加。思いつきで、Darling Harbourからフェリーに乗ることにして、夫と息子二人は先にDarling Harbour方面に歩いて行ってもらうことに。

Fish marketの外の席。絶対カモメと目を合わせてはいけない

10:30からのZoomが長引いて11:45分くらいに終了。スマホの充電が10%しか残っていない。今回、準備不足でデジカメも持参せず、スマホの電池が切れたら困るので、私はいったんホテルに戻ることに。時間がもったいない行動。Darling Harbourでずっと待っている夫と息子を気にしながら、ホテルで30分ほど充電。Darling Harbourに一番早く着く方法は結局徒歩らしい。昔ならタクシーが使えたけど、いつの間にか街にはほとんどタクシーが走っていない。メルボルンならどこにでもトラムで行けるのに…と思いつつ、ホテルから急ぎ足でDarling Harbour方面に歩いた。

 

自他ともに認める方向音痴の私はこの時も完全に逆方向に歩いて行っていた。China townが見えてきて、なんか変だな、と思って慌てて引き返す。この方向音痴、本当に自分で嫌になる。Mapがあっても間違えるってどうしようもない。大幅に時間をロスして、クタクタ状態でDarling Harbourに到着。そこからフェリーに乗って、Harbour Bridgeの下を潜り抜けてオペラハウスまで行くつもりだったが、フェリーに乗り換えが必要なことが判明。

Darling Harbourを歩いているとき、心身ともに疲れがマックスに

もう疲れていて頭も働かないので、一発でオペラハウス(Circular Quay)まで行けるフェリー乗り場までさらに20分ほど歩いた。今考えたら、普通にフェリーを乗り継げばよかったのに。もうこの時点で疲れすぎて、Harbour BridgeもOpera Houseもどうでもよい気になっていたが、気を取り直してフェリーに乗船。

 

乗ってみたら気分も少し回復。海からの景色は良かった。あいにく天気は曇り。雨が降っていないだけ良しとしなければならない。公共交通機関のフェリーなので、電車と同様自転車を持って乗り込んでいるローカルの人もいた。Circular Quayで降りてから、特にやることがないので休憩。Opera Houseに付属しているカフェでお茶。ビールを飲もうかと思ったが、疲れすぎていて体調不良になりそうだったのでコーヒーにしておいた。

Harbour Bridgeの下をくぐってオペラハウスまで

Opera House Barでくつろいでいて突然思い出したこと。20年前に友達とここに来た時、オペラハウスの横にあるカフェで高い茶なんて飲めない、と今の自分のように飲食している人たちを羨ましく眺めていただけだった。20年後に来て、少々高いコーヒーのことなんて全然気にしないで、何なら値段を確認しないで、観光客向けの場所で飲食を楽しめるようになった。年を取るのも悪くない。そんな話を夫にしたら、「今は自分の分を払うだけじゃなく、他の人の分まで払っているしね」と。確かに。私、家族の分まで払ってるわ(このカフェ代は先日の試験監督のバイト代から家族におごることにしていた)。何ならドリンクだけじゃなくて、子供たちに「お腹空いたからポテトも食べたい」と言われて、食べ物代まで払っている。仕事頑張ってきて良かったなあ、これからも頑張って稼いで、若いころにできなかったことをしたいなあとしみじみ。

オペラハウスの前でコーヒー飲める大人になれたことに感謝

休憩した後の目的地は「紀伊国屋書店」。シドニーに来たら行きたいと思っていた場所。もう歩くのは疲れたので、電車で2駅、Townhall駅まで。シドニー紀伊国屋はすごかった!英語の本もたくさん、日本語の本もたくさん。メルボルンにもあればなあ。もちろん日本語の本は高い。でも子供たちに1冊ずつ好きな本を(これもバイト代から)買ってあげることにしていたので、二人ともじっくりと選んでいた。長男はワンピースの小説版(17ドル)、次男は3か月遅れのコロコロコミック4月号(20ドル)。夫は特にほしい本がないとのこと。

シドニー紀伊国屋書店

2年半ぶりの日本の本屋に興奮

紀伊国屋が入っているビルにはMujiなどほかにも日本のお店がいくつか入っていた。シドニー便利だなあ。そのビルの向かい側にはQueen Victoria Building。ここもショッピングセンター。ちらっと中を見ただけ。外の方が素敵。迷ったけど、結局、ホテルまで歩いて帰ることに。歩いて帰る途中に閉店前のPaddy's marketに立ち寄った。メルボルンQueen Victoria Marketに似ていて、激安土産がたくさん売っている。2ドルでシドニーのマグネットを購入。

