40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。

気候ストと世代間倫理

今日は時事ネタを書いてみる。

ここ最近、「未来のための金曜日(Fridays For Future)」を開始したグレタさんに関するニュースがメディアを賑わしている。私の修士の専攻は「環境学」で、これまでのキャリアも今後博士課程で研究するテーマも環境、Sustainabilityであるため、この件について、自分の中で思ったことを綴ってみる。

 

まず、グレタさんは1年以上前にこの活動を開始しており、環境界隈ではよく知られていることだったが、9月24日の国連気候行動サミットでスピーチしたことにより、日本のテレビやネットニュースなどのメディアでも取り上げられ、一般の人にも広く知られることになった。サミットでのグレタさんのスピーチの口調や内容がかなり厳しいものだったこともあってか、様々な意見が飛び交っており、私も改めて本件を考えるきっかけになった。

 

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まず最初に強く感じたのは、「世代間倫理」が表に出てきたな、という点。環境倫理学の中にある様々な主張の中の一つに「世代間倫理」、言い換えると「未来の人間の生存権の保証」という考え方がある。倫理の考え方が及ぶ時間軸を「現在」から「未来」に拡張するというものだ。

環境倫理学についての入門書はこちら「環境倫理学のすすめ」。世代間倫理を含む様々な議論がわかりやすく解説されていて、自分にとって大学院で「環境学」を勉強しようと思うことになったきっかけの本。

honto.jp

 

「世代間倫理」は、環境問題というのは現在世代が加害者で、その被害を受けるのは未来世代、という視点。現在世代は、未来世代に対する倫理的な責任を果たす義務がある、という主張。これは、巷で認知度が高まってきた「Sustainable Development Goals(SDGs)」でいう「Sustainable Development」の考え方でも踏まえられている。

Sustainable Developmentの最も有名な定義は以下。

「環境と開発に関する世界委員会」(委員長:ブルントラント・ノルウェー首相(当時))が1987年に公表した報告書「Our Common Future」の中心的な考え方として取り上げた概念で,「将来の世代の欲求を満たしつつ,現在の世代の欲求も満足させるような開発」のことを言う。

外務省HPより抜粋。https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kankyo/sogo/kaihatsu.html

原文の英語は以下。

Sustainable development is development that meets the needs of the present without compromising the ability of future generations to meet their own needs.

 

それで、何が言いたいのかというと、これまでも環境問題(もしくは資源問題)を議論する際には、さんざん「世代間倫理」はテーマになってきた。石油を使い切ってしまったら、将来子供たちが困るのでは?とか、地下水をくみ上げすぎて枯渇してしまったら、子供たちの世代は飲み水に困るのでは?とか。気候変動についても、2020年以降の枠組みを定めた「パリ協定」では、21世紀後半までに温室効果ガス排出ゼロ(吸収量と排出量がプラマイゼロ)を目指す、なんて、だいぶ先の人間社会のことを言っている。パリ協定の議論に参加していた人たちが、ほぼ全員生きていないくらい先のことを決めたというのも、「世代間倫理」の考え方がなければ起こらないことだと思う。

 

グレタさんが始めた「気候スト」、そして数日前の国連でのスピーチを聞いて思ったのは、私たちは、環境問題を議論するときに、これまではある程度、架空の「未来世代」のことを考えて議論していたが、ここにきて「未来世代」が実際に「現在世代」にクレームする、という構造が表れたことに、いくらか動揺しているのではないだろうか(少なくとも私はそう感じている)。そして、グレタさんを批判する人の中にある違和感(もっと言うと嫌悪感)というのは、「未来世代」であるグレタさんは、現時点ではほとんど何の実被害も受けていないのに(受けているとしても現在世代と同じ程度なのに)、「被害者」として「現代世代」を厳しく糾弾している点から来ているのではないか、という気がした。これから自分が被害者になるであろう世代が、その原因を作った/作り続けている現在世代に対して実際に声を上げているのが、Fridays For Future運動とみることができる。

 

環境問題は様々な要素があり、とても複雑だ。「世代間倫理」は重要な観点だが、ただでさえ不確かな未来について、あくまで現時点での科学的予測を根拠に議論するしかないし、未来といっても実際何年先までを責任の範囲に入れればよいのかも決められず、概念的には理解できても、実際にルールとして適用するとなると難しい。これに対して、環境や資源にまつわる問題でよくある、「先進国」対「途上国」という構図では、「先進国」の企業が途上国の資源を利用するために開発を行い、現地の住民を立ち退かせたり、地下水をとりすぎたり、川を汚染したり、ということが起きたときに、実際リアルタイムでの被害者(=途上国の住民)が存在し、その被害者が声を上げることについて、違和感を感じる人はほとんどいないと思う。(ちなみにFridays for Future運動は、先進国だけでなく、途上国を含む世界中に広がっているようだ。)

 https://www.fridaysforfuture.org/events/map

 

自分について言えば、私自身も環境問題に関心を持ったのは、10代のとき。1997年、大学1年生になった時に、京都で開催されたCOP3で2020年までを約束期間とする「京都議定書」が採択され、これから世界が地球環境問題の解決に大きく動き出すんだ、と「未来世代」として希望を持ったことを覚えている。(そしてこの地球環境問題に関する国際的な合意が日本で行われたことも感慨深かった。)また、同じ1997年にトヨタ自動車が「21世紀に間に合いました。」というコピーとともに初代プリウスを発売し、国だけでなく企業も変わっていくんだ、とワクワクしたことを覚えている。それから20年余りたち、「京都議定書」の約束期間が来年に迫る中で、私自身も「未来世代」からすっかり「現在世代」になった。(そして、ハイブリッドカーに乗ることは全く特別なことではなくなり、電気自動車が台頭し始めている。)

 

地球環境問題は20年そこらでは解決できない大きな課題。だからこそ、自分の人生を通じて取り組んでいく意義があるテーマだと、今回のニュースをきっかけに再認識した。