40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

キャンパス内を散歩、新しい出会い

昨日も大学に登校した。また初めましてのPhD学生に会った。スーパーポジティブなサウジアラビア人男性。同じ部屋は人文学系の学生が詰め込まれているので、学部は様々だが、その人はメディア・フィルム関連の学部で、ドキュメンタリーの倫理について研究しているらしい。面白そうなテーマ。

 

英語がとても流暢だけど、少しだけアクセントがあるので「もともとオーストラリア出身ですか?」と聞いてみたら、「サウジアラビアだよ。知ってる?」と言う返事。もちろん知っている。でも前回のスロベニアでの失敗(スロバキアと誤解)したことが頭をよぎり、念のため「アラビア半島にある大きな国ですよね?」と聞いてみたら、合っていたのでホッとした。彼曰く「よくサウジアラビアってどこ?と聞かれるんだよね。みんなドバイのことだと思っているみたい」とのことだった。

 

そして私に対しては「中国人?」と。まあ、こちらで出会う東アジア系の人の8割以上は中国人であるような気がするので、そう聞かれるのは慣れている。何なら、街を歩いていて、当たり前のように中国語で話しかけられることもあるし、接客の場面で「Do you speak Chinese?」と聞かれたりすることもあるくらいだから。「日本人です」と言ったら、「Oh、僕はついに日本人に会えた!ずっと日本人に会いたいと思っていた!」と妙に明るい。10年前にカナダに語学留学していた時に、クラスメートに日本人の男の人がいて、その人がとてもまじめで几帳面で良い人だったらしく、日本人に良いイメージを持っているとのこと。「君は僕が人生の中で出会った2番目の日本人!10年ぶりだ!」と言われた。

 

とにかく、今年に入っていろいろなバックグラウンドを持つPhD学生と出会い始めることができたのは嬉しい。当初は、学部がバラバラの学生を同じ部屋に詰め込んで嫌だな、と思っていたけど、今では全然違う分野の人と話す機会ができて、自分の視野が広がると思えば、これはこれで良いことのような気もしている。また出身国も様々で、今のところ同じ部屋にデスクがあるPhD学生の出身国は、日本(私)、中国、インドネシアバングラデシュ、イラン、サウジアラビアスロベニアアメリカ、オーストラリア(複数)。

 

昼には散歩がてら、キャンパスの中でまだ行ったことがないカフェに行くことにした。学部が夏休み期間中のためか、多くの建物で大掛かりな工事をしていた。色々なところが通行止めで、迷子になりそうだったけど、目的地であるカフェに無事行くことができた。そのカフェは、今まで踏み入れたことがないサイエンス系の学部が集まるエリアにあった。工事のせいで正面から入ることができず、裏口から建物に入って、複数の実験室の横を通った。どうやらBiomedicalの建物だったようで、実験室には企業との共同研究なのか、誰もが知っている大手製薬会社の名前が記されている部屋もあった。

 

実験器具を間近に見て、なんだか懐かしくなった。もう20年も前になるが、私は学部生の時は農学部で、3年~4年の時には研究室に所属して実験をする日々を過ごしていた。クリーンルーム、マイクロピペット、シリンダー等々を間近に見て、その頃のことを一気に思い出した。あとはキムワイプの箱があれば完ぺきだったが、あれは日本のものだからこちらでは別のメーカーのものを使っているのだろう。実験器具を洗った後に毎回蒸留水をかけるのが面倒だったな、測定器具の関係で一人で部屋にこもって眠いのに徹夜でデータ採集したな、とか、暑い中、毎朝作物に水やりに行ったな、とか、当時は嫌だったけど、今となっては懐かしい思い出。

 

社会学系に目覚めたのは、卒論を書いているときだった。実験は嫌いだったけど、卒論を書くのは楽しくて、特にイントロダクションを書くのが一番楽しかった。その時に、私は自分が卒論のテーマにしている問題を解決するための手段を理系的に探すことよりも、そもそもなぜその問題が起こっているのか、という社会の背景の方に興味があるということに自分で気が付いた。今思うとそのことに気が付けたのが、卒業研究の最大の収穫だったのかもしれない(あと自分が実験を含む理系の分野全般が苦手だと確信したことも)。

 

家から出てキャンパスを歩くだけでこんなに刺激がもらえるのか、と嬉しくなった。昨年はこの先の何年か分、まとめて家に閉じこもったと思うので、今年は意識的に外に出ていきたい(もちろんコロナの状況に応じて)。ということで、昨夜勢いで全豪オープンのチケットを買ってみた。コロナで海外から観客が来られないし、州外の人もあまり来ないので、席を間引きしていてもチケットは全体的に余っているみたい。今日の午後、大坂なおみ選手の3回戦を観戦しにいく。

 

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キャンパス散歩中に見つけた変な建物。これも生物学系のビルらしいが、Brain and Mental Healthの研究所も入っているらしい。メンタルヘルスでこのデザインはジョークなのか?

