40代からの博士課程留学

41歳でオーストラリア・メルボルンで博士課程留学(社会学)を始めた自分、現地小学校に通う子供のこと、家族での海外生活などを綴る。2023年3月帰国、フルタイムで働きながら博論執筆中。

国際学会にアクセプト

先週の土曜日に、世界最大の経営学会Academy of Management (AoM)の今年の年次大会にペーパーがアクセプトされたというメールを受信。博士課程の研究をネタにした最後の学会発表。そして最初の「対面」の国際学会での発表。場所はシカゴ。年明け1月にフルペーパーを出していた。

 

これは実は2年前のリベンジである。私の(フルタイム)博士学生としての最後の年、2022年のAoM@シアトルにアクセプトされ、メルボルンから中継地の東京に飛んだところ、道中でコロナを拾い、東京での学会発表の後に10日間の隔離生活。シアトルの学会発表は最初で最後のはずだったけど、ビデオでの参加となった。もうAoMで発表することはないだろうと思っていたけど、チャンスがもう一度巡ってきた。

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2年前のシアトルのAoMはハイブリッド開催だったが、参加した人からの話だと、実際には半分くらいの人しかシアトルに行かなくて、シアトルにいる人たちもめんどくさがってホテルの部屋から参加する場合も多かったそう。いまいち盛り上がりに欠けたと聞いている。AoMは他の学会と同じように2023年から対面のみの開催に戻った。だから、今年参加すれば、2022年に参加していても経験できていなかったであろう、フルの国際学会を経験できるということ。

 

難点は、2022年と比べて飛行機がバカ高いこと。あとはシアトルは西海岸だから日本から近いけど、シカゴは遠い。直行便で12~13時間…。前職ではトータルで10回程、テネシー州ナッシュビルに出張に行ったが、半分くらいはシカゴで乗り継いだ。だから空港には何回も行ったことがあるが、街に降りたつのは初めて。特にシカゴという街に興味はないが(アメリカ全般にあまり興味がない)、行けば面白いだろう。

 

アクセプトが決まってから、先週末飛行機を調べまくった。結果、JALのプレエコで行くことに。今年のAoMはちょうど日本のお盆の時期と重なっており、それもあって飛行機代が高い。エコノミーでも直行便は35万円程度。日にちをずらしながら色々と調べていたら、プレエコで40万円ちょっとということがわかり、もう40代で体もつらいし、それくらいの贅沢は良いだろうと。コロナ禍でことごとく期限切れしたマイルをeJALポイントに変えていた分が14万円分ほどあったので、結果、持出は30万円程度。

 

それにしても、アメリカは何でも高い。ホテルも学会があっせんしているところで1泊4万円程度(270ドルくらい)。高すぎるだろう、とbooking.comで調べてみても、格下のホテルでもそれより高く、最低でも1泊3万円くらい出さないとまともな場所に泊まれない。結局、学会があっせんしているハイアット・リージェンシーに泊まることになりそう。1週間行くのでホテル代だけで25万円!学会に参加するってお金かかるわ。

 

博士課程時代にもらった研究費の余りが40万円程あるので、それを使い切って自腹で数十万出す感じかな。

 

これから自分がアカデミアに行くかどうかは分からないので、ひょっとして最初で最後の国際学会での対面参加になるかもしれない。もしくは学会への参加を通じて何かが生まれるかもしれない。とにかくお金はこういう時のためにあるので、使うことに躊躇はしないけど。つくづく、働いていてよかった、と思うし、しばらく会社員の仕事はやめられないかもなあ…。今の私が日本でアカデミックポストに就くと、おそらく年収は多くても今の半分、下手したら1/3になる。とてもじゃないが、そこまでしてなりたくはない。

 

共著者の指導教官にメールしたところ、なんと先生も別のカテゴリーに自分のペーパーを出していたらしく、参加するとのこと。あれ、もうセミリタイヤするから、昨年が最後と言っていたのに。方針変わったのかな?とにかく、指導教官とは5月の卒業式だけでなく、8月の学会でも顔を合わせることになりそうで嬉しいし、心強い。

 

今年は5月にメルボルン、8月にシカゴと2回も海外に行く予定ができてしまった。ただまだ新しい会社での試用期間中で年休は取れない笑。個別承認でもらえるらしいが、使い切ってしまう可能性もある。別に欠勤扱いになっても構わないが。前の会社の年休、たんまりと残ったまま辞めちゃってもったいなかったなあ。

 

この週末は長男のメルボルン時代のベストフレンドの1人が遊びに来ていて、家で2泊した。一気にまたメルボルンを近くに感じている。長男は最近メルボルンに戻りたいモードが来ているので、5月の渡豪でそれが加速しそうだな。

 

メルボルンからのお土産たくさん!