Townhall前にあるQueen Victoria Building

たくさん歩いてクタクタに。この日はホテルから徒歩1分の中華料理でテイクアウトして、部屋で食べた。シドニーは見るところがたくさんある。終わってみれば大満足の1日だった。

 

Day 6:帰路

朝から雨のシドニー。チェックアウトしてひたすらドライブ。この日は500kmくらい先にあるWagga Waggaという町に泊まる予定。ずっと天気が悪く、雨の中ドライブ。何も楽しいことはない。

 

Wagga Waggaについたら夕方。この日はモーテルにしてみた。ラッキーなことに洗濯機と乾燥機が無料で使えた。ありがたい。たまっていた洗濯をする。夕食はモーテルの隣にあったインド料理屋。あまり流行っていなさそうだったけど、特にこだわらず。店に入ったら、BYOでアルコールが持ち込めるということだったので、いったん店を出てモーテルに飲みかけのワインを取りに行った。インド料理屋の店員さんにBYOはいくらですか?と聞いたら「大体5ドルから10ドルです」との答え。「私1人がワインを少し飲むだけなんですけど」と言ってみたら、「じゃあ、2ドルか3ドル、最大5ドル」とよくわからない答え。結局会計時になって、BYOの手数料は1ドルも取られなかった。オーストラリアのいい加減さが良い方に転ぶときもある。

 

Day7:Alburyでランチして帰宅

この日もひたすら移動のみ。ランチはDay1に宿泊したAlburyで立ち寄ったHarris Farm MarketのFish and Chips屋で。なんでこの田舎のスーパーに2度も行ってるんだろう、と思いながら、何かと便利なのでまた行ってしまった。往きに買って美味しかったローカルワインと別のローカルワインを1本ずつお土産に買った。

Alburyのマーケットにも行ってみたが規模が小さすぎてあまり見るものがなかった

後は特筆すべきことはなし。往きにVictoria州からNSW州に移動するにつれて天気が良くなったが、帰りはNSW州からVictoria州に移動するにつれて段々晴れてきた。今回は天気に恵まれていた。メルボルンに着いたら完全に晴れ。でもシドニーより寒い。ああ、帰ってきたんだなあという寒さ。この日からシドニーは大雨で洪水のニュースをやっていた。旅行が大雨の前で良かった。

 

シドニーにはもう一日くらい滞在したかったけど、シドニーを離れた日がざあざあ雨だったので、未練なく去ることができた。シドニーには何かと今後も行くことがあるだろうから、行きたい場所はまた次回に取っておけばよい。

 

メルボルンシドニー、両方オーストラリアの大都市だけど、かなり雰囲気が違った。シドニーの方がより都会的で、観光客が楽しめる見どころが多い。メルボルンシドニーと比べて特別観るものがあるわけではないが、古くから整備された街並みがそのまま残っていて、シティの中はすべて無料のトラムで移動できるので便利。観光客も住人のように時間を過ごすことができる。どちらが好きか?と聞かれることもあるが、私が個人的に思い入れがあって、落ち着くのはアデレードシドニーにはお金の心配をしなくて良いなら、数年間住んでみても良いかなと思った。

2022年冬の旅行① Canberra~Blue mountains

子供たちの学校の冬休みの最初の一週間、メルボルンからシドニーまで、キャンベラを経由して往復2,000kmのロードトリップをした。2回にまとめて記録。

 

Day 1:メルボルン~州境まで移動

日曜日の朝、自宅を出発。この日の走行距離は400km未満と比較的短い。宿泊するのはメルボルンがあるVictoria州とシドニーがあるNSW州の間にある町。Victoria側はWodongaという町、Murray riverを挟んでNSW側にAlburyという町。ちなみにこのAlburyという町の発音が難しくて、オージーに説明してもいつも伝わらない。

 

ひたすらドライブするだけの日。宿泊はいつも泊るHoliday parkのフランチャイズであるBig 4。2ベッドルーム、リビングルーム、フルキッチンとバスルーム付。夕方に到着して子供たちは早速、敷地内のJumping pillowではねてエネルギーを放出。Alburyの町にある大きなローカルスーパーHarris Farm Marketにて夕食調達。レストランにおろしているような美味しそうなピザ、高級サラダの他、フルーツや地元のワインも購入。東京で言うと成城石井みたいな高級スーパー。農業で潤っている町なんだろうと予想。

 

