40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

長期休暇から戻ってきた指導教官にさっそく指導を受けた

土日に記事を書くつもりだったけど、なんとなく気が乗らずに月曜日になってしまった。でも自分の現状を記録し、状況や気持ちを整理するためにブログ記事を書いた方が良いな、と思い、週始まりの月曜の朝に書いている。

 

ちょうど先週火曜日の12月1日に、3か月間半の長期休暇に入っていた正指導教官が復帰した。いつも隔週月曜日に指導教官との進捗ミーティングをしており、正指導教官が不在の間は副指導教官と1対1でミーティングしてきた。先週のミーティングは11月30日(月)の予定だったが、1日ずらすことで復帰した正指導教官とミーティングができるということで、正指導教官の方から予定の変更を打診してくれた。

 

ミーティングは1時間半に及んだ。結果としては、リサーチクエスチョン及びリサーチデザインの見直しを示唆された。自分の中ではどこかで予想しているところがあり、驚きはなく、どちらかと言うと不安な中で進めていたところについて、力強い?見解をもらえて安心したところはある。一方、正指導教官不在で3か月間半、副指導教官の指導の下で進めてきたことが、結果的にひっくり返ってしまった、ということに対して、少なからずショックを受けた。リサーチデザインの変更により既に書いた7,000 words超のドラフトの大幅な書き直しも必要になるし、何よりも予定していたリサーチのイメージが大幅に変わるので、どうしようかな、と。

 

ミーティングは火曜日の昼の時間にあったが、その日は頭が混乱したため、とりあえずミーティングが終わったら、昼食をとるために外出した。幸い天気が良かったので、自宅近所の商店街を歩いて、好物の鴨ラーメンを食べた。店の前に鴨がぶら下がっていて気になっていたが入るきっかけがなかった店。まずはおいしいものを食べて落ち着こう、という気持ち。鴨ラーメンは予想通り美味しかったので、安心。

 

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鴨肉自体もおいしいがスープに出汁が出ていて絶妙の味

 

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半ばチャイナタウン化している近所の商店街にある中華料理店。ショーウィンドーに食材がぶら下がっている。店の奥には水槽があって魚以外にもカニやアワビなど魚介類もある

その後、スーパーによって食材の買い足しをしたら夕方。子供たちが学校から帰ってきたので、あまり集中できる環境にない。良くも悪くも子供が家にいると研究に100%集中することはできない。子供に学校であったことなどを聞いているうちに夕飯を作る時間となり、その日の午後は結局ほぼオフに。今回、色々と言われるだろうな、と思い、ミーティングは録音しておいた。その録音を夕食後に30分ほど聞きながら、何を指摘されたのかを振り返るためにノートにまとめ始めたが、子供を寝かしつける時間になり、夜作業すると気分もネガティブになるので、その日はそこまでとした。

 

翌日、家にいると気が滅入りそうなので大学図書館に。朝から録音を聞いて、もう一度、正指導教官が何を指摘したのかをゆっくりと振り返ってみた。指摘事項は以下。

 

①リサーチクエスチョンが幅広すぎる

すぐに研究の幅を広げてしまうのは私の悪い癖のようだ。正指導教官から指摘されたのは、その質問はHugeだ。あなたがテーマにしているAとBについて絞った質問にするように、というもの。もちろんそれを念頭にリサーチクエスチョンは組み立てているけど、以前の私はAとBの関係を解き明かすことにより、Cについての疑問を解きたい、ということでCという壮大なテーマ(かつ素朴な疑問)をリサーチクエスチョンにしてしまっていた。私は研究で明らかにしたいことではなく、自分がそれを通じて知りたいことをリサーチクエスチョンに書いてしまっていたのかな、と振り返る。AとBの関係性を探る、ということだととても味気ないと思ってしまったが、研究を成り立たせるためにはフォーカスを絞る必要があるということだろう。

 

②やろうとしていることが多すぎる

リサーチクエスチョンをAとBの関係性について絞り込んだとしても、それを解き明かすアプローチは一つではない。私はCというテーマに対して、AとBの関係性のアプローチから3つのステージから構成されるリサーチデザインを組んでいたが、PhDのプロジェクトとして時間内に収まらない、と指摘された。今3つのステージを予定していたが、言われたことはステージ1は研究ではなくデータセレクションとすること、ステージ2のサーベイはやめること、ステージ3のインタビューで深掘りすること、という内容だった。

 

サーベイではなくインタビュー調査が適切

以前の記事で、指導教官自身だけでなく過去に指導を受けたPhDの学生の研究の多くが質的調査、インタビュー、Grounded theoryというパターンにあることは書いた。今回私の研究も基本的にそのアプローチが適している、という主張された。サーベイという調査手法を全く信用していないらしく、「あなたが知りたいことをサーベイで聞いたって、何もわからない。どうやってサーベイでこのことを知れるわけ?ボックスをティックしたって何がわかるのか?」と聞かれたので、一応自分なりにサーベイを選んだ理由とその分析について説明した。そうしたら一旦納得はしてもらえたようだが、「サーベイが一つのアプローチとしてあることは分かった。でもAとBの関係性を明らかにするために、最も時間を有効に使えるのはインタビューだと私は思う」と言われた。

