40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

メルボルンで引っ越し<手続き編>

引っ越し記事の第2弾は各種手続きについて。不自由な英語を駆使して何とか乗り切った記録。

第1弾の記事はこちら。

 

fourty.hatenablog.com

 

不動産屋さんとの手続きは2回目だったのでスムーズ。前回は個人のオーナーだったから、手取り足取りで良かった半面、すべて紙ベースで面倒な部分もあった。今回は大手の不動産仲介業者が間に入っているので、見事にすべてがオンライン化されており、とても便利だった。担当の人も対応が良く問題はない。入居契約以外で取り急ぎ必要だったのは、電気やガスなどの接続、インターネットの接続、引っ越し業者の手配。入居退去の手続きは全て私がやったので、夫には他の手続きをやってほしかったが、いかんせん英語が私以上にできない。インターネットだけはもともと夫が日本語ができる代行業者に頼んでいたので夫がそのまま手続きしたが、他2つは私がやることになった。

 

電気とガスの接続手続き

これが今回一番トラブルになって大変だった。退去する家と新しく入居する家は2週間ほど家賃をオーバーラップさせて余裕がある引っ越しをするつもりだったのに、最終的に電気とガスの接続がギリギリになってしまった。原因は、不動産業者が情報を横流ししたエネルギー接続の代行業者(オーストラリアは電力やガスの自由化が進み複数の業者が競争しているため、代行業者が間に入って顧客をあっせんするビジネスモデルができている模様)。

 

もともと入居契約をするときに、電気ガスの接続を代行業者に頼むかどうかの質問があり、私は今まで使っていた会社で継続するつもりだったので「代行業者への連絡は不要」の部分にチェックしていた。そして、入居契約の日に自ら電気ガス会社(AGLという会社)のサイトで手続きを済ませた。それにもかかわらず、入居契約の3日後くらいにその代行業者から電話がかかってきた(ちなみにYourPorterという会社)。「不動産会社に頼まれて、あなたの電気とガスの手続きを代行します」と言ってくる。

 

自分の記憶の中では頼んだ覚えはないけど、あまりにも相手が当たり前のように話すので、ひょっとして自分の記憶違いでお願いすることにしていたのかもしれないと思ってしまった。でも数日前にAGLのサイトで手続きしていたため「自分で手続きをしたからあなたのサポートは不要です」と答えた。そうしたら「それでは手続きがちゃんとできているかを念のためチェックしてあげます」と言ってきたので、それは悪くないな、と思い、個人情報を伝えた上でチェックしてもらった。

 

代行業者がAGLの私のアカウントページを見ると、新しい住所での接続について、申し込みが受付られていない状態とのこと。ここで私は「えっ!」とびっくり。代行業者が「まだ手続きできていないようなので、こちらで手続きしましょうか」と聞いてきたので、「お願いします」と言ってしまった。これが大きな間違いだった。

 

次の日、その代行業者の別の担当者からまた電話がかかってきて、「あなたのAGLの申込がなぜか却下されているので、別の会社と念のため契約しますか?もしAGLの方がうまく行ったら、別の会社をキャンセルすれば良いだけですので」と聞いてきた。「それは混乱するのでしなくて結構です。私は自分でAGLに問い合わせます」と言って電話を切った。その後もしつこく電話がかかってくるのでうっとうしいなと思い、その番号を着信拒否にしておいた。この頃、毎回別の担当者が代わる代わるインド訛りの早口英語で畳みかけてくるのに疲れてしまっていたし、日中に何度も電話がかかってくるのが単純に煩わしかった。

 

自分でAGLの手続きをしてから1週間ほど後、新しい家の鍵の引き渡しがあったので、新居に行って電気をつけてみたらつかない。引っ越しはその1週間後くらいで、時間にはまだ余裕があったが、通常電気ガスは2~3日で接続できるはずなので急に不安になった。そこで気が重かったが、AGLのカスタマーサービスに電話して問い合わせた。

 

その結果、「あなたの新住所の電気とガスは新規申し込みではなく、Transferの申込がされている。Transferの申込の場合は接続に1か月以上かかる」と意味不明な回答。「自分ではTransferの申込をした覚えはなく、おそらく代行業者が勝手に手続きしたと思うので、そのTransferの申込をキャンセルし、普通の新規申込に変えてほしい」と伝えたところ、そのAGLの担当者は「こちらで勝手にTransferの申込を取り下げることはできないので、Transferの申込をした人に取り下げを依頼してください」と言ってきた。

 

そんなバカげたことがあるか、とこの時はかなり腹が立った。なぜ私の電気ガスの接続を自分自身でできなくなっているのか、なおかつTransferという全く身に覚えがない手続きまでされている。おそらく代行業者は、私に聞く前にAGLではない会社(マージンが良い会社)に勝手に申し込んでおり、私がAGLにこだわるので慌ててAGLに戻す手続きをしたのではないかと推測。彼らのせいで、実際の契約者である私が新規契約ができない状況になっていた。その物件に関して私は電気ガス会社と契約したことがないのに、私の名前でTransferの申込がされているなんてどう考えてもおかしすぎる。

 

仕方がないのでまた代行業者(YourPorter)に連絡し、新しく出た担当者に最初から成り行きをすべて説明。この時、かなり怒っていたので強い口調で「あなたの会社が私に断りなく申し込んだらしいAGLのTransferの申込はキャンセルしてもらわないと困る。そちらでキャンセル手続きをするのか、私の方でAGLに再度言うのか、どちらが良いか?」とまくしたてたら、「そちらでキャンセルしてもらってよいですよ」という答え。

 

その回答をもって、再度AGLのカスタマーサービスに電話。こちらも当然、また別の人が出るので、その人にゼロからこの複雑な経緯を説明。このカスタマーサービスのおばさんがとても気が利く人で、事情をすべて理解してくれた上で、Transferをキャンセルして、私の新規申し込みの手続きをその場で受け付けてくれた。私の英語力は限られているので、何度も聞き直したり、言い直したりしたが、辛抱強く親身になって対応してくれた上に、最後の方で「あなたは日本のバックグラウンドでしょ。私は名前で分かるわ」と言われた。この英語が不自由な日本人を私が何とかしてあげなきゃ、みたいな雰囲気が電話越しに感じ取れた。

