40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

外資系企業に転職

久しぶりの記事になるが、研究とは関係ないことを。3月から新しい会社で働くことになった。40代半ばでの転職。11月頃応募して、クリスマスにオファーをもらい、会社が冬休みに入ったタイミングで返事。今の職場ではあと2週間働き、2月下旬に2週間ほど休みをもらって(溜まっていた年休の一部を消化)、月末に退社。

 

転職については書くことが色々あって、何を書いたら良いか分からないが、40代半ばでの外資系転職へのTipsとかではなく、まずは転職するに至った自分の心境について書いてみたいと思う。

 

オーストラリアから帰国したのが昨年3月末。4月から休職前の所属企業に復職。自分の専門とは異なる部署で新たなことを学びながら仕事をしていた。良いこともたくさんあったが、一言で表すと、なんとなくフィット感がなかったかなという感じ。それは業務の内容もそうだし、もっと大きなのは働き方や企業文化かもしれない。

 

現所属先は日本人なら誰でも知っているし、オーストラリア人でも大抵誰でも知っているような、グローバルに事業展開している日本の大企業。そんな大組織の中で、10年以上、結構好きなようにやらせてもらってきたし、30代の育児と仕事の両立が一番大変な時にも、それなりに個人的な苦労はあったが、整った制度の中で仕事をさせてもらえたと思っている。

 

しかし、3年間休職し、海外に出て、会社組織に属さず、学生兼研究者のたまごとして過ごした後、復職先の日本の会社に大きな違和感を持つようになった。例えばジェンダーのことで言えば、数か月に一度、役員秘書リストが送られてくる。役員は全員男性、秘書は全員女性。それを見て気持ち悪い組織だなと思った。毎回毎回、その資料を見るたびに「嫌だな」と思い出す。他にも、視点が社外よりも社内(といっても従業員ではなく経営層)に向きすぎている仕事の仕方に対しておかしいと思ってしまったり。周りにいるとても優秀な人たちが、クリエイティブな仕事ではなくて、どうでもいいような仕事に時間を使っているのを見るのもなんか嫌だなと思った。もちろんそういう世界があってもいいけど、自分はそこにいたくはない。人生の残り時間、自分が意味があると思えることに没頭したいし、やりたいと思ったことを形にできる場所にいたいと思った。

 

会社は何も変わっていなくて、変わったのは自分。だから自分が動けばよいだけ。そう思って、秋に博士号を取得した後は、Linkedinでゆるく求人情報を見ていた。実はオーストラリア企業にもLinkedin経由でいくつかApplyした。でも海外に住んでいるビザなし外国人は書類の時点ではねられる。なりふり構わずなんとしてでもオーストラリアに戻りたいわけでもないので、オーストラリア企業が難しそうだな、となった後は、日本の中で面白そうな求人がないかどうかを探すようになった(この間、オランダの国際機関の求人に書類が通ったが、求人自体がなくなってしまったという経験を挟む)。

 

日本の求人を探し始めて、これは面白いかも、とヒットしたのが今回の外資系メーカー。ヨーロッパが本社で、サステナビリティ界隈では超がつくほどの有名企業。決め手になったのは、仕事の内容が、私がメルボルンで博士課程をしていた時の指導教官の研究テーマだったこと。指導教官のメインの研究テーマの一つは、とある国際的な認証を取得した企業を対象としている。この求人はその認証制度を日本で担当するポジション。なんだか運命を感じた。

 

Linkedinの求人のApplyボタンを押したら、数日後にメールで連絡があった。興味があるから履歴書かCVを送ってくれとのこと。求人は英語だったが、このメールは日本語だった。日本の履歴書を作るのが面倒なので、オーストラリア企業に送っていた英語のCVをそのまま送った。そうしたら、オンラインで面談しましょうと言われた。

 

と、ここまで書くと長くなったので、続きは次の記事に書くことにする。

会社が入っているビルのイタリアンレストランでランチしたら、ラテアートが施されたラテが出てきた(メルボルンを思い出す)