 

その後、じゃあインタビュー調査となった時に、どうやって調査先をリクルーティングするのか、幅広いサーベイではなくN数が限定的になるインタビュー調査となるとき、国は絞る必要があるのか、という議論になったが、これについては、まだ結論は出ていない。

 

ひとまず、①②③の点を考慮して、リサーチデザインを書き直すことにした。水曜日から金曜日の3日間でリサーチデザインを書き直し、金曜日の夕方に送付した。調査手法が限られたことで7,000ワードほどあったのが5,000ワード弱とコンパクトに。リサーチデザインを書き直すことで、当初の混乱は大分収まってきたが、本当にこれで良いのだろうか、という気持ちは少しは残っている。とはいえ、この3か月間半、リサーチクエスチョンもリサーチデザインも自分で考えたことに対して自信がない中で、副指導教官からOKをもらえてきたこと自体に少し疑問もあったので(こんなにすんなりいくはずがないという)、それがすっきりして、前に進めるようになったことは良いこと。

 

火曜日のミーティングは長引き、副指導教官は別予定があるということで途中でZoomを退席してしまった。最後、正指導教官と1対1になり、次のステップについて話し合った後、「3か月間半、あなたの研究をみてあげられなくて本当にごめんね」と言われてしまった。そんな風に言われると思っていなかったので、これも少しびっくり。別に休みを取ることは正指導教官の労働者としての権利なのだから、そんなこと言わなくても良いのに、と思ったが、とっさにうまく返せず「それはあなたのスケジュールなので、問題ありません」みたいなことを言ってしまった。もうちょっと良い返し方をしたかったけど、いかんせん、この1年間英会話をほとんどしていないので、研究以外の話になるとうまく言葉が出てこない。

 

今回の教訓は色々あって、一つの記事には書ききれないが、私みたいに社会人を長年やってきて急にPhDで研究を始める人にとっては、指導教官の存在はとても大きいということは感じた。何をどう進めれば研究として適切なのか、ということが自分では全然わからない。最近感じているのは、初めてのことをやると効率はすこぶる悪くなるし、一つ一つのステップを進めるのに一筋縄でいかない。どうやればよいのかがわからないので、一つずつ進めながら大きくずれていないかを確かめていく作業の繰り返し。そのガイド役として指導教官は絶対に必要。また、指導教官も自分のテーマに詳しい人でないと、なかなか適切な指導はできないものだな、ということも改めて感じた。指導のスタイルももちろんあるとは思うが、今回、副指導教官からOKをもらって進めていたことが、正指導教官からNGとなったわけなので。

 

それで今週の予定としては、今日と明日は自分のテーマに関連するオーストラリア国内の学会がオンラインで開催されるので聴講することに。学生の参加費用は20ドル。そして水曜日のその学会が主催するDoctoral workshopなるものがあり、こちらは参加を希望した。ぎりぎりまでスケジュールがわからず不安だったが、この連絡も先週来た。他に参加するPhDは8名ほどいるようで、まずその参加者間での交流をしたのち、関連する分野のメンターがそれぞれの学生にあてがわれて、ZoomのBreakout room機能を使って、メンターから1対1で研究に対する指導を40分間受けられるらしい。

 

私のメンターはよりによって同じ大学の先生だった。学部は私が所属する社会学部ではなく経営学部。先週、その先生の名前を頭に入れた後、指導教官から読めと言われたこの分野の著名な国際ジャーナルの最新記事を読むためにホームページを見たら、なんと2人いるEditors in chiefのうちの一人が、今回のメンターの先生だった!もう一人のEditorはアメリカの教授で、この分野では知らない人がいないくらいの有名人(実務者だと研究者の名前は知らないが、その人が体系化した理論は誰でも知っている)。その人と一緒にEditorをやっているというのは、結構すごい人なのか?そんな人から1対1で指導を受けられる機会があることは嬉しいが、知ったことでちょっと緊張してきた。しかもワークショップ用に提出したリサーチデザインは3週間くらい前のもので、既に正指導教官からダメ出しを受けている。一瞬、最新版があることを伝えた方が良いかな、とも思ったが、セカンドオピニオン的にその人の考えを聞いてみるのも良いか、と思いなおした。

 

まあ色々とポンコツ感は出ているが仕方がない。ある意味、これは自分で望んでいたことでもある。40になってキャリアも積みあがって仕事もこなせるようになり、周りからも頼られるようになってきた自分を一旦ゼロに戻し、初心でチャレンジできるような環境に再び自分を置きたくて、わざわざ社会人を中断して留学したのだから。Comfort zoneをあえて抜けるという行為。留学する直前、働いていた会社のCEOとたまたまエレベーターで1対1になった時(そんなこと会社で10年以上働いていて一度もなかったのにタイミングがすごい)、「留学するとは勇気があるね。頑張って」と声をかけてもらった。なるほど、この行為は結構勇気がいるものかもしれない。何が起こるか知っていたら怖くてできないかもね。でも自ら新しいことにチャレンジして、その結果起こったトラブルからは必ず得るものがあり、すべての経験はプラスになっている。と思うようにして、前向きにやっていく。