 

指導教官とのミーティング、プレゼンの練習

先週から週末にかけて、生活や子供のことがバタバタとしてブログを書けていなかった。生活については引っ越しをすることになったこと、子供のことについては長男の新たな習いごと(公文)や次男の日本語補習校の入学審査など。これらのことについては、また改めて記事を書こうと思う。

 

とりあえず、自分の博士課程の進捗について記録。昨日月曜日は指導教官とのミーティング。1月まるまる1か月間休んでいた副指導教官も復活。久しぶりに3人でのミーティング。最近、私は週に3日ほどキャンパスに行っているが、引き続きミーティングはZoomで行うため、ミーティングがある日はWork from homeという逆転現象?が起きている。3月初に控えている1年目の審査に向けて、レポートはほぼ最終化した。指導教官からのOKが出たのでこれで晴れて提出できる。パネルについても、無事イギリスの先生や学部側との時間調整がついて、特別に朝9時から(と言ってもイギリスは夜の10時から)にしてもらえた。イギリスの先生は、私だけのために夜の10時~11時に仕事してくれる。指導教官とのやり取りメールが転送されてきたけど、この借りは赤ワインで返すらしい。指導教官もわざわざ私のために調整してくれてありがたい。

 

それで肝心のプレゼンの方は、スライド16枚に読み原稿を作って、先週5~6回練習。20分の持ち時間に対して16分ほどで少し短い。月曜日のミーティングで通しでZoom越しにプレゼンし、その場でフィードバックをもらった。大きな修正箇所はなく合格点がもらえたのでほっとした。自分でもどうしようかな、と思っていた箇所についてアドバイスがもらえたので、その点をもう少し補強(スライド1~2枚追加)することにした。Zoomだとどうしても原稿を読んでしまうことになることを相談したところ、聞いている感じでは決して悪くないし、他の学生もそうしているから問題ない、特に私は英語がネイティブではないので、原稿を用意して伝えたいことをちゃんと伝えるのは良いと思う、というコメント。

 

私の場合、博士課程が始まってすぐにコロナが蔓延したので、ミーティングやカンファレンスは100%オンライン。Zoomがスタンダードになっている。これが対面のプレゼンだったら原稿を暗記しないといけなかったり、緊張して言いたいことを忘れてしまいそうだけど、オンラインの場合はその点、自室からできて気軽だな、と感じた。今後、残りの博士課程の中で、対面でのミーティングやインタビュー、カンファレンスをやる機会が来るんだろうか、とさえ思ってしまう。

 

今日はミーティングがないので朝から登校。10か月ぶりに前の席に座る人(スロベニア人でオーストラリアの永住権を持っている人)に会って、色々と会話した。スロベニアについて自分が何も知らず、場所すら分かっていなかったので、Google mapで確認してみたらイタリアの東だった(しかも最初スロバキアと間違えるという失態をしてしまった)。人口は200万人しかいなくてメルボルンの半分以下。旧ユーゴスラビアの話やバルカン地域の定義、スロベニアの歴史について教えてもらった。オーストラリアには本当にいろいろな国から来ている人がいて、話をすると面白い。

 

その人も数か月ぶりにキャンパスに来たとのこと。意外にキャンパスに人が戻っていることに驚いていたが、メルボルンではまだまだWork from homeがスタンダードになっている。その人はあとは論文書くだけだから基本的に家で作業するとのこと。指導教官も、もう家から働くのが当たり前になって、片道30分の通勤が面倒になった、と言っていた。1年弱前、ロックダウンが始まってキャンパスもシャットダウン、登校できなくなったときは皆動揺したのに、その状況が1年近く続くと、今度は家から仕事するのが当たり前になる。でも私は大学にいる方が集中できるので、なるべくキャンパスに行きたいと思っているが、自転車通学なので天気予報が雨のときはWork from homeしている。

 

あと今日は久しぶりに、博士課程を始める前に働いていた会社で仲良くなった米国支社で働く中南米出身の同僚からメッセージがあった。いろいろと近況交換している中で、アメリカの様子を聞いてみたところ、まだ出社はしていない状況とのことだった。ほんと世界中がこんな感じになってしまっているんだな、と実感。今思えば、私はオフィスで仕事したり、海外出張したり、日本に出張してきた海外拠点の人と食事に行ったりすることが好きだったけど、それらは全てできないことになっている。自分が学生している間に、所属していた会社も当然変わっていて、本社はテレワークを前提として基本的にフリーアドレス化、役職者が座る席も撤廃されたと聞いている。

 

実は今回引っ越しをすることになったのも、コロナによる変化が影響している。特に悪い変化ではなく、どちらかと言えば良い方に転んだと思う。ただ、かなり精神的に疲れたことも事実で、まだ自分の中で消化しきれていないため、日を改めて別の記事に書く。

 

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ずっと閉まっていた大学のパブ?もついにオープン!実はまだここでビールを飲んだことはない。ビールが小さめグラス(Pot)で4.5ドル(360円)は市中のパブよりも安い。



