40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

インプットとアウトプット

今週は主に理論に関する文献を読み進め、そこからインスパイアされて自分の研究の構造のアイデアを組み立てる作業をした。本当は文献を山ほど読んでインプットの週にするつもりだったが、インプットすると頭が刺激されてアウトプットがしたくなる。まだまだ小さなサイクルだけど、少しずつ回り始めた気がする。

 

色々な文献を読み、そこに書かれていることを自分の頭で理解する中で、私はインプットを求めていたんだな、ということに気が付いた。例えがうまくできないけど、空っぽになっていた井戸の水が満ちてくる感覚だったり、空になった引き出しに新しく道具を入れて、さらにその隣に別の引き出しも作っていく、という感覚。私は修士の時に学んだり考えたりしたこと、社会人になって最初の3年で勤めた2社のコンサル会社で仕事をしながら学ばせてもらったことを、その後に転職した会社(現在休職中)で使い尽くしてしまったんだな、と振り返る。仕事しながら増やせるインプットもあったが、バランス的には圧倒的にアウトプットを求められる(一人前の給料をもらっているので当然だが)。自主的に本を読んだり研究会に参加したりして、細々とインプットを補充していたが、結局のところ自分の中に貯めてあった資産をアウトプットしきってしまったんだろうと思う。

 

そうすると何が起こるか。惰性で仕事をするようになる。社会人を同じ分野で15年もやっているとそこそこ経験値が積まれ、会社の中でもその領域についての専門家になれる(自分の分野は企業の中では新しい領域なので先輩がいない)ので仕事は回せるし、頼られるし、肩書も付くので組織の中でそれなりにやることはある。ただ、私の場合、次第に自分が止まってしまったような感覚を抱くようになり、定年まであと20年もこれが続くのは怖い、と思うようになった。

 

そして今、ありがたいことにまたインプットをする時間を取ることができている。英語を読むスピードが遅いのがもどかしいけど、かなりじっくりと一つ一つの文献を読みこんでいる。新しい知識に脳が刺激されたおかげか、昨夜は久しぶりに睡眠中に思考が働いた。インプットした情報が頭の中にもやもやと詰まって、おそらくそれらが寝ている間に整理され、眠っている途中に急にLiterature Reviewの第1章の構造/視点のアイデアがひらめいた。そこで目が覚め、忘れないうちに携帯にメモを取った(今はスマホがあるので便利)。修士の時は、よく眠っている間に課題のエッセイの構造を思いついていたが、そのことを思い出した。私の脳は40代になってもまだまだ現役なんだ、とうれしくなる。そしてアウトプットのためには、インプットが必要なんだな、という当たり前のことに改めて気が付いた。来週は少しお試しでライティングをしてみようと思う。