40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

忙しいスクホリ、Zoomで講演、最近の指導教官

メルボルンの小学校は絶賛スクールホリデー(略してスクホリ)中。季節的には冬休み。ちなみに大学もSemester 1と2の間の冬休み中。PhD学生にはもちろん冬休みはないけど、親としての側面も持ち合わせている自分は、必然的に子供の学校の休みに引きずられて、通常営業ができない。スクホリ全然嬉しくない。ロックダウン>スクホリ>通常の学校生活 の順で負担が大きい。子供に勉強を教えなくていい分、ロックダウンよりはましだが、学校が休みなので毎日子供へのアクティビティを用意しないといけない。オーストラリアの小学校休み多すぎ。子供たちは楽しそうだが。

 

スクホリ1週目である先週の平日は、長男は学童1日、サッカー教室2日、友人宅にて預かり1日、次男は学童1日、サッカー教室1日、友人宅にて預かり1日、自宅でのんびり1日。残りの1日は旅行(このことは別の記事に)。毎日やることが変わる。スケジュールの調整、お弁当の準備、送り迎えなどなど、普段よりも忙しい。スクホリ2週目である今週は、月曜日に長男の友人を1日預かり(先週お邪魔した友人)、火曜日にサッカー教室、水曜日に学童、そして学童からの別の友人ピックアップして我が家にお泊り、木曜日の今日は一緒にサッカー教室へ、金曜日はまた学童という予定。目まぐるしい。

 

家で1日おとなしく本でも読んでじっとしてくれるような子供ではないので、とにかく外に出さないとストレスがたまる。友達と遊ばないとストレスがたまる。ある意味、小学生男子として健全な姿なんだろうけど。それをさせてあげるために、親が時間もお金もいつもより余分に使うのがスクホリ。改めて学校がありがたい。ちなみに日本にいたときは、夏休みや冬休みなど長男は有無を言わせず毎日学童(しかも料金は無料だった)、次男は保育園。色々と問題は指摘されているが、自分の経験からだけで言うと、日本の方が子供を預ける環境は整っていたように思う。東京では外国人の子がクラスに1~2人いるような地域に住んでいたが、日本人、外国人の区別なく、保育園も学童も預かっていたように見えた。オーストラリアでは、永住権を持っていない外国人は学費やら医療費やら子供預け代がとにかく高額になる。

 

当然、私はスクホリ中は研究の稼働を落とすことになる。でもなんとか自分を追い込んで、分析パートの1つ目のテーマのドラフトを今週火曜日に指導教官の先生に送付。全部で9,000 wordsくらいになったかな。一通り形にしたというくらいで、まだまだ浅い内容であることは自分でも分かっている。それでも文字に書き起こすことでいくつか発見もあった。博士論文に反映するのかどうかは分からないが、働きながら数年間モヤモヤしていた内容について理解できたことがあり、それだけで今ここで時間使ってこのテーマをずっと考えている意味はあったんじゃないかな、と思える瞬間があった。

 

正指導教官の先生は、7月1日からパートタイムで仕事することにした。突然のお知らせでびっくり。理由は聞いていない。週に3.5日働くらしい。だから今までよりもフィードバックのスピードが遅くなるようだ。いつも1万ワードくらいの文章を送っても、大体3~4日後に細かい修正やコメントを入れてくれたファイルを返してくれていた。今週の火曜日にドラフトを送ったら、今週は確認する時間が取れないから、来週のミーティングを1週間後ろ倒しにしましょう、と提案された。謝罪とともに。

 

ものすごくまじめな先生なんだな、と思った。社会人としては当たり前かもしれないけど、1週間のスケジュールがかなり綿密に立てられていて、そこに入れ込めないタスクは次週にまわす。優先度をつけて仕事を進めているんだな、ということがよくわかる。なぜパートタイムにしたのかは聞けていないけど、まじめに色々とやりすぎて疲れたのだろうか?授業が始まるとめちゃくちゃ忙しそうだし。お父さんの体調もよくなかったりするし。直接会っていればなんとなく会話の流れで聞けそうだけど、Zoomやメールだと聞きにくい。先生にはもう1年以上、直接会っていない。最後に会ったのは去年の3月かな。というか、そもそも直接話したのも3~4回しかないという…。コロナのせいで異常な留学生活をしていると改めて思う。