 

卒業式に申し込み

先々週、一足先に自分で大学のWebsiteを見に行って発見した卒業式の日程。昨日、正式に大学から連絡が来て、日時が確定した。私が博士課程で通った大学は、オーストラリアで最大規模の大学。卒業式は5月、9月、12月と年に3回開催され、それぞれ2週間ほどにわたる。

 

私の学位は昨年11月に授与されたが、直前すぎて12月の卒業式の申し込みには間に合わず(実際に仕事上も参加が難しい状況だったが)、その次の5月に申し込みをしていた。夏以外は基本的に天気が悪いメルボルン。5月と9月の卒業式は、たいてい寒い中での雨と強風に見舞われるので、絶対自分は12月の卒業式が良い、と思っていたけど、思い通りにはいかない。メルボルン特有の強風で傘はひっくり返り、横殴りの雨でガウンがびしょびしょに濡れ、寒さに震えながら参加する卒業式を想像しているが、それでもワクワクしている。

 

卒業式は各日、午前と午後の2回の開催。5月は日が短く、午後の部は暗い印象があるから、午前の部に当たってほしいと思っていたら、午前の部になった。よかった。大学のサイト上で詳しいスケジュールを見ることができる。

卒業式は11時から始まり1時前に終わる

大学の委託業者のサイトから、卒業式に関する各種手配をした。卒業式は本人+2名まで参加可能。我が家は4人家族のため、1人追加の申込。1人追加につき41ドル。その他、写真や学位を入れるフレーム、盾、ガウンなどの購入も可能。私は壇上での写真(50ドル)のみ申し込んだ。1枚あれば十分かな、と。フレームや盾は荷物になるので買わなかった。ガウンはレンタルは無料、購入の場合は270ドル程度。一瞬、記念に購入も考えたが、持って帰っても使い道がないので、やっぱりレンタルにした。PhDの帽子はよく見る四角のではなく蝉丸みたいな形。

一番右がPhDのガウンと帽子

Artsの色はOld rose. かわいい色で良かった(Educationの色だけBananaって気が抜ける名称で面白い)

メルボルン行きの往復航空券は先週手配した。GWを過ぎているので、直行便のカンタスJALも14万円程度で比較的安い。日本人だからJALが良いけど、カンタスの方が往きも帰りも時間の都合が良かったので、カンタスで予約。4人分で52万円程度(大人3人と小人1人)。メルボルン⇔東京は直行便がカンタスJALしかなく、飛行機のサイズも小さいので、同じ航空会社でもシドニー経由より値段が高くなるのが不満。でも子連れだとやはり直行便が楽なので、カンタスで予約。

 

先週末に宿泊も予約した。当初、格安の大学のビジター用アパートを予約するつもりだったが、卒業式への出席を目的とする宿泊は不可と言われてしまったので、通常の宿に。昨年、帰国時に家を引き払った後に数日間滞在したサービスアパートメントを考えたが、Booking.comで見ていたら、それよりも便利な前住んでいた場所の近くにエアビー的な個人の家を貸してくれる場所があった。4ベッドルーム+3バスルームで駐車場付きの家が1泊300ドルくらい。大学の施設の倍の値段だが、サービスアパートメントと同じような金額で広さが倍なのでこちらにした。

こんな感じの家に滞在する

2019年のGWに下見のためにメルボルンを訪れているが、その時に作った長男のパスポートが切れていることに気が付いた(ちなみに次男のパスポートはメルボルン在住中に期限切れして現地で更新)。子供のパスポート5年間ってあっという間。早く気が付いて良かった。先週申請して、今週取りに行く予定。あとおそらく博士課程の修了時にStudent visaが無効になっているため(もともとは今年の8月まで有効)、ETASの取得もしなくては。細かいところでは、レンタカーの手配などもあるが。

 

