40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

メルボルン生活セットアップ 賃貸契約編

前回の記事ではメルボルンでの家探しについて書いたが、そのあとの契約について書いてみる。

 

fourty.hatenablog.com

 

一連の動きを時系列に書くと以下。

先週木曜日: 午後に物件を内覧し、オーナーからその場で貸してもらえることを聞く

先週金曜日: 昼にその物件を貸してもらいたいことをオーナーに連絡、初期費用と契約の日時を確認

先週土曜日: 10時に貸家に集合、契約手続きと初期費用の支払い、鍵をもらう

今週月曜日: 子供が学校に行っている間に荷物を仮住まいから運び始める

今週水曜日: 仮住まいから完全撤収

今週木曜日: 書類上の引き渡し日

 

木曜日に物件を内覧した際に、ランドリールームの床が工事中で週末に仕上げるという約束があった。そして土曜日の10時に現地に行くと、オーナーのお父さん(70代)が作業をしていた。いかにも職人さんの風貌。ファミリービジネスなんだな、と思いながらお父さんに挨拶。そのうち、オーナーとお父さんの会話がたまに聞き取れないことに気が付いた。最初はすごい訛りなのかな、と思ったが、よく聞くと英語ではない言語で話している。たまに英語も混じる会話。

 

お父さんが作業をしている中、オーナーと契約書のやり取りを進めていく。今回は仲介業者が間に入らず、オーナーと直接契約になる。Victoria州の様式を埋めていく作業。基本的にオーナーが情報を埋めてくれて、私は自分の情報を埋めるだけなので簡単。様式は全部で3つあり、そのうちの一つが物件の状態を双方で確認するCondition Reportというもの。家じゅうを周りながら借りる前の状態を一緒に見ていく。オーストラリアで物件を借りる際に、最後敷金(Bond)が戻ってくるように自己防衛として入居前に室内の写真をたくさん取るように指南しているインターネット上の記事もいくつかあったが、私の場合はオーナーとCondition Reportを手に物件の中を周りながら、オーナー自らが写真を撮っていた。そして100枚近く撮った写真を最終的にすべてプリントアウトし、冊子にしてもらえた。

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契約書類一式

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配布が必須のガイドブックの最初には英語がわからない人向けに17言語で電話相談サービスの案内がある(こういう言葉を話す人たちがオーストラリアで家を借りることが多いのだろうと想像。全然聞いたことがない言葉もある。そして日本語はない)

 

ちなみにオーナーはとても親切だけど、良い意味でも悪い意味でもざっくりしていることも分かった。物件には前の居住者が壁に多くのフックをつけていたり、バスルームのタオル掛けが破損していたり、クローゼットの中にはがせないタイプの紙が敷いてあったり、シールが貼ってあったりしているが、それらを写真に収めるものの特に不満には思っていないようだった。また、キッチンの棚の中に2枚皿が残っており、退去するときにあまりチェックしないでBondの手続きをしたんだな、と想像。厳しすぎると自分たちが退去するときにも神経をすり減らすことになるので、これぐらいいい加減なのが良いかも、と思う(何しろ元気な男子が2人いるので、綺麗すぎる家や神経質なオーナーはできれば避けたい)。

 

貸家内で書類の手続きや写真撮影をするのに1時間程度費やした後、続きの書類手続きと支払い(敷金と1か月分の家賃前払い)はオーナーの家で行うことに。貸家から歩いて5分程度のところに住んでいた。坂を下りてオーナーの家に行くと、立派な2階建てのレンガ造りの家に、パルテノン神殿のような白い柱が2本立っていた。そのデザインを見て、ひょっとしてギリシャ系?との考えがよぎった。家に入ると、オーナーのお母さんがいた。促されるままにリビングに家族4人で入ると、お母さんがコーヒーか紅茶かどちらが良いか、聞いてくれたので紅茶をいただくことにする。

 