 

このAGLのカスタマーサービスのおばさんが仕事できる人で本当に助かった。この人も英語にアクセントがあったが、おそらくアジアではない。あまり聞いたことがないアクセントだったが、話すうちに距離が近くなる空気を出していたので東欧か南欧かな。ちなみに、こちらに来て様々な手続きをする中、今までいわゆるオージーイングリッシュを話すカスタマーセンターの人にあたったことはあまりない。圧倒的に多いのはインド系と中国系のアクセントを話す人。アクセントがあること自体は、オーストラリアでは特に仕事をする上で障害にならないようだ(もちろん英語自体はきちんと話せている前提)。

 

電気ガスの接続なんて何も難しいことはないのに、代行業者が絡んできたせいで状況が混乱して無駄に時間を取ったし、何より精神的に疲弊した。YourPorterはかなり強引な会社だということが分かった。これだけやり取りした後なのに、数日後、しれっと「YourPorterのサービスはどうでしたか?あなたのフィードバックをください!」というメールが来たので、10段階中0のスコアをつけて返した。

 

引っ越し業者の手配と引っ越し

こちらに来て家族4人で生活し始めてから、家具も家電も必要最低限とはいえ、それなりにそろえた。これらを自分たちで運ぶことは不可能なので、引っ越し業者に頼まなければならない。夫に仕事を分担してもらうために、当初は日系の引っ越し業者をあたってもらったが、値段が高すぎて断念(概算見積もりで10万円程度)。評判が良さそうな現地の引っ越し業者に見積もりを取ったら3万円程度だったのでそこに決めた。ちなみにRocket Removalsという会社。

 

ホームページから見積もりを取ったらさっそく翌日の朝に電話がかかってきた。こちらも早口。何を言っているのか半分くらいしかわからないが、とりあえず運んでほしいものを大体口頭で伝えたら、メールで見積書を送ってくれた。6トン車で作業員2人という見積だった。それから特に引っ越し当日までやり取りすることはない。ちなみに段ボールなどの資材を引っ越し業者から購入すると高いので、Officeworksで段ボール10箱(15ドルくらい)を購入し、あとは酒屋にある無料の段ボール箱をいくつかもらってきた。

 

引っ越し当日、時間通りに6トン車と作業員の人が来た。作業員の人はとても背が高く筋肉質で南アジア系のような見た目。日本人にはまずいない種類の体つきだった。2人とも背格好も顔も似ていてひょっとして双子もしくは兄弟だったのかもしれない。手際よく、なおかつ丁寧に作業を進めてくれた。結果、引っ越し自体は2時間ちょっとで完了。プロの仕事だなあ、と感心。こちらの引っ越し業者はいい加減だという悪い話もよく聞くけど、全然そんなことはなかった。

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長い6トン車で引っ越し。カラッと晴天で暑くもなければ寒くもない引っ越し日和だった

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冷蔵庫を運び出しているところ。自分たちでは絶対にできない作業

しかし、問題は引っ越しした日の夜に発覚。解体して運んだIKEAの2段ベッドのパーツのうち、はしごの部分の短い板(登るために足を乗せるところの板)が見つからない。おそらくトラックからおろし忘れたのだろう。翌日の朝、事務所にメールで連絡してみたが反応がない。もう見つからないのかもしれないと思い、週末にIKEAに出向いた。カスタマーサービスで、以前購入したベッドのパーツを引っ越しで無くしたことを告げ、パーツだけ売ってもらえないか聞いた。一応調べてもらったが、あいにく在庫がないとのことでダメだった。

 

土日を挟んで月曜日。再度引っ越し業者にメールしてみたら、すぐに電話がかかってきた。週末で対応できなかったことの謝罪とパーツはトラックの中に残っていたという連絡。これでほっとした。翌日、引っ越し作業に来てくれた人がパーツを家まで届けてくれた。小さなパーツだったので無くさないようにとツールボックスに入れておいて忘れてしまったよう。ちゃんと対応してもらえて良かった。

 

インターネットの接続

これは夫が対応したので夫から聞いた話。もう次々と起こるトラブルに失笑しか出ないが、インターネットの接続でもミス発生。日本語が通じる代理店に引っ越しの2週間以上前に連絡。こちらでは前の家で使っていたモデムは家において、新しい家には新しいモデムを手配して使うルールらしい。代理店からnbnというオーストラリア全体のブロードバンド会社に連絡してくれたが、nbnが住所をミスして新しいモデムが全然関係ない人の家に届くようになってしまったらしい。ストリート名は合っているが、番地の数字を間違えたとのこと。そんなことあるか?という初歩的なミス。こちらではどうしようもない。

 

引っ越しの前日くらいになって代理店から連絡があり、早くてもモデムの到着は1週間後くらいになるとのこと。こちらは2週間以上余裕を見て手続きしたのに、間にミスする人が出てしまい、結局引っ越してから1週間は家のインターネットが使えないという不便。。無事モデムが届いてからは接続は問題なく完了。別の記事にも書いたが、まさかインターネットが使えない時に、私はPhD1年目の審査(Zoomで実施)という重要な節目を迎えることになるとは(当然このタイミングで引っ越しをしたのが悪いのだけど)。

 

何でも一筋縄でいかないのが海外生活だということを改めて思い知った一方で、めちゃくちゃな英語でもなんとかなるという経験値を積ませてもらった。引っ越し自体よりもその手続きに疲弊し、1年目の審査の緊張も相まって、審査が終わった日の夜中に激しい眩暈。寝ているのに自分がぐるぐると回っていて、気持ち悪くて目が覚めた。朝起き上がることができず、朝食も子供の弁当も夫に任せてベッドに半日寝ていたが、午後には何とか復活できた。今回は短くて済んだ。でも前回の眩暈の後遺症なのか、何なのかよくわからないが、ストレスがかかると眩暈がする体質になってしまったようだ。

 

