40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

子どもと私の自由研究

今日で夏休みが終わる。小学校3年生の長男の宿題の丸付けをすること、毎日弁当を作ることが私の夏休みの宿題だったが、それからやっと解放される。小3の長男を見ていて、昔よりも宿題が多いような気がする。いろいろと大人の事情があるのかとは思うが、小3全員に俳句を2句書かせるなんて言うのは、唐突すぎて笑ってしまう。

 

さて、今週のお題「わたしの自由研究」について、少し書いてみる。

 

私自身が小学校の時、「自由研究」は最も嫌な宿題だった。普段、詰込み式で〇×方式の勉強を教えているくせに、急に自由に研究しろ、と言われて子供ながらに戸惑った。また「自由」といっても大人の中にきっと「正解」があるんだろう、ということを薄々感じていたため、それを考えながら、子供らしく大人の正解ゾーンに収まる何かを創作する、というタスクを重荷に感じていた。そんなややこしいことするくらいなら、最初から何をやればよいか、指示してくれればよいのに、と思っていたところもある。ひねくれものの子供だったのだろう。

 

そんな私も20歳になったころから教育の呪縛がだんだんと解けて、自分が何に興味を持つのかを自分で知り、そのことを掘り下げていく楽しさを知るようになった。このようにして、40代になった私は、来年1月から3年間、「わたしの自由研究」のために、オーストラリアの大学院の博士課程に進むことになった(このブログのテーマ)。小学校の夏休みの宿題にあったような予定調和的な「自由研究」ではなく、自分の中で純粋に湧き上がってくる好奇心に従った「自由研究」に没頭できる時間ができたことをありがたく思う。

 

子どもの話に戻ると、長男の夏休みの「自由研究」には手出しはもちろん口出しもしないことにしている。大人が「こうあってほしい」と思う形でやってほしくないからだ。昔と変わらず、学校からのお便りにある宿題リストの「自由研究」には、やんわりと方向性の提示がされている(1学期に学習した、理科の○○や社会のxxなども参考に…といった感じで)。そんなことは一切無視して、小3の長男は段ボールでビー玉を転がすおもちゃのようなものを作った。大人心に、段ボールに「Amazon」って書いてあるところは、色を塗ったほうが良いんじゃないか、と思い、「色は塗らないの?」と聞いてみたが「塗らない」との答え。本人が良いならそれで良いだろう。私の子供のころと違って、長男は先生にどう思われるかなんていうことは全く気にしていないようなので、子供らしくて良いと思う。このまま自由な発想で興味があることを掘り下げていけるような人になってほしい。