ピザを買ってきたのは良いものの、部屋のキッチンのガスオーブンが着火しないというトラブル。いつもはLong lighter(チャッカマン)を持ち歩いているが、シドニー旅行だからとサバイバル系の持ち物はあまり持ってこなかったのが失敗。宿泊所の目の前にAldiがあったのでLong lighterを買おうと思ったが、売っていなかった。この日は結局ピザをあきらめて、電子レンジで調理できるパスタをAldiで購入。これはこれで美味しかったので良し。

 

Day2:Canberraに

早々にチェックアウトして、再び車で東に向かう。この日の目的地はCanberra。オーストラリアは本当に広い。走っても走っても同じ風景が続く。この日は曇り時々晴れのような天気。冬の時期は雨が多いせいか、ずっと続く農業地帯の景色が一面グリーンでとてもきれいだった。写真を撮りたいと思う場所がたくさんあったが、時速110kmで飛ばしているので止まることができない。たまにある休憩スペースで車を停めて写真撮影した。

ずーっとこんな道

何か特別なものがあるわけではないけれど、癒されるオーストラリアの田舎の景色

Canberraには夕方に到着。不思議な感じ。ずっと田舎だったのに突如ビルが現れる。町というのはすべて人工的なものだけど、Canberraは特にその色が濃い。計画的に作られているので、どの町とも違って不自然さがある。事前に調べてしていたものの気温が低い。でも天気がとても良くて、夕方なのに青空。あまりにも天気が良いので国会議事堂に行くことにした。閉館時間まで1時間弱あるのでちょうど良い。

 

国会議事堂の前でボール遊び、地面のラインがFour squareにちょうど良い

国会議事堂の中にも入ったが、中は特に面白いところはなく、やっぱり外のスカッとした風景が良かった。我々のような観光客がちらほらいた他、地元の学校の社会見学の子供たちも。職員は見事にびしっとスーツを着ているので、絶対に観光客と間違わない。こんなオーストラリアの田舎でスーツで決めている人たちがたくさんいるのが変。Canberraはすべてが不自然。でも治安も良さそうだし、住んでみると意外と良いのかもしれない(退屈そうだが)。

 

Canberraの宿は旅行者用のアパートにしていた。これが大正解。最新式のフルキッチンにも感動したが、何よりもうれしかったのは乾燥機付き洗濯機が室内に備え付けられていたこと!家で使っている洗濯機よりも数段ハイスペックな洗濯機。調子に乗って2回も洗濯を回した。キッチンはIHだったので前日買ったピザも無事電気オーブンで焼けた。この日も近所のColesでサラダを買って簡単な夕食。

 

Day3:Canberra~Sydneyに

Canberraではもう一か所観光。造幣局(Mint)に行ってみた。まあまあ面白かった。平日なのでコインを作っているところを見ることができたし、社会見学用にルートが整備されていて面白かった。子供たちは3ドルで1ドルコインを作るマシーンに興味津々。1人1つずつ記念にコインを作った。ぴかぴかの1ドルコインが出てきた。

観光地となっているRoyal Australian Mint

コインだけでなく、オリンピックのメダルも作ったそう(懐かしのシドニーオリンピック

Canberra~Sydneyに向かうにつれて天気が悪くなっていった。しかもSydneyの近辺の道路は東京のようにかなり複雑で、高速で走りながら車線変更を次々にしないといけない。夫は首都高での運転に慣れているが、首都高と同じもしくはそれ以上、緊張感がある運転だったとのこと。無事Sydneyに到着。

 

Sydneyは3泊の予定。3泊ともメルボルンに住むシドニー好きの友人お勧め、チャイナタウン近くのお手頃ホテル。ホテルなのにシングルベッドが4台あること、駐車場が格安な事、それでいてまあまあアクセスも良いというホテル。チェックイン後、特典としてワインを1本もらった。

 

ホテルで食事が作れないので、歩いて夕食に。シドニーに来たら日本食を食べると決めていたけど、Google mapで見ると選択肢が多すぎてびっくり。子供たちがラーメンが良いというので、歩いて10分くらいのところにあるラーメン屋に。ここは豊洲あたりのショッピングセンターでは?というような雰囲気。ラーメン屋でジャズがかかっていることも含めて、日本としか思えない。シドニー日本食文化、すごい…。