そんなこんなで苦労した引っ越しだったが、今とても満足している。終わってみれば全部結果オーライだった。引っ越した家での生活が気に入っているので、前の家に戻りたいと思ったことはない。次は引っ越し後のことについて書く。

メルボルンで引っ越し<家探し編>

ここ1か月くらい、生活がバタバタと忙しかった。その理由の大部分は、引っ越しをしたから(他にも小学校の複数の行事や次男の誕生日なども重なった)。しかも自分は前回の記事に書いたように、1年目の審査を控えていた。そんなこんなで書きたいことがたくさんあってもなかなかブログを書くところまで手が回らなかった。忘れないうちに引っ越しの記録をまとめておく。

 

引っ越しした理由

以前住んでいた家に特に大きな不満はなく、残り2年もそこに住んでも良いかな、と思っていた。一方、近所にFor leaseの看板が立っている家をたくさん見るようになって、明らかに空き家が増えていることを12月頃から感じ取っていた。私が通っている大学はメルボルンの郊外にあり、オーストラリアで最大規模の大学。留学生もまあまあ多い。コロナによる鎖国のせいで卒業した留学生は自国に戻るが、新しい留学生がパッタリと入国できなくなってしまったことで大学の周りの人口が減り、急に空き家が増えたようだ。

 

この状況に伴い、家賃相場が値崩れし始めた。ロックダウン中は不動産の下見もできなかったので動きがなかったように見えたが、ロックダウンが明けてからあちらこちらで引っ越しを見るようになった。実際、私の家の両隣の人たちも12月と1月に退去した。もっと安くて条件の良い家に引っ越したのだった。

 

私も毎日のようにWebsiteで貸家を検索するようになった。相場は1割程度下がっていたし、物件をマップで表示させると、一年前とは比べ物にならない数の物件が出ていた。以前のブログ記事に書いたが、オーストラリアは(特にシドニーメルボルンなどの人口が増えている大都市は)完全に貸し手市場。借り手がいくつもの物件を申し込んでも断られたりすることもある。それがコロナで形勢逆転。少なくとも大学の辺りは一気に借り手市場になり、安くて良い家が借りられる絶好のチャンスが訪れた。

 

借りる家の条件

住んでいた家に大きな不満はなかったが、もちろんパーフェクトだったわけではない。私たちが新しい家を探すにあたって考えた条件は以下。

  • 家賃が今よりも安い
  • 庭付きの一軒家(以前住んでいた家も建物自体は一軒家だったが、同じ敷地に6軒の家が建っているというユニット形式だった)
  • 子供が通う小学校により近くなる(かつ私の大学にも自転車で行ける範囲内)
  • お湯がタンク貯湯式ではなく瞬間式(タンク式だと湯がぬるくなってシャワーに連続して入れないため)
  • 湯舟がある(以前の家にもあったが、貯湯式のため、一度に湯をいっぱい貯めることができず使えなかった)
  • 食洗器がある
  • 木材のフローリング(カーペットより掃除がしやすく清潔に保てるため)

これらの条件をすべて満たし、尚且つ必要な部屋数である3ベッドルームの物件が見つかったので、さっそく申し込んだ。

 

賃貸契約と以前住んでいた家の大家さんからの引き留め

以前住んでいた家の家賃は、週当たり525ドル(約18万円/月)だった。引っ越した家は、もともと週当たり400ドル(約14万円弱/月)で提示されていた。物件情報が出てからすぐのインスペクションに行ったら超人気。10組以上が来ていた。家の状態が良いのに家賃がかなり安いので、何組かが申し込むことは予想できた。これは戦いになると思い、家賃を上乗せして申し込むことにした。強気の50ドル上乗せで週当たり450ドル(約15万円強/月)。それでも525ドルと比べたらずいぶん安くなる。

 

インスペクションの翌日の朝に急いで書類をそろえて1formという不動産会社共通のシステムを使って申請。自由記述欄には家の気に入ったところを具体的に記しつつ、日本人だから靴を脱いで生活することもアピールポイントとして書いておいた。その日の午後になって不動産会社から電話があった。インスペクションから24時間も経っていないのに、すでに8組が申し込みしており、何組かは家賃の上乗せを提示しているとのこと。ただ私が提示した50ドルの上乗せが一番高く、大家さんも私たちに貸しても良いと言ってくれているということで、意思確認の連絡だった。

 

実は不動産会社から連絡が来る1時間前くらいに、突然家のドアがノックされ、以前住んでいた(当時住んでいた)大家さんが怒ったような顔をして立っていた。「引っ越そうとしているのか?この家に住んでいてハッピーじゃないのか?」と詰め寄られた。不動産会社から、以前住んでいた大家さんに情報の照会が入ったようだった。私たちは家賃の滞納を一度もしていないのでそのことは伝えてもらえたようだったが、「何が不満なのか?」と聞かれたので、「不満はないが、家賃がもっと安い場所で子供の小学校にも近いところだったので申し込んだ」と正直に伝えた。

 

そうしたら、大家さんが「家賃なら引き下げられる。いくらにしてほしいのか」と聞いてきた。新しい家の家賃は450ドルであることを伝えたら、少し考えるから後から話そう、と言われた。夕方に大家さんの家に行ったら、「家賃は460ドルでどうだ。これなら引っ越すよりも良いだろう。引っ越しには1,000ドルかかる」と説得された。私と夫はこの時点でかなり迷っていたが、結局、引っ越そうとしている家の家賃450ドルよりもあえて10ドル上乗せしてきていることを考えると、相手も私たちに絶対に残ってほしいとまでは思っていないだろう、と引っ越しを決めることができた(どうしても残ってほしいならば440ドルと提示するはず)。

 

正直、私は大家さんの引き留めに対して気持ちがかなり揺れ、数日間は精神的に落ち込んでしまったが、夫は冷静で、8組も申込が入ったような物件を自分たちが手に入れるチャンスを逃すのはもったいないこと、ロックダウンのせいでダークな1年を過ごした家から引っ越しによって心機一転したいこと、限られたオーストラリア生活で色々な経験をしてみたいこと、大家さんは家賃を下げさえすればテナントは見つかるし、所有物件であるユニットを3軒売れば1億5千万円以上を手にすることができる有利な立場なので、庶民の私たちが大家さんの懐状況を気にする必要は全くないことを挙げ、どれもその通りだったので私も気持ちを決めた。