戻ってきた日常、博士課程2年目に突入

先週金曜日から小学校の新学期(新学年)がスタート。実は木曜日からVic州の公立学校は始まっているけど、なぜか木曜日はPupil free dayということで、先生が準備をする日として子供は登校できない。このシステムは当たり前だと思っていたらそうでもないようで、学校によってはちゃんと夏休み中に先生が準備を整えていて、州が定めた日から授業スタートのところもある。子供たちが通っている学校は、労働者である先生たちにやさしい学校のようだ。

 

こちらは新学期でも新学年でも儀式がない。長男は小学5年生に、次男は小学1年生になったが、クラスが変わり、先生が変わり、教室が変わったこと以外は特に変化がない1日目。長男は今回、4/5年生の混合クラスの5年生。昨年は3/4年生のクラスだったこともあり、同じクラスだった友達が何人か一緒で安心。一方、5/6年生の複合クラスもある。5年生として、1つ下の4年生と混合のクラスになるのか、1つ上の6年生と混合のクラスになるのか、普通に考えると学習の習熟度で分けていそうだけど、長男の話だとそうでもないようだ。前のクラスで勉強がよくできる同級生たちが、6年生と一緒のクラスに振り分けられたわけでもない。

 

次男は1年生に。こちらの小学校は、日本の年長にあたる学年からPrepというクラスで小学校がスタートするので、あまり新しい感じがしない。次男はこちらに来てからこどもちゃれんじを海外受講していて、最近ベネッセがこれでもか、と新一年生ネタを折り込んでくるが、海外にいるので全然ピンとこない(海外受講でもコンテンツは国内と同じ)。長男が1年生になった時は、日本に住んでいたのでランドセルを背負って黄色い帽子をかぶって登校、親も入学式に出て、桜の木の下で記念撮影をするという行事をしたが、次男の人生にはそのシーンがないというのが少し寂しいと思ってしまった。

 

金曜日に1日だけWeek1の登校をしたら、翌日土曜日、長男は日本語補習校に。補習校は日本の学期に合わせてあるので、まだ4年生。初めて補習校の場所に付き添ったが、大量の日本人にびっくり!幼稚園から高校までで、生徒数が500名以上いる。両親ともに日本人、もしくは両親のどちらかが日本人という家庭の子供が通っているが、メルボルンが大都会であることをここでも再確認。幸い、自宅からは自転車でも行ける距離だが、遠い人は、車で2時間以上かけて通っているとのこと。いわゆるフルタイムの日本人学校に通っている人は来ていないはずなので(同じく日本の教科書を使って学ぶため、土曜日に別の学校に行く必要がない)、ほとんどは現地校に通っている子供たち。学校の中では日本語しか使えないルールなので、長男にとってはまだ登校3日目にもかかわらず、ホーム感があるようだ。

 

ロックダウンが終わって、現地校は昨年10月から、土曜校は昨年12月から登校が再開されたが、今年になってコロナが収束していることもあり、付き添いの親のルールも緩和された。これまでは、現地校では親は一切学校敷地内に立ち入ることができず、また他の親と学校の側で会話することも禁止されていた。今年になって、まだ教室の中には立ち入れないが、学校の敷地内には入れることになった。特に低学年は教室が変わって混乱する子も多いので、親が一緒に付き添えて良かった。土曜校はまだ親のボランティアなどの仕組みが戻っていないが、対面での入学試験が再開されたとのことで、次男は4月の入学に向けて、今週土曜日に土曜校で試験と面接を受けることになった(保護者と先生の面談もあり)。ロックダウンと夏休みが終わり、日常が戻ってきたと感じた。

 

日曜日の午後は自宅から車で30分ほど離れたビーチに。いつも行くところよりも少し南に下ったところ。市街地からさらに離れるため、人も少なく、心なしか水もより澄んでいた。なんてことないお出かけだけど、日本にいたときにはできなかったこと。贅沢だな、と思う。こちらに住んでいるうちに、こういう時間の過ごし方をできるだけしておきたい。 

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青い空と青い海

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ビーチの前にある公園は灯台がモチーフになっていた

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奥に見えるのはモーニントン半島

気温は22~23度と快適だったが、ビーチと公園で2時間ほど遊んだら、日差しのせいで暑くなってきた。突然アイスクリームが食べたくなり、調べてみたら車で10分ほど戻ったところに美味しそうなジェラート屋さんがあった。ビーチを引き上げてジェラート屋さんに(と言ってもそこも海沿いの街)。種類も豊富で味も良く、店員さんもフレンドリーで人気の訳が分かった。

