40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

キャリアにおける後悔と将来ビジョン

1月にふさわしくない一見後ろ向きのテーマについて、ここ最近考えていることを記してみる。冬休み中に何組ものオーストラリアからのゲストに会い、オーストラリア熱が上がっている私の今の気持ち。

 

私は2020年~2023年まで日本企業を休職し、メルボルンの大学院の博士課程に在籍していた。在籍中に研究を通じて知り合った現地企業から、卒業後の仕事のオファー(ビザ付)があったが、悩みぬいた結果、オファーを断り帰国して日本企業に復職(11か月後に退職し、現勤務先に転職)。

 

この選択について、帰国してから2年弱、定期的に後悔している(ブログにもちょいちょい書いている)。かといって、現状に大きな不満を持っているわけではない。むしろ、今住んでいるところは結構気に入っているし、仕事も残業はほとんどしないのにまあまあのお給料をいただいているし、Work from homeもできるし。たまにある通勤が辛いくらいで、全体的には恵まれていると言える。そんな中でもやはりオーストラリアに気持ちが向いてしまう瞬間がある。

 

このことについて、自分なりにどう考えているのか。世の中でよく言われる「後悔」についての戯言とともに今時点の考えを整理してみた。

 

「やらない後悔よりやる後悔」は本当か?
そんな単純な話ではない。キャリアにおける選択は、何を「やる」と捉えるのかによって見方が変わる。たとえば私の場合、オーストラリア企業で働くこと(やる)を選ばず後悔していると言えるが、その代わりに自分を育ててくれた日本企業に対する仁義を通すために復職する(やる)を選んだとも言えるから。


表面上は「やる」か「やらない」かで選んでいるように見えることでも、実際には「Aをやるか」か「Bをやるか」のどちらかを選んでいる場合が多い。例えば、転職をしないことは、同じ会社で働き続けることを自ら選んでいると言える。そうなると「やらない後悔よりやる後悔」を選ぼうという言葉にはあまり意味がないような気がする。そりゃ、感情面で見たらそうだろうけどね、といった程度。

 

「選択した道を正解にする」は正解か?
後悔についてよく聞くもう一つの戯言。そもそもなぜ「正解」にする必要があるのだろう?正解と思い込むことで、自分の中から「後悔」という感情を無くしたいからだろうか。それとも自分はいつも正しい道を歩む人だと、自分で思いたい、または他人に示したいからだろうか。

 

後悔を持ちながら生きることも、人生の「味わい」と言えるのでは、と最近気が付いた(年をとったせいかもしれない)。ゴッホは「何も後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう。 Your life would be very empty if you had nothing to regret.」という言葉を遺しているそうだ。実際いつも正しい選択をし続られる人なんていないし、無理やりそう信じ込んでいる人と話をしてもあまり面白くなかったりする(笑)。

 

「Do」だけでなく「Be」も重要
私の仕事の分野ではオーストラリアは遅れており、正直、仕事の内容面での面白さに欠ける。仕事の内容が面白いかどうか、新しいことを学べるかどうかが、これまでの私のキャリア選択における重要な軸だった。帰国し、実際にその通りにことが進む中で、以前とは違う考えが出てきた。


オーストラリアでの仕事が多少つまらなくても、オーストラリアで生活するという全体を捉えたとき、自分がありたい姿はどちらだろう。仕事が少々つまらなくても、それを補って余りある魅力がオーストラリアにあることに25年前から気付いていたのに、私はその選択をしなかった。何をやるかだけではなく、それも含めてどのように生きたいかという視点が重要なのではないか。

 

将来ビジョンを描いてみる

2022年に自分が下した決断は後悔を伴うものであり、これは今後も定期的に自分を苦しめるだろう(しかしこれを人生の味わいとして受け取れるようになったのは進歩)。でもなるべくなら、このような思いはこれ以上したくない。キャリアにおける後悔の発生頻度を下げる方法の一つに、将来ビジョンがあるのではないだろうか。


昨年の春、10年後のVision boardを作った。自分が10年後にありたい姿や状態を写真で選んでコラージュしたものだ。これをプリントアウトして、今自分のデスクの前に置いている。それを見ていて思ったこと。その時の状況や感情だけでなく、10年先の自分の在りたい状態に対してどの選択が良いのかという視点があれば、今後選択に迫られた際にもう少し別の見方ができるかもしれない。

 

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