豊洲のショッピングモールにありそうなラーメン屋@シドニー

私はラーメンの気分ではなかったので、一人、唐揚げ、サラダ、ライス、ビールという組み合わせ。唐揚げは若干脂っこい気がしたが、久々の日本食なので嬉しかった。普段、メルボルンの郊外(田舎)に住んでいるので、街にいること自体特別感。雨は降っていたけど楽しいシドニーの夕食だった。そしてシドニーの冬はメルボルンよりもだいぶ暖かくて、それも嬉しかった。

勝手に唐揚げ定食。ビールはもちろんアサヒスーパードライ

ラーメンもちゃんと日本だった

Day4:Blue mountains

天気予報とにらめっこして、一番天気が良さそうなこの日にBlue mountainsに日帰りで行くことにした。もう車は乗りたくなかったが仕方がない。朝ホテルを車で出発して1時間半ドライブ。Blue mountainsは20年前に旅行できたことがあって感動した場所。家族も連れていきたいと思っていた。

 

平日の午前中にもかかわらず、さすがに人気の観光地。結構混んでいた。子供たちは散策だけだとつまらないと言いそうだったので、ゴンドラやトロッコに乗れるチケットを買った。20年前に来た時、ガタガタのおんぼろトロッコが急斜面を急スピードで下るスリルを味わった。まるで遊園地のアトラクションのような記憶が残っていたので、子供たちも楽しめるのではと想像。

最大傾度52度のケーブルカー、体感傾度は直滑降

私がトロッコに乗ったのは1999年だが、2013年にリニューアルしていて、車体がずいぶん安全な仕様になっていた。スピードも昔より少し遅いような?それでも十分怖かった。キャーキャー言いながら乗れたので満足。もともとは石炭を運んでいたトロッコ。トロッコで下った後はRainforestを少しだけ散策。空気がとても良かった。帰りはケーブルカーで。

 

This is the Blue Mountainsの景色、20年越しに見られて満足

Blue mountainsのエリアにある小さな町Leuraにてランチ。ふらっと入ったカフェがおしゃれすぎてびっくり。ここはSydneyの街中か?と思うくらい、オシャレでテキパキ働く洗練されたスタッフたち、きれいな盛り付けの美味しいカフェフード。単なる田舎のカフェではない。

Leuraという町のSparrowsというカフェ

パンプキンサラダがとても美味しかった

来た道を戻ってホテルまで。夕食はこの日も日本食の探索。ホテルから歩いていけるチャイナタウンの近くにある居酒屋に行ってみた。前日のラーメン屋を上回る日本式の店だった。新宿の雑居ビルにありそうな居酒屋。客はほとんどがオージー、でも彼らの酔っぱらい具合は日本の居酒屋風。平日のせいか職場の集まりっぽい団体が2組いた。居酒屋のオーナーらしき人も働いている人たちも皆日本人。日本語のメニューを見て、日本語で注文して…。キッズもWelcomeな雰囲気だったので良かった。シドニー日本食文化はすごい(2回目)。値段も高すぎず、頑張ってほしいお店。

 

雑居ビルの中にある居酒屋「だるま」

メニュー見ても日本しか感じない

タコのから揚げ、山芋の明太チーズなどなど

 

パート②に続く。

学会参加とボランティア

先週のシドニーへのロードトリップも含めてブログに書きたいネタがたまっているが、一番新しい話から書くことにする。私が所属する大学のキャンパスで今週の火曜日から金曜日まで4日間の日程で学会が開催されていた。学会の名前はASAAと言って、The Asian Studies Association of Australiaの略。私の研究分野とは直接的に重なっておらず、大学では同じFaculty of Arts傘下のSchool of Languages, Literatures, Cultures and Linguisticsがホストしている。ちなみに学会にはAustraliaという文言が入っているが、実態は国際学会で、ニュージーランドや日本を含むアジア各国からの発表者も多い。このためオンラインと対面を組み合わせたハイブリッドで開催。

 

ボランティアの募集と仕事内容

少し前にFaculty of Artsの学生向けにボランティアの募集があった。たまたま自分がいるキャンパスで開催されるなら、と私は軽い気持ちで応募してみた。一番の理由は海外の学会にリアルで参加したことがなく、学会とは一体どんな感じなのか見てみたかったから。ボランティアとして仕事をすれば、ボランティアをしていない時は自由に、無料でセッションに参加できるというのも魅力的だった。また即物的インセンティブとしては、一律$50のギフトカードの支給とボランティア中の食事の支給があった。

 