メルボルンでは友人たちと再会することはもちろん、具体的な手続きとしては銀行口座をクローズしなければならない。うまく行くかなあ…あらゆる手続きが信用できないオーストラリアなので、滞在中にちゃんと完了できるかどうか一抹の不安がある。オーストラリアドルは100円近くに上がってしまっているが、現地の口座に現地調達したドル(奨学金)が残っているので、今回に限っては円安について気にしないで済みそう。むしろ、残っているドルをじゃんじゃん使ってやろう、とも思っている。実際には貧乏性なのでできないと思うが。

 

1週間だけだけど、家族みんなメルボルンに戻れることを今から楽しみにしている。日本に帰りたくなくなってしまったらどうしよう…。

 

転職して良かったこと

3月1日に、16年在籍した大企業から外資系の日本法人に転職してから、2週間ほどが経った。前の仕事と比べて、良くも悪くも中小企業というかベンチャー企業。色々なことがオーガナイズされていないし、人の入れ替わりも激しいが、その分、小回りが利くし、無駄な仕事が無いように思う(例えば社内向けの膨大な資料作りとか、てにをはの際限ない確認とか)。

 

2週間たった時点では、転職して良かったなあと思えている自分がいる。そのことについて簡単に書いてみる。

 

社風が自由

前職が管理型だったのに対して、今の会社は裁量型。前職も労働形態上は裁量労働だったが、管理職でも裁量なんてものはほとんどなく、ちょっとしたことでも役員やCEOにお伺いを立てる必要があった。このため仕事が遅々として進まない上、膨大な資料作成や修正業務が発生していた。

 

またまじめな日本人が多い職場だったので、定時までいることや残業することが暗黙の了解としてあったが、今の会社は外国人も多いし、日本人でも外資系を渡り歩いている人たちが多いせいか、労働時間は管理しているものの、早く帰ろうが遅く来ようが、仕事をしていれば問題ない。良くも悪くも他人の働き方に関心がないのかも。

 

作っている商品が身近

前職は自動車関連だったが、今の仕事は食品。どちらもメーカーでそのこと自体は私の関心に合っているが、食品メーカーに入ってみて、思いのほか面白い。毎日、会社の製品はオフィスで食べ放題。お気に入りの商品を家族に伝えて、家の近くのスーパーで購入してみたり。先週は工場見学に行かせてもらったが、食品の上流は農業。農学部出身者としてもなんだか近くに感じる。しかもこの会社で作っている商品がおいしい。

 

日本語と英語を使う

社外の人や部内の人と話すときは日本語だが、社内でも役員(外国人)やグローバルチームとの会議では英語を使う。そのバランスが結構良い。私の前任者は日本人ではなかったので、英語の方が得意のようだったが、日本語ネイティブの私は日本にある外資系で働くメリットを感じるし、英語が多少できることで、グローバルチームの人とのコミュニケーションもとれる。社内で英語が飛び交っている環境もなんだか良い。

 

職場の立地が良い

前職は東京駅の近くでガチガチなオフィス街。サラリーマンにもまれていたが、今の職場は23区内でも西の方。おしゃれカフェやランチスポットがたくさんあるし、街を歩いている人たちも色々な人がいる。若い人が多いかな。あと、嬉しい誤算として、通勤時間が長くなると思っていたら、実は15分ほど短縮された。この15分は意外と大きい。

 

良いことづくめかと言うと、きっとそうではないだろう。今のところ、前任者が全然何もしていなかったせいで、ゼロから立ち上げる仕事があったり、他の人に押し付けていた仕事が戻ってきたり。Flexibleなので、今後振り回されることも多いだろう。そういうことも楽しめればなあと思っている。

 

私には自分で考えたことを発言したり、それを仕事として形にしていくことがとても重要なんだと転職してみて分かった。人から言われたことを単にやるだけとか、やろうとしていることに対して、保守的な理由で(これまでやったことがないとか)押さえつけられるのがストレスだったんだということも。今の会社は良くも悪くも一体感がないので、人も辞めていくし、私も今後何かに巻き込まれて理不尽な思いをして辞める可能性もあるが、その分、何が起こるか分からなくて面白そうなところもある。

 

転職の話はここまでとして、久しぶりに大学のこと。やっと卒業式の日程がホームページに公開された。5月14日だった。卒業式自体は3週間くらいにわたって開催されるので、どの日になるかをずっと知りたかった。日本のGW明け。飛行機チケット買うぞ!会社も学校も休んで、1週間だけだけど、メルボルンに行くのが今からとても楽しみ!