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30種類くらいある中から選んだのはピスタチオアイス

そして月曜日。2月が始まった。私の博士課程の2年目がスタート。何か特別なことをしようと思ったけど思いつかない。先週は仲間に会えたのに、月曜日にオフィスに来ていたのは、相変わらず挨拶以外の言葉を交わさない寡黙な文学青年トムと私の2人だけ。せめてランチは外食しようとキャンパスの中で食べ物屋さんが集まっている場所に行ったら、これまでなかった日よけのテントが張られていて、人も多かった。これも日常生活が戻ってきた証かな、と。でも学部生が戻ってくるのはまだ1か月先。活気ある大学のキャンパスに身を置きたい。

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月曜日のキャンパスは曇り空。強い日差しがないのは実は快適

私はもうFirst yearと言えなくなってしまった。新人の期間はこれで終了した。月曜日には、ちょうど1年目の審査会に向けたプレゼン資料が完成したのと、提出するレポートの修正も一通り終わった。レポートはあと少し文字数を削らないといけないかもしれない。1年目を終えた手ごたえや達成感は特にないが、こんなもんかな。1年後の自分はどのように感じているのだろう。コロナに翻弄された1年目の振り返りをすると、この先に多くのことを望まないようになる。これは絶対やってやるぞ!というのではなく、こんなことをしていけたら良いな、という心持ち。外部環境に翻弄されがちな今は、その気持ちを持ち続けられることが大事な気がする。生活とのバランスを取りながら、研究についても悔いが残らない過ごし方をしたい。

 

 コロナで大変なことになるなんて予想していなかった1年前の記事。すでに懐かしい。

fourty.hatenablog.com

 

10か月ぶりにPhD仲間に会った

昨日と今日、天気も良く気温は20度前後と快適な気候だったので、2日連続で自転車で大学に登校した。そうしたら、昨日は同じ部屋のPhD仲間(中国人)に会い、今日は隣の席に座るPhD仲間(バンクラディシュ人)に会った。2人に会えて言葉を交わしたことが、自分でも驚くほど元気をくれた。考えてみると、彼らと話をしたのは実に10か月ぶりとなる。10か月ぶりと分かったのは、ブログをつけていたから。

 

fourty.hatenablog.com

 

中国人のXは私よりも1か月前の2020年1月に、バングラディシュ人のLは私よりも1か月後の2020年3月にPhDを開始しており、また2人とも私と同じく社会学部(School of Social Sciences)でSPS(Social and Political Sciences)というコースに在籍する。気づいてみればとても境遇が近くて、本来ならお互いの進捗を交換したり、悩みを相談したりできる相手。それがコロナのせいで関係が切れてしまっていた。

 

まず昨日はXと10か月ぶりに再開。Xの席はパーティションの向こう側なのでしばらく存在に気が付かず、黙々と作業をしていたら、Xが私の席まで来て「Hello」と話しかけてくれた。びっくり。お互い、久しぶりに会えたことが嬉しいと思う気持ちが一緒のようだった。話題は当然のごとく、1年目の審査(Confirmationという)になる。彼は2月の中旬(私の2週間前)に審査を控えていて、今提出するレポートの大詰めらしい。でも1つのセクションがうまく書けなくて悩んでいる模様。それだけでなく、「僕はこの1年で何も生み出していない。自分が情けなくなる」と言い始めて、相当弱気になっていた。

 

実際、この1年で何を進めたのか話を聞くと、私がやっていることとそんなに変わらない。まあ、私の進捗もほめられたものではないが、私自身は少なくとも「何も生み出していない」という気持ちになったことはない(そもそも1年目で何かを生み出そうと思っていないからかもしれない)。ロックダウンがあったせいで子供の家庭教師を担うことになり、フル活動はできなかったが、その中でも何百という数の論文を読んで、学問的な知識をインプットしたり、それを整理することで今まで接してきた事象を違う角度で捉えられたり、単純にぼーっと頭を空っぽにしたりと、忙しさに追われていた会社員の時にはありえなかった贅沢な時間を過ごしてきたなと感じている。

 

Xの年齢は聞いていないが、おそらく20代後半くらい?で若く、人生経験が浅いこともあって悩みがちなのかもしれない。自分に厳しいのは悪いことではないけど、ずっとそんな風に考えていたら疲れるだろうな、と思ってしまう。1年たっても指導教官と話をするのに緊張したり、指導教官へのメール文面を考えるのに1時間ほどかかってしまう、という話も。完璧主義者なのかな。そんな風に10分ほど、お悩み相談のような感じで話を聞いていた。彼は社会学部の中でもPolitics and International Relationsという学科にいて、中国の政策推移が研究テーマ。面白そうな研究なので、これから研究の話も聞いてみたい。

 

そして今日の夕方、オフィスがあるビルを出てキャンパス内を歩いていたら、隣の席に座るバングラディシュ人のLに遭遇。向こうがハグの姿勢で向かって来たので、思わずハグしてしまった(コロナゼロの間は問題ないはずだが、あまり推奨される行為ではない気がする)。「久しぶり!元気だった?」と挨拶。とても懐かしい感じがしたが、実際一緒に机を並べて作業していたのは昨年3月の1か月間だけ。同じ境遇にいるということが連帯感を深めるのかもしれない。

