40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

Onlineの国際カンファレンスに参加

今週水曜日、オンラインのカンファレンスにZoomで参加した。参加することになった発端は1週間前。日本にいるときに、大学の先生が開催する有志の研究会に参加していたが、その研究会がコロナのせいでオンライン化されるとともに、研究会のSlackが立ち上がった。そして、その研究会の世話役で私の古くからの友人がSlackの案内をくれた。ページにアクセスしてみたら、その大学教授が今週水曜日に国際カンファレンスでセッションを行うという情報があった。

 

そのカンファレンスは、パリにある大学が主催しており、本当だったらこの時期にパリで開催されているはずだった。コロナの影響により、カンファレンスは10月に延期、その代わり6月は無料でオンラインのカンファレンスを行うということだった。また、6月のセッションは急遽、Covid-19に関連するテーマとなった。すごいな、と思ったのは、時差の関係で3回に分けてセッションを行ったこと。欧州・アフリカ、アメリカ、アジア・オセアニア、というグルーピングで、それぞれ基調講演、分科会、ペーパーセッション(学生が自分の研究に対して意見をもらう会のようだった)が行われた。それぞれの会は基調講演も分科会もペーパーセッションも別の人たち(その地域の人たち)が出ることになっていた。

 

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6月はOnline、10月はPhysicalに開催

 

 水曜日の夕方に開催されたアジア・オセアニアのカンファレンスの基調講演と分科会一つに参加した。基調講演はもともと聞くつもりはなかったけど、ちょうど自分の集中力が切れたところだったので、飛び込みで参加してみた。事前情報をあまり確認せずに参加したけど、結果面白かった。あとで確認してみたら、スピーカーは学者ではなく、インド政府で外務大臣を務めたことがある人だった。自宅と思われる場所からラフな格好で話し、Zoomのチャット機能で参加者から投げかけられる質問にも丁寧に答えていたので、そんなに立場が上の人だと思わなかった。事前知識もなく聞いた内容だったが、わかりやすかった。以下特に印象に残った点。

 

・今回のCovid-19は確かに人類にとっての危機ではあるが、この後に来るClimate changeによる危機の方がもっと厳しいものになるはず。Covid-19はその練習のようなもの。

感染症と環境問題はつながっている。例えば野生生物の生息地が破壊されることによって、これまで人間と接触しなかった野生動物が自らの生息地を追い出されて移動し、人間社会にウィルスを持ち込む可能性もある。

グローバル化された世界の中で今回のような課題が起きたとき、各国が自国の利益を優先するだけでなく、人類共通の危機に協力して立ち向かうために、国際的なコンセンサスを構築する組織/機関は必要だと信じている。確かに今の国連には様々な問題があるが、かといって世界1位の2位の経済大国であるアメリカと中国は完全にMy nation firstに陥っているため、国際的なリーダーとしての役割は期待できない。

・インド北部の街から、数十年ぶりにヒマラヤ山脈が見えた。Covid-19は、私たちの生活にとって大事なことは何かを考え直すきっかけを与えている。

※上記はすべてShyam Saran氏の見解

 

続いて、日本でお世話になった大学教授のセッションに参加した。セッションの参加人数は20名弱と小規模。もちろん見ず知らずの人たちがほとんど。こういう形でのZoom会議は初めて。デフォルトで顔を見せないのが普通のようだったけど、私は先生がビデオをオンにしていたことと、他の数人もオンにしていたのでオンにしてみた。先生が導入10分程度、問題提起を行い、30分くらい参加者がディスカッションするという形式だった。あとから考えてみると、なかなかハードルが高い環境だった。

 

①テーマについて自分の知識や思考するための時間が限定的(これは私自身の事情)

②英語

③多国籍の参加者

④参加者の背景がバラバラで事前情報がない(大学教授、学生、実務者など?)