 

今日は長男と久しぶりにマックでランチ。桜のラッピングがされたてりたま!

 

外資系企業に転職 面接編

転職ブログの続き。

前回までのあらすじ。

 

LinkedInで求人を見つける(エージェントではなく募集企業のもの)

Applyボタンを押す

企業の人事担当者からメール、履歴書/CV送付依頼あり

メールで英語のCVを送付

オンライン面談の連絡あり

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仕事のオファーレターをもらうまで、合計3回の面接/面談があった。最初の2回はオンライン、最後はオフィスでin person。3回目はほぼ顔合わせ的な感じで、選考は最初の2回の面接で終わっていたと思う。そして1回目の面接が一番きつかった。

 

面接1回目

人事担当者とメールでやり取りし、人事マネージャーとオンラインで面接することに。日程を調整していざZoom(だったかな)。テレワークの日、早めに切り上げて確か17時から自宅で実施。面談と言われていたから、なぜか軽い気持ちで、何の準備もなく臨んだ私。開始1秒で後悔。

 

まず最初。面談ときいていたけど普通に採用面接だった。それはまだ想定内。想定外はZoomを開いた途端、「Can you hear me?」とネイティブ英語が聞こえてきたこと。それまでのメールは全部日本語だったし、面接官の名前はSuzukiさん(ちなみにこれはブログ用に仮名。でもそれくらい日本人の典型的な苗字だった)。画面の向こうに見える相手はアジア系の女性だったけど、明らかに日本人が話す英語ではない英語で話してきた。脳内プチパニック。

 

あ、これ英語面接なんだ、と分かった時にはすでに面接が始まっていた。お決まりの自己紹介から。英語の採用面接で自己紹介したことない。どれくらいの長さで話せばよいのかも分からず、とりあえず自分のキャリアを簡単に説明(何話したかあまり覚えていない)。その後も比較的スタンダードな質問をいくつかされた(求人に応募した理由、強みと弱み、これまで大変だったこととそれをどう乗り越えたか、など)。

 

途中で、ひょっとしてこの人、オーストラリア人かもしれない、と思った。英語が聞き取りやすい。あと面接官も自宅から面接していて、途中でその人の子供が部屋に入ってきたとき、英語で「今仕事中だから、後にして」みたいなことを言った。子供に英語で話しかけるということは、英語ができる日本人ではなく、日本にいる外国人である可能性が大。いやあ、Suzukiという苗字にやられた。あとから聞いたところによると、やはり彼女はオーストラリア人で、シドニー出身だった。なんか嬉しい。

 

面接では結構厳しいこともたくさん聞かれた。例えば「あなたのこれまでのキャリアで取り扱っていた製品とこの会社の製品は全然違う。こちらは商品サイクルが早いこともあり意思決定がとても早い。そんな仕事にあなたはついてこれますか?」とか「16年も同じ会社にいて、他の会社のことを全然知らないのに、新しい会社で新しい文化の中でやっていけると思いますか?」とか。ちょっと意地悪な感じ?でも英語で聞かれているせいで、自分もオーストラリアモード(英語戦闘モード)になれる。全部言い返した。

 

1時間の面接が終わってどっと疲れた。きっとほとんどこのSuzukiの関門が通らず、落とされるのでは?ベースとなる英語力は必要(相手は日本語を一切話さないし、まずネイティブスピードの英語を理解できないとコミュニケーションができない)。その上で、欧米的な?質問をどんどんされる。オーストラリアで3年間留学していてよかったと思った。指導教官との英語での議論に鍛えられていたから。

 

面接2回目

Suzukiとの面接は正直どういう出来栄えかわからなかったが、2回目の面接の案内が来た。次はSuzukiの上司(人事責任者)と自分の上司となる人との面接。この面接にはお題が与えられた。A4の紙1枚に書かれたビジネスケース。このお題を解くためのプレゼンを10分でせよ、とのこと。スライドは英語で5枚まで。プレゼンは日英両方で、というオーダーだった。次は騙されないぞ。週末に5枚のプレゼンを作って、ノートも英語で作った。面接の直前に数回練習。これで大丈夫。