そして、現金を直接お母さんに手渡した。どうやらお金関係はお母さんが仕切っている模様。手続きの間、長男と次男が暇そうにしていたら、テレビでも見るか、ということで、ソファーに座らせてくれて、テレビをつけてくれた。なんかアットホームだな、と思いながら、ペーパーワークの続きをする。そうこうするうちに、電気、ガス、水道の手配もついでにしてあげようか、ということで、オーナーがそれぞれのサイトにアクセスして、手続きしてくれた。水道はおそらく公共、電気とガスは民営化されているためか、AGLという会社でよいか?と聞かれて、よくわからないので何でもよい、と答えたら、じゃあまず、この会社で契約してすぐに変えられるようなプランにしておくから、と。我々がオーストラリアに来たばかりなので気を使ってくれてありがたい。ちなみに契約上は次週の木曜日から借りることになっているのに、荷物を運びたいでしょう、ということで、鍵は5日も前倒しで土曜日に渡してくれた。

 

そんなやり取りをしていると、お母さんがパンのような大きなクッキーを持ってきて、子供たちだけでなく私たち大人にもくれた。一つ食べただけでおなかがいっぱいになるくらいのボリュームだったが、食べ終わるともっと食べろと言わんばかりに勧められたので、なんだかんだで3つもいただいてしまった。お母さんから「チャイナから来たのか?」と聞かれたので「日本です」と答えた。流れでお母さんに「出身はどこですか」と聞いてみると「ギリシャからきた」ということ。やっぱりパルテノン神殿なんだ。「いつ来たんですか?」と聞いてみると「60年前。高校卒業したらギリシャを離れた。友達と別れるのがつらくてオーストラリアに来てから毎日泣いていた(涙が流れるジェスチャー)。でも今はもうギリシャに戻りたいと思わない」という話だった。

 

メルボルンにはギリシャ人が多いんですか?」と聞くと、すかさずオーナーが「Too many」と。そうだったんだ。見た目であまりわからないけど、そんなにギリシャ系の移民が多いとは。あとで調べてみたら、このあたりの人口でギリシャ語を主言語に話す人の割合は14%程度らしい(ちなみにオーストラリア全土では1%強)。確かに多い。第二次世界大戦後にギリシャでは失業率の緩和などを目的に国民のオーストラリア等への移住を推進する国策があり、オーストラリアはオーストラリアで経済発展のために人口を増やしたいからイタリアやギリシャといった南欧の移民を積極的に受け入れたようだ。その流れでお母さんの家族(おそらくお父さんの家族も)オーストラリアに来たのだろう。移民としてこの場所で建設業のファミリービジネスをしながら、現地で生まれ教育を受けた息子が家業を継ぎながら、ネイティブスピーカーとして英語を話せることもあり、ビジネスを不動産業にも拡大して成功しているんだな、と想像した。自分たちも移民としてやってきた経歴があるので、私たちのような来たばかりの外国人にも快く家を貸してくれたのかもしれない。後で知ったが、オーナーが所有する3つの貸家は私たちも含めてすべて外国人が借りている(イラン人とインド人)。

 

「子供たちは学校に行っているのか?」と聞かれたので、「そうです。〇〇という小学校です。そこは日本語と英語のバイリンガルスクールなので」というと、「その小学校、日本語と英語のバイリンガルスクールになる前は、ギリシャ語と英語のバイリンガルスクールだったんだよ」と教えてくれた。全然知らなかった。いろいろと話してみると面白い。お母さんは「私はあなたのママだから、何か困ったことがあればいつでも相談しなさい」と言ってくれた。貸家の契約に来たのに、なんかホームステイに来たような感覚になってしまった。

 

顔が見える関係って良い。家はまだいろいろと不具合もあるけど、自分たちで解決できないことは伝えるとすぐに対応してくれるし、信頼関係って大事だな、とあらためて思う。このオーナーと家族に出会えてよかった。契約はとりあえずミニマムの1年にしたけど3年間ここに住むことになりそうな予感がする(引っ越しという作業にうんざりしているというのもあるが)。