40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

選ばなかった選択肢

今日、留学に決めたことを、上司やその上の上司、元上司(本件のキーパーソン)など関係する人たちに直接伝えた。

 

ありがたいことに、私の選択を尊重する、ということを言ってもらえた。改めて、自分が会社から提示された選択肢を選ばなかったんだ、ということを認識した。自分の頭の中で2つの選択肢を比較していた時には、アメリカへの赴任は金銭面でのメリットが大きいという点に意識が向いていたが、今日はそうではなくて、会社からの(他人からの)期待に応える選択肢がアメリカ赴任なんだ、と思い直した。

 

逆に、オーストラリアへの留学は、誰からも期待されておらず、要求もされていない。完全に私の中からくる希望。自分のやりたいことと、他人からの期待を天秤にかけたときに、私は自分のやりたいことを優先した、ということ。これはわがままだろうか。でも、このようにして他人から期待されるような自分になれたのは、自分がやりたいことを追求してきたからではないか、という気もしている。いつも他人の期待に応えようとしていては、結局他人の期待を超える自分にはなれない。他人が気づいていない自分の価値を高めていくのは自分しかいない。

 

こんな風にして、今日、直接周りの人に留学の決断を伝えて、若干感じた罪悪感を正当化してみる。

 

今回のように目の前に鮮やかにA案とB案が表れてくるときに、私たちはどちらかを「選び」、同時にどちらかを「選ばない」行動をとることに意識を向ける。ただ、見方を変えると、私たちは日々何かを「選び」、それ以外の何かを「選ばない」ことを繰り返している。毎日会社に行くことを「選び」、会社に行かないことを「選ばない」。会社に残ることを「選び」、会社を辞めることを「選ばない」。こう考えると、選択することは特別なことでも怖いことでもなくて、誰もが毎日行っている当たり前のことなのだと思う。それを意識しているかどうかの違いで、心に迷いが出たりする。

 

特にキャリアの面での選択で重要なのは何か。夏休み中に読んだドラッカーの論文に以下の記載があった。

 

これからは、普通の人たちも、自己をマネジメントできなければならない。自己の力を発揮していかなければならない。大きな貢献が可能な適所に自己を置かなければならない。

何かを成し遂げるのは強みゆえである。弱みによって何かをまっとうすることはできない。

今日では選択の自由がある。したがって、自己の適所がどこであるかを知るために、自己の強みを知ることが必要になっている。

成果を生み出すものへ、その強みを集中させなければならない。

   ピーター F. ドラッカー ”Managing Oneself" Harvard Business Review, March-April 1999.

 

この短い論文が自分の選択に大きな影響を与え、さらに選択した結果に対して迷ったときに自信を与えてくれる。他人からのフィードバックも重要だが、自己フィードバックを繰り返すことで自分の強みを把握し、強みをさらに伸ばして集中させることで、最も大きな貢献を果たすことができる、という点に勇気づけられた。

 

選択がもし間違っていたとしても、自分が強みだと思うことに基づいて選択した結果はちゃんと振り返ればその次につながる。他人の期待や要求に沿って選択した場合は、うまくいかなかったときの振り返りとして、「やっぱり自分が信じる方にしておけばよかった」というくらいにしかならない。それならば、自分が信じる方を選んでおいた方が、うまくいったときもいかなかったときも何かしら次につながる学びがある。

 

今回キャリアの岐路に立ったことは、こういったことを考える良いきっかけになった。