 

2回目の面接は2人とも日本人だった(そして2人とも女性)。最初から日本語。日本語だから随分気が楽だった。思っていることをそのまま話すだけ。最初10分くらい話してから、それではプレゼンをお願いします、と言われた。それまでずっと日本語で話していたので、「英語でした方が良いですか?日本語ですか?」と聞いたら、どちらでも良いと。それじゃあ、日本語で、と日本語を選んだ私。

 

プレゼンの資料もノートも英語で作っているので、ノート見ながら脳内翻訳。これはこれで難しかった。日本語が拙い日本人になってしまったが、英語の方がうまく出来たかと言うと分からない。とにかくプレゼンは7分くらいで終わって、いくつか質疑。これも日本語。母国語最高。この面接では素の自分で色々質問したり、質問されたり。

 

レファレンス

2回目の面接をクリアした後、レファレンスを求められた。外資系の日本法人だけど、日本企業ではおそらくほぼ求められないので、その辺は外国だなと。日本語か英語ができる人で2人と言われた。現職の関係者には聞けないし、現職には16年間も在籍していたから、その前になると遥か昔になってしまう。大学時代の人でも良いか確認してから、指導教官とPhDの同僚の2人に依頼。

 

その2人のプライベートなメールアドレスと電話番号を教えろと言ってきた。2人ともプライベートのメールアドレスは知らないので、メールでレフェリーになってくれるかどうかを聞いて、承諾してもらってから連絡先を伝えた。結果、電話で15分ほど確認があった模様。最初に面接したSuzukiがクリスマス前にシドニーに帰省していて、シドニーからメルボルンにいる2人にかけたみたい。なんか面白い。つくづく人間関係大事。

 

面接3回目

レファレンスチェックも済み、ほぼ合格しただろうなというタイミングで、一度オフィスに来ませんか、と言われた。これは面接と言うより面談。現職のピッカピカのセキュリティ万全な最新オフィスと比べると、なんか中小企業の集まりみたいなビルだった。大阪駅前ビルに入っていた最初の会社を思い出す。外資系って響きはかっこいいけど、日本の拠点は中小企業みたいな感じだよな、と思った。それが却ってアットホームで心地よくもある。

 

面談はリラックスした雰囲気で進んだ。Suzukiとの面接でも聞かれたが、Salary expectationは?というのが外資系っぽい。Suzukiの時には特に答えを準備していなかったが、今回は今の年収を最低ラインとして答えた。結果、留学前の人生最高年収の水準+アルファを提示され、今よりも年3~4百万円くらい?のアップ。留学したせいで降格をした現職よりも私を高く評価してくれたのが嬉しかった。(実はその後、現職からも昇進の話を聞き、決して低く評価されていたわけではないことを知り複雑な気持ちになるのだが)

 

いわゆる「転職活動」を熱心にしていたわけではなく、面白そうだな、と思う求人にApplyしてみたら、話がどんどん進んで決まったというのが実態。オファーレターをもらったのはクリスマスの日だった。2日以内に回答せよ、と言われて回答。もう考える余裕もなかったし、それが良かったのかな。こんな感じであさってから新しい仕事が始まる。

 

あ、そういえば、外資系転職で面白いと思ったのは、年齢や性別を聞かれなかったこと。入社することが決まって初めて個人情報をおくる。この辺も日本企業との大きな違いかも。

このブログは近所のコメダで書いている

 

 

実務者のカンファレンスに登壇

2月15日が最終出社日で、16日から年休消化。とはいえ、先週にはビッグイベントが控えていたので、実質今週の4日間が自分にとっての休み。ビッグイベントとは、アジアで行われるサステナビリティに関する最大級のカンファレンスへの登壇。開催場所は東京。私は博士課程の研究内容をカンファレンス主催者に売り込んで、ありがたいことに1つのパネルセッションのパネリストとして登壇させてもらうことになった。

 

