40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

メルボルン生活、ラスト1週間

3年2か月にわたるメルボルン生活、今週はいよいよ最後の1週間だった。毎日予定を組んで、それを実行に移す。最大のイベントは賃貸の家を退去して、サービスアパートメントに移るということ。これがうまく行けば、およそ引っ越しはうまく行くはず。

 

結果として、無事に帰国6日前にサービスアパートメントに引っ越しすることができ、帰国3日前に賃貸の家の鍵を不動産会社に返却。退去に関する手続きは別途記事にまとめたい。この記事はリアルタイムで起こっていることの備忘録。あとで読み直して自分で懐かしがるのが目的。

 

月曜日

午前中に大学に登校。大学にちゃんと行くのはこれが最後かな、と。1時間程度、4月末締め切りの投稿論文に取り組み、その後、日本の会社の復職先の直属上司とオンラインでの顔合わせ。年下が上司になるのは初めて。改めて自分は3年間会社から離れることで、自分だけ昇進がストップしているんだなあ、と実感。文系の博士号は(まだとれていないけど)日本の会社では何の評価にもならない。同い年で同じ時に課長になった仲間は、この3年のうちにほぼ部長に昇格している。

 

そんなことより、4月3日(月)の朝9時に本社の受付にお迎えに行きます、と言われ、改めて、うわ、帰国後1週間も経たないうちに、いきなり満員電車の洗礼を受けることになるのか…、と怖気づく自分(会社は東京駅付近)。4月3日は入社式もあるから、本部長や役員との顔合わせは午後になると。入社式か。4月の最初の日って電車がめちゃくちゃ混むんだよなあ…。怖くなって夫に「満員電車辛いから、東京駅のホテルに前泊しようかな」と言ってみたら、「それはやりすぎでしょ」と言われてしまった。現実に迫ってきて気が付いたが、そもそも会社に来ていく服も履いていく靴もカバンもない。日本に着いたら一からそろえないと。3年間、ずっとジーパンにスニーカー、リュックで、大学には自転車で通うというザ・学生生活していたから、ギャップが大きい。

キャンパスで食べる最後のランチは友人の誘いを断りあえて一人で

午後に帰宅して片付けの続き。次男は最後のスイミングスクール。ちょうど1年通ったことになる。

 

火曜日

サービスアパートメントに移る前日なので、朝から荷物の仕分け。とはいえ家族での生活をしながらなので、朝はいつも通り弁当作り。夫が子供2人を学校に送り出し、コインランドリーで洗濯をしてから取り掛かる。前の記事でも書いたけど、家族4人の中で一番荷物が少ないのは私。自分のものはすぐに終わる。問題は子供のもの。まだ大量に家に残っていた。昼は地元の中華街(と私が勝手に呼んでいるだけ)で鴨ラーメン。店に入ると当たり前のように中国語で話しかけられる。そんな生活もあと少し。

 

子供たちが学校の後、最後のサッカースクールに。習いごともギリギリまでやって、なるべく日常をキープしている。

 

この日は夕食後にダイニングテーブルとチェアの引き取りを予定していたので、気持ち早めの夕食。夕食後、テーブルとチェアをきれいにして引き渡し。食事をする場所すらなくなり、フローリングの上にクッションを置き、キャンプ用の小さな机をちゃぶ台のようにセットした。

 

水曜日

サービスアパートメントへの移動の日。そんな中でも朝5時から7時まで投稿論文に取り組む。引っ越しのさなかに論文を書くことは精神安定剤のようなもの。余裕がある証拠だし、その時間は帰国の寂しさを忘れられる。

 

この日はやることがたくさん。子供を学校に送り届けた後はマットレスの廃棄。自治体のごみ処理場まで車で10分程度。メルボルンは年に1回、粗大ごみの無料廃棄ができるが、当然私たちの都合に合わせてやってくれるわけではないので、お金を払って廃棄。これも片付けの記事で詳しく書くつもりだが、私たちはIKEAのスプリングが入っていないフォームマットレスを使っていたので、受付の係の方が気を利かせて一般ごみとして扱ってくれ、廃棄のための値段は予定の半額程度で済んだ。ありがたい。他にも使わないPC、電球、コード、枕などをゴミ処理施設までもっていって廃棄(リサイクル)。昔、日本で廃棄物関連のコンサルをやっていた時があるので、ゴミ処理施設や分別リサイクルについて見られるのは興味深かった。

自治体のごみ処理場のリサイクルコーナー

この日は電子レンジ(最後まで使う家電)とケトル、食器類の引き取りを予定していたので、使える食器と調理器具をすべてキッチンの台の上に並べた。同時に食料もサービスアパートメントに移動後にも使うもの、人にあげるもの(家から徒歩2分のところにコミュニティパントリーがあって食料を寄付できる)、捨てるものに仕分け。お昼ごろ、食器の引き取りに来てくれた。日本人の方(たまたま長男の土曜校の同級生のお母さんだった)だが、何もない別宅に物をそろえているところとのことで、一式すべて持って行ってくれてすっきり。ラッキー。

 

片付けしつつ、この日は一瞬大学に。中国人のPhD友人のお姉さんと姪っ子が中国から突然遊びに来ることになり、ゲスト用の寝具を買うと言っていたので、ちょうど良かったから、数回しか使っていないうちのゲスト用寝具をあげた。彼女は車を持っていないから、キャンパスまで夫に運転してもらって運んだ。そこでスリランカの友人とも再会。少し話ができた。投稿論文はドラフトが仕上がっていたので、プリントアウト。引っ越しの合間に目を通そうと思って。

