40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

2019年の振り返り

自分と夫の両実家をはしごした1週間にわたる年末年始の帰省から、昨日の午後自宅に帰ってきた。自宅は狭いけどやはり自分の家なので落ち着く。疲れていたので夕食はイタリアンのデリバリーにして、家にあったワインを飲む。疲れているときに無理をするとイライラするし体調も悪くなる。手抜き万歳。なんだかんだ便利な生活を享受している。くじが当たって次回はニョッキが無料になるクーポンをもらってしまったので、引っ越し前にもう一回くらい頼みそうだ。

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自分の記録として、2019年の振り返りと2020年の目標をブログに残しておこうと思う。まず2019年の振り返り。

 

1月

  • 指導教官候補の先生にリサーチプロポーザルの初稿を送付
  • 修士時代(15年前)の指導教官に推薦書を書いてくれないか打診
  • 新しい上司と面談した際に留学の意思を伝えて驚かれる
  • GWのオーストラリア訪問のための航空券を予約
  • 自宅(以前住んでいた郊外の一軒家)の購入希望者が現れ契約にこぎつける

2月

  • 指導教官候補の先生のアドバイスを受け、リサーチプロポーザルの改訂に取り組み再提出、先生からOKをもらう

3月

  • IELTSを受験(2回目)~結果受領後に再採点(Writingのみ)を依頼~スコア変更なし連絡
  • IELTSを受験(3回目)
  • 指導教官の先生と5月にメルボルンで会う約束を取り付ける
  • 自宅(以前住んでいた郊外の一軒家)の売却、引き渡し
  • 軽井沢に一泊旅行

4月

  • IELTSのスコア達成(3回目の受験の結果)
  • 大学にEOI(Expression of Interest)を提出
  • GWを使って渡豪(ブリスベンメルボルン

5月

  • 指導教官候補の先生とメルボルンで面談
  • 大学に正式に入学申請

6月

  • 大学から音沙汰がないため問い合わせた結果、奨学金とともに申し込んだ場合は結果の連絡が10月になるとの連絡
  • 大学事務局に事情を説明、入学審査は8月に前倒してもらうことで了承を得る
  • 山梨に一泊旅行(北杜市の白州エリア)
  • ブログを始める

7月

  • 大学事務局から前職の会社の勤務証明を出すように言われたため、前職の会社に依頼して発行してもらう
  • 修士時代からの友人家族がオーストラリアから東京に遊びに来る

8月

  • 大学から博士課程の入学許可受領
  • 同日、会社からアメリカ赴任の打診
  • 実家に帰省、留学 or 赴任の選択肢で揺れながらも留学に決定
  • 2020年1月のメルボルン行き片道航空券を予約
  • 2020年1月に渡豪後の仮住まいを予約(大学のビジター用のアパート)

9月

10月

  • 奨学金の結果受領(3年3か月分の授業料と生活費の支給)
  • コースの開始日を1月20日から2月1日に変更、大学に正式な入学書類を提出
  • OSHC手続き
  • 山梨に一泊旅行(石和温泉小淵沢
  • アメリカ出張

11月

  • 子どもの小学校決定
  • 学生ビザ(自分+帯同家族)の申請
  • 小田原に一泊旅行

12月

  • 学生ビザ(自分+帯同家族)の受給
  • 国内荷物保管用の倉庫契約
  • 実家に帰省

 

こうして振り返ってみると、1年が長いような短いような不思議な感じがする。1年前の自分はリサーチプロポーザルの初稿を何とか書き上げなければ、という気持ちで日々自分を奮い立たせていた。当時はIELTSのスコアもクリアできていなかったし、推薦状の目途もたっておらず、研究課程に留学できるかどうかは五分五分だと思っていた。ただ挑戦し失敗したとしても、失うものは自分の何十時間と10万円程度なので、気が済むまでやってみよう、という気持ちはあった。むしろ、この目標があったおかげで日々自分を保てていたのかもしれない。

 

結果として、博士課程に入学できることになっただけでなく、奨学金という大きなおまけもついてきて、本当に挑戦して良かったと思う。私のこの選択肢を支持してくれた家族に感謝。会社の人たちも理解を示してくれてありがたい。一方、「博士課程」を身近に知っている人からは、「海外の大学院で博士を取るのは難しい」「3年という短期間で修了するのはほぼ無理」など厳しいことを言われた。それはそれで本当なのだろうが、一方でアカデミアでの経験がほぼゼロ、非オーストラリア人、子持ちの40代の自分を博士課程に入れてくれる上に、1千万円超に相当する奨学金までくれるオーストラリアの大学に対して、弱気で取り組んだら失礼な話。大学だって可能性が全くない人にはチャンスを与えないだろうから、この大学の判断を自分の中で最大限の自信にして、自分ができる限り精一杯取り組もうと思う。意気込みはこれくらいにしておいて、もう少しブレークダウンした目標は次の記事に。

 

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東京への帰路は雲が多かったがかろうじて山頂が少しだけ見えた(初富士!)