過去のブログ記事によれば、8~9月ごろに売り込みをした模様。売り込みの派生として、12月から毎月コラム執筆をさせてもらっている。

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このカンファレンスはアカデミックではなく、参加者の大多数が実務者。私は実務者(会社員)として5年前に一度登壇したことがある。今回のパネルセッションのパネリストは私の他に2名いたが、2名とも企業からの参加だった。びっくりしたのは、そのうち1人は、私が3月から所属する会社と同じビルで働いていること(3月以降にランチ行きましょうと約束)。もう1人は20代の頃に所属していた前職の会社の先輩の別の会社での元上司だった(ややこしい)。前職の先輩とは2月の上旬に2人で久しぶりに飲んで、意外と共通点が多くあることに気が付いた。改めて小さな世界だと思う。

 

カンファレンスの参加費用は2日間で5万円を超える。高額であることから、参加する人のほとんどは経費で処理できる企業人(と思われる)。私はもうサステナビリティの部署の所属ではなかったので、会社から5万円をもらって参加することは出来ないと考え、どうにかタダで参加できないかと考えた。そうだ、登壇者になれば、タダで参加できるではないか!ということで、実は売り込みのきっかけは参加費5万円の節約だった。

 

結果、参加できてとても良かった。何年ぶりかに会う人達もいて、16年所属した会社を退職することと、次の会社名(サステナ領域では有名なヨーロッパの会社)を伝えることができた。多くの人は驚いていた。現所属先は日本の大企業で、多くの人に優良企業と思われている。実際そうなんだろうなとも思う。私は自分がやりたいことがもうできないから退職することにしたけど、将来、ぜひ社外取締役として呼んでください、と冗談8割(本気2割笑)で話しておいた。

 

セッションでは、当初、博士研究の話をかいつまんで紹介しようと思っていたが、ファシリテーターの方から、参加者は基本的な事を知りたいと思っているのでは、と事前に教えてもらい、フォーカスするポイントを変えた。それが功を奏した。研究の内容は最初にさらっと紹介したまでで、その後のディスカッションでは、昔読んでいた本からいくつかコンセプトを紹介した。私にとっては当たり前すぎることでも、これから取り組む人にとっては参考になることが多くあるんだなあと、改めてオーディエンスに合わせた話をすることの重要性を学んだ。

 

セッションは、元上司や元同僚、前々職(最初に勤めた会社)の先輩も聞きに来てくれた。私が話したことについて、周りの人(聞いていた人たち)が一生懸命メモを取っていたよ、と教えてもらって、少なくとも何人かには響いた内容になったんだと分かったので嬉しかった。

 

登壇したのは先週木曜日、その日の夜は部署の送別会に参加。すでに少し懐かしい感じがした。私がいなくなった後の仕事の話も聞いて、改めて全然戻りたいと思わない自分を確認。実はその数日前に新しい職場で上司になる人とカフェでカジュアルな面談をしていて、新しい職場での仕事について聞いていた。気持ちが既にそちらに向かっているせいなのかもしれない。色々と内情を聞くと、思っていたより全然中身はできていないようで、良くも悪くもゼロベースでの立上仕事が多くありそうだということが分かった。自分のこれまでの経験を使うことができるのは良いけど、タフな感じもしてちょっと不安もある。どの組織もそうだけど、外から見るとできているようでも、現実はあまりそうではないのだろう。

 

このカンファレンスもあり、2月中には前々職、前職、現職、次の職場と4つの組織にまたがり関係がある人達と会っていることに気が付いた。自分の歴史をたどる期間にもなっている。また他にもこの貴重な休み中の出来事は記したいと思っているし、転職ブログの続きも書きたい、と思っている。

 

一番最近の出来事としては、オーストラリア時代から読んでハマっている小説を今回は1か月で読破したこと。オーストラリアバージョンでは、The Tiltという題名だけど、日本で買う場合は、AmazonでUKバージョンが安くなっているが、オーストラリア国外向けで題名も変わってしまっている(Deadman’s Creekという題)。1月末に購入して、昨日読み終わったので、ちょうど1か月。英語の小説はずっと読みたいと思って読めていなかったのだが、40代になって小説が読めるようになったことは嬉しい。もう今日にでも次が読みたいので、調べてみたが、最新作(The Seven)はオーストラリアでは昨年発売、Amazonで買うと6千円もする(Big Wだと16ドルで売っているのに…)。UKバージョンが今年の1月に発行されていて、Amazonに上がっているUKの古本屋から2千円くらいで買える。早速注文。