 

翌日朝に不動産屋に連絡し、450ドルでその家を借りたいことを伝えた。メールで一気に契約書類やフォームが送られてきて、その日のうちの敷金と最初の月の家賃の支払いをした。あっという間に決まってしまった。以前借りていた家の大家さんに、引っ越しをすることを告げたら「450ドルにする」と言ってきた。なんだか良くしてくれた大家さんを裏切るような気がして私は精神的に参ってしまったが、とにかく決断したので後には引けない。「今までありがとうございました」と伝え、ルールに沿ってその日から28日後に退去することにした。ちょうど1年の契約が終わるタイミングでもあった。

 

実際の引っ越しの手続きについても色々とあったので次の記事に書こうと思う。

 

最初の家を見つけたときの話。 

fourty.hatenablog.com

 

 

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引っ越した家のバックヤード。色々条件を書いたけど、結局はこの裏庭が気に入って決めてしまったのかもしれない。椅子を出して漫画を読む長男。真ん中にあるのはアプリコットの木。

 

博士課程1年目の審査終了!

先ほど博士課程の1年目の審査会が終了。一応大きな問題なく終わったのでホッとしている。 審査については簡単に過去の記事に書いているが、今日がその当日だった。

 

fourty.hatenablog.com

 

もちろんZoomでの開催。パネリストの1人がイギリスの大学の先生なので、時差の関係で少し早めのスタート。朝8時45分からとなった。こんな大事なときなのに先週引っ越しをしたので家のインターネットが使えず、大学に来る羽目に(といっても大学の方が回線が安定しているので結局大学で良かった)。大学の図書館は学期が始まってからは朝8時から夜12時までやっている。こちらの大学生は本当によく勉強する。今回は図書館の中にあるDiscussion roomという個室を使わせてもらうことに。通常なら予約制なのだが、コロナのせいで予約制ではなく早い者勝ちになっている。まずは昨日試しに8時半前に来てみたら、最後の1室がようやく確保できた。今日はもっと早く来ないといけないということが分かった。

 

私の朝のお勤めは子供たちの弁当作り。いつもは7時頃朝食をとった後に作るが、今日はそれでは間に合わないので、5時45分から弁当作りを頑張った。メルボルンは秋というか冬の様子で朝は特に寒くて暗い。この1週間は朝ガスストーブをつけている。弁当作りが終わって少し時間があったので、1回だけ家でプレゼンの練習をしていたら、家族が起きてきたので終了。

 

7時40分ごろに家を出るつもりが少し遅れて8時前。図書館についたのは8時15分。競歩のスピードでDiscussion roomのエリアに向かったら空室は残り2つだった。そのうちの一つにさっと入室。私が競歩で抜かした女の子が最後の1つを確保していた。ぎりぎりセーフ。開始まで30分の余裕があるので、図書館の中のカフェでコーヒーを買った。その後、準備したQ&Aをプリンターで印刷していたら、新入生らしき女の子からプリンターの使い方を聞かれてしまった。簡単に教えてすぐその場を退散(今日は時間がなく丁寧に教えてあげられなくてちょっと罪悪感)。図書館でプリンターの使い方を聞かれるのは初めてではない。他にもペンを貸してくれとか、道を聞かれたりとか、駅で切符の買い方を聞かれたりとか、オーストラリアにいても日本にいても、他人から何やら聞かれることが多い。

 

話はそれたが、時間よりも少し早めにZoomに入室したら、Chairの先生と学部がアサインしたパネリストの先生がすでに入室していた。早い!審査会は人文学系のすべてのHDR学生が自由に参加できるようになっており、私のプレゼンは同じPhD部屋の中国人の学生(政治学)と日本に住んでいたことがあるというガーナ人のPhD学生(この人もたまたま政治学)が聞きに来てくれていた。他には正指導教官と副指導教官も。イギリスのパネリストの先生の参加が遅れて少し心配したが、5分の遅れで無事スタート。

 

プレゼンは台本を準備していたので滞りなく進んだ。その後、恐れていたQ&A。イギリスのパネリストの先生からコメントと質問。簡単に言うと、①この研究をやって何か重要なことがわかるのか?それは誰のためになるのか? ②研究でAの点をどこまで明らかにするつもりか? の2点。①は想定していた質問だったので、一応答えることができたような気がするが、英語が不自由なのでちゃんと伝わったかどうか、一抹の不安が残る。②については本来解き明かしたいことをPhDの期間内にどこまでできるかはわからないが、こういう視点を持ちながら、このくらいのところまでは掘り下げたい、といった回答にしておいた。

 

私のテーマは間口が広くて、事象を表面的にさらうことができる内容でもあるため、学術的な人達からはそれが一種のリスクに見えるようだ。表面的な事だけをなぞっても何も新しいことは分からないよ、誰のためにもならないような研究をしないようにね、ということをリマインドしてくれたのだと思う。でもこれが結構難しい。もともとこのテーマは自分の実務経験の中から出てきたことなので、現実世界に根差している。でもそこに力点を置くと、多くのAssumptionが入ってきてしまい、研究として成り立たないことは昨年学んだ。それでは純粋な研究としての質に力点を置くと、どんどん理論的な方向に進んでしまい、今度はこれが分かったとして何になるのか?という疑問を持たれてしまう。私は自分の経験からPracticalな視点に重心を置きがちなので、Theoreticalな貢献を意識し続けることが研究のバランス的にはちょうどよいだろう、と今は思っている。

 

もう一人の学部がアサインしたパネリストの先生は社会学の人。専門分野の人よりも専門外の人からの質問の方が怖い。そう思っていたら「社会学者として質問するけど…」と始まって、社会学の基礎をちゃんと学んでいない私は焦った。質問は私がリサーチデザインで触れたInterpretivismに関することで、Interpritivismがこの研究の理論的フレームワークにどのように関係しているのか?(もっとちゃんと関連付ける必要があるのでは?)という、質問というよりも指摘だった。これは正直に「Interpretivismについては、少し本で読んだだけで知識が足りないと感じています。Interpretivismについてもっと勉強して、理論的フレームワークとのつながりを明らかにした上で論文に反映させたいと思います。アドバイスをいただき、ありがとうございます」という回答にしておいた。