開催地となる大学の学生をボランティアとして使って、簡単な会場案内などをさせるんだろうと想像していたら、蓋を開いてみてびっくり。ボランティアは私が所属する大学だけでなく、同じメルボルンにある別の大学(Melbourne UniやDeakin Uni)の学生も合わせて総勢90名。しかも主な仕事は各ハイブリッドセッションの運営。4日間で150程度のハイブリッドセッションが開催されるが、それらのホストが全部学生ボランティアという…。こんな責任ある内容、普通に給料もらって仕事としてやる内容じゃない?ITに苦手意識がある私は怖くなった。

 

開催の1週間前に急遽?ボランティア向けの説明会がZoomで開催された。運営側がかなりごたごたしていることが判明。ボランティアの取りまとめの学生が、運営側の大人(大学の教授陣)から丸投げされていて、大変そうだった。ボランティアのシフトが出たのが数日前。90名のボランティアの都合を聞いてシフトを組むだけでも大変そうなのに、変更もあったりして大丈夫かと心配に。ある意味オーストラリアらしいというか。先月、大学で試験監督のバイトをしたときにも感じたけど、オーストラリア特有の、とりあえずやってみよう!走りながら考えて不具合があればどんどん改善していこう!最後は何とかなるさ!というノリが感じられた。日本の慎重ではあるが非効率なやり方とは対照的。

 

私のシフトは最終日である金曜日。2日目と3日目には先行してセッションを聴講した。自分の研究とあまり関係がないと思っていたものの、アジア研究ということで日本も対象になっていた。せっかくだから日本に関連する2つのセッションに参加した。

今回の学会の会場であるキャンパスのビル。先月、試験監督を行った時と同じ場所

 

豪州日本研究学会の基調講演

まず今回、豪州日本研究学会(JSAA)という存在を初めて知った。学会主催のASAA(豪州アジア研究学会)の傘下に位置づけられているらしい。火曜日にちょうど時間があったので、参加してみた。てっきり日本人の集まりだと思っていたら、参加していた中で、見たところ日本人は部外者の私だけ。。見た目西洋系のオーストラリア人研究者/学生の集まりだった。こういう人たちが日本について研究しているんだ、と意外だった。

 

基調講演は特に期待していなかったが、自分の研究テーマに結び付けられるフレームもあり、非常に参考になった。テーマ自体は日本のLGBTやメディアについて。美輪明宏の時代、おすぎとピーコ、Ikko、マツコ・デラックス、東京オリパラに絡めた動き、それぞれの時代のメディア(サブカル雑誌からNHKまで)、法令などを時代ごとにまとめてわかりやすく話をしてくれた。日本人として背景を知っているだけに、面白いと思って話を聞くことができた。何より講演の中でCommodification of languageというコンセプトが紹介されていて、自分の研究(というかもともとの興味分野)で最近疑問に思っていたことを分析するフレームに使ってみたい!と強く思った。

 

ちょうどこの基調講演を聞く前日、自分の元上司に送ったメールに「言葉を流行らせて消費して捨てるという文化」に、自分の20年来の活動/研究対象が今まさに巻き込まれているとコメントしていた。日本におけるCommodification of languageについて、その基調講演した先生に話をぶつけてみたかったが、知り合いの人たちに取り囲まれていて話しかけることができず、そのままになってしまった。でもそのコンセプトを知ることができだけでもハッピーで、博士研究とは別にその観点で分析してみたいと興味を持った。このようにして研究テーマなんて湧き水のようにどんどんあふれ出てくるから、取捨選択するのが難しいくらいということに最近気づいた。

 

日本語教育のセッション

翌日は日本語教育のセッションに参加してみた。こちらは前日と打って変わって、プレゼンターは日本人の先生たちだった。日本の文化(ポップカルチャー含め)や歴史は日本人以外の人たちが活発に研究しているけど、「日本語教育」になると日本人の研究者が大半を占める。海外での日本研究がこういう流れになっているんだ、と初めて知ることばかりで面白い。

 

コロナ禍での言語教育、日本の大学とのオンラインでの交流などについての発表だった。オーストラリアの大学で教えている日本人の先生たちの中には、目をつぶっていれば日本人と分からないほど流ちょうな英語(オージーイングリッシュ)を話す人もいれば、日本語のアクセントが残る話し方の先生もいた。後者の先生のレベルに自分の英語力を到達させられればなあ、とぼんやりと思って聴いていた。

 