下の3冊はオーストラリアで読んで、上の2冊は日本に帰国してから読んだ

これを読んでしまったら、もう読むのがない。以前ブログにも書いた気がするけど、この著者を知ったきっかけは、挿絵を描いている人がメルボルンの大学のPhD仲間だったこと。彼から本をもらったのがきっかけ。そして著者の配偶者は日本人でANUでAssociate Professorをしている。何故だか勝手に親近感を持っている。すべてオーストラリアが舞台になっているので、自分の中で情景がVisualiseできて懐かしくなること、出てくる食事や場所の名前を知っているので、アメリカやイギリスを舞台とした英語小説よりも親近感がわく。

 

初めての査読完了

前回の記事では転職活動のことを書き、その続編を書きたいと思いながら、一番タイムリーな話題を間に挟むことにする。先ほど研究者人生初めての査読を終えた。なかなか面白い体験だった。査読の依頼についてはこちらの記事に。

 

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査読について簡単にまとめてみる。

 

ちゃんとした論文だった

まず一読してみて、良くかけた論文だなあ、と思った。どのように良く書けているかというと、構成やデータの示し方がとにかくしっかりしている。ある意味、優等生的な?お手本的な感じがした。これはあまり指摘することがないかもなあ、というのが最初の印象。既にPublishされていてもおかしくないような気もした。書いたのは学生ではなくて、きっとちゃんとした大学の研究者なんだろうなあと。自分の得意なパターンがあって、論文を書きなれている雰囲気がした。

 

著者がほぼ特定できてしまった

経営学のちゃんとしたジャーナル(最新のIF: 8以上)なので、当然ダブルブラインド。だからもちろん、私は自分が査読する論文を書いた人は分からない。テーマが私の研究テーマと近い一方、研究手法は全く異なる。詳しく書くと分かってしまう可能性があるので詳細は伏せる。

 

実は先週、副業の方で投資家の方とのディスカッションがあった。久しぶりだったので、関連する書籍を事前にパラパラと再読していた。その中で、査読中の論文と近い観点の研究の紹介があった。興味を持って、その紹介されていた人を調べてみて、出版された論文を漁っていたら、査読中の論文と書き方の癖がとても似ている(英語表現にも個人の癖ってある)。あれ?ひょっとして本人?そして決め手は研究手法。査読中の論文とまったく同じ研究手法でこれまで何本か論文実績があった。その研究手法はまだ珍しく、やっている人はこの分野では少ない。そうなるとほぼ確定でしょ、これは。実際、査読中の論文でもその著者の論文を3本も引用している。

 

ちなみにその人はアイビーリーグビジネススクールの新進気鋭のアソシエイトプロフェッサー。そりゃちゃんと書けているはずだ(笑)。気になってプロフィールを見たら、40歳以下の若い研究者に与えられる賞を含めて、結構活躍している人みたい。そんなすごい人の論文を、博士号を取得したばかりで、フルタイム研究者ですらないノンネイティブの私が査読しているというのも不思議な世界。きっとPublishされるから、答え合わせは1年後に。

 

足りていない視点を指摘

論文としては優等生的で私がケチをつけることはない。でも何度か読んで気になったのは、研究テーマの設定と結論の位置づけ。大きな研究テーマ(私と同じ)の背景にあるコンテクストと逆行するような、上手く表現できないけど、読み方、使われ方にちょってはちょっと危険な方に転ぶ可能性もある研究内容となっていたので、その大テーマのコンテクストと研究の位置づけについて、また論文の意味や弱い立場にある人に与える可能性があるリスクについてもディスカッションパートで触れるべきというのを一番大きなポイントとして指摘した。著者がその点をどう考えているのか(ひょっとして気が付いていない可能性もあるが)知りたいと思った。一言で表すと、人間をラットか何かのように扱っている論文にも受け取れた。

 

あとは、自分が知っている領域ではすでに研究の蓄積があるテーマなので、それとの関連性(似た部分と異なる部分)を補強する方が良いという点も指摘。やたらと新規性をアピールしているが、類似テーマで似た研究の蓄積はあるので、それを無視するのは良くないと考えた。その他、テクニカルな点を2点指摘。全部で4点の指摘となった。

 

最終判断

100点満点中何点、とつける部分があり、それはまあまあのスコアとしておいた。ジャッジとしては、Moderate revisionにした。Majorと言うほどでもないし、コンテンツに対してコメントをしているからMinorでもない。Moderateというのは自分はもらったことがない判断だけど、今回の内容にはぴったり合う気がした。