 

あとその先生からは、私がプレゼンで使った”Wicked problems”というフレーズにひっかけて、あなた自身がもっと”Wicked”になることをお勧めする、みたいな洒落が利いたことを言われたけど、あまり意味がよくわからなかった。Criticalになれ、ということですか?と聞いてみたが、そういうことではないらしい。しかもその後、Chairからは、でもToo wickedにならないようにね、みたいなことも言われて、自分が言い始めたことなのに、ネイティブの言葉遊び?についていけなくなってしまった。今度指導教官にどういう解釈をしたらよいのか聞いてみようと思う。

Wicked definition and meaning | Collins English Dictionary

 

上手いこと時間切れになったので、ここでQ&Aは終了。2人のパネリストの先生には上記の他にも何か言われた気がするが、100%理解できた自信はない。感覚的には65~70%くらい。いつも指導教官の先生とZoomミーティングするときは、ほぼ100%理解できるが、今回自分の英語力がまだまだであることも改めて思い知った。イギリス人の先生はそもそもアクセントが普段聞いている英語と異なること(とはいえ、そんなに強いアクセントではなく、ゆっくり目に話してくれたような気がするが)、初めて話す人であることというハードルの他に、インターネットの接続のせいか、音声の質があまりよくなくて聞き取りに苦労した。学部がアサインした社会学の先生は使う言葉が難しくて、内容を理解するのが大変だった。

 

プレゼンとQAも含めて、このミーティングは以下のように進んだ。

①プレゼンとQ&A

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)、学生(私)、任意の聴講者

【内容】学生がプレゼンして、その内容についてパネリストから質問やコメントを受ける

 

②学生の研究態度についての確認

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)※学生は退室

【内容】指導教官からChairに対して学生の研究態度についての報告

 

③指導教官の指導状況についての確認

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、学生(私)※指導教官は退室

【内容】Chairから学生に対して、指導教官の指導状況についての確認(不満や懸念点がないかどうか)

 

④評価シートの作成と合意

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)※学生は退室

【内容】評価シート(いくつかの項目でスコア付けされているらしい)に則り、学生の進捗について評価、合意形成

 

⑤ラップアップ

【参加者】Chair、パネリスト(2名)、指導教官(2名)、学生(私)

【内容】評価結果について簡単に説明を受ける

 

これを1時間の間に済ませるので、プレゼンの後はZoomに入ったり出たりの繰り返し。⑤で評価結果を知らせてもらえることは知らなかったので「あなたはパスしました」と言われたとき、「もう結果が出たんですか?」と聞いてしまった。私の英語の聞き間違いでなければ、無事にパスした模様。ただパスにもいくつか段階があって、文句なしのパス、Minor revisionのパス、Major revisionのパスがあるようなので、どれにあたっているのかは、後日正式な文書で確認することになる。とりあえず出直しは不要のようで安心した。

 

良かったのはChairの人から「僕の専門分野とは違うけど、君のレポートとプレゼンはとても興味深いと思ったし、楽しませてもらったよ」と言ってもらえたこと。もちろんリップサービスもあるだろうけど、違う分野の人に自分の研究テーマを知ってもらえる機会となるのは、この審査会の副産物の一つだと思う。とにかく1年目の審査はこのようにして終わった。来年はデータを引っ提げて報告するので、濃い内容になるはず。いよいよ実際の研究に着手する準備が整ったので、これから1年また頑張ろうと気を新たにした。

 

(追記)

記事を書いた後、指導教官からお疲れ様メールが送られてきた。そこには、M (Chairの先生)said you were confirmed with flying colours. とあった。Flying colours??調べてみると、coloursは色ではなくて旗のことで、with flying coloursというのは、良く出来た、といったような意味らしい。英語をもう少し真面目に勉強しないと話についていけない。

 

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この赤い部屋で1年目の審査会に臨んだ

息を吹き返した大学のキャンパス

今日は11時から指導教官とのzoomミーティングだった。インタビューのリクルーティングについて相談した後、また一年目の審査のプレゼン練習(まだやっている…)。プレゼンはOKが出た。もう自分でも飽きている。指導教官は来週から大学の新学期が始まるので授業の準備で忙しそうだった。昨年はたった1日だけしか対面授業がなく、残りは全部オンラインだった。今年はというと、対面とオンラインのハイブリッド形式で進めるらしい。先週のように突如ロックダウンが来る可能性があるので、ハイブリッドは良い考え。また、外国人の入国が許可されていないため、海外に足止めされている留学生もいるから、オンライン授業は必須だろう。

 

昼食を家で済ませてから登校。私は自分の作業場を自宅からキャンパスに移すにあたって、何十冊も借りている図書館の本を数冊ずつ自宅からキャンパスの自分の机に移動させている。今日もその移動をさせるという目的があった他、今週はO-weekなのでキャンパスがお祭りになるから、その様子を見てみたかった。

 

大学に行ってびっくり。どこからこんな人が来たのだろう、という混み具合。活気がある。そして歩いている人たちが皆若い。若者たちがキャッキャしている。幸せそう。テントがたくさん出ていて、いろいろな団体が活動紹介をしている。その他、各種サンプルの配布やフリーフードの配布があった。食べものが配布されている場所はもれなく長蛇の列。

 

昨年はコロナが拡がり始めたせいで、新学期の開始を2週間後ろ倒しした上、感染が収まりそうもないため、すべての授業のオンライン化が決定、O-weekは準備だけして結局中止になった。昨年オリエンテーションを楽しめず、大学1年目が全部オンラインになった可哀想な2020年入学の学生と、2021年入学の学生がターゲットになっている。もちろん既存の学生も参加できる。20歳前後の若者に交じって、O-weekでにぎわうキャンパスを30分程度徘徊した。

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先週まで静けさに包まれていたキャンパスが一気に賑わった

 

