40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

夏休み中の子守と休日出勤

大学の正式な夏休みが12月23日から始まった。夏休みは1月4日に終わる。この期間は大学スタッフ(事務系や教授などのアカデミックスタッフも含め全員)の休み。彼らとワークスケジュールを共にするPhD学生も年に一度の公式な連休がもらえる時期。ちなみに子供たちの小学校はその3日前である20日から夏休み。こちらは長くて1月末まで(げっそり)。

 

なので、夏休みといった時に、自分自身の大学の夏休みと子供の学校の夏休みの2つの種類がある。今日は自分自身の大学の夏休み中の出来事についての記事。

 

23日(木)は、子供たちの学童がかろうじて開いていたので、180ドルという大金をはたいて1日預けた。私は朝から大学に。案の定、シーンとしていて誰もいない。店もすべて閉まっていた。でもIDを使えば建物の中に入ることができ、自分のオフィスにはすでに人が来ていた。この日は私入れて4人が稼働。全員外国人(うち3人は留学生、1人は永住権持ちでローカル扱い)。ここだけ日常だね、と話す。作業内容としては、8月の国際学会に申し込むためのペーパーの仕上げ。

 

24日(金)のクリスマスイブはオフ。家の掃除をしたり食材の買い出しをしたり。この日から英語の小説を読み始めた。以前、自分の前の席に座っていたPhD学生が副業でイラストレーターをやっていて、彼のイラストが掲載されている小説をもらったまま放置していた。英語の小説でも読むか、と重い腰を上げて読み始めたら、結構面白くて今のところ継続できている。オーストラリアの作家で、海外でも売れているくらいのベストセラーらしい。

 

25日(土)のクリスマスデーの様子は前の記事に。

 

26日(日)は、オーストラリア全土、Boxing Dayという祝日。セールがあるらしいので、車で10分ほどの場所にあるアウトレットモールに行って、長男のスニーカーを新調。混んでいたので靴だけ買ってすぐに退散。子供たちが暇すぎるということで、長男の友人の母に声をかけて、友人を遊びに連れてきてもらった。

 

27日(月)から、年明けの学童が始まるまでの平日は、夫と1日交代で子守と作業をすることに。27日は私が子守当番。子供たちに宿題を少しさせた後、自由遊び。その間に私は学会提出論文のドラフトを最終仕上げして、指導教官にメール。予定では、28日(火)の10時までに送れば、その日の夕方にNSW州にある父親宅からフィードバックをくれるという約束をしてくれていた。ドラフトはクリスマス前に送れる状態になっていたが、24日~26日には気を使って送るのをやめておいて、27日に送付。

 

ランチは簡単にパスタを作って食べさせる。その後、暇すぎる子供たちを室内のプレイセンターに連れて行った。私は車の運転ができないので、3人で自転車で4キロ走った。小1の長男はプレイセンターについた時点でクタクタ。機嫌が悪くなってしまった。何とか気分を持ち直し、センターが閉まる3時まで遊べた。子供1人当たり入場料は約10ドル。コロナ前に買った回数券の期限が切れていたけど、念のため出してみたらOKだったので良かった。

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子供たちの奇声と大音量の音楽に囲まれながら、固いプラスチックの椅子に座ってコーヒー片手に小説を読むという、優雅とは言えない時間

次男は疲れすぎてまた4キロの道のりを自転車で帰るのは無理とのことで、夫に頼んで車で迎えに来てもらうことに。私と長男はプレイセンターの後に向かい側にあるショッピングモールで暇つぶし。期限切れの日本の食材が1ドルだったので、リュックに入る分だけ買いこんだ。カルピスのペットボトルやスナック菓子、即席みそ汁(赤だし!)、カップラーメンなど。そんなことをしているうちに、指導教官からメール。朝出したドラフトにフィードバックを返してくれた。先生に休日労働させてしまったが、引き換えに?Co-authorにすることになったので、共同責任なのかな?

 

28日(火)は夫が子守当番。私は朝から大学に。23日に行ったときと比べて、さらに大学キャンパス内が死んでいるように見えた。その予想は当たって?エレベーターの電気すらつかない。かろうじて稼働はしている。真っ暗な中、9フロア分上昇。閉所恐怖症の人には無理であろう時間。一応、携帯のライトをつけて足元は見えるようにしておいた。

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真っ暗すぎるエレベーター

エレベーターを出たら、オフィスに向かう通路の防火扉がいつもは開けっ放しの状態なのに閉まっていた。押しても引いても開かないが、横にあるIDをかざす機械に学生証をスキャンしたら扉が開いて一安心。

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第2の関門は防火ドア

休日出勤感満載。独身の頃はよく会社に休日出勤していたなあ、と思い出す。今日は一人なのかな、と思っていたら、次々と同じ部屋の人が来て、この日は3人だった。隣の席の中国人留学生はPhDの仕上げの時期。クリスマスの日も来ていたと言っていた。

 

私はこの日は指導教官からもらったフィードバックをひたすら反映させていく仕事。全体的にはOKだが、ディスカッションパートが弱いということと、リサーチエイムとリサーチクエスチョンをもっと全体的にクリアに書いた方が良いとのこと。この作業を進めていた。ディスカッションパートは書き始めると面白いが、キリがない。この研究を通じて得られた知見ははっきりしているが、それをどこまで深掘り、もしくは横に拡げて、既にある理論と対比させていくかが難しい。書こうと思えば色々な視点いくらでも書ける気がする。もっと絞って議論しないといけないんだろうな、ということと、学術論文になるものなので最も大きな理論的貢献を目立たせた構成にする必要があるんだろうな、思いながら進めていた。有益なフィードバックをもらえるのが本当にありがたい。4時半ごろまで作業して帰宅。

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ランチはサクッと前日1ドルで購入した賞味期限切れのカップラーメン。大学で一人ラーメンをすすっていると、まるで20代の学生の頃に戻った気分

29日(水)の今日は、また私が子守当番。やっと地元の図書館が開いたので、午前中は図書館に連れて行って、午後は先日とは別の長男の友達がうちに遊びに来る予定。学童に預けたら1日当たり160ドル~200ドルかかるので、その分の価値を自分の研究時間を犠牲にして生み出していると思えば、ただ子守に時間がとられると思うよりも少しマシ。図書館にPCを持ち込んで、子供たちが本を読んでいる間に少しでも修正作業を進めたい。

 

社会人として会社で働いていた時は常に120%の力で稼働し、疲弊しきっていたので、年末年始の休暇に入ると、スイッチが切れたように仕事モードオフだった。比べて、私のPhD生活は仕事をしていた時よりもハードではないので、精神的、身体的余裕がある状態で年末年始休暇に入れる。そうすると、自然と継続的に論文に向き合いたい気持ちになって、これはこれで悪くないな、という感じ。作業をぷつんと切ってしまうと、次に脳を再起動するまで時間がかかりそうで、その無駄を避けたいと思ってしまう。まあ、まだまだ余裕がある状態ということ。