 

数分だけ立ち話。彼女の1年目の審査は3月中旬とのことで、私の2週間後。私の進捗をシェアしたが、彼女は何と1か月半前に指導教官を変えたので、審査自体も遅らせるかも、と言う話だった。そんなことあるんだ、とびっくり。その指導教官は確かバングラディシュ人で、彼女がバングラディシュの大学で教官(研究員?)をしているときからの知り合い。それもあってこの大学を選んだのに、来てみたら相性が合わなかったとのこと。3月に話をしていた時、指導教官とのミーティングがストレスだ、と言っていたので、変えられて良かったんだと思う。

 

もっと話をしたかったけど、私は帰宅の時間が迫っていたし、彼女は彼女で忙しそうだったので(3歳の子持ちで旦那さんもPhD学生という状況)、今日のところはさよならした。でも10か月ぶりに会えてうれしかった。PhD仲間との他愛もない会話や情報交換を自分がこんなにも求めていたとは気が付かなかった。

 

すでに交友関係ができていれば、オンラインでも関係を継続できるけど、たった1か月程度しか会っていない相手とは、ロックダウン中にどんな話をしたらよいのかわからない。私の留学1年目である2020年は、コロナのせいでイメージしていたものと全く違うものとなった。オーストラリアにいるのに話す相手はほぼ家族のみ(もちろん日本語)、いる場所はほぼ自宅のみ、という生活を半年間強いられた。2021年は少しでも他のPhD仲間と顔を合わせて交流したいと改めて思った。XやLというPhD仲間と10か月ぶりに会い、短時間でも会話をしたことで、辛い2020年を耐え忍んだことを思い出し、また2021年は少しマシになるんじゃないか、という希望の感触を初めて持つことができた。

 

Mount Gambierへ旅行<後編>

10日ほど前に出かけたMount Gambier旅行の後編。この旅行記ブログを書き上げないと、日常のブログにたどり着けないので急いで仕上げる。 前回は2泊3日の旅行の2日目のことについて書いた。

fourty.hatenablog.com

 

最終日の3日目。天気は曇り。また長時間のドライブで自宅に戻らないといけないので曇りはちょうどよい。オーストラリアに来て曇りが好きになった(晴れだと日差しが強すぎて辛いので)。ただ残念なのは、Mount Gambierで一番有名な景勝地であるBlue lakeが曇っているときれいに見えないこと。Blue lakeは文字通り青い湖。例年夏になると特に青くなるということで、この湖を見るために旅行する人もいるようだ。

 

今回泊まったキャンプ場はこのBlue lakeのすぐ隣なので、晴れていた2日目にふらっと散歩にでも行けばよかったのだが、子供がいると思いのほか身動きがとりにくく、結局3日目になってしまった。子連れ旅行はこれまで散々しているけど、大体子供がしたいことと大人がしたいことは一致しないので、それぞれのしたいことを半分ずつくらいすることになり、いわゆる観光地や景勝地はあまり多く巡ることができない(子供が希望するのはプール、遊具、ゲームの3つ…)。

 

晴れていた2日目に車で走っているときに窓から撮ったBlue lakeはこんな感じ。写真だとあまり分からないけど、普通の湖よりも確かに「青い!」と思った。とてもきれいだった。

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車窓から撮影したBlue lake

なぜBlue lakeは青いのか。前回の記事にも書いたが、この辺りは石灰岩の地層が多く、カルシウムが関係しているようだ。詳しくは以下のFact sheetに書いてある(結構専門的な内容が書かれている)。夏だけ青く見えるのは光の関係らしい。そして湖の深さは70m以上ある。

https://www.naturalresources.sa.gov.au/files/sharedassets/south_east/water/blue-lake-comprehensive-guide-fact.pdf

 

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湖ができた過程の説明

曇っていたし朝なのであまりBlueではなかったけど、ちょうど展望台にいたときに一瞬だけ晴れた。湖の周りを一周歩けるみたいなのでそうしたかったけど、今回は断念。

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朝のBlue lake

大人に付き合ってBlue lakeを鑑賞した子供たちのリクエストは公園遊び。ということで、Mount Gambierの街中の公園に。遊具が充実した公園を見つけて、そこで1時間以上遊んでいた。知らない間に地元の?男の子たちも混ざってみんなで鬼ごっこをしていた。

 

私は通り掛けに目をつけていた公園の近くのおしゃれなカフェまで友人と歩いて行って、Flat whiteをテイクアウト(ちなみにオーストラリアではTake awayと言う)。こんなに田舎町なのにおしゃれなカフェがある。うちの近所よりもよっぽど洗練されている。店内には日本のカリタのコーヒー器具(ドリッパーやペーパーなど)が置いてあった。最近オーストラリアのカフェでカリタの製品をよく目にする。ドリップコーヒーが流行っているのかな。 www.bricksmortarcoffee.com.au