 先週の準備の様子はこちらの記事の写真。

fourty.hatenablog.com

 

先週取り付けていた柵の意味がわかった。各エリアに入るたびに入場登録が必要なシステムが導入されている。何時に誰がどこにいたか、後で追跡できるようになっている。柵で囲われた入り口の係員に登録画面を見せないと入れない。入場前にサニタイザーしたり、入口と出口を分けていたりと、コロナ新規感染ゼロの今でも一通り対策がとられている。

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色々な団体(国別、専攻別、趣味・宗教など)がブースを出していた

今日一番良かったのは、メルボルンの有名カフェSt.Aliのブースが出ていて、無料でコーヒーを提供していたこと。キャンパス内にSt.Ali系列のカフェがあって、その宣伝だろうけど、ありがたくコーヒーをいただいた。私は大抵Flat whiteを飲むけど、St.Aliは豆がおいしいから今日はLong blackにしてみた。そして、そのコーヒーを片手に、音楽の学部が主催している無料ライブを聞いた。

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美味しいコーヒーを飲みながらライブを聞くという至福を大学内で味わった(ちなみに後ろの建物はバーで、週末は生演奏があるらしい)

青空の下で音楽を聴きながら、あぁ、本当はこれが私の留学生活の始まりだったはずなのにな、と思わずにはいられなかった。本来、昨年の今がこういう状態で、今は2回目のO-weekを味わっているはずだったのに、と思うと、昨年1年間の留学生活のほとんどがロックダウンによって過ぎてしまったのはやはり残念で仕方がない。昨年を色で例えると灰色もしくは黒。オンラインで便利なこともたくさんあったけど、やっぱりキャンパスに人がたくさんいて、こうやって生演奏を聴いたり、わいわいしている雰囲気はとても良い。歩いているだけでエネルギーをもらえる。大学はこうじゃなくっちゃ、と思った。

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O-weekでもらったサンプル品など。40代でもちゃんともらえた

 

O-weekの2日目(火曜日)の様子を追記。

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大学院生向けになぜかピンクの綿菓子を配っていたから堂々ともらった。

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何だかよくわからないけど、道化師もいた。完全にお祭り。

あとは無料のBBQ(食パンに肉を挟んだもの)と再びSt.Ali でLong blackをもらって楽しんだ。グッズは水筒やノートなどが配られた。ちゃっかり楽しんでいる。

5日で解除された3回目のロックダウン

先週土曜日から3回目のロックダウンに入ったメルボルン。その後、感染が落ち着いたので、予定通り昨日の夜でロックダウンは終わった。はあ、これで日常生活に戻ることができる。ほとんどはロックダウンの前と同じだが、一部マスクのルールと人の集合については少しだけ規制が残る。とにかく私は小学校が始まってくれれば万々歳なので、とてもうれしい。

 

子供たちは月~水の3日間だけ自宅学習。月曜日に長男と私が喧嘩したので、夫に長男の学習をみてもらったが、夫もものすごいストレスを受けたようだった。小5男子ってもう反抗期に入っているのか?本人にとって英語ができない状態で英語の課題をやらなければいけないストレスは大きいのだろうけど、それを大人が嫌がる方法で示してくるので厄介だ。でも自宅学習の日でも朝起きたら学校の制服を着て、一日制服で過ごす長男。学校に行くことがよほど楽しいのだろう。

 

小1の次男の自宅学習は比較的平和。やる気を無くしたら休憩して、後は褒めていれば乗り切ってくれる。まだ5歳なのに、こちらではもう小学1年生。英語と日本語で文章を書くようなことをやらされて、ちょっと負荷が大きいように見えた。今回私は3回目のロックダウンで初めて次男の学習サポート担当をしたが、小学1年生の学習内容は結構興味深い。例えば、英語のライティングの課題では、コミュニティに存在するものに関する「事実」を文章にする、というもの。それにタイトルとサブヘッディングをつける。内容は難しくなくて、例えばタイトルが「公園」でサブヘッディングが「滑り台」。そしてコンテンツとして滑り台の説明文を3つほど書く。

 

この課題で難しいなと思うのは、あくまで客観的な「事実」を書くように求められているという点。自分が滑り台が好きだとか、昨日公園に行って滑り台で遊んだ、とかいうことは書いてはいけない。この課題は火曜日と水曜日に別のテーマで実施した。水曜日に自分の好きなものについてのお題を与えられたとき、次男はバナナを選んだ。そうすると、タイトルが「フルーツ」、サブヘッディングは「バナナ」、内容は「バナナの皮は黄色いです。中身は白いです。味は甘いです。」となる。でも「ぼくはバナナが好きです」とか「今朝バナナを食べました」ということは書いてはいけない。客観的事実の説明と主観的内容の違いを小学1年生から叩き込むってすごいと思う。自分が小学校の時、そんなことやったかな。

 

もう自宅学習はこれで終わりにしたいけど、海外からの帰国者を受け入れている以上は、今後もこういったSnap lockdownはありそうだ。でも今回のように数日で終わるなら、あまりキリキリしないで、課題も全部やらせなくても良いかもしれない、と思ったりもする。とにかく親子関係が悪くなることとメンタルがボロボロになることは避けたい。

 

今日は大学に来たが、実は今日の午後に予定されている全豪オープンの女子シングル準決勝、大坂なおみとセリーナの試合が観られるチケットがまだ売り切れておらず、大学に来た後も行くかどうか迷っていた。こんなすごい試合なのに、当日朝になってもまだチケットが買えるなんて特別な状態。もちろんコロナによる入国規制と入州規制の影響。こんなことは今回が最後だろうと思ったので、かなり迷った。でも先週も平日遊んだこと(3回戦の観戦)、来週は引っ越しの準備があって稼働時間が少なくなりそうなこと、試合が14時以降からで17時からの長男の公文までに戻るのが難しそうなこと(今日は初日なので書類を先生に手渡しに行く)から、行くのは断念した。今でも少し後悔しているけど、1度でも生で観に行けたのでOKとする。特にテニスファンではなかったけど、今回全豪オープン大坂なおみ選手の試合を観に行って好きになってしまった。来年も全豪オープンは観に行こうと思う。

