40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

It's almost there... でもまだ終わらない

先週水曜日、正指導教官が博論のフルドラフトの再レビュー結果を送ってくれた。メールの最初に書かれていたこと。

It's almost there - really is in good shape. Just needs a little more tweaking I think. 

もうあと少し、でもまだ終わらない。確実に前進はしている。一番大きな山を越えたことは自分でも分かっている。今は時間との闘い。日々、フルタイムで働く中、平日は早朝1時間~1時間半、プラス週末は数時間ずつを捻出し、最後の修正をやっている。あー、メルボルンで他の学生みたいに4年間かけてゆっくり博論書く生活もできたのに、なんで3年で切り上げて日本で仕事しているんだろう、と思ってしまう瞬間もある。でも絶望的な状態ではないし、何とかあと少し頑張ろうと日々思いながら過ごしている。

 

正指導教官から副指導教官にメッセージ。イントロ、ディスカッション、コンクルージョンの3つのチャプターだけはもう一度見ることを推奨する、と強調していた。それを受けて副指導教官、イタリア往きの飛行機の上でチェックする、と言って、本当にチェック結果を今朝返してくれた。このイタリア往き、うらやましい。大学がイタリアにもキャンパスを持っていて、半分お遊びでPhD学生が寒いメルボルンの冬を抜けて、ライティングセッションに参加するというイベント(副指導教官は学部の代表として引率/講師)。私より1年半ほど後にPhDを始めたスリランカ人の友人が参加している。私も1年ずれてたらなあ…コロナが無ければなあ…私がメルボルンにいた3年間、こういうイベントは全部凍結されていたから。嘆いても仕方ないけど。

 

今週もう一つのニュースは、3月4月とメルボルン~東京への引っ越し作業の中で、絞りだして書いた投稿論文について、結果の連絡があった。今となっては懐かしい、バタバタの中で何とか仕上げた論文。

 

fourty.hatenablog.com

 

fourty.hatenablog.com

 

正直、Rejectもありかなあ、と思っていたが、結果はMajor revisionということで何とか生き残った。3人のレビュアーからのコメントはまだ見る時間的、精神的余裕がない。まずは自分の博論にめどをつけたい。取り急ぎ、正指導教官、副指導教官の2名に、結果をそのまま転送。2人のコメントは以下。

 

正指導教官

 Most comments are fairly straight forward but a couple of odd ones. 

副指導教官

 I did have a quick scan at the comments, and it didn't seem too bad..

 

ということで、前回のようにラッキーではなさそうだが、まあ普通レベルってことかな。レビュアー3人だし、メールの下にそのままペーストされていたレビューコメントがめちゃくちゃボリュームがあるので、時間はかかりそう…納期は3か月後。少し余裕がある。とにかく博論が手を離れたら急ぎ対応するかな。お盆休みはこれでつぶれそう…。10月に納期の別のSpecial issue向けにも投稿する予定があるし。もちろん仕事しながら…。できるだろうか。

 

家族を養うための生活費は稼がなきゃいけないし、給料もらっている以上、ちゃんと働かないといけないから、仕事を適当にすることは出来ない。やってみて分かる、2足の草鞋は大変。家事育児はそれと比べれば大したことない気もする。朝の弁当作りがなくなったことが精神的にだいぶ楽。学校給食万歳。子供たちは毎朝自力で歩いて学校に行くし、放課後に友達が遊びに来たり、遊びに行ったりするのも子供たちだけで完結。子供に割く時間はオーストラリアにいたときの方が多い気がする。

 

仕事は相変わらず忙しい。でもなんとか残業しないようにしている。早朝は大抵論文書いているし(今日はお休み)、夕食を作って家族で食べた後の時間は、オンライン英会話や研究会に参加しているので、その時間にまで仕事が入り込むことは出来ない。強制的に仕事以外のコミットメントを作るのは、結果的に仕事漬けにならずに済んで良いのかもしれない。仕事ってやればやるほど増えるし、やらなければ減っていくという不思議な世界だからね。

 

仕事内容について、人事領域のことは面白いと思う点もいくつかあるけど、やってみて改めて思うのは、私が心の底から夢中になれる領域ではないかもしれない、ということ。何でもやってみないと分からない。古くは高校生の頃から、専門的には20代からずっと続けてきた環境、サステナビリティ領域から初めて離れてみて、改めて自分がこの領域をいかに好きなのかが良く分かった。人事での仕事は、今は新しいことを沢山学べて刺激があるが、一巡するとその興味が薄れてしまう可能性がある。とりあえず1年くらい働いたら、次のステップを考えることにしていたけど、どこにいるかは分からないが、領域的には元に戻るんだろうなと思う。

 

今、仕事に前向きに向き合えているのも、実は論文書いていることで自分が本当に興味があることが消化できているからかもしれないな、と。取り急ぎ今年中は、博論と投稿論文2本を書いていたら終わりそうだけど、それらが手離れした時、仕事内容も変わりそうな予感。

 

おまけ

先々週、指導教官が博論をレビューしてくれている間に、一泊で軽井沢に出かけた。梅雨の時期だから見事に雨…。ほとんど何もしないで帰ってきた。ここでもオーストラリアの要素を発見してしまう私。日本には珍しい?Roundaboutと久々ラテアート。

 

この感じ、懐かしい

それにしても、以前にも増して軽井沢の物価が高すぎる…。大したことないものでもいちいち高い。食事については東京の方が安くて美味しい。軽井沢には散々行ったから、もう行かなくてよいかな。と思いつつ、また行きそうだけど。物価高のメルボルンのさらに上を行くカフェ。家族でふらっとお茶するととんでもないことに。

ラテ1杯700円、長男用にデカフェを頼んだら800円。いい商売してるねえ

www.b-sawamura.com