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店内の様子(キッズフレンドリーな模様)

子供たちは公園で散々遊び、大人たちはコーヒーを飲みながらおしゃべりをして、昼前に解散。次は4月のスクールホリデー(秋休み)に会えるといいね、と話した。ここからまた6時間以上かけて帰ることになる。

 

Mount Gambierの街を出て30分ほどでSA州とVic州の州境に。SA州側は右手に相変わらず大きなテントが立てられていて、検問をしていた(行きに通った場所)。Vic州側に入ってしばらくしたら検問があるかな、と思っていたけど、結局検問はなかった。許可証は取っていたけど実際はチェックしないようだ。許可というよりもどちらかといえば登録に近いのかも。もしSA側でコロナが発生した場合に、遡って州境を超えた人をシステムで簡単に特定するための仕組みなんだろうと思う。でもSA州だけでなくVic州だってコロナ市中感染ゼロで推移しているのに、SA州側だけ検問があるなんて、Vic州はリスクが高い場所として扱われているんだな、とも思った(自らのコミュニティの安全を確保することが一番大事なのは誰にとっても当たり前なのだけど、Vic州民であることがなんとなく悲しい気もした)。

 

帰り道、途中の街でトイレに寄ったりしていたら、ナビがリセットされてしまい、なぜか正真正銘の農道を案内された。ところどころ無舗装の一本道。両側はひたすら農地で休憩所すらない。本物の農道を通って思ったのは、行きに来た道は全然農道ではなくちゃんとした道路(舗装されていて片側1車線ずつあり、センターラインも引かれている)だったということ。帰り道に通ったのは1本道の農道なので、対向車(家畜を乗せたトラックや何を載せているかわからない大型トラック)が来たら、お互い外側の車輪を道路からはみ出させて土の上を走らせることになる。そのような運転の仕方に全く慣れていないので、かなり慎重に走ることになった。慣れている対向車のトラックは、100キロ以上出して土埃を上げながらすれ違う。正直すれ違う度にひやひやした。4時間くらいずっとそんな感じで、本当に疲れた(運転していたのは夫だけど)。

 

結局自宅についたのは夜の8時すぎ。メルボルンのシティが見えてきたときにはほっとした。帰るのに8時間くらいかかってしまった。幸いまだ日が長いので8時でも明るい。とはいえ、さすがにくたびれた。オーストラリアでのドライブの際には、Google mapのナビに単純に従うのは良くない。大きな道を選ばないと最短距離を進んでもかえって時間がかかる。これも旅行の教訓。年を取ったせいか、翌日は抜け殻のように放心状態で全然作業ができず、完全に復活するまで3日程度かかってしまった。それでも久しぶりに友人に会えたし、こちらに来て初めての遠出をすることができたのは良かった。このままコロナの封じ込めが続き*1、また自由に国内旅行ができることを祈っている。

*1:本日時点でVic州は21日間連続ゼロ!心配されていた全豪オープンがらみのコロナ感染はホテルで閉じ込めできていて、市中には今のところ拡がっていないので良かった。早く全豪オープンが終わってほしいと思いつつ、海外からの観客が来られないせいか、決勝戦のチケットまで売れ残っているので、またとないこの機会に見に行ってみても良いかな、と思ったりもする。

Mount Gambierへ旅行<中編>

Mount Gambier旅行の続き。前回の記事はこちら。

 fourty.hatenablog.com

 

前日は天気が悪くて寒かったけど、2日目は晴れた。気温は真夏にしては低く、最高気温が22度くらい。朝は肌寒くてフリースやダウンが必須。40度になるときもあるのに、オーストラリアは気温の差が激しいので旅行に行くときは注意が必要(特にメルボルンアデレードの夏場)。朝食はColesで買っておいたパン、フルーツ、ヨーグルトを各キャビンでいただく。SA州にしか売っていないローカルなヨーグルトがおいしかった。

 

子供たちは持ってきたニンテンドースウィッチをやったり(どこにいてもゲームをやりたがる…)、大人はおしゃべりしてゆっくり朝を過ごした。もともとの予定では、車で30分ほど走らせたNelsonという河口の街でカヤックをするつもりだったけど、Nelsonは州境を超えてVic州側にある。私たちも友人家族もNelsonに行くための越境許可証を取得していたけど、カヤックをしている途中に、どちらかの州でコロナが発覚して州境が閉じるなんていうことがあるとNelsonに足止めされてしまうリスクもあるということで、今回はカヤックは諦めた。その代わり同じ川の少し上流(SA州側なので州境を超えずに済む)で釣りをすることに。

 

車で30分ほど飛ばして到着。釣り竿は友人家族が持ってきていたのを借りる。とはいえ、あまり本気で釣るつもりもなくエサは買わなかった。前日の残りのソーセージやコーンをつけるという緩いモード。

