日に日に感染者が減っていくメルボルン。感染者が減るにつれて段階的にロックダウンも緩和。つい先週、移動距離が5kmから25kmまで拡大された話を書いたが、今週の月曜日にさらにアナウンスがあり、レストラン・カフェなどの飲食店や小売店が水曜日から再開することに。ハードロックダウンの解除らしい。州政府が決めたプランによれば、4ステップ中の3ステップ目まで来た。最後の4ステップ目まで行くと、Covid Normalという段階になる。ほぼ通常の生活ができるようになるが、マスクやソーシャルディスタンス、消毒や人数制限などは残る。ステップ4になっても、州境や国境が開くかどうかは不明(多分すぐには開かないだろう)。
ニュースでは、水曜日の深夜0時からKmartがオープンして人が殺到したことや深夜0時にオープンしたレストランの話などが賑やかに報道されていた。いろいろな面で適当なオーストラリアなのに、なんでいつも深夜0時を区切りにロックダウンの規則を変えるのかが不思議。普通に朝の10時とかにすれば良いのに。。超有名レストランでは、予約を開放すると数時間で2,000件もの予約が入り、数週間にわたり予約で埋まった、という声も。外食やカフェ文化が根付いているメルボルンなので、どれだけの人がこの日を待ち望んでいたことか。いずれ第3波は来るかもしれないけど、それまで人生を楽しめるだけ楽しむんだろうな。
ハードロックダウン解除の水曜日の朝、毎日使っているガラスのコーヒーポットを割ってしまった。これは困った。あれっ、そういえば今日からお店開くんだった!と思って、昼に車で15分くらいのところにあるショッピングセンターに出かけた。もともとTargetで買ったものなので同じものをTargetで買った。オーストラリアのコーヒー文化はイタリア移民が持ち込んでいるので、もっぱらエスプレッソ系だが、ここ数年?フィルターコーヒーも少しずつ浸透してきたようで、探すとペーパードリップ用の用具が売っている。ペーパーは普通の店で買うとびっくりするほど高いのでダイソーで購入している。
そのショッピングセンターは南半球最大という規模らしく、とにかく大きい。シティからも移動制限の25km以内で来られるせいか、水曜日という平日にもかかわらず非常ににぎわっていた。多くの人が紙袋いっぱい下げて買い物を楽しんでいた。ColesやKmartなど庶民の味方の店だけでなく、グッチやルイヴィトンといったハイブランドの直営店も入っており、そういった店の買い物袋を提げている人たちも結構たくさんいた。コロナ不況とはいえ、お金はあるところにはある。勝手な偏見だけど、オーストラリアのイメージとグッチやルイヴィトンといったヨーロッパのハイブランドのイメージは合わないなあ。そういえば、先日ビーチに遊びに行ったとき、全身バーバリーで決めた上品なご婦人がピクニックバックを持ってきていて、それにも少しびっくりした。
話はずれたけど、庶民の私たち(私と夫)はダイソーに!目当ての食品は全然なかったけど、食品以外は概ね買いたいものを買うことができた。
子供の小学校が再開してから、毎日の弁当作りも再開されたが、最近リクエストが多い。バイリンガルの現地校に通っているが、日本人のお母さんとオージーのお父さんの間に生まれた子(日本語も英語も話せる)が友達に多く、その子たちは日本人のお母さんが作った日本風の弁当を持ってくる。せっかくオーストラリアに合わせて手抜き弁当を作っていたのに、最近子供たちが「●●君のお弁当はおかずが何種類も入っている」「××君のお弁当のリンゴはウサギの形をしている」とか言って、日本風のお弁当を要求してくるので、手間が増えてしまった。これまでは、Ikeaのタッパーを使ったりジプロックにフォークを入れたり、リンゴは丸かじり用に洗ってビニール袋に入れるだけ、と適当にやっていたが、もう少し日本に寄せるためにダイソーでお弁当グッズを手に入れた。でも久しぶりにダイソーで買い物できて満足。
昼時だったので横綱という店でラーメンを食べた。ここは日本風のお店。ショッピングセンターの中でまあまあ人気があるため、少しだけ並んだ。日本のラーメンはそれなりに浸透しているのか、客層は結構色々な人達がバランスよくいる。白人系の人もいるし、日本人以外のアジア人、日本人。ラーメンは日本の標準と比べると平均的な味だけど、抹茶ソフトクリームが安くておいしいお店。
シティに行けば一風堂があるらしいので、行きたいなあ。東京に住んでいた時、家のすぐ近くに一風堂があったので、休日の昼によく行っていた。懐かしい。なんてことない買い物やちょっとした外食で気晴らしになった。ロックダウンは経済だけでなく、人の心を蝕むものだと再確認。
今週末は、土日ともにZoomで日本の学会に参加する予定。16年前に修士を出て日本に戻り、最初に勤めた会社でお世話になった友人が発表する。当時お互い20代半ばだったが、それぞれ紆余曲折しながら、彼女は5年程前に公立大学で講師の職を得て、講師をしながら別の国立大学で博士号を取得し、今はその公立大学で准教授をしている。私が再び大学院に行く流れができたのも、彼女が事務局を務める有志の研究会に誘ってくれたことが影響している。コロナのせいで学会は軒並みオンライン化されているが、日本とオーストラリアは時差がほとんどないので、日本の学会には参加しやすい(逆にアメリカやヨーロッパの学会は時差の関係で難しい)。楽しみだな。