ハイブリッドセッションのホスト

私は結局のところまじめな日本人なので、セッションのホストをする前日の夜に再度トレーニングビデオを全部見直し、自分がやるべき手順をポストイットに記してラップトップに貼っておいた。必要なデータは自分のPCだけでなく、USBにも保存。当日は午前中に2つのセッションのホストをやることになっていた。セッションは9時開始だが、8時15分に現場に到着。まだ受け入れの人たちも来ておらず、やることがないので、そのまま自分がホストするセッションの会場に入ってセットアップを始めた。

 

大学の教室の設備を始めて使ったが、コロナ後、システムが大幅にアップグレードされたらしく、教室に備え付けのタッチパッド、パソコン、スクリーン、マイク、カメラ、ホワイトボードが全部Zoomにリンクしていて、マニュアルなしに直感的に操作できるようになっていて感激。IT音痴の私でも何も困ることなく、システムを立ち上げ、Zoomを開き、教室全体の様子をカメラで映し(アングルやズームも調整して)、音声はマイクとスピーカーに接続することができた。

 

ホストを割り当てられた最初のセッションはたまたまチェアの先生が日本人で、オーストラリアの大学で教えているものの今は日本にいるようだった。こちらもさすが日本人だからか、開始20分前にZoomにログイン。日本語で少し雑談。前日のセッションではITトラブルで、セッションの開始が15分以上遅れるなどトラブル続出だったらしい。ボランティアが運営しているので仕方ないとは思うものの、ボランティアとはいえ、トレーニングビデオをちゃんと見て、会場に早めに来ていればスムーズにセッティングできるはずなので、いい加減にボランティアしている人もいるのだろうと想像。このセッションはたまたまスピーカー3名ともZoom越しにプレゼン、私がセットアップした会場には聴講者が数名参加した。

 

2つ目のセッションは打って変わって、ほぼオージーの世界。チェアはANUの教授。朝イチのセッションが終わってから次のセッションが始まるまで25分くらいしかないので急いで準備。チェアの教授には簡単に自己紹介して、プレゼンする位置とカメラのアングルを合わせたり、プレゼンは会場のPCから投影して私がページめくりをするか、自分がZoomに入ってするか、など相談。テーマは中国とメインランド東南アジアの関係について。ミャンマーカンボジアベトナムなど陸続きの東南アジアにおける中国の影響力についてで、特にImperialismという観点で分析している研究はとても興味深かった。また、中国の影響力に対して、アメリカや日本がどのような介入をしているのかという話もあった。こちらも3つのセッションが予定されていた。

 

セッションは3名ともオンサイトでのプレゼンだった。2人はUSBでデータをメインPCにコピーして私が操作、もう1人は自分のパソコンから投影した。プレゼンは特に問題なし。何もトラブルが起きなくて安心。余裕があったので、ディスカッションの間にこまめにカメラアングルを調整してZoomで参加している人に会場の様子がわかるようにした。

 

2つのセッションのホストをして、働きに感謝されたことが嬉しかった。1つ目のセッションではチェアの日本人の先生が最後に「このセッションをセッティングしてくれた●●(私の名前)に感謝を述べたいと思います」と言ってくれて、皆から拍手をもらった。2つ目のセッションではそれを期待していなかったが、何と最初に一言名前を言っただけなのに、その私の名前を覚えていて、ANUの教授が最後に「セッションをホストしてくれた●●(私の名前)、ありがとう」と言ってくれて感激。名前を覚えていたのにびっくり。ボランティアの名前はプログラムに書かれていないし、最初に一言口頭で伝えただけで、外国人(日本人)の名前を覚えられるってすごいこと。ひょっとして過去に同じ名前の学生を教えていたとか?参加していた他のオージーの先生からも「ITのセッティング、グッドジョブだったわよ!」と言ってもらえて、やって良かったなあと思った。

 

今回の経験を通じて、イベントごとで忘れがちになる裏方のスタッフの名前をちゃんと覚えて、その人に対して(できれば皆の前で)感謝の言葉を伝えるというのは大事なことだなあと改めて思った。自分も何か人に頼んでやってもらうときには、そういう声掛けを忘れないようにしたい。

 

肉体労働

午後は特にやることがなかったので帰っても良かったが、せっかくボランティアとして来ているので何かやることはないかと運営の人に申し出た。夕方になって片付けの肉体労働に奉仕。シフトを割り当てられているわけではないが、真の意味で「ボランティア」したいと思っている人が私の他に2人いて、その3人で片付けを手伝った。荷物を箱に入れて、台車で別の建物に運んだりと、40代にはちときつい肉体労働ではあったが、いつもやらないことなので、それすら面白かった。でも翌日の今日は左腕が筋肉痛で上にあげると痛い。気持ちは若い学生と一緒だが、身体はごまかせない。