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私たちの他にもう一組の家族が来ていたけど、全然釣れていないようだった。私たちも何も釣れなかった。友人の旦那さんはせっかく準備をしてきたのに何も釣れなかったことにガッカリしていた。以前この辺りに来た時はもっとたくさん釣れたらしい。実際には、ニンテンドースウィッチの釣りゲーム(釣りスピ)のように魚が釣れるわけではないということを身をもって知った長男。

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釣り堀以外で釣りをするのは初めて

昼も近づいてきたので引き上げようとしていたところでアクシデント。釣り人がポイ捨てした釣り針が友人の娘ちゃんの指に刺さってしまった。釣り針が付いているとは思わず、長男と友人の娘ちゃんが落ちていたものを触っていたみたい。大泣きする娘ちゃんを友人夫婦が急いで車に乗せて救急病院に。私たちは別行動でいったんキャンプ場に戻ることにした。Mount Gambierは田舎とはいえ、SA州でアデレードに次ぐ2番目の街らしく、日曜日でも開いている大きな病院があって良かった。とはいえ、救急車で運ばれるような緊急性の高い病人やけが人を優先するため、かなりの時間病院で待つことになった。私たち家族は昼食をとった後に病院に向かい、妹の処置を長時間待つことになってしまった友人の息子くんをピックアップ。キャンプ場の中で遊んで友人夫婦と娘ちゃんの帰りを待つことにした。

 

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オーストラリアのキャンプ場でおなじみのジャンピングピロー(トランポリン)

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気温は22~23度くらいだったけど子供たちはプールに

遊んでいるうちに友人夫婦と娘ちゃんが戻ってきた。一時はどうなることかと心配したけど、無事に処置が終わって良かった。病院では子供向けのいろいろなグッズ(ぬいぐるみや塗り絵、シールなど)をもらえたみたいで、娘ちゃんも気持ちが明るくなって帰ってきた。

 

夕方、Mount Gambierにある観光スポットに出かけた。石灰岩でできた洞窟の上部が崩れ落ちて、大きな陥没穴ができたような場所。

southaustralia.com

 

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Sinkholeを下から見上げた景色(借りてきた写真だけど本当にこういう風に見えた)

https://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/oceania/australia/south-australia/articles/umpherston-sinkhole/

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上から見た様子(奥に見えるのは木材加工場)

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穴の底の庭園で記念撮影(こう見ると穴だけでなく周りに植えられている植物がとても大きいことがわかる)

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Mount Gambierは石灰岩で有名らしく、このSinkholeは石灰岩の様子が間近で見られる場所とのこと

庭園を鑑賞した後は再びColesに行って食材調達。前日のステーキがおいしかったので、また同じ肉を購入。2日連続でステーキだったけど飽きずに美味しく食べられた。アクシデントがあってどうなることかと思ったけど、無事に1日を終えられて良かった。近くにゴミ箱がいくらでも置いてあるのに釣り針を地面に捨てていくなんていうマナーが悪い人もいる。オーストラリアでは裸足で外を歩き回る子供も多いのに本当に危ない。釣りができる場所では、近くに釣り針が落ちているかもしれないということを想定して、子供たちに注意喚起しないといけないというのが今回の教訓。

 

後編に続く。

Mount Gambierへ旅行<前編>

子供の小学校の夏休みも残すところあと数日というところまで来た。11月頃から計画したアデレードに住む友人家族との2泊3日の旅行に先週末行ってきた。行き先は、Mount Gambier。おそらく日本の人にはほとんどなじみがない地名。私も行ったことがない。なぜここにしたのかと言うと、アデレードメルボルンの間にあるから、という単純な理由。

マウントガンビア - Wikipedia

 

メルボルンから約430km、アデレードからも約430km。430kmというのは、大体東京から京都位の距離らしい。この距離をお互い車でひたすら飛ばして、中間地点で落ち合うという企画。Mount Gambierはアデレードがある南オーストラリア(SA)州に属するため、ビクトリア(Vic)州民である私たちは州境を超えることになる。オーストラリアは厳しいコロナ対策を敷いている国なので、SA州かVic州のどちらかで1件でもコロナ(市中感染)が見つかったら、すぐさま有無を言わせず州境が閉じられる可能性がある。このため私たちは当日まで旅行に行けるかどうかがわからない状態だった。結果的に、両州とも旅行の前から今までずっと市中感染がゼロで推移しているので、感染の心配を全くせずに無事旅行を遂行することができた。

 

朝8時半ごろに自宅を出発。昼ごはんは田舎で食べるところがないことも想定して、前回のフィリップ島の旅行と同じく、おにぎりを握っていった。メルボルンのシティを抜けて、しばらく高速道路。思ったよりも交通量が多くて、メルボルンが都会であることを改めて実感。2時間くらい走らせるとだだっ広い風景が広がる。とはいえ、荒野(オーストラリアではアウトバックと言う)ではなく農業地帯。

 

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曇り空の中、延々と続く農業地帯を車で走る(農業以外には風力発電の風車も見られた)

