この2週間に博論と仕事面であった気付きを残しておこうと思い、タイトルが思い浮かばずにそのまま記載。
博論進捗について
前回のブログを書いてから、先週末の土日に仕上げて指導教官に送付したかった。金曜日に年休まで取得して頑張ったけど土日に終了することが叶わず、水曜日の朝7時に送付。少し時間がかかった理由は、4月に発行されたとあるジャーナルのSpecial issueが私のテーマドンピシャだったことから、10本ほど新たな論文に目を通す必要があり、そのうち3~4本を博論に追加した。早く出さないと、どんどん新しい論文が出るからキリがない。
でも金~日の3日間で頑張ったおかげで、多少のずれで提出できた。コンテンツ的には月曜日の朝にほぼ固まり、火曜日の早朝、5時~7時の2時間でFormatting。Table of contentsだけはあったけど、表、図、Appendix、略語のリストは作っていなかったから、これらを制作。と言っても基本はWordの機能が作ってくれるんだけど、微妙にやりたいようにいかなくて(例えばAppendixの目次はTable of contentsとは別に作りたいけど、フォーマットは同じにしたいなど)、ネットでWordの機能を調べながらやっていたら朝の2時間はあっという間だった。
でも火曜日の朝にこれらのFormattingが一旦うまく行って、急に達成感に包まれた。あと必要なのは微細な修正と謝辞の記載のみ。あ、Referencesの最終チェックもあるか…。朝7時が博論作業の終了時間なので、指導教官に提出する前にもう一度全体レビューをしたかったから、翌日水曜の朝にこれを実施。そして提出。
日本の朝7時はメルボルンの朝8時だから、先生からすぐに返事が来た。私の修正が思ったより早かったこと、今、別のPhD学生の博論を見ているからいつ返事ができるか分からないこと、私の博論のExaminersが決まったことを教えてくれた。私の方からは、Examinersの選定のお礼、もし別のPhD学生の論文チェックに時間がかかるなら、私は並行してProofreadに出すことを伝えた。そうしたら1週間後に戻してくれることになった。せかしちゃったかな。
このもう一人のPhD学生はずっとリモートで指導を受けているカナダ人。私よりも2年前にパートタイムで始めて、私の数か月前にFinal reviewを実施。彼のFinal reviewは私も傍聴していたが、外部のパネルから根本的で厳しめの指摘を受けていた。おそらくそのせいもあり、ずっと私の先を走っていたのに、今年に入って私が追い抜いた。この調子だと提出は私の方が先になるだろう。博士論文は徒競走と違うからスピードを競うものではないけど、でもネイティブ英語話者でも随分苦労するんだな、と改めて思った。彼はドバイの企業で長くExecutiveを務めていて、昨年カナダに戻った。実務経験も豊富、かつ英語面でのハンデは当然ゼロ。恵まれているはずなのに、博士課程って特殊な世界なのかもしれない。
Examinarsについて。1人目は私が理論的フレームワークの一つに使っているモデルを作った人。おそらくドイツ人かオーストリア人。もう一人はバランスをとるためにオーストラリアの学者を先生が探してくれて、無事受けてくれる人が見つかった。学生はもとより指導教官とも利害関係がゼロ(共同研究や共同執筆した履歴が無いことが条件)の外部の学者に審査される。日本の大学は確か博論審査はインターナルに実施すると聞いたことがある。オーストラリアの大学は忖度も何もできない状態にしているのはさすがだと思う。だから落ちる人もいる(怖い…)。
仕事のあれこれ
内容については詳しく書かないが、とにかく6月は繁忙期で忙しかった(7月前半までこれは続く)。そんな中、久しぶりにグローバル会議でショートプレゼンを実施。日本、シンガポール、アメリカ、ヨーロッパの4拠点をオンラインでつなぐので、日本とシンガポールは夜、アメリカは早朝、ヨーロッパは午後になる。そこしか地球上で緯度がバラバラの3地域の人が起きている時間が重ならない。久しぶりに英語で他地域の人たちと仕事のディスカッションをして、しびれた…。