 

3人で頑張って片付けしていたのを見て、運営側の先生たちが「このあと学内のジャズバーでカクテルパーティがあるから、ぜひあなたたちも参加して!」と誘ってくれた。参加して1~2杯、ワインでもひっかけたい気持ちはあったけど、家に帰って夕食を作る時間が迫っていたので断ってしまった。私が学生としてふるまえるのは午後5時まで。その後は母親という別の無償労働が待っている。パーティに参加できない代わりに、学会で余ったケータリングの食事をたくさんもらって帰ってきた。食べ盛りの子供たちの胃袋にあっという間に吸収されるだろう。

 

初めての学会参加とボランティア、自分の研究時間を削って参加して良かった。また新しい経験ができた。コロナの規制がなくなって、こういう経験ができるのも留学生活ならでは。

 

学会への学生としての参加費は300ドル前後だが、ボランティアをすることで無料で希望のセッションに参加できるのが魅力

 

投稿論文の不備、日本&アメリカ出張準備

2日前に張り切って論文提出したものの、出版社のEditorial Officeから提出物に不足があるということで差し戻し。詰めが甘い私。。あとは出張前の色々な手続きについて記録。

 

fourty.hatenablog.com

 

投稿論文の不備

木曜日の朝7時に提出し、18時過ぎにメールを受け取った。こんなに早くに返ってくるとはきっと書類不備だなと思ったら案の定。不足していたのは“Compliance with Ethical Standards”に関する情報。ちゃんとガイドラインを読んでいたはずだが見落としていたようだ。ちなみにガイドラインはPDFにして64ページ分。長い。共著者である指導教官2人も提出前に何も言わなかった(ちゃんと見てくれていない?)。以下の3点について追加で書面をアップロードするようにと言う指示。

 

  • Disclosure of potential conflicts of interest
  • Research involving Human Participants and/or Animals
  • Informed consent

 

何もかもが初めてなので良く分からないが、とにかく急いでネットで調べて、大体こんな感じかな、という文書を作って、夜の9時に指導教官に送付。指導教官は火曜日から木曜日の3日間だけしか働いていないので、木曜日の夜にメールを送ると、次返事が来るのは翌週の火曜日だろう。タイミング悪い。

 

と思っていたら、休みを返上して金曜日の午前中に返事が来ていた。自分が過去に送った文章を添付して。それを見ながら書き直して、金曜日の午前中に無事出版社の投稿プラットフォームに再度アップ。これで大丈夫かな。カバーレターよりもこっちの方が必須情報だった。

 

日本&アメリカ出張準備

次に、7月下旬から8月上旬にかけての日本とアメリカへの学会はしご出張について、最近の準備状況。今回書くのはプレゼンとかコンテンツについてではなく、主に事務手続き(ペーパーワーク)について。

 

①大学への出張申請

PhDやリサーチマスターが国内外でデータ収集や学会参加のために出張を行う際、大学に届け出が必要になる。扱いはほぼ教授などのスタッフと同じだが、学生については出張をStudy awayというらしい。出張の6週間前までに申請が必要。かなり詳しい情報を色々と記入しなくてはならないので面倒ではあるが、大きなメリットは大学が保険をカバーしてくれること。つまり自分で海外渡航用の保険に入る必要がない。

 

保険の詳細は外部には開示されていない情報なのであまり詳しく書けないが、医療費や病気やケガによる移動費用はUnlimitedでカバー、災害や政治的混乱による国外退避の費用もカバー、パソコンを含む荷物の盗難や故障の補償もついてくる。かなり恵まれたプラン。出張として捉えれば当たり前かもしれないが。

 

出張に対する承認を受けるために、改めて詳しいItineraryを作成。費用の出元(全額、学科からのAwardでカバー)、緊急時連絡先などの情報を提出。申請はオンラインシステムで行うようになっていて、どうやら私が申請ボタンを押した後、情報が指導教官にとんでいくらしい。私が申請した時、指導教官はシドニーで休暇中だったが、その日中に「承認しておいたからね」とメールあり。ありがたい。そして2日後には大学から出張許可が下りた。日本もアメリカもオーストラリア政府の設定したリスクレベルが2であり、ほぼリスクがない国としてのカテゴリーだから、何の問題もなかったみたい。学生の学会発表の出張がこんなにすんなり認められるのだから、大学関連の出張規制は元に戻ったと考えて良いのかもしれない。

 