 

子供たちのお迎えの前にサービスアパートメントにチェックイン。大学のキャンパスの裏にある。そのせいか、学生っぽい人も多い。1ベッドルームか2ベッドルームしかないので、我が家にとって住むには狭いが、数日間滞在するなら問題なし。雰囲気が東京都心で住んでいた集合住宅に似ている。きれいだけど狭い。

何の変哲もないアパート

大量の荷物を運びこみ、私はサービスアパートメントで生活できるように整えたり、洗濯をしたり。その間に夫は子供たちのお迎え。子供たちのものがたくさん古い家の方に残っているので最後の仕分けをさせた。この日は近くのショッピングモールで、これまた一番通ったんじゃないかという中華料理で夕食。鼎泰豊より好き。両親も連れて行ったし、アデレードから来た友人家族も連れて行った店。

 

木曜日

翌日の鍵返却のために古い家の撤収と掃除。この家に残っているものは寄付するものと捨てるものがあるが、その仕分けと搬出が必要。朝は空が真っ暗で嵐のような雨。10時ごろには止んで、近くに住む友人(長男の友達のお母さん)が手伝いに来てくれた。普段看護師として働いているからなのか、めちゃくちゃてきぱきと動いてくれる。寄付するものの中から、いくつかを引き取ってもらおうと思っていたのに、一式全部家に運ぶ、と言ってくれた。お言葉に甘えて。

 

自宅との間を車で2往復して、使えるもの(Op shopに寄付できるもの)を全て持って行ってくれた。それだけで自分たちが運ぶ荷物(ゴミ含む)が半分になるのでありがたい。私のものは完璧に片付いているが、夫と子供のものがまだ片付いていない。仕事しながらだから時間が無いとはいえ、ペースが遅いのにやきもき。子供のものを全部終えたらもうやることが無くてキッチンの掃除を始めた。掃除は外注しているので本当はやらなくても良いんだけど。

 

段ボールやゴミなどが一部残っているのはガレージに移動。家の中は何もない状態にすることができた。目標達成!子供たちを学校に迎えに行き、2年間暮らした家とさよなら。家の前と裏庭のアプリコットの木の前で家族写真を撮る余裕があった。前回の日本からオーストラリアへの引っ越しではかなわなかったこと。今回は随分ちゃんとできている。

家具が全部なくなった家で名残惜しがる次男

サービスアパートメントに戻って夕食づくり。残っている食材でカレー。毎日外食というわけにもいかないから、使い慣れない狭いキッチンで料理。なるべく残っている食材を消費しないといけない。

 

金曜日

この日は子供たちが学校に行く最後の日。寂しいなあ。前日の夜、オーストラリアに残りたいと子供たちは言う。小学校も中学校もとても楽しくて、辞めたくないんだって。学校が楽しいとは何より。次男に至っては、日曜日に友達をみんな学校に呼んで遊べないのか、真剣に聞いてきた。切ない。

 

朝10時から退去前のクリーニング業者が来る。夫はまだ自転車の解体という作業が残っているため、クリーニング業者の対応は夫に任せた。実は私は引っ越し関連でやるべきことが特にないことが判明。なんと、月曜日に最後だと思っていたのに、もう一度大学に行くことができた。投稿論文の仕上げができる!サービスアパートメントは大学の裏にあるから、自転車だと5分も経たないで着く。大学に来るとホッとする。ユーカリの木に囲まれた森の中にあるようなキャンパスが気に入っている。

 

オフィスには誰もいなかった。全て片付けて何もないはずの自分の机に捨てたはずのカップと本が置かれていてびっくり。一瞬混乱したが、ドイツ人のPhD友人のものだと判明。大学院アソシエーションのノベルティカップは同じものを使っているから。私の机を狙っていたのは知っていたけど、移動するの早くないか(笑)。まだ私、メルボルンにいるし、この机を使う権利も失っていないけど…。まあいっか。彼女は金曜日は学校に来ないので、鉢合わせることもなく、誰にも会わずに2時間超、論文に取り組めた。

他の人のものが置かれてしまい、もう自分の机じゃないみたいに思えて一瞬寂しかった

今回のジャーナルは、5,000~7,000 wordsとこれまで提出した2誌と比較し短めのワード規程。これくらいの長さが書きやすい気もする。全体を読んで、無駄な箇所を削除。Grammerlyで文法を直して、指導教官2名に送ることができた。共著者として内容の確認をお願いします、と少しプレッシャーかけてみた。納期は2週間後に設定。とはいえ、正指導教官は金曜日は休みだし、副指導教官は普段メールに返信しないから、何も起こらない。でも我ながら引っ越し直前の10日間をつかって投稿論文が書けたのはすごいと思う。トータルで使った時間は20時間くらいじゃないかな。博士論文をベースにしているとはいえ、フルタイムなら3日で書き上げたことになる。やればできる!やって良かった。

 

学位もないノンネイティブが書いた突貫工事の論文なんて、採用されない可能性の方が高いかもしれないけど、それならそれで、また直して別のジャーナルに投稿すればいいから。ベースがあることは次の作業を楽にする。自分の中ですっきりした気分。あとは指導教官がフィードバックをちゃんとくれることを祈る。そして、帰国後のバタバタ、子育て中のフルタイム会社員としての生活で、どこまで論文の修正~提出の時間を見つけられるかは自分にとっての新たな挑戦。もう他人を巻き込んでしまったから、後には引けない。