 

大学は来週からO-week(オリエンテーションウィーク)が始まる。キャンパスの中には特設会場が設けられたりテントが設営されていた。去年は全部設置した後に第1回目のロックダウンが始まったので、結局O-weekは開催されなかった。今年はこのままうまく進むといいな。3月初から始まる新学期では対面授業がほぼ1年ぶりに再開される。学生があふれるキャンパスを早く見たい。

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人文学系の学部が入る建物の前にも柵が設置されて何かイベントが行われる模様

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大学キャンパス内で見つけた自販機。充実野菜は「売切」の表示。飲み物だけではなくて、自販機も日本から輸入してるんだね

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ブラックコーヒーとミロも人気があるようだ

 

 

 

3回目のロックダウン

前の記事の終わりにも少し書いたが、メルボルンは現在、3回目のロックダウンの最中。ことの発端は、海外から帰国した人を隔離するホテルで働く人が感染してしまい、その人の周りの人が感染するという市中感染が起こった。累計15人くらいの感染になったところでロックダウン。その後、毎日1人~2人の新規感染者が出ており、すべてはそのホテルの感染に紐づけられている。

 

ロックダウンは先週金曜日の午後に発表され、その当日の深夜から5日間の予定。また新しい単語を聞いた。こういう速くて短いロックダウンをSnap lockdownと名付けたらしい。BubbleとかSnapとか、言葉は知っていても、コロナに絡めてどんどん新しい造語が出てくる昨今。

 

メルボルンの人たちにとって、ロックダウンは昨年散々経験していて慣れている。誰もが嫌な気持ちになるけど、かといって、今回は驚きや動揺はそんなにない気もする。「あー、またか…」という感じ。昨年、メルボルンの数か月にわたるロックダウンが終わった後、ブリスベン、パース、アデレードシドニーなど、各都市でも帰国者経由の感染が発覚して、短期間のロックダウンをやっている。だから、メルボルンだっていつかこうなるというのは誰もが想像していたことでもある。ロックダウンの判断が早いのは、自分の州だけではなく、他の州の例も含めて経験が積み重なっているからだろう(とはいえ、メルボルンの第2波が他の州にとって反面教師的に一番参考になったと思うが)。

 

今回、Snap lockdownはいきなりステージ4レベル。お店はスーパーとドラッグストア、テイクアウトの飲食店のみ(つまりKmartやIKEA、Bunningsなどは閉店)。美容院なども閉まる。エッセンシャルワーカー以外はWork from homeの義務付け。小学校~大学まですべて閉鎖(ただし親がエッセンシャルワーカーの子供は申請を出して許可されれば登校可能)。外出は居住地から5km圏内に制限され、4つ理由以外での外出は認められない。4つの理由とは、食料品や物資の買い物(一世帯当たり1人が1日1回のみ可能)、介護及び医療、必要不可欠な仕事または許可された通学、運動(屋外での運動は1日2時間以内)。訪問の禁止。屋外も含めてマスクの着用義務。などなど。全部経験済みのこと。

 

散々、第2回のロックダウンの時の記事にも書いたが、私にとって一番打撃なのは、小学校が閉校になること。これが休みではなくて、自宅学習なのがつらい。自宅学習=親が教師の代わりになるということだから。今週月~水は、自分のことはほとんど何もできないと思っていた方が良い。。3月初に予定しているPhD1年目の審査の準備がほぼ終わっているので焦ることはない、と自分に言い聞かせた。

 

ロックダウン1日目と2日目は週末なので楽勝。近くの公園に2時間弱遊びに行って、後は普通に過ごす。掃除したり、料理を作ったり。日曜の昼はKFCをテイクアウェイして食べた。あと全豪オープン大坂なおみ選手の4回戦をテレビで観戦。特に不便はない。問題は月曜日から水曜日までの自宅学習。

 

長男は5年生に上がって、学校が使う学習プラットフォームが変わった。高学年はGoogle Classroomというプラットフォームを使う。これのアカウントセットアップや準備をしなければならない。先生たちは日曜日にも対応業務をしていた。次男は相変わらずSeeSawというアプリ経由で課題が出されて提出する形をとる。学年が変わって、新しいIDを使うということ以外には特に大きな変化はない。

 

そして月曜日。いつも通り、私の担当は長男、夫の担当は次男という2人体制で子供の家庭教師を始めたが、長男と私がもめてしまい学習が中断。ひどいことを長男から言われて心が傷つき、家族の前で泣いてしまった。「もう私は長男の家庭教師はやりたくない」と夫に訴えて、担当を交代してもらった。午後からは私が次男の担当、夫が長男の担当。次男の学習は1年生なので平和。まだ小さいので集中できる時間は限られているけど、今のところスムーズ。

 

やっぱり小学校が閉校になるとすべてが狂う。子供は学校に行けないことがストレス、大人は仕事など本来やるべきことができずにストレス。その状態で、自宅で学習をしなければならず、家族ならではの甘えや厳しさも出て衝突しがち。そしてこれがまた新たなストレスになるという悪循環。ロックダウンなんて楽勝、と思っていたけど、やっぱりつらい。早く終わってほしい。他のことはすべて我慢するので、頼むから小学校だけは開いていてほしいと思う。昨年はよくこんなこと何か月もやっていたな、と自分でもびっくりするくらい。1週間前とは天と地の差。でもこの状態を終わらせるために、自分にできることは何もない(自宅にいるということ以外)。来週にはロックダウンが終わっていることを祈るしかない。

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日曜日に行った近くの公園。背の高い松の木がたくさんあった



 

全豪オープン2021を観戦

昨日、全豪オープン女子シングルス3回戦、大坂なおみ選手の試合を観戦した。チケットは前日の夜に購入。前日にならないとどのコートで何時からどの選手がプレーをするかが発表されないので、観たい選手を観に行くには前日夜にチケットを予約するしかない(もちろんチケットが余っていれば当日でも予約できる)。一昨日の夕方に全豪オープンのホームページを見たら、まだ対戦内容が更新されていなかった。夕食後に再度見てみたらアップされていた。大坂選手の3回戦はJohn Cain Arenaという少し小さめの会場で、昼の13時半以降からということ。夜だったら観に行けないので、ちょうどよかった。