②フライトの調整

私は今回の出張に伴うフライトを3月下旬にJALのサイトから予約。メルボルン-東京-シアトル‐東京-メルボルンという4つの国際フライトで、税金や燃料費含んでトータル20万円という何故だか格安のJAL。しかし予約したのは良いものの、その1か月後の4月下旬に、メルボルン-東京のフライトが運休との連絡。予約時は毎日飛んでいるスケジュールだったが、7月のフライトスケジュールが確定した4月下旬の時点で、メルボルン-東京の直行便が週2に減便。JALからのメールには、フライトが近い人から順に代替便の案内をする、と書かれていたので待ってたが、一向に連絡がこない。もうすぐフライトまで1か月を切るので、さすがに不安になってきて、JALに電話してみることにした。

 

電話の結果、私のフライトの代替便はまだ決まっていないことが発覚。電話口で金曜日のフライトを火曜日か土曜日なら取り直しできます、と言われた。もともと学会が土曜日にあるので、金曜の深夜にメル発、金曜朝に東京に着くフライトを予約していた。火曜日では早すぎるし土曜日では遅すぎる、と言ったところ、(しぶしぶ?)どこかで乗り換えるフライトを案内してくれることに。調べてもらったところ、シンガポール乗り継ぎかシドニー乗り継ぎになるとのこと。コロナによる色々なルールが国によって違うことを踏まえると、シンガポール乗り継ぎはリスクがあるので、同じオーストラリア国内であるシドニーにしてもらった。追加のメルボルン-シドニー間の国内線(カンタス)はJALが負担。しかし、フライトスケジュールの都合でシドニーで一泊する必要があり、そのホテル代はJALは持てないとのこと。

 

いつもの私なら交渉する場面だけど、まあもともと格安のチケットだし、コロナで航空会社も大変だろうから、ホテル代くらいいいか(どうせ大学から費用が出るので)と引き下がった。JALとの電話の直後に、シドニーの空港の近くのホテルを予約。これで一安心。でも今の段階で自分からJALに電話していなかったら、最悪どうなっていたんだろうと考えるとちょっと怖い。あまりのんびりしすぎも良くない。

 

アメリカの学会にワクチン接種証明提出

時系列的には少し前の話になるが、アメリカで参加する学会(AoM)の事務局から、学会にIn personで参加する人は、ワクチンの接種証明を提出すること(できない人は直前にPCR検査の陰性証明の提出)という連絡が来ていた。忘れないうちにと思って、オーストラリア政府が発行している証明書を送って、無事承認された。こういう時、英語圏は証明書がそのまま使えて楽。ちなみに、日本はワクチン接種について、欧米よりも個人の意思を尊重している国だからか、同時期に参加する日本の学会からは特に何も要求されていない。その代わり、日本入国時にPCR検査の陰性証明の提出が必要。

 

アメリカのESTA取得

ESTAが切れていたので申請。手続きは一瞬で終わる。日本人は色々な国に簡単に渡航できる。日本人で良かったと思う瞬間。

 

⑤名刺の準備

日本の学会からプログラムが送られてきて気が付いたが、1日目の後の懇親会がキャンセルとなり、その代わりに名刺交換の時間を取ります、と書かれていた。私は博士課程学生としての名刺を持っていない。このご時世、勝手に大学のロゴを使って名刺を印刷するのも良くないだろうと思い、大学の印刷センターに問い合わせてみたら、学生から直接オーダーは受け付けておらず、学部や学科から注文を入れないとダメとのこと。間に合うか心配だが、とりあえず指導教官に聞いてみることに。指導教官が休みの時に急ぎではないメールを送るのは気が引けるので、来週火曜日の朝8時にメールが行くように、メールを予約送信しておいた。

 

私の勝手な予想だが、アメリカやオーストラリアでは名刺交換の文化はほぼ消滅しているような気がする。プロフェッショナルな場面で出会った人とはLinkedInでつながるイメージ。だからアメリカの学会を主に準備をしていた私は名刺のことは特に考えていなかったが、日本の学会に出て、名刺交換をする時間に名刺を持ち合わせていたなったら良くないかも、と日本の学会のために名刺を作ることにした。納期間に合うかな…。

 

とこんな感じで出張に向けた準備を進めている。来週から1週間休暇。その後、急いで2つのプレゼンの準備をする予定。無事に行けることを祈って。

 

大学の3週間にわたるExam weeksも終了。毎日Free coffeeの恩恵を受けた(Coffeeが飲めないPhD友は抹茶ラテ)