40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、11月に博士号取得。現在は東京にある外資系企業で勤務。

子供の自宅学習が始まって4週間

オーストラリア(ビクトリア州)の小学校の2学期が始まって4週間たった。他の州ではそろそろ学校がオープンになるようだが、オーストラリアの中で一番厳しいロックダウンが敷かれているビクトリア州では、小学校の再開はまだ少し先のようだ。ここオーストラリアでは「休校」ではなく、自宅学習(Learning from home)と言う。あくまで学校はやっている。子供だけを家に置くのは法律で禁止されているため、医療従事者やスーパー店員、警察など、親が外で働いている子供のために学校は開いている。ビクトリア州では97%の子供が自宅学習、残り3%の子供が学校に行っているようだ。

 

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https://education.vic.gov.au/parents/learning/Pages/home-learning-about.aspx

休校ではないので、毎日担任の先生が出席(=自宅で学習しているかどうか)を記録するし、出された課題をすべて完了、提出することが求められている。子供にゲームでもやらせておけばよい、ということでは全くない。これは共働きで在宅勤務をしている親にとって本当に辛い試練である。以下の記事にとても共感した。

特にこのくだり…

リーズに住む36歳の母親は、マーケティングの仕事を在宅でこなしながら、5歳と11歳の子どもの面倒を見ている。

日々とても困難で、相反する要求へのプレッシャーに、突然泣き出してしまうこともあるという。

「たくさんの事をやろうとするあまり、全てに失敗しているように感じます。ダメな母親で、子ども達に教えることも下手で、仕事もろくにできていない、と」とハフポストUK版に語った。

彼女は、ビデオ会議に参加しながら、子ども達に学校の勉強を教えようとし、それに加え、子どもたちに食事を与え、家が豚小屋化しないように掃除するなど、全てをやろうとしていた事について話した。

「育児も仕事もうまくできない」 親たちが語る、在宅勤務と育児の厳しい現実(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース

※記事はイギリスの様子だが、今の私の状況とよく似ている。日本のニュースでは育児(主に乳幼児)と在宅勤務の両立が困難である記事はよく目にするが、何故だか子供(特に小学生)の自宅学習との両立の難しさに関する記事は比較的少ないような気がする。日本の小学校はあくまで「休校」扱いだから、この期間の学習は補助的なものとしているのだろうか?

 

ハフポスト記事にある「親は訓練された教師ではない」というのはその通り。ただでさえ大変な状況で言語のハードルがあると、ダブルパンチ、トリプルパンチである。以前、別の記事にも書いたが、次男は年長クラスなのでまだそんなに英語力を要しないが、長男は4年生で英語のハードルがものすごく高い。日本語であれば自立して勉強できる年齢だが、オーストラリアに来てまだ3か月で英語に不自由している状態ではそれができない。毎日、何をやるのかさえ、自分で理解することができない。本人はストレスをかかえ、私にあたる。長男専属の翻訳者 兼 家庭教師を担当する私もストレスをかかえる。毎日大声で喧嘩し、髪をかきむしりながら課題に向き合っていた。この状況をいつものようにポジティブにとらえようと思っても、そのような要素を見つけるのは難しかった。

 

そんな生活が始まったころの記事。 

fourty.hatenablog.com

 

4週間たって環境自体は全く改善されていないけど、子供も私もこの厳しい状況に慣れてきた。喧嘩の頻度も毎日から1日おきになり、衝突の過激さも多少マイルドになり、私も自分が関与する度合いを課題の難易度によってコントロールできるようになり、子供も辞書やGoogle 翻訳を使って少しずつ自分で取り組み始めるようになった。そうしてみると、この自宅学習が始まって、少しは良かったかな、と思える点も出てきた。

 

その良かった点とは、オーストラリアの小学校の教育内容が見えたこと。学校に通っているときは、毎日どんな感じで授業を受けているのかよくわからなかったが(当の本人も英語がわからないので何やっているかわからなかった)、自宅学習になり、毎日先生から様々な課題が出されるのを、子供と一緒に取り組むことで、日本とはずいぶん違う小学校の学習があることが分かった。それは面白い。

 

