今日のメルボルンの天気は快晴。暑くもなく寒くもなくちょうどよい気候。コロナウィルスの影響で、大学の学期の開始が2週間後ろ倒しになり、新学期は今週からのようだ。ただWeek 1である今週は授業はすべてオンラインで行われ、対面の授業はWeek 2の来週かららしい。決まった授業がない博士課程の学生の自分にはあまり影響がないが、昼にランチを食べにキャンパス内を歩いてみると、明らかに人が増えている。これまでの静かな落ち着いた感じも良かったけど、若い人がたくさんいて賑やかなのも大学らしくて良い。
昨日の午前中、2週間ごとに実施しているSupervisorとの定期ミーティングがあった。前回の様子はこちら。
昨日はState public holidayだったせいか、副指導教官(小学生の子供がいる)は欠席。指導教官と1対1だった。前回からの2週間の進捗としては、リーディングを進めながら、研究プロジェクトの全体像の絵を描き、またWritingに着手した。このため今回のミーティングの目的としては、①全体像についてのフィードバックを得ること ②Writingの構成を見てもらうこと の2つにした。
結果から言うと、①に対してSupervisorからかなり踏み込んだアドバイスがあったため、②は無効となった。①について私が考えていた案よりも、先生のアドバイスはかなりスコープを絞り込むものだった。この2週間、自分で文献を読み進めるうちに、どんどんと内容が遡り、調べる範囲が広がっていた。ただ、その中から本質的なポイントを拾い上げていけば、良いイントロになるとも考えていた。具体的には、私の研究対象は企業活動だが、企業活動を論じるとなると、企業とは?ビジネスとは?資本主義経済とは?利益の蓄積とは?といった風に次々と疑問が湧いてきて、アダムスミスの国富論やマックスウェーバーのプロテスタンティズムに関する論考を調べるに至っていた。
こういう内容は人文社会学系の人にとっては学部生のうちに身につける教養として当たり前の知識なのかもしれないが、農学部出身の私は知らない内容だった。新しい知識を得ることで刺激を受ける一方、専門ではない宗教や哲学、経済学の話に足を突っ込み始め、さらにそれを英語で読み進めることに対して苦しい気持ちになっていた部分もある。
指導教官から、Literature reviewの範囲を絞ること(資本主義の原点や企業そのものについては今のところ掘り下げなくてもよい)と、構成のフローに関する具体的なアドバイスをもらった。ただ、そのアドバイスにより迷ってしまった。アドバイスの意味はとてもよくわかるけど、先生の案はよくある教科書的なつまらない構成だと感じたり、もっと面白い視点を入れたい、という気持ちもあり、どうしてよいかわからず、昨日午後はあまり他のことに手が付かなかった。自分が正しいという自信もないが、先生のアドバイスがしっくりくるわけでもない、という中途半端な状態。
一晩明け今日になって、プロである指導教官の推奨する構成で進めてみながら、自分のこだわりポイントを入れ込めればベスト、と考え、まず指導教官に言われたことをもう一度整理し、書き出してみることにした。そうするうちに、少し仕事に似ているな、と思った。時間もリソースも有限な中で、博士論文を執筆するというゴールに対して最適なアプローチは何かを考えると、確かに先生の言うことは正しい気がする。自分の知的好奇心をすべて反映するのが論文ではなく、博士論文という一定の枠の中で一つの成果を上げることが求められている、と考えた。もちろん知的好奇心に沿って新しい知識を得ることは、自分の人生にとってプラスになるし、それによって研究の内容にも深みが出るなどの効果もあるかもしれない。ただ、論文は有限の枠なので、いくら既存研究を調べるといっても遡り始めるときりがないことも確か。このままいくと、私のLiterature Reviewは、物々交換から貨幣経済がどのように始まったか、などとすごく遠いところから始まり、Literature Reviewだけで膨大なボリュームになる可能性もあった。このタイミングでスタート地点についてのアドバイスをもらえたことは助かったのだと思う。(スタート地点は概ね1950年代からの議論になった。)
今一度、自分で書いたResearch proposalに立ち戻って、自分が明らかにしたいことは何かを確認し、なるべくフォーカスを絞って論文を読んでいくことにする。こんな風にやっていると自分が前に進めているのかどうかがわからない。昨日のミーティングの終わりに、先生に「私は進んでいるのか戻っているのかが自分でわからなくなります」と言ってみたところ、「そういうものよ。大丈夫」という返事があった。そういうものなんだろうか…早く具体的な調査に入りたいな、と思ってしまった。