40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

オーストラリアで働くために必要な英語力?

先週、オンラインでTOEICを受けた。スコアは以下。

2023年5月時点 TOEIC(L&R)のスコア

このスコアがあれば、日本では「英語ができる人」として見てもらえる。でも自分としては、TOEICくらいのテストで満点取れないような英語力じゃあ、ぜんぜん海外(英語が母国語の国)では戦えないと思ってしまう。

 

もちろん仕事の内容による。何やら、最近はオーストラリアの時給の良さがハイライトされて、日本から出稼ぎに行く若者も多いらしい。私は20年前にもオーストラリアに留学したり、バックパッカー旅をする中で、当時ワーホリの人たちにたくさん会った。正直、当時の自分の英語力よりも低いレベルでもワーホリの人は現地で仕事をしていた。多いのは農業とレストランでのサービス(日本食屋が一番多い)。だから、海外で働くために、TOEIC満点じゃないといけないなんてことはない。

 

また、例えば日本語ができることを強みとして発揮できる仕事であれば、英語力のへこみをカバーできたりもする。周りのオーストラリア人や他の国からの移民と比べたら日本語は上手いわけだから。日本語教師だったり、日本に関連するビジネスなど。

 

20年前に修士アデレードに留学した時、同じことを考えていた。オーストラリアに残りたい(ちなみに当時は卒業ビザの制度はなかったので、いきなりビジネスビザを発行してもらう企業を探すか、ワーホリビザを取る必要があった)、でも自分の専門以外の仕事をしてまで残りたいわけではない、専門の仕事(環境分野)は求人が極端に少なく、職務経験がなくて英語も不自由な自分がオーストラリア人を押しのけて仕事を得られるはずがない、と思い、帰国した。

 

それから20年が経ち、再びオーストラリアの大学院に留学する機会に恵まれ、英語力はほんの少しだけ向上した。当時との違いは15年以上の専門領域でのキャリアを積んだこと、その分野はこの20年の間に「流行り」になって、今では人材市場は需要>共有というバランスになっていること(世界的に)。その証拠に、英語に不自由している私でも、メルボルンの企業から声をかけてもらった。

 

そのお誘いを断って日本に帰国した理由は過去のブログにも書いている。でも今特に強く思うのは、以下の2点だったんじゃないかな。

  1. 休職制度を使った手前、復職しないのはモラル違反(厳格に契約に縛られているわけではないし、周りにそういう人がいても特に自分として責める気持ちにはならず、あくまで自分の中の価値観として)
  2. オーストラリアで100%英語環境で働く自信が無い

 

1については、一旦復職してお務めを果たしたらクリアできる。2については…どこまでの英語力があれば私は自分の専門領域で力を発揮できるのだろうか。ちなみに声をかけてくれた企業の業種はコンサルティング。数ある仕事の中で、言語の重要性が高い方になると思う。クライアントに営業、プレゼン、レポート作成など。母国語でも普通の人よりも高めの言語能力が求められる領域。そんなところにカタコト英語の人が来て役に立つのか、というのが自分の中での大きな疑問だったし、今もそれは変わらない。また、今のようにコンサルティングを受ける側(クライアント側)であったとしても、企業の情報開示の責任を負ったり(広報に近い仕事)、社内の様々な部署や社外ステークホルダーNGOや政府など)に働きかけたり、ネゴシエーションしたりするような領域の仕事でもある。それをオーストラリア現地企業で自分ができるのか、というともちろん自信がない。

 

そんなことをメルボルンに住んでいた時に子供を通じて知り合った日本人(子供の友達のお母さん)に相談してみた。その人は20年ほど前からオーストラリアに住んでいて、旦那さんはオーストラリア人、英語は私から見ればほぼネイティブ。仕事はオーストラリアに住んでいる人ならだれでも知っているスーパーマーケットチェーンの本社人事。要は現地企業で日本語を全く使わない仕事、かつ高い語学力が求められる仕事についている。

 

その人に「英語力が低くて、現地企業に声をかけてもらったけど自信がない」という話をしたとき、「英語なんていつまで経ってもそうだよ、私も今でも苦労している」という話を聞いてびっくり。ほぼネイティブレベルに思える人でもまだ苦労しているなら、私なんて全然だめだ、と思った。でも話してみると違う。彼女の経験では、オーストラリア人と比べて英語がいまいちなのに、なぜか色々なプロジェクトに声をかけられる、とのこと。日本的なきっちりした仕事の仕方、段取りや調整など、オーストラリア人が苦手とする分野をうまくできるから、「(英語はいまいちだけど?)あいつを呼んでおけばうまくいく」と思われているんじゃないかな(笑)とのことだった。

 

そうやって組織の中で役に立つ人材であるために、周りのオーストラリア人(+世界各国から来ている移民)よりも際立った専門性やスキルを持ちながら、どこまで英語のハンデが許容されるのか。これはもう現地に飛び込んでみないと分からないのだと思う。そしてこの先英語力を頑張って向上させても、絶対ネイティブにはなれないのだから、ネイティブと比較していたらいつまで経っても自信は持てない。留学中、周りのノンネイティブの留学生を見て、私もこれくらいできれば自信が持てそうだな、というサンプルはあった。留学生と比べてもいつも私が一番英語ができない人だったから。

 

今は復職先の仕事を一生懸命やりながら、週末には博士論文を書いている生活。博士論文が終わったら次のステップを考えたいと思っているけど、後悔しない人生を送るために、できるか分からないけどメルボルンで仕事を探してみるのもありかな、という気がしている。面接を通じて自分の拙い英語力はバレるわけで、それでも私の経験やスキルを買ってくれて、人材として使いたいと思ってくれる組織があるかどうか。なければないで仕方がないし、採ってくれるところがあればそこで一生懸命頑張るという、シンプルな構造なのかもしれない。今は英語で博士論文を書きながら、リスニングは毎朝オーストラリアのabcニュースをライブで観て、スピーキングはCamblyを続けている。これらは英語力向上というよりも、英語力を落とさないために最低限必要なこと。

 

私のこの葛藤と苦労を考えると、子供たちの将来に向けて英語力を盤石なものにするために、再び海外生活するのは良いことのようにも思えてきた。それも再渡豪の目的の一つとして加えてみても良いのかもしれない(いわゆる教育移住的な側面)。