⑤オンライン(Zoom)

 

ディスカッションが始まってすぐに先生から、「日本企業代表としてぜひ発言ください」といったような内容のZoom個別メッセージが届いたので少し焦った。さすがに日本企業を代表することはできないけど、先生も今までやったことがない環境でのセッションを進めることに苦労しているだろうから、何か一言くらいは考えていることを言った方が良いかな、と思って発言した。ただ、自分の中で考えを練られていない状態で発言したので、その後、主催者のパリの大学の先生から発言した内容について質問を受けたとき、的確に答えられなかった(英語と中身の両方が課題)。質問に対してぼんやりと答えてしまったため、結局日本の大学教授がフォローしてくれた。この点は反省。

 

とはいえ、アジアのセッションだからか参加者が皆遠慮がちで、全体的に発言が少なく、場がしーん、としてしまうこともあったので、発言したこと自体は悪くなかったと思う。会社で働いていた時もそうだし、こちらに来てからもそう思うけど、欧米の人たちは自分たちの意見をどんどん発言して、発言しながら場の中で考えを有機的に発展させていく、というやり方に慣れている(だから私の発言に対してパリの先生は反応してくれた)。今回のセッションもそういった仕組みになっていたが、アジア人が多数を占めるセッションでは、参加者の誰かが発言したことに対して、パリの先生か日本の先生がコメント、そしてまた別の誰かが発言したのに対して、パリの先生か日本の先生がコメント、という流れになっていた。なんとなく、教室にいる先生と生徒みたいな関係。でもアジアの中でも、インドの人たちは自分の意見を躊躇せずに発言する傾向があるような気もする。英語を流ちょうに操れるのがうらやましい。

 

最終的にその日本の先生が、バラバラに見えた議論をうまいことまとめていたのは流石だった。以前から研究会に出ていて感じていたけど、先生はどの方向から誰が質問や意見を出しても、ときに的が外れた内容であっても、ちゃんと拾って要点をまとめた上で課題を抽出したり、答えをくれたりする。大学の先生なら誰でもできるということではない。一般人や学生、実務者たちに対して、自分の専門領域に対する専門家としての立場だけでなく、大学教授という職業=他の人よりも知に対する経験や感度が高い人として、何かしらの示唆をくれる点、改めてすごいなと思った。

 

他、感じたこと。

・コロナ後の社会について、自分はまだ考えられる状況にない

セッションは、コロナ前とコロナ後、社会がどう変わるかというテーマだったが、今の自分はコロナにより生活(主に子供関連)に追われる環境で、目の前のことに精いっぱいになっている。それを俯瞰してみたり、この先のことを予想したりするのは、今の自分には難しいし、そのことに対して強い関心を持てない。コロナ後の社会のことを議論するためには、ある程度、自らの生活(時間的、経済的)に余裕が必要だと感じた。

 

・実社会のことを分かっていないのに、分かっていると勘違いしがちな学者もいる

企業のことを否定的に語る学者、それに同調する学者の議論があったが、企業に勤めていた自分としては、ずいぶんステレオタイプな見方だな、と感じてしまった(正直、少しイラっとした瞬間でもあった)。研究対象を客観的に見ることは学者には必要なことだと思うが、一歩間違えば実社会を見下したような見方にもなる。普段感じていること、物事への向き合い方、人間性みたいなものがふとしたときに出るんだなと思った。(尊敬している日本の先生にはこれを感じたことはない。)

 

・ディスカッションのための英語力が足りない

これは分かっていたが改めて感じたこと。もっと英語が流暢に話せれば、自分が言いたいことをバシッと相手に伝えられるのに、それができなくてガッカリする。かといって、こういった国際カンファレンスに参加しない方が良いとか、発言しなければ良かった、とは思わないようにしている。すべては自分の経験値につながるので無駄ではない。コンフォートゾーンをわざわざ抜け出してきたんだから。ただ、その都度英語力が足りていない自分に向き合うことになるので、参加後に少し落ち込む。

 

今回のカンファレンス、パリで開催されていたらわざわざ参加はしなかったと思う。コロナのせいでオンラインカンファレンスが増えることは悪いことばかりではない気がした。今後も情報を見つけて参加してみようと思う。