言葉でうまく表しきれないけど、日本の小学校と比較してオーストラリアの小学校が重視しているように私が思ったのは、自分で考えること、アウトプットをすること、学習を生活の身近に置くこと、という3点。例えば算数の課題。日本なら計算の方法を教えて、それを色々な例題やドリルを通じて繰り返し学習させ、習得させる。こちらの場合はどうか。先週、先々週の課題の例はこんな感じ(小学3、4年生混合クラス)。

 

①自分の家にあるものを5つ選び、長さと幅を測って面積を計算してみる(デスク、テレビなどなんでもよい。算数が得意な子は長方形以外の形を計算することもできる)。

②キッチンにある入れ物を5つ選び、各入れ物の容量を想像、それを書き記した上で実際に水を入れて計量して記録(単位も)。予想が当たったか外れたか。それはなぜか。

③コインを50回投げたときに、表と裏は何回ずつ出ると思うか予想し、書き記す。実際に投げてみた結果を記録する。予想と結果は合っていたかどうか。なぜそのように予想したか。なぜ予想と結果は合っていたか/間違っていたかを考察(翌日は同様の課題で6面のサイコロを100回振るという応用課題。考察が難しい)。

④1,000秒、10,000秒、100,000秒は、それぞれ何分、何時間、何日かを計算する。

⑤トランプのカードを4枚引いて、最初に出た2枚、次に出た2枚の掛け算をする(10回繰り返す)。

⑥象の1頭重さと車1台の重さ、世界一高い木の高さと家の天井の高さを調べて、分かったことをそれぞれ絵で表す(文字ではなく絵で表すってところがポイント)。

 

などなど・・ まだ習っていない結構難しい課題もある(例えば、④で必要になる割り算のひっ算はまだ習っていないし、分、時間、日の単位に直すのは大人の私でも難しく感じた)。

 

面積や体積の単位、時間の計算、掛け算、割り算、確率など、算数の勉強がすべて身近な課題に置き換わっている。というより、身近なものに算数を使うとどうなるか、という本来の?アプローチなんだろう。私にとっては眼から鱗で面白い。私は子供のころから大人の今まで算数、数学は苦手だけど、こういう身近な物を通じた捉え方なら、子供のころもう少し違った印象で算数に取り組めたかもしれない、と思ったりした。ちなみに、単純な計算などは学校から指定されたアプリで補足的に行う。このアプリもゲーム方式になっていたり、レベルが簡単なものから難しいものまであり、子供のレベルに合わせて取り組めるようになっている。そしてアプリで学習するのを見ていて、〇×つけるだけの採点なら、人間の先生がやる必要ないな、と言う当たり前のことに気づいたりもした。

 

国語(英語)の課題は難しすぎるので、別の課題(単語を覚えるプリントなど)を先生から与えてもらうようになったが、クラス全体の課題もできそうなものは取り組んでいる。国語で多いのは、与えられたお題にそって自分で調べたことを書かせることや物語を作成させること。文章作成能力、単語力、スペリングなどが総合的に身につくのだろう。

 

例えば、自分についてのポスターを作りましょう、という課題がポンっと与えられる。これは英語だけでない色々な力が試される。英語が得意でない子もデザインで勝負することができるし、英語が得意な子は難しい言葉を使って、いろいろな側面から自分を表現する。これは長男でも取り組めた。My favourite xx is yy.という文章をたくさん書いて作成した。別の日は、オーストラリアの州を一つ選んで、その週についてリサーチし、ポスターにまとめる、というもの。これは国語の授業にカテゴライズされているけど、どちらかというと社会の勉強にもなっている。よくできた子供の課題が先生からシェアされることもあり、それを見て4年生でこんなことができるんだ、と驚かされることもある。

 

小学校では、3/4年生、5/6年生は、2学年複合のクラスになっていて、どうやっているんだろう、と不思議に思っていたが、こういった個人の能力に合わせて取り組める課題を出している、ということでなんとなく納得した。教科書が無くても大丈夫なのも今はよく分かる。コロナによる自宅学習がなければ、こういったことを知ることもなかったと思う。学校が再開されるのが待ち遠しいが、後から振り返ればこの期間にオーストラリアの小学校の勉強の内容を少し覗けたことは良い思い出になるような気がする。

  

(参考)学校初日の様子、日本との違いについて書いた記事。fourty.hatenablog.com