 

チケットの値段は3段階設定されていて、1番高いのは200ドル(学生160ドル)、2番目に高いのは120ドルくらいだったかな(忘れた)、一番安いのは49ドル(学生39ドル)。当初、真ん中のチケットを買おうと思ったが、夫と2枚分を予約しようと思ったら売り切れていたので、一番安いチケットにした。私は学割で39ドル!3,000円くらいで観に行けるとは。

 

会場は家から30分弱電車に乗るだけ。シティに入る一歩手前の駅。とてもアクセスが良い。昨日は曇り時々晴れの予報で、気温も20度前後とちょうどよい。最高の観戦日和な気がする。私が買ったチケットでは、合計4つの試合を観ることができる。大坂選手の試合の前に女子シングルスが1試合、後には男子シングルスが2試合。しかも男子シングルスには、オーストラリア人のキリオス選手が出場するので、オージーが観に行きたい人気のチケットなんだろうと思った。

 

会場があるRichmond駅には12時ごろ到着し、近くのカフェでランチした後、試合会場に向かう。全然人がいなくて、めちゃくちゃ空いている。これがグランドスラムの大会なのか、と不思議になるくらい、人がいない。本当ならもっとお祭りな雰囲気なんだろうけど。

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いたるところに案内が出ているので絶対に迷うことはない

携帯でQRコードを表示させて無事に入場。練習用コートの横を通って会場に向かう。

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選手の練習風景。車いすテニスの選手もいた

会場の前には、特設のバーが設けられていて、ビールやらワインを飲めるようになっている。のんびりとした雰囲気。

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ロレックスがスポンサーをしているようだ

会場に入って、記念撮影。シティが見渡せる場所があった。いつの間にか快晴。

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右に見える白い屋根の建物が決勝戦も行われるメイン会場 Rod Laver Arena

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売店の周りを歩いていたボールのマスコット。会場が空いているせいか、せっかくの着ぐるみなのに注目されていなかった

会場には1時15分頃に入ったが、まだ1つ前の試合の2セット目をやっていた。どうやら接戦のよう。せっかくなのでこの試合も観ていくことに。全然知らない選手たちの試合だったけど、力が互角で観ているうちに面白くなってきた。イタリアと台湾の選手の試合。イタリアの選手の方が力強いけど、台湾の選手は技があって精神的に安定しているように見えた。中盤まではイタリアの選手が勝つかと思ったけど、最後は台湾の選手の粘り勝ち。2時間44分という長時間の試合となった。このため大坂選手の試合は大分時間が押して、3時頃からとなった。

 

待ちに待った大坂選手の試合!でも会場はガラガラ。もともと間引きしてチケットは販売しているけど、それにしても空いている。ぱっと見では4分の1も席が埋まっていないのではないか。

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入場したばかりの大坂選手。ヘッドフォンをして音楽を聴いているのかな?ど派手なウェアが似合っている

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会場の全体風景。空席が目立つ

上着を着たまま、少し対戦相手と練習のラリー。こうやって身体を慣らすんだな、ということを知った。ジャケットを脱いで、いよいよ試合開始。会場はシーンと静まり返っている。みんな大坂選手のプレーに注目しているのがわかる。

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大坂選手のサーブ。ものすごい切れ味で素人が見ても迫力があった

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メーターでは時速190キロ越えを表示。もう目では追えない速さ

大坂選手のプレーに魅了された。相手はランキング27位の選手だから、簡単に勝てるだろうと思っていたけど、そうでもない。最初は、これは互角なんじゃないか、と思うシーンもあるくらいで少し心配になったけど、大坂選手はとても落ち着いて見えた。会場に来ている観客も大坂ファンが多いようで、時折「Naomi!」という掛け声がかかったりしていた。

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トスを失敗してやり直すとき、毎回「Sorry」と言っていたのが印象に残った

コンパクトデジカメの持ち込みは許されているので、久しぶりにたくさん写真を撮った。あまり多く載せると良くない気がするので、これくらいにしておく。

 

終わってみると1時間20分弱の試合だった。前の試合よりも半分の時間。結局、大坂選手が強かったということなんだ。でも十分に楽しませてもらった。大坂選手はとても魅力的な選手。テニスのことをよく知らない私でもプレーに惹きつけられた。そしてオーストラリア人からも大人気。勝利後のインタビューでは、オーストラリア人が喜ぶようなことを言って、ファンサービスもちゃんとしてくれる。これぞ一流のスターアスリート。試合中は力強くてかっこいいのに、インタビューの時はかわいいというギャップにやられる人が多いと思う。

 

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インタビューは和やかな雰囲気

素敵な大坂選手。来年もできれば観に行きたいな。この後の男子シングルスの試合も観ていきたかったが、子供のお迎えがあるので断念した。でもちょうど学童保育(After School Care)を申し込んでいたので時間には余裕があった。5時前に会場を後にした。子供が学童に行く日じゃなかったら、大坂選手の試合が始まる前に帰らないといけないことになっていた。たまたま学童を申し込んでいてよかった(兄弟2人で55ドルの費用が掛かっているけど…)。

 

実は、メルボルンは昨日コロナの新規感染者が5名出てしまったということで(すべて海外帰国者の隔離ホテルからの感染)、大坂選手の試合の直前に、3回目のロックダウンに入ることが発表された。ロックダウンはこの日の夜中から開始され、今のところ5日間の予定。この記事を書いている今はまさにロックダウン中。全豪オープンは今日から5日間は無観客試合になる。そして感染の状況によっては、その後の決勝戦等も無観客になってしまう。州知事の説明では、テニス選手は仕事としてテニスをしているのでOK、観客はエンターテイメント目的の外出になるのでNGということらしい。ギリギリ観戦できた自分は何て幸運なんだろうと思った。ロックダウンによる生活の変化は別の記事に書く。

 

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帰りにも会場のバーエリアを通ったが、とても数時間後からロックダウンに入る場所とは思えない、のんびりとした雰囲気が漂っていた