 

まあ、でもこのコロナでオンライン化が進んで、そのおかげもあり、昨日は東京にある私立大学のゼミ向けにZoom越しに講演をした。60分講演で30分が質疑応答という流れ。60分の間に、自分の研究テーマ、働いていた会社での事例、キャリアについての話を盛り込んでほしいというリクエストがあったので、前半40分で研究テーマと働いていた会社での事例、20分でキャリアという組み立てにした。

 

資料は研究テーマについては、今年の3月に行った1年目の審査の資料を和訳して肉付けした感じ。学部生にもわかりやすいように背景情報を追加。英語で作った資料を日本語にすることでまた新たな発見があったりもした。学会発表ではないので、手法などはほとんど飛ばして話した。その流れで、勤めていた会社の具体事例も紹介。自分が担当していた仕事と研究テーマはつながっているので一連の流れで話ができる。キャリアについては、これまで働いたことがある3社について、自分がどのようにして仕事を得たか、どんな仕事をしていたかについて説明した。

 

1時間ぶっ続けで話したので、最後の方は酸欠になったのか、頭がもうろうとした。内容詰め込みすぎたかな、聞いている方も疲れたのではないか、と心配になったが、質疑応答の時に、学生さんが質問をいくつかしてくれたのでホッとした。キャリアについてや研究の方法についても興味がある様子だった。研究内容に関連して結構鋭い質問も来た。今回、依頼してくれた先生からは、私の研究自体に対するコメントももらえた。アカデミアの視点でアドバイスをもらえて、私の方がずいぶん勉強になった。

 

改めて実務の世界とアカデミアのアプローチは全然違うことを実感。博論にするなら、自分が採用する理論や立ち位置を明確にした方が良い、というアドバイス。どの視点に立って論じるのか。これが難しい。実務だと矛盾することや批判や肯定、起こっていること全部が現実だから、一つの視点に立って論じることの意味はあまりない。それよりもなるべく適切な判断をするために、色々な情報や視点を得るようにする。アカデミアは視点を固定、限定することで、その視点に立って見たときの真実を新たに発掘するようなイメージなのかな。自分にそれができるかどうかが不安でもある。まあ、そういうこと(博論に必要な質)をガイドするのが指導教官の役割だと思うので、指導教官の指導を信じてやっていこうと思っている。

 

今週はあと、数か月間にわたり隙間時間を使って細々と書いていた書籍用の事例集の和文原稿が何とか一通り完成しそう。事例のもとになっている会社に確認をしてもらい、英訳して8月に提出予定。テーマ自体は研究と関係があるが、事例自体はほぼゼロベースで調べ始めたので意外と時間がかかってしまった。この事例集の原稿の進みが悪かったのがちょっとストレスになっていたが、先が見えてきて良かった。

 

来週から小学校のTerm 3が始まる。やっと日常が戻ってくる。メルボルンは1週間以上コロナの新規感染がゼロ。シドニーをはじめとして、先週はオーストラリア国内の多くの場所で同時多発的にコロナの市中感染が見つかり、てんやわんやとしていた。シドニーでの感染はまだ落ち着いていない。他人事ではなく、いつメルボルンもロックダウンになるか、なんとなくヒヤヒヤしながら過ごす日々。昨年よりは数倍マシだけど…。もう留学生活も折り返しなのに…。後半戦はもう少し明るいニュースが欲しい。

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コロナとほぼ無縁だったダーウィンがロックダウンになるというニュースに驚いた先週(大学のキャンパス内の大きなテレビ)

 ちょうど1年前の記事。これと比べれば、今は100倍良い。スクホリくらいで文句言っちゃいけないな、と思った。過去の悪いことはすぐに忘れてしまう癖がある。

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