 

査読って大変だけど、学ぶことが多い仕事だった。これからどれくらいその経験を積むかは分からないけど、やって良かったと思う。

 

 

外資系企業に転職

久しぶりの記事になるが、研究とは関係ないことを。3月から新しい会社で働くことになった。40代半ばでの転職。11月頃応募して、クリスマスにオファーをもらい、会社が冬休みに入ったタイミングで返事。今の職場ではあと2週間働き、2月下旬に2週間ほど休みをもらって(溜まっていた年休の一部を消化)、月末に退社。

 

転職については書くことが色々あって、何を書いたら良いか分からないが、40代半ばでの外資系転職へのTipsとかではなく、まずは転職するに至った自分の心境について書いてみたいと思う。

 

オーストラリアから帰国したのが昨年3月末。4月から休職前の所属企業に復職。自分の専門とは異なる部署で新たなことを学びながら仕事をしていた。良いこともたくさんあったが、一言で表すと、なんとなくフィット感がなかったかなという感じ。それは業務の内容もそうだし、もっと大きなのは働き方や企業文化かもしれない。

 

現所属先は日本人なら誰でも知っているし、オーストラリア人でも大抵誰でも知っているような、グローバルに事業展開している日本の大企業。そんな大組織の中で、10年以上、結構好きなようにやらせてもらってきたし、30代の育児と仕事の両立が一番大変な時にも、それなりに個人的な苦労はあったが、整った制度の中で仕事をさせてもらえたと思っている。

 

しかし、3年間休職し、海外に出て、会社組織に属さず、学生兼研究者のたまごとして過ごした後、復職先の日本の会社に大きな違和感を持つようになった。例えばジェンダーのことで言えば、数か月に一度、役員秘書リストが送られてくる。役員は全員男性、秘書は全員女性。それを見て気持ち悪い組織だなと思った。毎回毎回、その資料を見るたびに「嫌だな」と思い出す。他にも、視点が社外よりも社内(といっても従業員ではなく経営層)に向きすぎている仕事の仕方に対しておかしいと思ってしまったり。周りにいるとても優秀な人たちが、クリエイティブな仕事ではなくて、どうでもいいような仕事に時間を使っているのを見るのもなんか嫌だなと思った。もちろんそういう世界があってもいいけど、自分はそこにいたくはない。人生の残り時間、自分が意味があると思えることに没頭したいし、やりたいと思ったことを形にできる場所にいたいと思った。

 

会社は何も変わっていなくて、変わったのは自分。だから自分が動けばよいだけ。そう思って、秋に博士号を取得した後は、Linkedinでゆるく求人情報を見ていた。実はオーストラリア企業にもLinkedin経由でいくつかApplyした。でも海外に住んでいるビザなし外国人は書類の時点ではねられる。なりふり構わずなんとしてでもオーストラリアに戻りたいわけでもないので、オーストラリア企業が難しそうだな、となった後は、日本の中で面白そうな求人がないかどうかを探すようになった(この間、オランダの国際機関の求人に書類が通ったが、求人自体がなくなってしまったという経験を挟む)。

 

日本の求人を探し始めて、これは面白いかも、とヒットしたのが今回の外資系メーカー。ヨーロッパが本社で、サステナビリティ界隈では超がつくほどの有名企業。決め手になったのは、仕事の内容が、私がメルボルンで博士課程をしていた時の指導教官の研究テーマだったこと。指導教官のメインの研究テーマの一つは、とある国際的な認証を取得した企業を対象としている。この求人はその認証制度を日本で担当するポジション。なんだか運命を感じた。

 

Linkedinの求人のApplyボタンを押したら、数日後にメールで連絡があった。興味があるから履歴書かCVを送ってくれとのこと。求人は英語だったが、このメールは日本語だった。日本の履歴書を作るのが面倒なので、オーストラリア企業に送っていた英語のCVをそのまま送った。そうしたら、オンラインで面談しましょうと言われた。

 

と、ここまで書くと長くなったので、続きは次の記事に書くことにする。

会社が入っているビルのイタリアンレストランでランチしたら、ラテアートが施されたラテが出てきた(メルボルンを思い出す)