英語でのプレゼンやディスカッションは、留学前よりも良くなっている気がする。日本は本社機能で各地域に仕事をお願いする立場であることが多く、各地域からは反発を受けやすい。それを説得する構図は久しぶりだった。博士課程はソロプロジェクトだから、あまり誰とも利害関係にない。仕事はもろ利害関係のぶつかり合いと協働なので、相手の意見も聞きながら譲れないところは説得し、共通の目標に向けて人を動かしていくことが求められる。これをグローバルのメンバーに対してやるとき、英語力はもとより、文化的背景や仕事で置かれた状況などをリスペクトしながら進めることが重要。
30分ほどのディスカッションだったがどっと疲れた。その後、個別ミーティングしたり、メールで各地域の各担当者数名とやり取り。一気に仕事が英語化した。そして思った。これくらいならできるな、私。ネイティブばかりの環境ではなく、グローバル各地域の人たちがミックスしている環境なら、私の英語力でも戦えると客観的に思えた。仕事を達成することが目的なので、英語文法が多少間違っていても理解しあえていればあまり問題にならない。そして発音は通じていればアクセントの有無は問題なし(むしろヨーロッパの人たちの母国語訛りの強い英語を聞き取るリスニング力の方が大事)。あとは利害関係があると言っても所詮社内なので。私の英語力が問題になるのは、私以外周りが全員100%ネイティブで、私もネイティブと同じ英語力を求められるとき。そして英語を前提として顧客にサービスを売るとき。相手が「あれ?この人あまり英語できないけど大丈夫かな?」という反応をしたとき、一気に自信がなくなる。ビジネスレベルの英語とネイティブレベルの英語の差は大きい。
もう一つの仕事での出来事は、メンタリング。前々回の記事でも書いたが、私が所属する会社に限らず、日本企業は異様に女性管理職比率が低くて、客観的に見ると差別以外の何物でもない数字をさらしている。今、社内でグローバル各地域の階層別での男女賃金格差や女性マネジメント率などのデータ集計を行っているが、同じ企業内なのに、日本以外の地域と比べて、日本だけ突出して差がありすぎる。数字だけ見ると明らかに異様な国。日本の国内のことしか知らない人、そこしか見えていない人には感覚的に理解できないと思うが。そんな背景もあり、政府からのプレッシャーもあり、女性管理職を増やしたい(増やさなきゃ?)と会社は考えている。
女性に対して評価上で加点をつけることは出来ない代わりに、育成を手厚くするという施策を採っており、そのうちの一つがメンタリング。女性管理職候補の30代の社員からの依頼で、先週オンラインで面談した(私は会社に数パーセントしかいない絶滅危惧種的な女性管理職の一人なので)。この面談がとても興味深かった。その候補者の社員から、私が仕事について考えていることや仕事を通じて成し遂げたいことなどのヒアリングを受けた。
もちろん、何もかも全部話すことは出来ないから、仕事の背景にあるモチベーションや仕事を通じて成し遂げたいことをやんわりと、でも正直に話した。その彼女から言われたこと。
「〇〇さん(私のこと)、そのうち別の仕事に就きそうですね。大学の先生とか良さそう(笑)」
「××さん(私が会社でお世話になっている人)も、私が本当にやりたいことをやっている姿を見た方が嬉しいと思いますよ。」
あれ、逆に私がメンタリングされてる?(笑)
感覚が鋭い人なんだろうと思う。私の気持ち、見透かされてしまったかな?大学の先生っていう選択肢は目の前にはなかったけど、いずれそこを目指している自分もいそうで不思議。面白かったので夫にこの話をしたら「占い師?笑」と言われた。
ついでに馴染みのCamblyの先生にもこの話をシェアしたら「それはシグナルだ、彼女との会話は起こるべくして起きた(it was meant to happen)」とのこと。「自分の国を超えて、様々な文化や人にexposureしている人は、自分の本当にやりたいことを見つけやすい。今の会社や日本という枠に自分をはめる必要はないのでは?Just do what you want.」とCamblyの先生にまでメンタリングされてしまった。
私はどこに向かっているのだろうか?自分でもよく分からない今日この頃。とにかく博論が終われば自分の中での気持ちが切り替わって、次の世界が見えてくる気がしている。