40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

投稿論文修正版の提出、将来について考える

今朝、細々と進めていたジャーナルへの投稿論文の修正版を提出。仕掛は今年の3月末。メルボルンで引っ越しのドタバタで書き始めた思い入れがある論文。出来は個人的にそこまで良いと思えていないけど、とにかく限られた時間の中で一定の質の論文をアウトプットすることも大事だと思っている。いつまで自分の中でこのモメンタムが続くか分からないから。

 

前回の記事では夏休みのことを書いていて、その中で論文についても触れていた。

fourty.hatenablog.com

 

やっと9月になって、子供たちの長い夏休みが終わり。日本中の親はほっとしているんじゃないかな。子供たちも楽しく学校に行き始めた。今風に言うと陽キャな長男はもちろんのこと、インドア派の次男も楽しそう。それが何よりありがたい。中1の長男は夏休み中の部活はいつも7時半からという早朝だったが、通常営業に戻ったら、放課後から18時半まで。18時半だともう真っ暗。日本の公立中学校、無料でそんなに毎日スポーツを教えてくれてすごいな、とオーストラリアから戻ると思ってしまう。栄養たっぷりの給食もありがたいし。

 

でも私の気持ちは、ここのところふわふわしている。博士論文を提出してから、頭に余裕ができたせいか、今後の進路をよく考えている。ひょっとして知っている人が読んでいるかもしれないブログではあるが、正直な気持ちを書き残しておくと…

 

昨年メルボルンの会社からオファーしてもらった仕事を断ったのは、やっぱり誤った判断だったかもしれない、という考えが抜けきらない。これについては過去の記事にあれこれ書いているのだけど、それを今も自分でたまに読み返したりしている。

fourty.hatenablog.com

 

fourty.hatenablog.com

 

なぜ後悔のような思いを持っているのか。論理的には説明しきれないけど、一言で言うとメルボルンに未練がある。日本の生活も悪くはないけど、心から楽しめているかというとそうではない。自分がいる場所は日本じゃないような気がして、言葉に表し切れない違和感を持つ瞬間もある。

 

後悔、という観点で分析してみると、メルボルンに残ったら残ったで、別の後悔があったと思う。日本の会社で今の現実以上にバリバリ活躍している自分を妄想。妄想内では日本語とたまに英語を使いながら、大企業の中で周りに影響を与え、組織の変化に関わる仕事をしている(現実は残念ながらそうではない)。それと比べて、メルボルンで不自由な英語を操りながら、クライアントの前で失敗したり、同僚との意思疎通が不十分で落ち込んだりしている自分。自分の能力が最大限に発揮できない環境にいることにストレスを感じていたかもしれない。

 

隣の芝生は青く見えるの自分版。このような思考をしばらく持つことは仕方がないと最近割り切っている。何でもやってみないと分からない。やってみて分かったことが、結局次のアクションにつながる。そういう意味で言うと、日本に戻って5か月、新しい仕事をしてみて分かったこと。

 

  • 私は4月から始めた新しい領域の仕事よりもこれまでの自分の専門領域が好き
  • 私は日本人男性ばかりに囲まれた画一的な組織よりも、色々な国籍やバックグラウンドの人がいる場所で働きたい

 

1点目はやりたいこと、2点目はありたい状態。この2つがかなり明確になったのは収穫だと思える。難しいのはこの先のアクション。この数週間で何人かの転職エージェントと話をした。LinkedInにプロフィールを公開していると、リクルーターから時々連絡が来る。通常は反応しないけど、次のアクションを考えて、気に止まった人とやり取りし始めた。ちなみに、そのうち1人はフィリピン人のリクルーターで、面談も100%英語だった。

 

リクルーターの人から投げかけられる質問に答えるうちに、自分の気持ちが言語化出来てきた部分もある。上記2点も書いてみるとこんなものか、と思うけど、その前はもやもやしていたことでもあるので、少し前進したようにも思う。またこの2つは今の会社にいても100%できないことではないので(2点目については海外赴任になるので、可能性はかなり低いが)、社内に残りながら実現する道と社外に行く道と両方あると思っている。実際、いくつか紹介された求人の中に1つとても興味を引くものがあり、応募したくなったが、タイミング的にやめておいた(今の仕事をすぐに辞めるのは無責任になってしまうので)。

 

と、こういう思考回路で色々と考えていると、メルボルン以外の海外の道も自分の中で考えていることに気が付いた。そしてそれに少し混乱したりもする。私はメルボルンが好きなのに…仕事の面で考えると、ヨーロッパでチャレンジしてみたいと思う自分もいてびっくりする。ビザもコネも何もないのに、そんなことを頭に浮かべている自分がいて不思議。

 

先週は、4月にPublishされた私の論文を読んだという、日本の証券会社の方から大学のメールアドレスに連絡が来た。ありがたいことに研究内容に興味をもっていただいたようで、投資家向けに話をしてもらえないかという相談だった。実際にどう転ぶかはまだ分からないが、こういう連絡をもらえると、研究やっていてよかったと思う。私がやりたいことを一生懸命やって、それをアウトプットしたら、関心を持ってくれる人もいるんだなあと。もっと自信をもって自分がやりたい世界の方に働きかける動きをしてみようと、思いを新たにするきっかけにもなった。すべてうまくいくことはないけど、ダメでも失うものはほとんどないから。

 

年末までにあと1本、頑張って投稿論文を書きたいと思っている。博論の修正次第で時間がどれほどとれるか分からないが。その他にも、昨夜、突然思い立ったことがあり、そのアイデアを形にしてみたいと思っている。私の気持ちは「今ここ」にない状態。Mindfulness的にはNGだけど(笑)。

 

最後に夏休みの思い出を少しだけ記録。夫がキャンプに行っている間に37度の猛暑の中、息子2人と外出。所沢にある角川武蔵野ミュージアムへ。この暑い1日はとても良い思い出になった。

隈研吾の建築物

何時間でも本読み放題だから、私たちは入場料のもとを取るだけの本を読んだ

実はこのミュージアムの近くに、勤めている会社で常務役員をしていた人がオープンしたカフェがあるので帰りに寄ってみた。何年か前から、飲み会の時にコーヒーが好きという話や喫茶店をやりたいと言っていたのは聞いていたけど、本当に土地を買って、会社を辞めて、建屋を建てて、焙煎機を買って、と実現してしまった。年収何千万円という仕事から、今は「人を雇うと赤字になるから、全部自分でやっている」という仕事に。私も現実的な事は考えながらも自分の気持ちに素直に生きていきたいなと思った。

カフェの外観

落ち着く店内