ナビによれば4時間と少しで着くらしいが、農道をぶっ飛ばす車の運転に慣れていないので安全運転をしつつ、休憩も挟みながら進んだので、かなり時間がかかった。日本の高速道路と違って、休憩所がすぐにあるわけではないので、水や食料などを持参していないと何かあった時怖いのがオーストラリアのドライブ。途中、小さな町があったのでそこで昼休憩。真夏にもかかわらず冬のように寒くて、ダウンジャケットを着用。寒すぎて車の中でおにぎりを食べた。

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途中で休憩した小さな町の広場。まだクリスマスツリーが飾ってあった

今回、州境を超えるので2つの種類の許可証を申請し取得した。一つ目はVic州からSA州に入るための許可証(SA州が発行)。もう一つは帰りにSA州からVic州に入るための許可証(Vic州が発行)。州境では検問があると聞いていたので、ドキドキした。州境を超えて5分くらい、何もないので拍子抜けしていたら、明らかに検問っぽいテントを発見。そこで止まってチェックを受けた。

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左前に見えるのがSA州警察による検問のテント

準備していたマスクを着用し(これはマスク義務化が長いVic州の住民に染み付いた習慣)、プリントアウトした許可証とIDを手元に置く。テントの前で止まって車の窓を開けたら、とても人の良さそうなSA州の警官がタブレットを持って立っている。許可証の番号を4人分告げて、一人ずつシステム上でチェック。日本人の名前に慣れていないせいか、名前の確認のときに「僕が君たちの名前を正しく発音できていなかったとしたらごめんね」と言われてほっこり。こういう一言があると雰囲気が和む。事前に許可をとっていたので何のトラブルもなく通過できて一安心。コロナがゼロの状態では、州境を超えること自体は特に控える必要がないため、なぜSA州に行くのか、など理由を聞かれることもなかった。

 

州境を超えて30分程度走ったら、Mount Gambierの街に到着。ついたのは結局15時くらいだったので、休憩含めて6〜7時間かかったことになる。遠かった。しかも途中でVic州とSA州の間に時差があることも思い出し、待ち合わせ時間について少々混乱(SA州は30分遅い)。

 

今回泊まる場所は、大きめのキャンプ場。私たちはテントを持っていないので、キャビンを家族ごとに借りた。完全にファミリー向けの施設(友人には私の長男と同い年の男の子と次男よりも1つ年上の女の子がいる)。

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天気が悪くて小雨も降っていたので、楽しみにしていたプールで遊べなくて子供たちガッカリ。その代わりに古びたゲームコーナーで遊んだ。なぜか一つのゲームが壊れていて、お金を入れなくてもずっとゲームができるようになっていた。その上、10分に1回くらい謎の停電が起きて、部屋が真っ暗になり、ゲームがすべてリセットされてしまうという変な場所だったが、子供たちはそれも含めて楽しかったようで飽きるまで遊んでいた。その後は夫に子守をお願いして、私と友人夫婦でColesに夕食の材料の買い出し。

 

Colesに着いてびっくり。誰一人としてマスクをしていない!ここはSA州だからマスクのルールがないんだ、と改めて気が付いた。Vic州では市中感染ゼロが続いている今でも、予防のためにスーパーではマスクの着用が義務化されていて、違反すると罰金を取られる。私が見る中では宗教上髭がすごい人も含めてどんな人種にも関わらず、みんなきちんと従っている。もう半年以上?マスクの義務化がされているので、スーパーでマスクをしないことに違和感を持つようになってしまった自分。同じ国なのに州によってこうも違うのか、と改めて思った。そして、もしメルボルンではない街に留学していたら、もっと違う2020年になっていただろうな、という考えが一瞬頭をよぎってしまう(オーストラリアで半年間にわたる厳しいロックダウンをしたのは感染拡大があったメルボルンのみで、他の州は感染が少なくトータルでも1ヶ月ほどしかロックダウンを経験していない)。正直SA州の人が羨ましくなった。

 

夕食について。友人の旦那さん(私にとっても17年来の友人で修士留学中にお世話になった人)はオーストラリア人なので、ステーキを焼くのがうまい。奮発してスコッチフィレを買って、ステーキとソーセージをキャビンのキッチンで焼いてくれた。サラダ用の野菜は友人の娘ちゃんが切ってくれた。私はほとんど何もしていない。人に食事を作ってもらえるって幸せだなぁ。

 

友人とは約1年半ぶりの再会なので積もる話がたくさん。子供達の学校のこと(友人はアデレードで小学校の先生をしている)、生活のこと、ロックダウンのことなどを話し込んでいたらいつの間にか夜の9時を回っていた。慌てて子供たちをそれぞれの部屋に戻してシャワーと就寝。長時間の移動の疲れもあり、ぐっすり眠って起きたら晴天。気持ち良い朝だった。

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2日目朝のキャンプ場の様子(右に見えるのが泊ったキャビン)

続く。