40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

メルボルンの変な天気、初めての授業参観、コロナ規制

メルボルンの天気は相変わらずおかしい。先日は雹が大量に降って、指導教官の家の庭が真っ白になったらしい。でも10kmくらい離れている私の家では少し雨が降っただけ。昨日もその例にもれず、深夜~早朝は暴風により停電(家のタイマーが全部切れていたり、電子レンジの時計が1時間弱くるっていて気が付いた)。朝は晴れていたけど強風、午後になったら嵐。台風かと思うくらいの風が吹いて、夕方バスで家に帰ったら、自分がいるところは雨が降っていないのに、数百メートル先にざあざあ雨が降っているのが見えた。それなのに反対側の低い空には青空が見えている。こんな日は虹が見えそうだな、と空を見上げたら、見事な虹。40年以上生きてきた中で見た一番きれいでくっきりとした虹だった。

 

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虹の7色がくっきりと見えた

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ダブルレインボーの端から端まで(夫の新しめのiPhoneだと広角写真が撮れる)

バス停から家に戻る数分の間に消えてしまってはいけないから、夫に電話して、すぐに虹を見るようにと伝えた。数分後、家に戻ってもまだ虹はきれいに見えていて、夫も40年以上生きてきた中で一番きれいな虹と言っていた。子供たちは、私の両親から届いた荷物に入っていた漫画雑誌に夢中。虹を見せたけど、「きれいだね」くらいで終了。こんなにきれいな虹は次いつ見られるかわからないのに!と思ったけど、メルボルンにいたら普通に見られるのかもしれない。

 

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母が送ってくれる荷物の隙間にはいつもフリカケと海苔が入っているが、ココイチのフリカケなんて初めて見た。あと「うめこ」は「ゆかり」の仲間らしいが、これも知らなかった

去年はこの時期はずっとロックダウンだったのでほとんど外に出ていなかった。だからメルボルンの冬がどんなものなのかをよく知らない。土曜日の補習校で1日中係をしていた時に、こちらに長く住んでいる日本人の保護者と雑談していたら、皆メルボルンの冬の天気についての悪口を言う。寒さは東京と同じくらい、もしくは東京よりも暖かいけど、雨が多いことと、なんだかんだ1年の半分以上が冬の季節なのが嫌みたい。「じゃあ、何でブリスベンやパースに行かないでメルボルンにいるんですか?メルボルンの良いところは何ですか?」と聞いてみたら「することがあること」という答え。都会なのでそれなりにやることはあるというのが良いらしい。

 

日本人の永住者と話すと大抵メルボルン歴20年。でも意外とメルボルン以外のオーストラリアの街に住んだことがない人が多く、旅行もそれほど行っていない。ということは皆結局はメルボルンが好きなんじゃないか、と思ったりする。新参者の私が、ブリスベンアデレードに1年住んだことがあったり、タスマニア、ウルル、パース、カンガルー島、ナラコートなどに行ったことがあるというと、驚かれる。住んでいる人は意外と旅行しないのかもしれない。

 

昨日は子供の学校の授業参観だった。これも昨年はロックダウンでできなかった行事。初めて子供の学校の普段の様子を見に行けるということで楽しみにしていた。授業参観は1限目と2限目に自由に行ってよいという形。子供をドロップオフしたついでに1限目を見ていたら、長男も次男も日本語の授業だった。

 

長男はアート(図工)が日本語。日本人の先生が図工を教えていた。子供たちは皆好きな席に座ってわいわいしながら作品を作っていた。先生が日本語を話しなさい!と言っても、ついつい英語になってしまう子供が多いようだった。驚いたのは、好きな子同士で座る形だったのに、長男の周りには私が知らない男の子が4人座っていて、見るからにオージーな英語環境だったこと。長男のクラスには両親の片方が日本人で、昨年から仲良くしている子が3人もいるのに、その子たちと別の席に座っていた長男。だんだん英語に慣れてきて、友達の輪が広がってきたのかな、と思って嬉しかった。

 

1年生の次男のクラスは、日本語の読み書きの時間だった。1年生だと見学する保護者も多い。クラスの中で一番日本語ができる次男は、手を上げて先生の間違いを指摘するなど、張り切っていた。クラスの半分以上は日本語のバックグラウンドがない普通のローカルの子供たちだけど、日本語の読み書きは結構できるようでびっくり。でもローカルの子たちの日本語の出来は差が激しいように思えた。自分が知らない言語を子供が習っている姿を興味深そうに見ている親もいた。公立なのにバイリンガルスクールというところにメリットを感じて通わせている親もいる(というかそういう人が来ている印象)。

 

アデレード日本語教師をしている友人曰く、アデレードではこれまで日本語を第2言語として教えている学校が多かったが、それが最近はどんどん中国語に置き換わっているとのこと。友人はそのうち仕事を失うかもしれないという話だった(特に私立はそのあたりの動きに敏感なので、私立学校の先生をしている友人は本気で心配している)。メルボルンにいるとそこまで日本語のニーズが下がっていることは肌身では感じないが(子供たちが通っているバイリンガルスクール以外にも周りには日本語を第2言語で教えている小学校がいくつかある)、大きな波としてはオーストラリア人が日本語を習うニーズは、世界における日本の存在感の縮小に伴って減ってくるだろうと思われる。夫と、この子達が一生懸命勉強した日本語が将来無駄にならないと良いね…と話していた。言語を学習する目的は将来の稼ぎにつなげるためだけではないけど、どうしてもその影響はある。

 

色々あった昨日。大学についたら隔週の食料配布デーに参戦。PhD仲間4人とお互いが要るもの、要らないものを交換し合うという知恵をつけた。私はロンググレインの米やレンズマメは使わないので、ネパールやバングラディシュ出身の友人にあげた。お返しに息子たちの好物である紙パック飲料(私は飲む気がしないのでどんな味か知らない)をもらった。イベントは交流の機会にもなっている。

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どれも使うものなのでありがたい食料と日用品配布。ブロッコリーが高いのでもらえてうれしい

 そして昨日のニュースはもう一つ。メルボルンでコロナの市中感染が一昨日5名、昨日4名出たとのことで、早速コロナの規制が戻った。とは言っても今のところ、屋内でのマスク着用義務と集まって良い人数の制限のみ。昨日夕方には大学からもメールがきた。卒業式の運営についてやキャンパス内でのマスク着用のルールなどを周知。感染が出ている地域は私がいる場所からCityを挟んで反対側なので、この辺りではまだ危機感が薄いように思うけど、昨年の経験からコロナが拡がるスピードは早いというのは皆、肌身で感じている。

 

だからなのか、今朝スーパーに行ったらほぼ100%の人がマスクを着用しており、大学でもちゃんとみんなマスクをしていた。昨日までマスクのことなんか忘れていたのに、この対応の早さには感心。コロナ関連のルールを守ることについては、オーストラリア人は大抵真面目だと思う(もちろんどこの世界にもちゃんとやらない人は一定数いるが)。昨年、メルボルンは第2波で1日当たりの新規感染者が700名を超えて、終わらないと思われたロックダウンに絶望的な日々を過ごしたけど、それを州が定めたルールを多くの人がきちんと守り最終的にゼロまで抑え込んだという経験が、これらの一人ひとりの行動に活かされているのかなと思った。